妖が潜む街

若城

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30話

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 雪霧が老婆と接触する数分前。

「私一人で良いって言ったじゃないの」

 赤崎は隣で意気揚々とスキップする天華を横目にため息を吐く。

「良いではないか。妾もこんびにと呼ばれる場所に興味があっての。座敷童によると、あらゆる品が並んでいると聞いたのじゃが?」

 赤崎と天華は自宅から一キロ程度離れたコンビニへ向かう途中だった。暑さが残る中、夕食が終われば、自然と冷たいものが食べたくなる。冷凍庫から適当にアイスを食べようと思っていたのだが、不運な事に、この時期、常備されているアイスが切らしてしまっていたのだ。食べようとした手前、このまま諦めて自室に戻るのは嫌なので、自費で買いに行こうとしたところ、丁度帰宅してきた天華と鉢合わせになってしまい、現在に至る。

「まぁね……酒呑と来たときは店員にナンパしやがってめんどくさかったわ……。あんたならまだましそうね」
「当たり前じゃ、あやつと一緒にするでない」

 先を行く天華は、スキップを止めて振り返ると大きな胸を張り、鼻を鳴らす。

「それはそうと、沙綾香」
「なに?」
「楽しいか?」
「……は?」

 突然、何を言いだすのだろうか。たかがコンビニに買い物行くだけで楽しい、楽しくないなど分かるわけがない。無心で赴き、無心で買う。それだけだ。
「買い物だけで楽しめって中々酷な事言うわね。何かの罰ゲーム?」
「そうではない。最近、笑みを浮かべているところを見かけるのでな。おぬしの生きる道に変化があったのかと思うてな」

 別に笑ったと感じた事は一度もない。確かに、彼女達と出会ってからあらゆる環境が変わったのを感じる。学校に行き、図書館に行き、家に帰って勉強、風呂に入り、寝る。そんな心底詰まらない生活が、三体の妖怪によって打ち砕かれ、家に帰れば何かとちょっかいを掛けてこられるようになった。
 そんな生活の中のどこかで天華が言う、笑みを浮かべていたのかもしれない。酒呑童子がふざければ、座敷童が便乗し、それを天華と共に黙らせるの繰り返し。それが生活のサイクルに組み込まれ、気付かぬうちに自身の中につっかえた物が取れてしまったのだろうか。
 言われて初めて、寝る前に必ず渦巻く、胸の中にある異物が無くなっている事に気付いた。
 鬱陶しい存在と思ったものが、心地良い存在に変わっている。

「ほれ、今も浮かべておる」
「えっ」

 天華に言われ、赤崎は慌てて手で口元を隠す。

「笑ってない」
「笑ったぞ」
「笑ってないっ」
「ほほう、ならば――おぬしは妾達をどう思う?」
「うっ……それは」

 天華は自分の事を友達と言ってくれた。友達をいらないと言ったのに、彼女は友達でいたい、愛し続けると言ってくれた。言葉には出来なかったが、本当に嬉しかった。
 意地になるのは止めようか。恥ずかしいと思った言葉を口に出す事も、立ち止まっていた自分に対する抵抗となる筈だ。いい加減、少しずつ受け入れていこう。

「私は――」

 今更、面と向かって言うのは非常に恥ずかしい。
 赤崎は天華の顔を見つめる事が出来ず、視線を泳がせる。そして、意を決して合わせようとしない自分の目を無理矢理、彼女へと向け、『友達』と口を開く。

「ともだ――っておい」

 問いかけてきた本人がこちらではなく、こちらよりさらに奥の誰かへと視線を送っているのに気づき、毒づく。一体、誰を見ているのかと思い、後方を振り返ってみるのだが、誰もおらず、点々と点き始める街灯と明かりが灯り始める家しか視界に入らなかった。

「沙綾香、少し横に寄ってはくれんか」
「何でよ?」

 赤崎は用途の読めない言葉を吐く彼女を振り返るなり、ぎょっと目を見開かせる。
 天華が左手の人差し指と中指のみを立て、こちらに向けて腕を突き出していたのだ。正確には、自分よりも後ろに居る何者かに向けて。そして、彼女の唇に浮かべられる――好戦的な笑みが、異様な雰囲気を醸し出していた。

「わ、わかった……」

 天華に言われた通り、赤崎は二歩程横にずれる。すると、彼女の指先周辺の風の動きが明らかに変化した。まるで、竜巻が生まれる瞬間を目撃しているかのような、小さな渦が生まれ、それが着実に大きくなっていく。

