妖が潜む街

若城

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21話

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 赤崎は気分が漸く落ち着き、重い体でふらふらと、先程のベンチにまで戻ってきた。
 しかし、戻ったところで誰も居ないだろう。酒呑童子はきっと、あの三人とどこかへ行ってしまっている筈だ。霧本も彼女達と一緒に居る理由もない。いくら経っても戻ってこない自分をずっと待っていられるほど、彼は我慢強くないだろう。自分と一緒に居たところで、何一つ得する事が無いのだから。
自分は一人でいい。友達など、必要ない。

「……あっ」
「やっと戻った。遅いぞお前」  

 彼らが居た。
 ベンチに浅く座り、退屈そうに腕を組んでいた酒呑童子と、雪霧と他愛のない話をし続けている霧本が。彼はこちらの存在に気付くと、小さく笑みを浮かべて手を振ってきた。

「あんたたち、どうして……」

 赤崎が間の抜けた声を上げると、酒呑童子は呆れた様子でため息を吐き、ベンチから腰を浮かして歩み寄ってきた。そして、額を指先で突く。

「当たり前だろ、とも――」
「友達だからって言うんじゃないでしょうね……?」

 言い終える前に、間髪入れず言い放つと、彼は苦笑いする。
欲していないと言っているのに、どうしてここまで、執拗にこだわるのか。

「私には、友達になんか……」

 欲しくない……。傷付くくらいなら。

「そこまで拒むなよ。お前の事情は分かったけどさ」
「…………」

 赤崎は黙って彼を睨むようにして見上げる。
 出会って一週間程度で分かってたまるか。自分は数年間嫌な事しか体験しかしてこなかったのだ。その程度で、理解されたくない。

「さっきの奴らに、何かされたんだろ?」
「うっ……」

 思わず呻いてしまい、『そらみたことか』と鼻で笑われた。

「俺達は恩返ししたいだけだ。あの本の中から出してくれたからな」
「あんたがやってる事は、仇で返してる事よ……。私は望んでない」
「そうだったみたいだな。けどな、俺達はお前の友達になりたい。人間で初めての友達だ」
「…………」
「嫌な事なのは分かった。けど、少しでもその考えを変えたい。それが俺達からの恩返しと受け取ってくれないか? 後悔はさせない」

 真っ直ぐ見つめてくる彼の目から、どうやっても逸らす事が出来なかった。彼の目には偽りが無く、発した言葉が真意なのだと感じた。
 何故、そこまでして関わろうとする。人間と妖怪は相容れない存在同士の筈だ。その垣根を越え、友達を望む彼の思いが、理解に苦しむ。友達になって何になる。友達になったとして、先に死を迎えるのは人間なのだ。それを繰り返していけば、今まで培ってきたものは零になるのを繰り返していくしかない。
 それでも、友達になりたいのか。
 赤崎は彼の言葉に返答する事は出来ず、顔を顰めさせて俯くしか出来なかった。

 その日の夜。
 夕食と入浴を済ませた赤崎は、自室の勉強机にて、学校から出された課題をこなしていた。ベッドには、天華が本棚に並べていた漫画を読んでいる。そんな彼女の腹の上に寝転ぶ形で、座敷童も漫画を読んでいた。時々笑っているが、ちゃんと理解しているのか甚だ疑問である。一方、酒呑童子は自室の壁に座って凭れ掛かる状態で、眠たげに欠伸をしていた。
 赤崎の部屋は、誰がどうみても殺風景なものだ。本棚は三つのタイトルの漫画と過去に使った問題集のみ。窓に掛けられたカーテンも洗濯する以外、一度も変えた事のない白いカーテン。年頃の女性の部屋とは言い難く、親も模様替えをしたらどうかと勧めてくる程だった。その度、頑なに拒否し、今の状態を保ち続けている。
 自分にとって最上の空間がこれなのだ。親以外に何の圧も無く過ごせる唯一の空間だ。
 その中で、女の大天狗、酒呑童子、座敷童が居る。怖いもので、二週間以上経ってしまうと、嫌でも慣れてしまった。しかし、その慣れが本当に苦痛だ。独りで居る事が当たり前だったのに、今は彼らが居る。昼夜問わず、一緒に居る。ちょっかい出してきて、それをあしらう日々。ついには、友達だと言ってきた。当然、怒りを覚え反論した。人間と妖怪が友達になれる訳がない。もし、自分以外に妖怪と関わりを持っている者がいれば、間違いなく拒んでいるだろう。
 あの時は拒んだ。拒んだのだが、その気持ちが今になって途轍もなく引っかかっている。

