妖が潜む街

若城

文字の大きさ
上 下
33 / 71

33話

しおりを挟む
「くっそがぁ……っ!!」

 鬼は大きく宙を舞った体を立て直そうともがきながら、怒号を上げた。
 何か喋ろうとした瞬間、見えない力で上空へとはじき出された感覚だった。はじき出される一瞬のうちで見れたのは、天華と呼ばれる妖怪がこちらに向けて、人差し指を上へと跳ねさせさせたところ。あれだけで自分の体がまるで、綿のように宙を舞ったと思うと、怒りがふつふつと湧き上がってくる。

「あのくそあまぁ……。ぶっころす……っ」
「下等の鬼に殺されるほど、妾はやわではないぞ?」

 あの忌々しい声が聞こえ、声のする方へ視線を向ける。すると、そこにはあの距離から僅かの時間で接近出来る速度で飛行してくる、天華の姿があった。
 さすが、天逆毎と言っただけの事はある。しかし、あの程度の傷で泣き叫ぶ者がすぐに立ち直るとは思えない。未だに上質な着物を赤く染める大量の血液が、飄々とさせている顔に僅かな汗を滲ませている。

「やせ我慢は良くねぇぞ、神様よぉ!?」

 鬼は全貌に迫る石柱に体勢を整え、その側面を足場とし、迫りくる天華へ反撃へと移る。
 しかし、

「……どこに行きやがった?」

 先程まで迫ってきていた天華の姿が何処にもなかった。左右に視線を巡らせても居ない。上にも、下にも、彼女の姿は影一つ見当たらなかった。
 やはり、怪我に堪えられず逃げ出したか。あそこまで啖呵切っておいて、少しばかりの木に負けるのは、神と名乗るのも恥を知るべきだ。

「……はっ、腰抜けかよ」
「戦いとは、一瞬の気の緩みが死を招く」

 不意に頭上から彼女の声が降りかかり、鬼は体を僅かに震わせる。後ろを振り返ると、天華が石柱の天辺に降り立ち、呆れた様子でこちらを見下ろしていた。

「て、てめぇ……」

「生きるか死かの戦いをせず生きてきたのか? 戦乱の時代と呼ばれた、あの時代を。まぁ、妾もした事はないがな」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、くそあまぁっ!!」

 鬼は空いた手で拳を作り、天華の足場を砕く勢いで振るう。しかし、それをまるで、軽い物を止めるかのように足を突き出し、音もなく受け止められてしまう。
 馬鹿な。足先で止められる筈がない。最もらしい名前を自分には付けられていないが、鬼の中でも、十数体の鬼を除いて一番の力を持っていると自負していた。それを、涼しい顔で……片足で……。

「この時代の物は何かと誰かの所有物じゃ。無闇に壊すでない」
「あぁっ!? 鬼はなぁ、壊す、奪うを信条にしてんだよっ!!」

 鬼は受け止められた手で彼女の足を掴み、引き摺り下ろし、それと同時に天華の喉元を掻き切る為、自身が持つ素早さを込めて放つ。

「鬼の鑑じゃな。だが――」

 天華は鬼の手首を掴む。

「力の差を見抜けん者は、唯の愚か者じゃ。身を弁えろ」

 全身を使わず、腕の振り一つで再び、鬼の体は空高く舞い上がる。先程よりは勢いはないが、高さは群を抜いて高く、連なって建つ家が小さく見えた。
 神でありながら、善の心を持ち合わせておらず、同じ神さえも押さえつけようした存在、天逆毎。鬼である自分が、赤子の手を捻るという言葉に相応しいあしらい方をされている。神に挑むのは間違っていたのか。唯の鬼が、神に勝とうなどと浅はかな考えだったのか。

「ちげぇ……ぶっころすんだよ……っ。殺して、俺の存在を知らしめてやるんだっ。糞神がぁっ! かかってこい!」
「愚か者と思ったが、只の阿呆じゃったか」

 天華が鬼に付くように飛行してくると、口元を押さえ、小さく笑う。

「このまま放っておけば、貴様は地に落ちて死ぬ。鬼の誇りを持って死ぬか、妾に完膚なきまでにやられ、山に帰るか。どちらが良い?」
「俺がてめぇを殺すんだよっ! それ以外はありえねぇ!!」
「そうか、その考えはなかった」

 天華は片眉を上げ、感嘆の声を上げる。

「なら、やってみるがよい」

 そう言うなり鬼の足首を掴み、急降下する。
 どれほどの速度が出ているのか分からないが、周りの音が風を切る轟音に包まれ、呼吸すら出来ない。

「――――」

 天華がこちらに向かって何かを喋っている。だが、轟音によってその声は掻き消されてしまう。それに気付いたのか、彼女は気付いたのか、彼女は深い溜め息を開くと、前方へと視線を向けた。
 数十秒の轟音の後、たどり着いたのは広大な広場だった。灰色の地面の上に一定の間隔で引かれた、細長い白線の間に何か四角い物体が幾つも鎮座している。その空間の中に、人間の気配を感じないところを見ると、彼女は心置きなく戦える場所を選定したというのだろう。
 天華はその広場に鬼を放り投げる。

