妖が潜む街

若城

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2章

3話

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午前一一時三〇分
雪霧が部屋から出ていってから、約三時間後に霧本は再び目を覚ました。
休みの日の惰眠ほど、気持ちの良いものはない。他の学生が学校に通う中、自分は時間を気にすることもなく寝る事が出来る。

「ん……うぅ……っ」

 体を起こし、大きく伸びをする。
 母も父もいつも通り仕事に出かけ、雪霧も佐野商店へと向かった。現在、この家には自分だけ。蝉の耳を打つ鳴き声も聞こえなくなったために、しんとした空間が更なる眠気を誘ってくる。

「下いこっと……」

 流石に二度寝をする訳にはいかない。そんなところを、早起きする雪霧に見られてしまえば、一発叩かれてもおかしくない。叩かれた事はないのだが、こればっかりはしてきそうだ。
 休日に家でぼうっとするのは、幼い頃からしてきた事だ。当然、友達から遊びに誘われば遊びに行く。だが、ここ最近は友達も塾などで遊ぶ事を自粛しているようで、外で何かするというのはめっきり無くなった。
 家に居る事が、雪霧にとっては違和感を覚えるようで、仕切りに何処か行かなくていいのかと尋ねてきた。家でゆっくりしたいと言えば、あからさまに驚いた表情を浮かべ、ひとりで何処かへと出かけたりする。新しいとこに向かう時、付き添ったりはするのだが、それ以外では何とも言えないといった顔をしていた。
 彼女が思い描くものと、自分が思い描くものは根本的に違うのだと感じた。それもそうだ。言いたくないが、彼女の考える常識は数百年前のものであり、現代の常識に似つかない。ほんの少しずつ、現代の常識に慣れ始めているものの、所々合わないところもある。
 ベッドから降り、部屋を出てリビングへと向かうと、そのままソファに身を投げ出し、傍に置いていたリモコンを手に取り、テレビを点ける。
 中途半端な時間帯のためか、ニュースや芸能速報といった、あまり興味をそそられないものばかり流れ、やっと冴えてきた目が再び眠気を誘っていく。
 休みとはいえ、やることがないと暇だ。良く遊ぶ友人も異常な三連休ということで、家族で出かけており、今日は完全に一人である。

「……なにしよっかな?」

 所々に寝癖が付いた頭を掻き、呟く。
 雪霧が出ていく時、勉強しろと言っていた気がする。
 勉強は大切だ。それは母や姉を見ていると理解は出来る。母は小学校の教師、姉は県外の国立大学に通い、他人から見ても勉学について積極的な姿勢をしているように見えるだろう。実際、姉の高校、大学受験においては凄まじいものだった。
 母自身、世間一般でいう高学歴に位置する大学を卒業している為、自然と子供に対してレベルの高い学校に行かせようとした。最初のうちは姉も従っていたのだが、高校二年生の時にぶつかった。もういいなりになるのは嫌だと、激しく反抗し、取っ組み合いになる事態となったのだ。父と共に場を沈めようと試みたものの、ギスギスした空気がしばらく続くようになった。最終的には母が国立の大学に行けば、以降は好きなようにしていいと折れる結果に終わった。
 そして、当時一二歳だった自分に対する勉強の強制が緩くなった。むしろ、殆ど無くなった。勉学から起こる問題で家庭が崩れてしまうのを危惧しての事なのだろうと、幼いながらも察した。予定していた中学受験も止めることにもなり、現在通っている中学の進学となった。
 しかし、勉強の強制が無くなりはしたが、母の心の内に潜む期待はきっとある筈だ。一緒に住むようになって一カ月過ぎた雪霧から、勉強について言われるという事は、時折、彼女に勉強の事を話している証拠だ。

「あー、やだなー……」

 姉のように、強く逆らう気力など、自分にはない。しかし、必死に勉強してまで入りたい高校もない。ある程度レベルが低くなっても、友達と同じ所に通えたほうが、精神的に楽だ。
 行くのであれば、自宅から近い緑原高校だろう。偏差値も低くもないし、高くもない。至って平均的な高校、自分が通う学生の大体はこの高校を目指す。勉強に縛りのない生活を送りたいのならば、楽な学校を目指すのが自然なことだ。
 だが、たとえ楽な学校といっても、勉強せずに入れるわけではない。必要最低限の勉強がしなければ、いくら倍率が低くても落ちてしまう可能性だってあるのだ。それ以下の高校に通うのは、さすがに気が引けてしまう。