(友達なんて……)
「なぁさぁ」

 退屈そうに白い天井を見上げていた酒呑童子が、誰かに問い掛ける。赤崎は自分に対してではないと確信し、彼の声に応える事はしなかった。しばらくの沈黙の後、天華と座敷童は漸く自分達に問い掛けてきたのだと気付き、漫画に落としていた視線を酒呑童子へと向けられる気配を感じた。

「なんじゃ、妾らに言っておるのか?」
「いいとこなのにぃ、なぁにぃ?」

 ちゃんと理解しているのに内心驚きながら、彼らの会話に耳を傾ける。

「今日さ、沙綾香について行ったじゃん? そこでちっと傷付く事があったわけよ」
「……なんじゃ、さっさと言わんか」

 声色が不機嫌のものへと変わっていく。

「沙綾香にさ、俺らは友達にはなれないんだってさ」

 その言葉に、赤崎は体を強張らせた。同時に、天華と座敷童から物音や言葉が聞こえなくなった。そして、再び自室に沈黙が流れる。

「……そうか」

 その沈黙を破ったのは寂しげに呟いた天華の声だった。
 赤崎はシャーペンを摘まんでいた指に力を込め、恐る恐る彼女達を振り返る。視線の先には、閉じた漫画を傍に置いて項垂れる天華と同じように漫画を置き、顔を彼女の腹に埋めている座敷童の姿があった。
 何故、そんな顔しているのだ。何故、そんなに震えているのだ。

「悲しいが、沙綾香の――」
「なんでぇっ」

 天華の言葉を遮り、座敷童が顔を上げて涙声を洩らした。
 妖怪とは言えど、子供の目に溜められた涙に、胸に針に刺された様な痛みが走った。

「妖怪だからいけないの? あたし達が妖怪だから友達になっちゃいけないの?」

 こちらを向き、涙を溜めた目で見つめてくる座敷童に、赤崎は思わず目を逸らしてしまう。ぐずる座敷童に天華が彼女の頭を優しく撫で、宥める。そして、こちらに視線を向け、申し訳なさそうに顔を歪ませた。その顔はそれだけではなく、とても残念そうにも見えた。

「すまない、調子に乗ってしまった様じゃな……」

 彼女の顔が直視できない。
 彼女達は酒呑童子の言っていた通り、友達になりたがっていたようだ。しかし、何故、人間である自分と友達になりたいのか。友達と思い合っても、人間の方が先に死んでしまう。何百年生きる妖怪にとって、辛い事しか待っていない。長く付き合おうが、何も残らないではないか。

「なんでよ……」

 ゆっくり妖怪達を見回し、絞り出すように言葉を発する。

「なんで私なんかと友達になりたいのよ……。私なんか、友達になりたいと思える価値なんてない人間なのよ」

 孤立した以降の関係を拒んできた自分を友達に思ってもいい事などない。人間の友達が欲しければ、他を当たった方が良い。
 そうだ、霧本はどうだろうか。隠す事もなく、妖怪と友達になると宣言した男だ。最初は彼女達に困惑してしまうだろうが、きっと受け入れてくれる筈だ。自分よりも遥かに良い。
 こんな事を考えている自分がとても腹立だしい。一体、何がしたいのだ。

「そんな事はない」

 考えれば考える程、自分が嫌になっていると、天華は首を左右に振って否定してきた。

「おぬしは、とても良い人間じゃ。あれ以降、あのような言葉をぶつけてくる事はないではないか」

 あの言葉――『化け物』の事だろう。

「そんなの……」
「現代の食物、建物、様々な物を面倒臭がらず教えてくれた。そんな優しい者が友達になる価値がない訳がない。そう思っている者は、おぬしの価値を分かっていない」
「私は……あんた達が思ってる程の人間なんかじゃない……」
「妾らは友達になりたいと思える。それだけで、おぬしは価値がある。少なくとも、他の者よりは分かっているつもりじゃ」

