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38話
しおりを挟む――どうしよう。霧本が思った事は、ただそれだった。
目の前には、人食いの老婆。脚をやられ、身動きがとれない雪霧。人間である自分では到底打破出来ない状況だ。この場で足手まといなのは自分であり、この状況を作ってしまったと言っても過言ではないだろう。
「うー……うー……」
コロが胸ポケットの中で痛みに震えている雪霧の背中を見つめ、今にも泣き出しそうな声を上げる。彼女の傍に寄ろうと身を乗り出すのだが、それを止める。
「駄目だよ……あぶない……」
「そうだぞ……コロ」
雪霧は僅かにこちらを振り返り、余裕の持たない笑みを浮かべさせる。額からは汗が伝い、少しずつ乱れ始める呼吸が、不安を一層加速させていく。
自分のせいで彼女が怪我をした。そう思えて仕方が無い。
万策尽きた今、どうする。彼女は合図をしたら逃げろと言ってくれたが、そんな事をしたくない。友達を置いて逃げるなどしたくない。何の罪の無い、心優しい妖怪の友達だ。そんな存在を置いて逃げたら、この先ずっと後悔する事になる。
「やっぱり、僕も――」
「うーっ!!」
突然、今までで一番の声を、コロは上げた。
霧本は驚き、彼女を見下ろすと、体を震わせていた。そして、小さな口で精一杯の酸素を吸い込んでいき、限界まで達した後、吐き出すようにして叫んだ。
「ぬりかべええええええええええええええええええええええっ!!」
初めて人語を発したコロに、霧本は目を見開かせる。しかし、それで驚くにはまだ早かった。
コロの叫びからほんの数秒後、霧本達と老婆との間に一つの壁が聳え立ち、老婆の行く手を阻んでしまったのだ。どこからともなく現れた壁に、霧本と雪霧は口を開いて唖然としていると、壁の方から犬の様な鳴き声か聞こえてくる。
最初はコンクリートで構成された背丈の高い壁だったのだが、下部分が全体的に弛んだ犬の顔が現れ、甲高い鳴き声を上げる。その犬の目は二つではなく、額に当たる位置にもう一つの目が忙しなく動いていた。
ぬりかべ。名前通り、壁の妖怪。夜、歩いていると肉眼では目視出来ない壁となって、人間の通行の邪魔をしてしまう。避けようとしても、右にも左にもどこまでも壁は続き、避けて進む事が出来ないとされていた。しかし、棒などで下に払う事で、通行の妨げを脱せられる方法はあったようだ。
「ぬりかべって……犬なのっ!?」
ぬりかべというだけあって、テレビの影響含め、壁に模した姿をしているばかりと思っていたのだが、そのイメージをものの見事に打ち砕かれ、今まで抱いていたものが物凄い勢いで崩れ去ってしまった。
「別のものを想像していたようだが、本来の姿はこれだ。それよりも、良くぞ助けてくれた。ありがとう、ぬりかべ」
痛みに顔を歪めつつも立ち上がり、ぬりかべに頭を下げる。すると、ぬりかべは嬉しそうに声を上げた後、壁に吸い込まれるようにして消えていった。
「わっちの邪魔をしおって、このぬりかべ如きがああああああああああああああっ!!」
壁の向こう側で絶叫する老婆が聞こえてきたと思えば、悠々と五メートルを超える壁を超える跳躍を行った。しかし、次の瞬間には壁がそれ以上の高さへと変化し、再び老婆の姿を隠してしまう。
「ぬりかべは、現れた道から迂回しない限り、通る事を許さない。これなら、十分逃げる時間を作る事が出来る筈だ……」
雪霧はこちらを振り返り、足を引き摺りながら歩み寄ってくる。
その姿はとても痛々しく、これ以上、彼女を歩かせるには限界がある。その為、逃げる時間を作ってくれたとしても、目的地に着くまでにあの老婆に追い付かれてしまいかねない。
「肩、貸すよ」
霧本は雪霧の傍に寄り、彼女の腕を自分の肩に乗せ、一緒にゆっくりと歩き出す。なるべく、彼女のペースに合わせて歩くのだが、やはり普通に歩くよりも格段に落ちてしまう。怪我をした脚が地面に着く度、彼女の痛みに呻く小さな声が耳に届く。