「でも、結局は勉強なんだよねー……」

 霧本は軽く伸びをすると、ソファから立ち上がり、洗面所へ向かう。そこで歯磨きや洗顔などを一通り終わらせ、再び自室へと戻った。
 寝巻きから私服へと着替え、勉強机に対峙するように椅子に座る。そして、数日放りっぱなしにされていた参考書を睨みつけ、ノートと共に開き、勉強を開始する。
 勉強するには少しのコツがいる、と姉が言っていた。それは難しい問題をやり続けるのではなく、簡単なものからやっていくのが楽な進め方なのだそうだ。そうすることで、集中力が落ちることなく、難しい問題に気負うことなく長時間挑める。最初から難題に取り組めるのは、本当に集中力がある者だけの特権で、何かと気が散りやすい人間にとっては、気休め程度にしかならず、勉強時間は大して変わらない。
 自分なりに、1時間半以上は参考書とにらめっこする努力はした。しかし、解らない問題は解らず、直ぐに放り投げてしまう。結局、簡単な問題とその応用程度しか解けず、難問など一つも解けなかった。

「あぁもう、むりっ」

 前屈みになっていた体を反らし、背凭れに預ける形で天井を仰ぐ。

「そこそこでいいよね、もうさ。秀才目指してる訳じゃないもんね」

 一定の学力を持っていれば大丈夫だろう。難しい問題が解けずにいても、他の問題を確実に取れれば合格は出来る筈だ。別に高得点を取り、壇上に上がりたいわけではない。壇上に上がった同学年の子を眺めている位置で一向に構わない。

「……お腹空いたな」

 空腹を訴える様に、腹が大きく唸る。
 机の隅に置かれている時計は、一二時を刺そうしていた。道理で腹が空く筈だ。
 霧本は椅子から立ち上がると、部屋を出てリビングを向かう。
 昼食はおそらく冷蔵庫の中だろう。
 台所に入り、冷蔵庫を開けると、ラップに包まれた皿を取り出し、レンジの中へ押し込む。そして、スタートボタンを押し、レンジが稼働するのを確認したあと、リビングの方へと戻った。
 そこで、リビング内に設置されている家の電話が軽い音を鳴り響かせた。

「誰からだろ」

 霧本はレンジが稼働する音を気にしつつ、受話器へ歩み寄り、ディスプレイに表示される電話番号を確認した。
 その電話番号は何度も見た事がある。良く遊ぶ武原からだ。中学入学と同時に買って貰った携帯電話から掛けてきているようだった。自分は高校入学までお預けと言われているのに対し、この行為。腹が立つ。

 口を尖らせながら受話器を取り、耳に持っていく。

「もしもし、何の用? 旅行じゃないの?」
『おう、そうだよ。いやぁ、お前には言わないいけない事があったの忘れてたんだわ』
「別に明日で良くない? そんなに重要?」
『重要の重要よ。死活問題だっつうくらい』

 この時点で大した事ではない問題だと確信した。中学生で死活問題にまで発展するものなど存在しない。転校するとか言っても、同じ高校を受ければ良い。県外となれば話は別だが、彼の声色からしてそれはない。

『あのさ、都川を受けることにしたわ』
「……は?」
『だから、都川だって』

 都川高校。それは県内でも秀でて賢いとはいかないが、武原と霧本が本来受けようとした高校よりも一つか二つ程ランクが高い。部活が盛んな学校だが、勉学にも力を入れ始めており、徐々にだが偏差値引き上げの傾向にある。

「え、なんで!?」
『なんでって、そりゃああの子が行くからだよ』
「あの子って、宮原さん? どうせ付き合えないんだからいいじゃん!?」
『うわ、ひっでぇ。同じとこ行けば可能性はあんだろうよ。ま、お互い頑張ろうぜ? じゃあ』
「え、ちょっ――」

 切るなと言いたかったのだが、武原は霧本の返事を待つことなく、一方的に切ってしまった。
 死活問題だった。途轍もなく死活問題だった。同じ高校にいけば、学校生活に新鮮さと安寧の両方持って過ごせると思っていたのだが、意とも容易く崩れ去った。本来志望していた高校を行く同級生は少なくない。だが、武原のように深く連んでいた同級生はおらず、一定の壁がある者ばかりだ。
 そして、もう一つ。
 現在の自分の学力では、都川には受からないということだ。都川は決して賢い高校ではない。それでも、年々上がりつつある偏差値に届いていないのだ。今年度でさらに自分の偏差値と学校の偏差値に差が出来ているだろう。

「う、裏切り者ぉ……っ!!」

 霧本は自分しかいないリビングにて、悲痛の叫びを放った。
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