 偽りを感じない言葉に、赤崎は顔を顰めさせる。

「じゃあ、私がいつか死んだら? それで関係は終わりじゃない。何の意味も成さなくなるじゃないっ」
「終わる訳がなかろう。過ごしてきた時間はどうやっても消えぬからな。おぬしが死ぬまで、妾らは友として愛し続ける。いや、親に負けぬくらいに愛してみせる。いつか、おぬしが子を産めば、その子すらもおぬしに負けぬくらいに愛してみせるぞ」

 黙る時間すら持たずに、彼女の口から言葉が出てくる。
 次に問う言葉が見つからない。何を言っても、彼女は……いや、彼女達は返してくるだろう。それ程、彼女達の気持ちは確固たるものなのだ。

「なによ、愛するって……気持ち悪い」

 それしか出て来ない。何故だ、もっと他に返す言葉がある筈だ。
 ――妖怪なんて、別の生き物だ。そんなもの認めたくない。そう言ってしまえば、彼女達は退くだろうか。いや、退かない。その考えを覆そうと努力してくる筈だ。どうにかして、友達になろうとするだろう。
 それ以前に、そんな言葉が喉すら通らない。

「全くだな。気色悪いぞ、天華」

 酒呑童子が軽く笑い、床を叩く。それを見て、天華は口を尖らせた。

「うるさいぞ。妾は本気じゃ。おぬしはそうではないのか?」
「いや、愛するとかは別だな。俺は、こいつの力になれたらそれでいい」
「ほう、良い心意気じゃ」

 天華が笑っていると、座敷童は手を挙げて、足をバタつかせる。

「あたしなんか、一生友達でいるもんっ。ぜぇったい!」

 無邪気に話す彼女に赤崎は耐えられず、椅子から立ち上がり、ベッドの方へ歩み寄る。
 ベッドの前で立ち止まり、二人を見下ろす。

「どいて、私は寝る」
「む、そうか。では、妾達も戻るとするかの」

 天華は座敷童をどかしてから立ち上がり、ベッドから降りた。だが、ただ降りる事はせず、その流れで抱き締めてきた。抵抗する暇も無く、大きな胸の柔らかさと人と変わらない肌の温かさが伝わってきて、赤崎は思わず声を上げてしまう。

「う……ちょっと……」
「すまない。少し、抱き締めたくてな」

 頬に頬擦りしてくる天華を無理矢理引き剥がすと、睨みつける。

「おっと、嫌じゃったか?」

 笑みを浮かべ、首を傾げさせる彼女から目を逸し、そのままベッドの中に潜り込む。しかし、彼女達の攻撃は終わる所を知らず、次は座敷童が覆い被さってきた。

「おやすみぃ、沙綾香」

と言い、

「じゃ、おやすみさん」

 酒呑童子が乱暴に頭を撫でてきた。
 振り払おうと、手を大きく振るのだが、空を切るのみで誰にも触れる事が出来なかった。睨みつける為に振り返ると、彼らがこちらに背を向け、軽く手を振りながら本の中に吸い込まれるように消えていくところだった。
 文句を言う暇も無く、赤崎は布団を頭から被る。そして、キスされた頬と頭を撫でる。妖怪なのに温かった。優しかった。そして、怖かった。
 あんなに拒んでいたのに、拒みたくないと思ってしまった。どうして、彼らは邪魔をしてくるのだ。もう、友達は必要ないと思っていたのに、彼らのせいでその気持ちが崩れ去ってしまいそうになっている。決意が鈍らされている現実に、歯を噛み締めてしまう。

「どうしてくれるのよ……」

 頭を抱え、彼らの行動を恨む。
 数年間、こなしてきた事を出会って一週間程度で、ましてや人間ではない妖怪に意とも容易く瓦解されてしまった。一生、思う事はないと決心した事を思わされてしまった。
 友達で居たいと。
 赤崎は共に居たいという苦痛を胸に、鼻を啜った。
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