妖が潜む街

若城

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35話

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「天華、遅いわね……」

 赤崎は天華が姿を消してからも、一歩足りともその場を動かず、彼女の帰りをひたすら待っていた。
 あれから一時間以上経っている。
 すぐに戻ると言っていたが、遅すぎるのではないだろうか。苦戦しているのか。はたまた、勝利を得て、遊んでいるのか。負けて、いいようにされているのか。
 最悪の状況が脳裏に浮かんでしまい、大きく頭を振る。
 天華が負ける訳がない。彼女は神なのだ。きっと、あの鬼に勝って、涼しい顔で戻ってきてくれる筈だ。
 その時だ。
 前方で、何か大きい物が落ちる音がした。
 俯かせていた顔を上げ、地に落ちた物を確認しようとした。しかし、それと同時に、見覚えのある綺麗な着物を羽織った女性が視界を遮るように降り立ち、その物体の前で膝を折る。

「天華?」
「すまない、待たせたな」

 こちらを振り返らず、手を振るてんか。そして、物体を片手で掴み、立ち上がるなり漸く振り返ってくれた。
 血塗れになった鬼を手に。

「うっ……」

 鬼の尖った歯が殆ど折れ、その口から溢れる血が地面を禍々しく、赤へと染めていく。片腕の骨の関節が三つあるかのように曲がっており、僅かだが肉を裂き、骨が飛び出していた。
 彼の無残な姿を目撃した直後、鉄の臭いが鼻を強く刺激し、赤崎は鼻を指で摘む。

「天華、あんた……」
「これか? 今までの借りを返しただけじゃ」

 傷を負わされた仕返しと言いたいのだろうが、歯と腕の骨を折る程のものではない。敵の心配はしたくないが、やりすぎだ。

「ほれ、謝れ。喰おうとしたこと謝るのじゃ」

 天華は赤崎を襲わないように、少し離れた距離な鬼を放り投げると、冷たく言い放つ。
 しかし、歯が折られたことと深刻な傷を負ったのか、上手く言葉を発せられていない。

「あ……あぁ……」
「……貴様、謝らんつもりか?」

 そう言い、鬼に歩み寄ると頭を踏みつける。

「謝れば、一瞬で楽にしてやろうと思ったが……それでは物足りないようじゃな」
「や、やめなさいよ、天華!」

 普段とは打って変わった行動を取る彼女に赤崎は、戸惑いはあったものの、なんとか制止する言葉を伝えることが出来た。しかし、下げた顔からでも分かる途轍もない怒りが、鬼に向けられており、聞く耳を持っていないようにも見えた。

「何故、止めなければならん、沙綾香」

 目だけ動かし、こちらを上目遣いで見据えてくる。その目は鬼に対するものと、やめろと告げた赤崎に対する怒りが込められているように感じる。

「こやつはおぬしを喰らおうとしたのじゃぞ。それだけではない、おぬしに恐怖心を与えた。そして、神である妾に楯突き、傷を負わせた……。万死に値することじゃ」

 確かに鬼に恐怖を感じた。だが、彼がこのような、見るに耐えない状態になってほしいなどと、微塵も思っていない。死んでほしいと思っていない。

「私は怪我を負わせてほしいなんて思ってない!  少し捻れば、それで良かったじゃない!」
「甘いぞ。このような下賤な輩には、完膚なきまでに叩きのめし、殺すのが一番早い。ここまでしなければ、再び現れる」

 天華が踏みつける力を込めたのか、鬼の頭から嫌な音が聞こえてくる。

 早くなんとかしなければ、本当に天華は鬼を殺してしまう。それだけは避けなければならない。
「殺す必要ないじゃない……。天華が居れば、こいつだって手を出さないだろうし……」
「なら、妾が沙綾香の傍に居なかった時に、こやつが襲ってきた場合はどうする? 説得でもするのか? 笑わせる」

 天華は俯かせていた顔を上げ、こちらを見据える。

「己が負けた相手を絶望させるような真似をしでかすのが鬼じゃ。そのような奴に見逃す価値など、ない」
「酒呑はどうなのよ……っ。あいつは、優しいじゃない……」
「生まれた時からああだった訳ではない。座敷童が居なければ、こやつと殆ど変わらん鬼だったじゃろう」

 仲間である酒呑童子に対して、辛辣な言葉を口にする。しかし、彼女の言葉は少しだけだが、詰まっていた。事実だったとしても、仲間に向けた言葉は自身の胸さえ、容赦なく矛を向けていた。

