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26話
しおりを挟む盛岡は目の前に起きている光景を、野次馬の一部として呆然と眺めていた。
実業家の家が黒煙を広範囲に撒き散らしながら、轟々と火の息吹を吹き続けている。夏の気温に加え、凄まじい勢いで燃え盛る炎が体感温度を遠慮なく上昇させていく。野次馬が次々と形を失っていく実業家の豪邸を携帯電話で撮影し、それを消火中である消防隊員が離れるように叫ぶ。
そして、
「私の……私のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
目、鼻、口から透明の液体をみっともなく流し、今にも豪邸の中に飛び込まんとしていた。そんな彼を白い着物を身に纏った女性と高校生くらいの容姿をした少年が、羽交い絞めにし、中に入らないように努めていた。暑さに弱いのか、女性の方は顔から大量の汗を流しており、仕切りに額を拭う。心なしか辛そうにも見える。
「命を粗末にするような事をするなっ!」
「でも、雪霧さんも――」
少年が心配気に女性の方を見、実業家を豪邸から話そうと後方へと引っ張る。しかし、非力なのか、醜く太った奴を引き摺るのは至難の業だろう。
「お、お前らにあの中の価値が分かるものかああああああああああああああ!!」
「亡者が……」
女性が整った顔を歪めさせ、侮蔑する言葉を彼にぶつける。しかし、実業家の耳には届いている様子はなく、物心のついていない子供のように無様に泣き叫んでいた。
(死にたけりゃ、ほっときゃあいいだろうよ。そいつ助けても、何の得にもなんねぇのによ)
火事によって額から流れる汗を鬱陶しいげに拭い、群がる野次馬から離れる。先程の女性が実業家に向けて何か叫んでいるのが聞こえてきたが、気にもとめなかった。
奴らには金を奪ってこいと言った。だが、家を燃やせとまでは言っていない。事を大きくしてしまうと、先程のように野次馬が集まり、面倒なことになってしまうのだ。そのことをわかっていなかったのか。
「あの化け物どもが……」
盛岡は何度も舌打ちをし、少し離れた自宅のアパートへと戻る。自分が住む部屋は四階の角部屋だ。隣の住んでいる者は居らず、騒音に悩まされることないし、少しうるさくしても誰も注意してくることもない楽園と言えるだろう。一つだけ、文句があるとするならばワンルームであることだ。
施錠を解き、乱暴に開け放つ。
妖怪達には、事が済んだら自宅に来るように指示をしておいた。あれほどの事をしたのだから、もう戻ってきている筈だ。何故、あのような度の過ぎた事をしたのか問いただしてやる。
短い廊下を抜け、一三畳のワンルームに続くドアを開けると、三体の妖怪が所構わず土足でベッドに横になり、テーブルに腰を掛け、床に胡坐を掻いていた。そして、部屋の中心には、無造作に置かれた大量の金品と金庫が一つ置かれている。
「よう。約束通り、金になりそうなのと四角いの持ってきたぞ」
鬼が金品の入った袋と金庫を顎で差し、にやりと笑う。
「何が約束通りだ。目立ったことしやがって……あそこまでしろとは言ってねぇぞ!」
「そこまでするなとは言われてなかったが?」
「屁理屈こねてんじゃ……っ」
怒りのボルテージが着々と上がってくる中で、大天狗の視線に気づき、それ以上口を開けなかった。それほどまでに、大天狗の視線が恐ろしかった。
「貴様、人間如きが口答えするか。願いを叶えてやると聞いて、図に乗ったか」
「ぐっ……」
太く、低い声に体を震わせていると、鬼が喉を鳴らし、『クククッ』と笑う。どうやら、態度の急変が笑いを誘ったようだ。つまり、嘲笑ったという事だ。
しかし、この妖怪三体に人間が一人。普通に考えれば、瞬く間に妖怪によって自分の体は食い荒らされてしまう状況。たまたま封印されていた掛け軸から解放したから、こうして息をしている。下手に逆らう事はしない方がいいのかもしれない。願いを叶えてくれていると言えど、人間である以上、自分の置かれている立場を肝に銘じておくべきだろう。
「大天狗には怯えて、俺には何の抵抗もなしか。傷付くなぁ」
鬼は山姥に目をやり、同意を求めるように首を傾げさせる。それに対し、山姥はつまらなさそうに舌打ちをし、盛岡へと濁った瞳を向けた。
「別に、わっちは人間に何を思われようと知ったこっちゃあないよ。肉を食えれば、それでいい」
しかし、と彼女はこちらの体を足の爪先から頭の頂点まで、舐めるように見るなりため息を吐く。
「肉付きが悪すぎてまずそうじゃわい。わっちは、女子供の肉が喰いたい。男なぞ、好かんわ」
「そうだな、そっちの方が食べ甲斐がある」
不気味に唇を舐め、目を細めさせる。人を喰らう種族である二体の妖怪の頭の中では、無残にも肉塊と化した、女性と子供を食す映像が流れているのだろう。
何とも気色の悪い妄想する生き物だ。普通の人間でも、人が無残に死ぬシーンに興奮、喜ぶスプラッター好きは少なくないが、好む神経が分からない。この妖怪も同じようなものだろうか。
その反面、大天狗は二体を侮蔑の視線を向け、赤く長い鼻を苛立たしげに撫でる。
「下等の肉を喰らって、何を得られるのだ。能の無い肉など、自身の位を下げる行為だ」
同じ妖怪でここまで違うのか。『大』と付くくらいなのだから、高位な食べ物でも食べていたと言いたいのか。当時の嗜好品など知らないが、人間とは全く異なるものであり、人間である自分では到底想像できないものなのかもしれない。
「得られるさ。腹が膨れる」
「それは、得られるとは言わん。欲求を満たしているだけだ」
「どうでもいい。なんせ、俺たちは肉が喰いたい。なんか良いのないか?」
とんだ無茶ぶりを振られ、盛岡は小さく舌打ちをする。
「冷蔵庫の中にある牛肉が――」
「さっき言ったことをもう忘れたのか? 人間の肉を喰うには、どうしたらいい? 目立った事をしちゃ駄目なんだろう?」
盛岡の言葉を遮り、彼は言う。
御伽噺程度の知識でしかないが、鬼は自分のやりたい事しかしない生き物なのは確かのようだ。欲しい物がたとえ、誰かの物でも強奪という行為で手に入れる所業を繰り返す。腹が空けば、人間を含めて肉を喰らう。
(心底うぜぇ……)
盛岡はこめかみを揉み、深くため息を吐いた。
「夜だ。夜、外で適当に喰え。誰にも見られんじゃねぇぞ」
その言葉に、山姥が黄色く汚れた歯を見せ、下品に笑う。そして、長い舌で細い指を舐め、笑みを深めさせた。
「数百年ぶりの肉か。ゆっくり味わいたいものよのう……」
人肉を食べる事に愛おしさを感じている鬼に寒気を抱きつつ、盛岡は床に置かれた大金に視線を落とす。
この金がこれから増えていく。この妖怪を前に、誰も倒す事出来ないだろう。常軌を逸した存在が味方に居るだけで、胸が高鳴る。いや、口を大にして味方とは言えない。いつ、奴らが私利私欲に行動するのか分からない。自分が言った五億という大金を手に入れた時、奴らはこの場から消え失せてしまうのかもしれない。
(いや、それでいい)
自分が疑われずに大金を手に入れられれば、もう用はない。利用出来るだけ利用して、とっと消えてもらおう。目の前に居るだけで生きた心地がしないのだから。
盛岡は不気味に笑う二体の鬼に、生唾を呑みつつ、笑みを浮かべた。
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