妖が潜む街

若城

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13話

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 突然の言葉に霧本は目を丸くさせる。
 彼が妖怪だという事を言っているのだろうか? 幼い頃から接してきたのだが、不思議に思った事は一度たりとも無い。妖怪とは思えない。だが、霧本の考えとは裏腹に、佐野の額からは脂汗が滲みだし、顔も徐々に引き攣り始める。

「よ、妖怪? 妖怪ってあの妖怪だよね。俺がそうだって言いたいのかい?」
「ええ、確信はあります。人間には無い気配が貴方から感じます。そこの野菜らも、ご友人の妖怪から頂いた物、なのでは?」
「…………」

 佐野は目を細め、次に何を言おうか考えている様子だった。しかし、雪霧の矢を射る様な眼にたじろぐばかりで、言葉を発する事はなかった。

「……まさか、妖怪を連れてくるとはね」

 何かを諦めたように呟き、頭を掻いた。
 すると、何処からともなく煙が立ち込め、佐野の体を覆い隠していく。
 完全に姿が見えなくなって数秒。徐々に煙が晴れていき、再び佐野が姿を現した。
狸の姿をして。

「え……え……?」

 化け狸。一般的に何かに化けて人を騙したり驚かしたりする様な存在として知られている。当時は、得体の知れない動物として見られていた故の解釈とされていたのが窺える。各地では様々な化け狸の逸話が残されているが、特に人に害を成すものは少ない。あるとすれば、徳島県に伝わる、首吊り狸くらいである。
 霧本は人間の仕草をする狸を前に、思ったような言葉を出す事が出来なかった。ただ、困った様子で頭や頬を掻く狸が、椅子に座って雪霧を見上げている。

「せめて、俊哉君が居ない時に言ってくれないかなぁ?」
「すみません。ですが、彼は妖怪が存在するという事はご存知です」
「そうだとしても、自分の口から言うよ」
「余計なお節介でしたか」
「全くだよ。以後は気をつけてね」

 佐野は背筋を伸ばすと、霧本の方を見た。

「ごめんね俊哉君、俺も妖怪だ」

 申し訳なそうに言う狸の姿をした佐野に対し、霧本は力なく首を左右に振った。

「う、ううん……。ちょっとびっくりしてるだけだから」
「家族には言わないでくれるかな? 変わらず接していたいんだ」
「うん、絶対言わないよ」
「ありがとね」

 佐野は再び人間の姿に戻ると、椅子から立ち上がる。

「思いもよらない事はあったけど、はじめよっか」

 雪霧に立つように促し、椅子を邪魔にならない場所へと移す。そして、レジの傍に置かれた二つのエプロンを手にとって彼女に手渡した。

「良かったね、雪霧さん」
「あぁ、ありがとう俊哉」
「じゃあ、僕は帰るから。終わる頃に迎えに来るね」
「よろしく頼む」

 霧本は彼女に軽く手を振り、店から出た。少し歩いてから店の方を振り返ると、エプロンを着る事に苦戦をしているようで、佐野に手伝ってもらっている姿が見えた。

「大丈夫かな?」

 若干心配になりながらも、帰路に着く。
 まさか、いつも顔を合わしている人が妖怪だと思わなかった。恐怖よりも驚愕の方が大きく、唖然とするしか他なかった。しかし、彼はとても親切な人物なのは分かっている為、警戒心を持つ事はなく済んだ。普通に接してもらう事を望んでいるので、これからも同じように接するつもりだ。自分もそれを望んでいる。
 しばらく歩いているうち、近所に住んでいる中年の女性に出会い、軽く挨拶を交わす。他にも若い親子にも出会い、子供と話して分かれる。ここ周辺の人達は深い関わりはないが、ある程度の会話をする顔見知りであり、孫を持つ年齢の人は、庭で採れた野菜などを分けてくれたりと、とても親切な人ばかりだ。
 だが、近辺で住む人で全く会話にならず、苦手な存在が存在する。

「あ――」

 前方から編み込みをした赤髪のサイドテールの女性が歩いてくるのが確認出来た。自分より一つ年上の赤崎綾香だ。赤崎は朝なのにも関わらず、疲れた様子でふらふらとし、しきりに上空を気にしている。  
 ふと目が合い、変な緊張が走る。幼い頃はどこかへ遊びに行ったり、お互いの家に招きあったりしたものだ。しかし、彼女が中学二年生に上がった頃から様子が変わった。毎日疲れ切った面持ちで帰宅する姿を見るようになり、その目は誰かを睨むかのように鋭くなっていった。そんな彼女に話しかけ辛くなり、次第に会話する機会も失い、最終的には学校にすら行かなくなった。それでもこの地域で一番とも言われる学校に進学してしまい、それと同時にまさに不良と言わんばかりの風貌へと様変わりしていた。

(昔は普通の人だったのになぁ……)

 黒髪の三つ編み少女だったのに、何が彼女をあんな風に変えてしまったのだろうか。

「おはよう、さや――」
「なにじろじろ見てんの、低能」

 開口一番、途轍もない暴言を言い放ってくる彼女に、霧本は途中で言葉を紡ぐ事を忘れ、口をぱくぱくと開閉させる。

「近所だからって馴れ馴れしくしないでくれる? 不愉快だから」

 赤崎は小さく舌打ちをし、すれ違いざまに肩を強めに押された。思ったよりも押す力が強かったため、僅かながら体がよろめいてしまい、そばにあった電柱に肩をぶつかった。

「いてっ……」

 電柱のぶつかった肩を擦りながら、赤崎を振り返ると、横に結ばれた赤髪を揺らして去っていくだけで、こちらの様子を窺う事すらしてこなかった。
 昔のようにとは言わないが、何気ない挨拶程度くらい出来る関係に戻りたいと思う。しかし、彼女の態度からして、それが叶うのは遠い先になりそうだ。いや、一生そのような事が来ないのかもしれない。妖怪の事もどうにかしていきたいが、人間同士の問題も解決していきたいものだ。
 夏休みも終わったが、まだまだ暑い。
早く涼しくなる事を願いながら、強い日差しを放つ太陽を見上げた。
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