妖が潜む街

若城

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16話

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 開店直後に訪れた少女が帰って、一時間過ぎてからは忙しかった。初老の女性らが雪霧を見ては騒ぎ始め、『あらやだ、ケイちゃん。いつの間にこんな綺麗な子と結婚しちゃってぇ』など、彼の体を次々と小突いていた。彼は否定して、新鮮な野菜などを買ってもらう。それを繰り返して数時間。
 現在午後六時を回ろうとしている頃。
 閉店まで残り一時間と少し。客足も少なくなり、後は閉まるまでのんびりと過ごすだけとなっている状態だ。店長である佐野自体が店を閉める準備を始め、今日の売り上げを何か小さい機械で打ち込んでいた。

「落ち着きましたね」

 雪霧は店から出て、日が沈むのが遅い空を見上げながら言った。

「そうだね。雪霧ちゃん、少し早いけどもう帰っていいよ。あとは俺がやっておくから」
「え、閉店まで時間が」
「今日は初めてだからね。明日からは最後まで居てもらって、色々してもらうよ」
「そう、ですか。でも、道がまだ覚えていませんので……」

 一度来ただけでは家路を記憶する事は出来ない。何しろ、自分の目には全ての家が同じものに見えてしまい、何処をどういう風に来たのか頭の中で入り組んでしまっているのだ。

「んん、じゃあここらへんを迷わない程度に散歩しておいでよ。時々、配達する事もあるから道を覚える事も大切だから」
「わかりました。では、また後ほど」
「ん、いってらっしゃい」

 雪霧は佐野に頭を下げると、店を後にし、今朝来た道とは逆の方向を歩き始める。
 夕刻の事もあって、人通りが少なく、すれ違う人間は数分歩いて、二回だけだった。
 これ程人間に会わなければ、本来の自分を少しだけ曝け出すのもいいのかもしれない。この数百年、全く自由の利かない時を過ごしてきたのだ。今なら、誰の目を引かずに羽を伸ばせるだろう。
 ゆっくり身を屈めると、力を込めて地面を蹴った。  あっという間に、雪霧の視界は連なる建物よりも高くなる。
 妖怪は人間の数人分の寿命を持つ他に、素手の人間が束になっても意とも容易く薙ぎ払う事が出来る身体能力を有している事が多い。それが故、鬼などが一体で人間数十の勢力を持つと言われている。しかし、雪女である雪霧は自らの体で薙ぎ払うような事をする妖怪ではない為、力で物を言わせるような事は苦手だ。
 それでも、常人以上の身体能力を持っているのは事実だ。
 雪霧は家の屋根から屋根へと飛び移っていく中、ある建物に目が止まる。

「あれは、神社か」

 少し離れた所に、短い石段の頂上に鳥居があった。その奥には神社が見えるが、時間の事もあって参拝する人間が居ない。
 近くまで来ると、石段を飛び越える為に大きく跳躍する。鳥居の前に降り立ち、色が少し落ちている鳥居を見上げ、感嘆の声を上げた。

「この時代になっても、神を崇める事は止めていないのだな」

 生きていた時代から打って変わった現代。見慣れていた物が全て無くなった後、新たな物が数多く作り上げられ、残ったものの殆どが消え失せてしまったのだと思っていた。新しいものに目を向け続けていたのではなく、昔からの心を持っている事に変わらない心にほっと出来た。
 鳥居を潜り、賽銭箱などを見て回る。何もかもが昔のままとはいかなかったが、なるべく当時の形を保とうとしているのが窺えた。風景は変われど、変わらない物もある事に思わず笑みが零れてしまう。

「金は無いが、願い事させてくれないか?」

 返事を返してくれる相手は居ない中、二礼二拍一礼を行う。最後のお辞儀を終えた後も、目を開ける事はせず、今居る空間を身に沁み込ませるように深呼吸をする。

「時代は変われど、ここは落ち着くな」

 薄く目を開け、振り返る事はせずに言う。

「お前の様な、気配を消そうとする妖怪が居なければな」
「お、ばれるか」

 後ろからは男性の声が聞こえてくる。
 二礼二拍一礼を始めた直前から、背後に彼の気配を感じていた。それも、こちらが気付かないのではないかと楽しんでいる雰囲気さえも感じていた。

「いくら気配を消そうが、妖怪の独特の気配など消せる筈がないだろう」
「ま、そうだわな」
「何の用だ? 私は暇じゃない」

 振り返ると、長い黒髪、紺色の着物を纏った長身の男性が、鳥居の柱に凭れ掛かって悪戯な笑みを浮かべていた。

「可愛い子を見つけりゃ誰も放っておかないだろ? 人型なら尚更だ」
「私はお前に何の魅力は感じないがな。縁が無かったという事だ。諦めろ」
「きついお言葉だことで」

 気持ち良くこの場を去ろうとしていたのに、思わぬ妖怪に邪魔されてしまった。早く奴を視界から消してしまおう。
 そう思い、店に戻ろうと一歩足を出した。
 しかし、それと同時に男性が柱に預けていた体を離し、行く手を阻む様に鳥居の前に移動した。
 その行動をした男性に雪霧は苛立ちを覚え、右手を口元に引き寄せて三本の指を擦りながら息を吐く。気温が三〇度超える中で、雪霧の息が白く空中を漂わせたのを見て、男性が珍しそうに声を上げた後、不敵な笑みを浮かべた。