「これくらいでどうじゃ、雪女よ」

 そう言い、銃を発砲するかのように手首を上へと跳ね上げる。
 その瞬間、赤崎の目の前を凄まじい風圧が通り過ぎていく。あまりの風圧に赤崎は両腕で顔を覆う。

「な、何をしたのよ……?」

 風が止み、満足げに頷く天華に問いかける。彼女は顎に手を当てると、先程の好戦的な笑みと違う、悪戯な笑みを浮かべさせた。

「ちょっとしたおせっかいじゃな」
「は、はぁ……?」
「それとじゃ……おぬし、妾達に何用じゃ?」

 笑みを音もなく失せさせると、天華が後ろを振り返る。赤崎も彼女が向ける視線の先を追い、何者かを視界に捉える。
 歩いていた道は夜の七時にも関わらず自分達しか居なかった。誰が来る気配もなく、まるでこの通りには人が住んでいないとさえ思えるような静かな空間だった。そんな道路で、何の前触れもなく、一人の男性が十数メートル離れた所に胡坐を掻いている。
 いつからそこに居たのだろうか。自分が天華を振り返った時には、胡坐を掻いた男性を視界には入っていなかった、筈だ。周りの家の玄関から出てきたと思っても、ドアを開いた音で気づくだろう。

「いやぁ、話に聞いていた通りだったなと思ってな。まさか、この時代に生きているとはな」

 天華を知っている風に話す男性は、無精髭を生やした顎を擦ると、軽く拍手する。

「それに、あの業。そこらの天狗じゃ到底出来ないものだな。さすが、女の大天狗と言ったところだ」
「……おぬしのその気配、鬼じゃな。そして、先程のは仲間か?」
「仲間とは言えないな。鬼が仲間意識を持つ種族じゃないって知ってるだろうに」
「では、手を出された仕返しに来たという訳ではないのじゃな?」
「そうだな、あんたがどんな天狗なのか見に来ただけだ」
「なら失せろ。妾は沙綾香と買い物に行くのじゃ。至福の時間を故意に奪われるのを黙認出来る程、妾は優しくないぞ」

 語気を強めていく天華に違和感を覚える赤崎は、彼女達の成り行きを見守るしかできなかった。酒呑童子以外の鬼が目の前に居る。彼同様、どこからどう見ても成人した男性にしか見えず、天華が鬼と言うまで普通の人間だと思っていた。特に凶暴そうには見えず、言動などが酒呑童子と重なり、脅威には感じない。天華が警戒する光景が浮いて見えてしまう。

(毒されたなぁ、私)

 そう思いつつ、赤崎は天華に歩み寄り、彼女の袖を掴む。

「そんなに怒る事ないじゃない。どんなのか見に来ただけって言ってるし」
「沙綾香、全てあやつのような鬼だと思うな。妖怪の中でも屈指の人喰らいの種族じゃぞ」
「でもさ、あいつは――」
「勘違いするなよ、小娘」
 突然、彼女のきつい言葉が向けられ、赤崎は体を震わせる。
 目だけでこちらを睨むように見下ろしてくる彼女の目は、怒りと焦りが混同したような余裕のないものなのが分かった。

「あやつがどう変わろうが、鬼には変わりない。生きた人間を喰らっていなくとも、他の鬼は何食わぬ顔で生きた人間を喰らっておる。貴様もだろ」

 視線を鬼へと向けられると、彼はわざとらしく肩を竦ませると鋭く尖った歯を見せ、笑う。

「当たり。人間の肉は他の肉とは別でな。家畜をどんなに育てようがその味には勝てない。ましてや、女子供となれば尚更だ。天と地の差と言ってもいい」

 そして、軽く舌舐めずりをし、笑みを深めさせた。
「嘘を吐いた。目的は天狗じゃねぇ。お前だよ、女」
 細められる男性の目から今まで感じた事の無い圧力を感じた。初めて天華達と出会った時にも、凄まじい敵意を感じたのは覚えている。しかし、彼から感じるのはそのようなものは一切なかった。敵意を感じさせない、どろどろとした殺意。

「うっ……!」

 赤崎が短い悲鳴を上げたと同時に、鬼は動いた。しかし、動いたと認識出来たのは、僅かに足を動かした瞬間のみ。次に彼の動きを認識出来たのは、既に背後に立ち、爪が鋭く尖った手を大きく振り上げている彼の姿だった。
 ナイフのように鋭い爪に首を裂かれるヴィジョンが赤崎の脳内に鮮明に映し出される。現実味の無いものは物凄く曖昧な想像に終わるものだが、今思い描く映像は数秒後に起きる出来事を予見しているようだった。
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