「ここには人間は居らぬ。人間が作った、クルマというもののみじゃ」

 鬼は体勢を整え、広場に着地すると、車と呼ばれる物体に目を向ける。同じ形をしたものは少なく、大中小と様々な大きさをした車が不規則に停められており、空間がいくつか空いていた。自分の背よりも低いが、見ただけで重量感が伝え合ってくる。これを動かすことが出来る人間は、どのような方法を使っているのか、甚だ疑問だ。

「さて、始めようぞ。神を殺すと豪語する、貴様の心意気を見せてもらおう」

 地に降り立ち、大きな胸を持ち上げるように腕を組む天華に、鬼は忌々しく舌打ちをする。
 自身が誇る腕力を片足で、それも軽々と受け止める者に丸腰で挑めば、一瞬にして八つ裂きにされてしまうだろう。あの人間が居たからこそ、は天華に対して怪我を負わせる事が出来たに過ぎなかった。

「はっ、鬼は物を壊すのが信条だからなぁ」

 鬼は傍に置かれた赤色に彩られた車の底を掴み、白線から引き摺り出す。

「壊しても何とも思わねぇなぁ!」

 片手で車を持ち上げ、天華に向けて放つ。放り投げる時に車の確かな重量感を感じ、笑みを浮かべる。
 あれ程の重いものをまともに受ければひとたまりもないだろう。自分の体を軽々と放り投げたが、重さは人間とさほど変わらないのだ。自分程の腕力はないはず。

「おぬしは、誠に阿呆じゃな」

 天華が片手を前に突き出し、飛来する車に触れる。あの速度で触れれば、いくら怪力だろうと無事では済まない。骨は砕け、肉を貫くだろう。
 しかし、鬼の予想を遥かに凌ぐ光景が目の前にあった。
 彼女が車に触れると同時に、蝿を払うかの如く、横へと振るう。それだけで、迫る車を横へいなしてしまった。物と物がぶつかり合うけたたましい轟音も一切鳴らすことなく、車が停まっていない空間へと追いやってしまった。
 彼女は車輪が僅かに白線の上に乗った事が気に食わなかったのか、首を傾げさせ、渋い顔をする。

「ぬぅ……少しずれたか。ん、もうお終いか? 妾はまだ何もしていないぞ?」
「……んなわけねぇだろっ!」

 鬼は再び側にある車を引き摺り出し、天華へと放つ。しかし、それも先程と同じように手首を左右に振るうのみでいなされる。次も、次も、次も。何度やっても彼女の顔が苦痛に歪ませる事は出来ず、子供の遊びに付き合っているかのようだった。

「これなら、どうだよ!?」

 一台目を投げた後、すかさず二台目を天華に向けて放つ。
 一つだけ、勝機がある。それは自分が負わせた彼女の腕の傷だ。数回の投擲では、全て怪我をしていない腕でいなしている。その間、指一つ動かしていなかったのも確認済みだ。
 腕を組んだりしていたのは、痩せ我慢だろう。腕の傷が深刻であると悟らせないように努めていたようだが、分かりやすい。
 投擲の間隔の無さに、僅かだがてんかの表情が曇った。そして、怪我をしていない手で車を綺麗にいなされたが、もう片方の車からは固いものぶつかったような鈍い音が聞こえ、行き場を失い、上へと跳ねる。

「ぐ……っ」

 天華は右手で前の部分が僅かにひしゃげた車を後方へと追いやり、再び血を流し始める左腕を庇うように押さえる。
 やはり、彼女にとって傷は深刻なものだったのだ。自身の怪我が悪化するのを分かって車を受け止める行為は、おそらく人間の所有物を破壊させないためのものなのだろう。猛威振るっていた神が、何に触れればあのような行動を取るようになったのか甚だ疑問だ。自分の身だけ護っていれば、怪我を負う事もなかったものの。
 あの人間の娘のせいだろう。だが、それで良かった。もし、人間に目もくれないままの存在であったならば、とうの昔に地に伏せていたのだ。
 神を殺す、絶好の機会。逃す手はない。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

BUZZER OF YOUTH

青春 / 連載中 24h.ポイント:198pt お気に入り:53

負け組スタート!(転生したけど負け組です。)

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

不機嫌な悪役令嬢〜王子は最強の悪役令嬢を溺愛する?〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:2,868

八月のツバメ

青春 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...