妖が潜む街

若城

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27話

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「何なのだ、あの男はっ」

 自宅のリビング。
 ソファに腰かけ、目の前あるテーブルに置かれた、五本の天然水を次々と飲んでいく雪霧が口を歪ませながら毒づく。そんな彼女の頭の上で、少しでも冷ましてあげようと彼女の額に息を吹きかけるコロ。その隣で、霧本は彼女の額から流れる水滴をタオルで拭いながら、苦い笑みを浮かべる。
 雪霧が苛立っているのは数時間前に救出した実業家に対してだ。
佐野商店に行こうとしていた時、突然、実業家の家から火の手が上がった。当然、霧本は消防車に電話をし、救助を求めた。その間に、近所の住民や通りすがりの人が次々と実業家の家の前に群がり、不謹慎にも写真を撮影したりしていた。
自分が火の手が上がった家の前で右往左往していると、配達途中だった雪霧が駆け寄ってきて、『人が中に居る』と告げた。
火の回りが加速していくのを、指を咥えて見ているのが嫌だったのか、家の中に入ろうと一歩踏み出した。しかし、雪女である彼女があの火の中に飛び込むのは危険なのではないだろうかと思った。案の定、目を細め、躊躇っている様子だ。
 何とか中に居た実業家を救出したのだが、汗ではない水滴が彼女の体から流れているのが窺え、疲弊しきっている状態だった。
 助けられたのにも関わらず、自分の物が何とか叫び、雪霧に礼を言うのではなく怒号を上げる始末だった。最初は彼女も、命優先の旨を伝えていたのだが、実業家の態度にとうとう堪忍袋の緒が切れ、逆に怒声を上げてしまう結果となった。

「あの人、ああいう感じで有名なんだよ……。近所でも嫌われてるし、お母さんも何回か口喧嘩したらしいし」
「あの優しい母上様が怒るのも無理もない。この時代にも金の亡者が居るのは、変わらないものも少なくないのだな」

 三本目の天然水を飲み終えた雪霧は、四本目を手に取り、蓋を開けて飲み始める。彼女の飲みっぷりを見る限り、彼女の中の水分が結構の量を消費しているのが分かる。
 しかし、と雪霧は傍に置いていた包みに視線を落とし、眉根を落とす。

「これを送り届けなければならないのだが……、とっくに約束の時間が過ぎている……」
「あぁ、それならおじさんに電話してあるから大丈夫だよ。いや、大丈夫じゃないか……。けど、遅れる旨を相手に伝えてくれるって」
「そうか、申し訳ないことをした。では、行こう……っと」

 ソファから立ち上がるのだが、体に力が入らなかったのか、ゆらゆらとふらついてしまう。霧本は慌てて彼女に肩を貸すと、安堵のため息を吐く。どうやら、完全には回復していないようだ。いくら人間相手に敵なしである彼女でも、こんな状態では少し心配だ。

「僕も一緒に行くよ」
「いや、そこまでしなくてもいい。俊哉はベンキョーでもしていろ。母上様も常々言っておられたぞ」

 まさか彼女の口から勉強という言葉が出るとは思わなかった。しかし、彼女が心配なのは本心だ。弱っている彼女の指示に従うわけにはいかない。

「順調だからいいよっ。まだ暑いし、向かってる間に倒れたら大変だよ」

 雪霧の肩を強く抱き、意気込んで見せる。ごり押しと言っても過言ではないのだが、彼女は自身の肩を抱く霧本の手に視線を落とした後、僅かに頬を赤らめさせると、小さく咳払いをした。

「そこまで言うのならば、ついてくるがいい。強引な奴だな、見かけの割には……」
「え」

 後半の言葉が引っ掛かるのだが、荷物を持ち、玄関に向かうように促してくる雪霧に、霧本は大人しく従う。外に出ると、午後六時を回るにも関わらず、日差しが容赦なく少年と弱った雪女を照らす。普段の雪霧ならば、汗一つ流さないのだが、今回ばかりはそうもいかないようだ。鬱陶しそうに太陽を睨みつけ、短い呼吸を繰り返す。

(やっぱりしんどいんじゃないか……)

 雪霧を気遣い、狭くなった彼女の歩幅に合わせて霧本は歩く。霧本の胸ポケットから頭だけ出したコロが、心配そうに彼女の事を見つめ、応援するように両手を左右に振り続ける。
母の日傘を持って来ればよかったと、結構歩いたところで気づき、後悔した。途中、休憩しようかと提案するも、ただでさえ遅くなっている配達が、更に遅くなると断ってきた。彼女の相手を思いやる気持ちは尊敬に値するが、自分の体を労わる事も考えてほしい。
 半時間掛けて、漸く配達対象である民家に辿り着き、インターホンを鳴らす。鳴らして数秒経ってから、三〇代前半の女性が出てきて、荷物を受け取ってもらう。
「この度は、遅れて申し訳ございませんでした」
 雪霧は深々と頭を下げるが、女性は笑いながら首を横に振った。

「大丈夫ですよ。佐野さんから聞きました。むしろ、凄いと思いましたよ。火事の中、一人で飛び込むなんて……命の恩人さんじゃないですか」
「いやそんな……私なんて」

 そこから女性と雪霧による、互いの良い所を褒め合う勝負が始まった。そこから身の周りの出来事へと移行していき、これが巷に言われる、『井戸端会議』と言われるものなのだろうか。
 一通り会話が終わり、雪霧は女性に深々と頭を下げると背を向ける。

(あ、終わった)

 霧本も女性に軽く頭を下げ、去っていく雪霧を追いかける。

「さぁ、帰ろう。てんちょうは何と言っていたのだ?」
「届けたらそのまま帰っていいよだって。今日のご飯、からあげだよ」

 からあげという言葉に、疲れの色を見せていた彼女の顔がパッと明るくなり、その薄い唇の両端を僅かに上げる。

「からあげ……そうか、からあげっ」

 本当に好きなんだ、と霧本はあまりの興奮っぷりに苦笑いしつつ、彼女と肩を並べて家路に着く。
 しばらく歩いていると、不意に雪霧が手を握ってきた。突然の事に、体を大きく震わせるが、夏の名残がまだまだ残る今日、彼女の手は冷たく、気持ちの良いものだ。それに加え、誰がどう見ても美しいと言ってのける女性の手。思春期である霧本にとっては、類まれない大イベントなのだ。

「さすがに人が大勢いる場所じゃ……。家の近くからでいい?」

 ここは自分が通う中学校から近い。万が一、手を繋いで歩いているところを同級生に目撃されてしまうと、からかわれる対象になりかねない。それだけは避けなければ。
 振り払っては彼女を傷つけてしまうため、空いた手でゆっくり離していこうと、握ってくる彼女の手を掴もうとする。
 そこで、前方から感じる視線に気づいた。
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