「お前、雪女か? さぞ過ごしにくい季節だろうな」
「黙れ。さっさと消えろ。私は口先だけの雑魚には興味はない」

 そう吐き捨てると、男性がわざとらしく肩を竦める。そして、小さくため息を吐いて笑みを深める。

「雑魚呼ばわりされるなんて初めてだ。一応、一部の鬼を束ねてたんだがなぁ」  
 その時だ。
 彼から今まで感じた事が無かった、途轍もない殺気を感じた。
 雪霧は思わず身構え、身を護る為に周囲を自分が有利になる環境を作り上げる。  夏なのにも関わらず、辺りが音を立てて凍りつき始める。男性が吐く息さえも白くなるのを見る限り、神社内全体が氷点下に達する気温まで落ちたという事だ。
 鬼を束ねていた鬼。
 その鬼など、あの妖怪しか思いつかない。

「お前……酒呑童子かっ!?」
「お、正解だ」

 酒呑童子は顎に手を当て、感嘆の声を上げる。

「死んだと聞いていたぞ……。何故……」
「教える義理はねぇな」
「…………」

 鬼と言うだけでも、弱い妖怪には恐れられる存在だ。その中でも、何体も名の知れた鬼の頂点に立つ酒呑童子となれば、自分がどうこう出来る様な相手ではない。
 冷気を操る雪女でさえも、悪寒が体中を駆け巡る。暑さによる汗ではなく、緊張による汗が額から流れる。

「いくら可愛いからと言って、売られた喧嘩は買うしか――」

 そこで言葉が途切れ、彼は首だけ後ろを振り返らせ、目を細めさせた。

「いや、今日はやめておくか」
「え」
 突然の言葉に面食らっていると、彼の背後から若く聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「雪霧さぁんっ? 居るの?」

 霧本の声だ。

「俊哉っ!?」
「あ、やっぱり居たんだ。探したよ」

 心配そうな表情を浮かべていた霧本が、こちらの顔を見るなり安堵の表情へと変えた。
 霧本は鳥居前に立っている酒呑童子に目を向け、知り合いと思ったのか軽くお辞儀した。
 それに対し、酒呑童子も笑みを浮かべてお辞儀を返す。

「こんばんは」
「こ、こんばんは」
「じゃ、失礼するよ。居づらくなって仕方ない。振られた身の俺には、ね」

 酒呑童子は霧本の肩を叩く。

「俊哉に触るなっ!!」

 叫ぶと、霧本が顔を強張らせ、大きく体を震わせる。

「怒るなって。じゃあ、また会いましょうや。雪霧さん」

 そう言い残し、彼は階段を降りて行った。
 雪霧は身構えていた体を緩め、深く息を吐いた。力を込めていたせいだろう、疲労感が体中に張り付いてしまい、全体的に重く感じる。  思いがけない出来事が訪れる筈がない苛立ちが根強く残ってしまっているのは、とても不愉快だ。しかも、危うく関係の無い霧本も巻き込みそうになった。完全に、自分の落ち度。
 自分がここに来なければ、この様な事に出くわす事もなかった。

「さ、さむっ! なんでここだけ……」

 自分を抱く様にして腕を交差させ、今度は寒さに体を震わせる。

「あぁすまない。少し暑くてな。人が居ないから私好みの寒さにしてしまった」
 彼に長年培ってきた嘘を吐く。
 自分が妖怪だという事がばれないように嘘を吐いてきた。嘘で塗り固めるのは大変だったが、人間と接するには必要な事だ。しかし、飢えに苦しむ子供達を助ける為、もっと早くこの嘘を捨て去るべきだった。

「そっか。まぁ、秋と言ってもまだ暑いし、雪霧さんにはきついよね」  

 紺色に染まり始めている空を見上げ、困った表情を浮かべさせる霧本。

「暗くなってきたから大丈夫だ」

 笑みを浮かべさせると彼の頭を撫でて階段を降りていく。その後ろを彼はついて来る。  下り終えて、並行しながらふと彼の顔を見た。
 先程の酒呑童子は危険な存在だ。何故、彼のような大きな存在が現代に生き続けているのだ。自分と同じように封印されていたのなら、納得出来る。しかし、鬼を束ねていた存在のみが封印されていたという事はとてもではないが考えにくい。他に鬼が封印されていて、それが解けていたのであらば、いずれ事を起こしかねない。
 昔とは違い、武器を持たない者が皆無である人間達に、鬼に対抗する術は無い。そうなれば、必然的に鬼に敵意を持つ他の妖怪のみが対抗する武器となる。

「ん、どうしたの?」
「いや、なんでもない。すこし、子供の体温を感じたくてな」

 意味を理解出来ずに首を傾げる霧本に、小さく笑う。
 会って間もないが、彼は暗い印象があるも、心優しい少年だ。護る価値が大いにある存在だ。彼の顔を恐怖に歪ませてはならない。この時代を笑顔で過ごし、生涯を終える義務があるのだ。
 霧本の前に現れる悪しき妖怪は、一体残らず凍りつくす。
 雪霧はいずれ来る脅威に激しい敵意を胸に、静かに手を握り締めた。
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