「この世から葬ることが最善の道。見たくなければ、この場から離れろ。妾の意思は変わらぬ」

 視線を戻し、鋭く尖った爪をゆっくりと鬼へと向けられる。月明かりに照らされ、小さく輝くそれはとても禍々しく、悲しいものだった。
 彼女の手が紅く染まってしまう。
 鬼は悪い妖怪だ。だが、天華が自分の手を血に染める必要はない。昔は幾度も暴れ回り、同じ神の目の敵にされていただろう。今は違う。細く優しい手で、座敷童を抱き、自分を抱いてくれる。
 ここで鬼を殺めれば、彼女は一生優しい手で抱き締められないのだ。

「天華!」

 赤崎は叫ぶ。それでも、彼女の手の動きは止まらない。
 もう一言。

「私、友達辞めるわよ!?」

 その一言に天華の手の動きが止まり、小刻みに震え始める。

「……それは卑怯じゃぞ」

 再びこちらに目を向けてくる天華の表情は酷く曇っていた。辞めるという言葉に動揺を隠していられず、視線を泳がせる。先程の鋭い眼光が嘘のように消え失せ、座敷童に説教されたような雰囲気を漂わせる。

「わ、妾はおぬしの身の安全の為に――」
「私は殺してほしくないって言ってんのに殺そうとしてる。そんなの、天華の自己満足じゃない。なにが私の為よ。自分の為じゃない」
「うっ……」

 天華が自分を大切に想ってやってくれたのはわかる。とても有り難いことだ。それでも、友達と思える存在が、自分が見ていないところでも殺めたという事実を抱えたくない。十分自分勝手だが、自分なりに天華の事が好きなのだ。大切にしていきたい。

「な、ならどうすればよいのじゃ? 野放しにすれば、また来るのじゃぞ?」
「あんたはなんなのよ? 天逆海でしょ?」

 天華が傍に居ない間、天逆海について調べた。気に食わない者が居れば、自身が持つもので、有無を言わせぬ行動を取っていた。それを使えばいい。
 誰も死なない。
 赤崎は自身の右手を上げ、球を投げるように大きく振るう。

「いつも通りにすればいいじゃないのよ」

 赤崎の動作に天華は理解出来ずに呆然と立ち尽くしていたが、自身の手を見下ろした後に気付いたのか、笑みを浮かべさせる。

「そうか、そうじゃな……。妾はこうして黙らせてきたのじゃ。殺生ではない」

 そう言い、踏みつけていた足を退けると、鬼の襟首を掴み、顔を見合わせる。

「沙綾香に感謝するがよい。貴様はここで死ぬことはなくなった」

 じゃが、と彼女は続け、彼を掴んだ腕を大きく振り上げた。

「ここへは居られなくなるがなぁっ!!」
「――――っ!?」

 飛翔する瞬間すらも視界に捉えられない速度で放り投げられ、鬼の一瞬の悲鳴のみが取り残された。その際、周辺に突風とも言える風が吹き、赤崎の髪を大きく凪いだ。
 振り上げられた腕を下ろし、満足気な笑みを浮かべた天華は、こちらを振り返る頃には鋭く尖った爪も、狼のように生えた牙も、紅く染めた化粧も、何もかも消え失せ、元の彼女に戻っていた。

「これで良かったかの?」
「えぇ、ばっちりよ」

 赤崎は指で円を作ると、小さく笑う。

「すまない、沙綾香。迷惑を掛けた」

 天華が深く頭を垂れ、謝罪してくる。それに対し、赤崎は首を左右に振り、ため息を吐く。

「……私こそごめん。偉そう事を言って」
「そんなことはない。おぬしに言われなければ、あやつを殺しておった」
「うん。あとね、一つだけ、許せないことがあるの」
「……っ」

 天華の体が僅かに揺れる。
 許せない事。それは自分も過去にされた事。

「頭を踏みつけるのは、酷いわ。あれ、痛いのよ。顔も――胸も」

 踏みつけられた時、自分の弱さがこの上なく叩きつけられた気がした。そして、人間である尊厳すら踏みにじられるような屈辱。上から降ってくる嘲笑。
 もう過去なのにも関わらず、胸が締め付けられ、赤崎は胸元の衣服を掴む。

「だから、もう二度としないで。お願い」
「あぁぁ……そんな、妾はなんということを……」

 天華は口元を押さえると瞳に一杯の涙を溜め、駆け寄ってくる。そして、赤崎を強く抱き締め、人知れず泣き始めた。

「辛い事を思い出せてしまってすまない……。もう二度と、おぬしを悲しませるようなことはしない。約束する」
「うん、ありがと」

 赤崎は天華の頭を撫で、笑みを浮かべる。
 久しぶりに笑った気がする。最初は人外であり、恐怖の対象でしかないと思っていたのだが、この短い期間で欠かせない存在となっていた。彼女達が居れば、もう怖くない。新しい自分として、これから歩いていける。そんな気がした。
 出会えて良かった。
 出会ってくれてありがとう。
 何度も友達の妖怪に感謝しながら、赤崎も静かに涙を流した。
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