妖が潜む街

若城

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31話

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「あ――っ」

 死の現実が刻一刻迫り、現実から目を背けるように固く瞑る。
 柔らかいものが裂ける音が耳に届く。誰かが自分の肩を強く抱く感触と頬に大きく柔らかい感触が赤崎を包んだ。激痛と死の感覚とは程遠いものに驚愕しつつ、赤崎は瞑っていた目をゆっくりと開ける。

「て、天華……っ」

 天華が赤崎の肩を抱いた腕を真っ赤に染め、鬼を睨みつける。状況を掴むのに数秒の時間を要したが、どうやら、鬼の斬撃を抱き寄せる事によって無理矢理避けさせただろう。その代償に、自身の腕が彼の爪によって切り裂かれたようだ。彼女の顔は激痛に歪み、痛みに耐えるように薄い唇をきつく噛み締めていた。

「ちっ、惜しいな。良い反応するな、天狗」

 天華の血で赤く染まった爪を舐める事で拭き取り、再び笑みを浮かべさせる。

「天狗の血は変わった味をしているな。人間ほどじゃないが、悪くないな」
「――――っ」

 天華は反撃するような事はせず、妖怪特有の跳躍力で一気に鬼から距離を取る。一度の跳躍で周辺の家よりも数倍の高さにまで跳び上がり、浮力により、空中で制止した。しかし、傷のせいなのか、完全の制止が出来ず、しばしば体制を崩して下降してしまう状態にあった。

「ねぇ……ちょっ――」

 赤崎が天華に話しかけるや否や、彼女は何の前触れもなくその場から、高速で移動する。近辺の地理があるのにも関わらず、何処に向かっているのか予測出来ない程、彼女は当てずっぽうに飛び続ける。天華の顔を見上げると、普段見せる余裕綽綽とした表情から到底予想出来ないものだった。顔を引き攣らせ、額から大量の脂汗を伝わせていた。
 一〇センチの傷なら彼女は涼しい顔をしているのだと思ったが、それはとんだ勘違いだった。
 この状態かで飛び続けるのは彼女にとってひたすら辛いだろう。どこか、鬼に見つからない安全な場所を見つけ、彼女の傷の手当てをしてあげなければ。
 赤崎は高速で飛行する中、自分がもつ視力を全集中させ、視線を巡らせる。

「あ、あそこ! 天華、あそこに入って!」

 視界に入ったのは、佐野商店の近くに建てられている小さな神社だ。他の神社に比べれば、確かに小さいが、その周りに茂る木々で外から十分隠れる事が出来るだろう。
 天華は痛みに細められる目で彼女が示す神社に見るなり、方向転換し、神社へと突っ込む勢いで下降し始める。急降下により、呼吸が出来なくなってしまうが、天華がこちらの様子を窺う余裕は全く無いでいた。
 あっという間に小さかった鳥居が大きくなり、赤崎は体を強張らせながら、抱かれた天華の腕を強く叩く。

「天華、ストッ――止まってっ!!」

 ストップと言われても理解出来ない単語だと瞬時に把握し、言い換える。それもあって、僅かにだが、速度が落ちるのを感じ、鳥居を抜けたと同時に、天華は地面を滑るように降り立った。
 片膝を着く形で着地し、赤崎は怪我をした天華の腕から離れる為に、傷口に当たらないよう触れる。しかし、ほぼ同じタイミングで天華が自身の腕を動かしてしまし、赤崎が触れる位置が丁度、傷口に触れてしまった。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 傷口に触れてしまったことで、天華が耳を覆いたくなる程の声量で絶叫した。

「あ、ごめんっ!」
「うううううううううううううぅぅぅぅっ! ああぐうううううううううう……っ!!」

 謝罪するも、聞こえていないのか絶叫し続け、果てには鋭い瞳から大粒の涙を留まるところを知らず、流し始めた。その姿はまるで、転んで膝を擦り剥き、泣く子供の様だった。

「そんなに声出したら、あいつに気付かれるって!」

 赤崎は年相応ではない泣き声を上げる彼女の口を塞ぎ、周囲に響かないように努める。それを察してくれたのか、固く口を閉じ、堪えてくれた。しかし、それで痛みが和らぐわけでもなく、涙と鼻水が流れるのを加速させていく。

「とりあえず、洗うわよ。こっちに来て」

 天華の手を引き、手水舎のある方へ身を低くして駆ける。水場に辿り着くと、柄杓一杯に水を入れるなり、彼女を振り返る。すると、水を見た彼女が嫌そうに顔を引き攣らせ、震える手で柄杓を指差す。

「当たり前じゃない。汚かったら、あとが大変だもの。それと、叫ばないでね」
「自信……はないな……」

 天華はゆっくりと赤崎に傷を負った腕を恐る恐る差し出してくる。
 そして、

「あああぁぁっ――っ!!」

 一瞬、叫びはしたものの、着物の袖をきつく噛み締め、耐え忍ぶ。目から薄らと涙を浮かべさせ、その姿は非常に痛々しく、赤崎は思わず目を逸らした。
 血で分からなかったが、あの鬼に切られた傷は天華の手首から肘の辺りまで及んでいた。その上、傷は皮膚だけではく、肉までも切られており、酷い。

「ごめん、天華」

 手水舎に背を当てる形で凭れ掛かる天華に赤崎は目を伏せ、謝罪した。
 彼女の程の妖怪ならば、あの鬼くらいならば容易くあしらえただろう。しかし、何の力を持たない人間が傍に居たばかりに、彼女は負う筈のない怪我を負った。

「私のせいで怪我して……」
「気に病むことはない。むしろ、良かった。妾が居なければ、おぬしは鬼に……喰われておったじゃろう。ついてきて良かった」

 天華は痛みに引き攣った笑みを浮かべさせると、照らし始めた月を見上げる。

「妾はこの世に生れ落ちてから、血を流した事はなかった。戦を眺め、人間が多少斬られても何食わぬ顔をしていたのを見て、怪我などそう痛みにのたうちまわるものではないと思っていたのじゃが……」

 傷を負った腕を撫で、苦笑する。

「途轍もなく痛い。こともあろうに、泣き叫んでしもうた。情けないな」

 しかし、と彼女は続ける。

「大切なものを護れるのであれば、これも良い」
 彼女の言葉で確信できた。彼女はとても強く、とても弱い。しかし、その中に確かな自信を持ち、自分が好意を持つ者には全力で助ける意志が計り知れない程強いのだ。
 座敷童に向けられる想いこれだったのだろう。

「天華、その傷であいつに勝てる?」

 物心がついて十数年、憎まれ口は散々浴びせられてきたが、あれほどの殺意を感じたのは生まれて初めてだった。それ以前に、人間があそこまでの殺意を抱くことさえあるのかさえ思ってしまう。怖い。そう、怖いのだ。あのような殺意を、呼吸をするのかの如く放つ存在が何の束縛なく、同じ空気を吸っている事が怖い。
 目を伏せた時、自分の体が震えているのに初めて気付いた。
 怖いと感じている、体を震えない筈がない。

「大丈夫じゃ」

 天華は傍に立つ赤崎の手を取り、引き寄せると強く抱き締める。妖怪だが、人と変わらない三六度程度の体温を感じ、その優しい声に思わず泣きそうになってしまう。

「やつは妾が退いてみせる。心配するな」
「……うん、ありがと」

 赤崎も傷に触れないように、天華の体を抱き締める。
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