(どうしよ……、このままじゃだめだ)
「うーっ」
すると、コロがぬりかべを呼んだように大きく息を吸いこみ、再び大きな声を上げる。
「も、も……もめええええええええええええええええええええんっ!!」
少し言葉に詰まりながら叫ぶ。
「もめん? てか、コロが喋ったっ!?」
ぬりかべの衝撃ですっかり忘れてしまっていたが、普段は『うー』の言葉しか聞いた事が無かった彼女の声が、霧本にとって何かで頭を打たれる程に衝撃的なものだった。
「偶にだが、こやつは言葉を話すぞ……」
「し、知らなかった……」
聞けるタイミングが無かったという事なのだろう。次からは、この貴重な言葉を聞く為に話しかけた方がいいのかもしれない。
そんな事を考えていると、どこからともなく、男性の声が聞こえてきた。
「呼ばれて飛び出て、こんちわぁ。お嬢の為なら、例え火の中、水の中。いや、火は嫌やな」
声の主が霧本の上から聞こえてくるのが分かり、霧本は恐る恐る見上げると、イメージ通りの姿をした縦に細長い木綿の妖怪がのんびりとした様子で漂っていた。
一反木綿。別名、いったんもんめ、いったんもんめん。夕暮れ時に、人間の首などに巻き付き、窒息死させてしまうと言われていた妖怪である。
「あら、今日は烏の旦那はおらんの? あ、その代わりにめんこいのがおる」
彼の言動からして、関西出身の様だ。言葉遣いが軽い為、今一緊張感が伝わってこず、肩透かしを食らってしまう。
一反木綿は雪霧の頭から視線を落としていきながら、『スタイルはまぁまぁ』などとぼそぼそと呟いた後、彼女の止血したしても、酷い傷を負った脚が目に入った途端、目辺りの木綿がくしゃっとしぼんだ。
「うわぁ……いたそうやな……。嬢ちゃん、このめんこいの乗せていけばいいん?」
「いや、出来ればこの少年も一緒に頼む」
「少年?」
彼が顔に位置するものを傾けさせると、雪霧は隣の霧本を指差す。そこでようやく、こちらに目を向け、あからさまに不審物を見つけた様なものへと変化した。
「え、人間やん。何でここにおんの? てか、人間が何で妖怪と仲良うしてんの? 変人?」
明らかに敵意のある視線を向けてくる彼に、霧本は顔を引き攣らせる。そんな一反木綿を雪霧が一睨みすると、彼は顔を強張らせる。
「ま、まぁ……それはそれとして。ワイでも二人を乗せるんは厳しんやけど……」
体を地面すれすれにまで下降させながら、弱気な発言をする。そんな彼に、コロが『うー……』と唸り、顔の前で両手を合わせて懇願してくれた。それを見た彼は、困った様子で唸った後、自分の背中を数回叩く。
「もう……しゃあないなぁ……今回だけやでぇ……?」
「すまない、一反木綿」
「ええよぉ。尻――二人くらい背負えないで男を語れへん」
(お尻の感触って言おうとしてた……?)
下心が露呈しかけた事で、慌てて言い直したのは良いものの、雪霧には最初の単語をしっかり届いていたようで、絶対零度とも言える彼女の目が一反木綿の後頭部に当たる位置を凝視する。
「全て終わったら、対応次第では分かっているか?」
「……へい」
彼女の冷めた言葉に、先程まで軽いと感じていた口調があっという間に急降下してしまった。
雉も鳴かねば撃たれまい、と霧本はびくつく一反木綿を見下ろしてため息を吐く。
霧本と雪霧が背中に乗ると、彼は『ふんぬっ』と全身に力を込めるようにして声を上げ、ふらふら上昇していく。
地面から離れていくのを見て、霧本は驚愕と恐怖の混じった声を洩らし、隣に居る雪霧の裾を握り締め、落ちない様に体を強張らせる。それに対し、雪霧がこちらの腰に手を回してグラつかない様に支えてくれた。
「おっと。ぬりかべっ! すまないが、しばらく足止めしていてくれっ!!」
雪霧は微動だにしないぬりかべにそう言うと、痛がる様子で了解の鳴き声を響かせる。
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