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11話
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「じゃ、お願いね。俊哉」
「うん……、行ってくるよ……」
玄関前での母の笑みに、霧本は苦笑いする。その隣では、雪霧が立っていた。 今日から、雪霧は知り合いの所でアルバイトをする事となったのだ。
何故、彼女がアルバイトをするようになったのか。それは、昨晩での事だった。
「お帰りなさいませ、父上様」
雪霧がリビングの入り口付近で正座し、帰宅した父に向けて床に額が着く程に頭を下げた。
それを目の当たりにした父は、擦り下がった眼鏡を慌てて直し、顔を上げるように促す。
「そこまでしなくていいからっ。えっと……雪霧ちゃん」
「左様で御座いますか」
雪霧は顔を上げ、立ち上がった後、父が持つ鞄を半ば強引に奪い取り、ソファへと促す動作をする。
さすがにやり過ぎなのではと思い、霧本は彼女に向けて首を左右に振った。
「雪霧さん、限度があるよ」
「ですが、私は居候の身で――」
「息苦しく感じるよ。お父さんもお母さんも。もちろん、僕だって」
「……そう、ですか」
彼女は納得出来ない言わんばかりな顔を浮かべると、そのまま引き下がる。先程までは普通に話していたのだが、自己紹介の時のキャラを保つために、その他の前では、霧本に対しても敬語を使う様にしたのだ。億劫になっていないのを見る限り、生きてきた時代で既に身に付けていたのが窺える。
「ご飯出来たわよぉ」
台所から料理を手に出てきた母が、テーブルの上に次々と置いていく。
今日の晩御飯は、から揚げに味噌汁、とうもろこしの入ったサラダである。
両親は隣り合う様に座り、それに向かい合う形で霧本と雪霧が椅子に座った。
そこで、雪霧がから揚げを見て、目を細める。
「この食べ物は何なのでしょうか?」
「何って、から揚げだけど」
「からあげ……」
母から名称を言われたものの、得体の知れない食べ物に怪訝な顔をする雪霧。数百年前では、から揚げというものはまだ世に出ていない時代なのだから、仕方ない事だ。
「見た事無い?」
「えぇ、まぁ……」
「まぁ食べてみて、美味しいから」
「はい。では、いただきます」
雪霧は手を合わせた後、箸を手に持ってから揚げを挟む。それに倣って、霧本達も『いただきます』と言い、食事を始める。
母の相変わらずの美味しい料理を、霧本が頬張っていると、から揚げを食べた霧本が口を押さえては声にならない何かを発した。
「――――っ!!」
から揚げに対して大げさなリアクションと言える程に、彼女の表情は変化した。今まで食べた事の無い触感と味によってなのか、困惑と嬉しさが入り混じった何とも言えないものだった。そして、熱さに弱い雪女という事もあってか、汗なのか水滴なのか分からない液体を額から流している彼女が一言。
「美味っ!!」
(美味って言葉、初めて聞いたよ)
だが、それも仕方ないのだから敢えて突っ込む事は止しておこうと、霧本は彼女を横目に見るだけにした。
「大げさねぇ」
「いえ、本当に美味しゅうございます。母上様」
「ありがとう。雪霧ちゃんは、どんな生活してたの?」
「私は山を下りて――」
そう言葉を発した時、父と母が手を動かす事を止め、目を丸くさせた。
「そんな場所に住んでいたのかい?」
「この付近でも少ないのに、凄いわね」
口ぐちに言われ、彼女は苦笑いする。
しかし、隣に座っていた霧本にははっきりと『しまった』という言葉を聞き逃さなかった。
すると、雪霧はハッとした表情を浮かべ、箸を置いた。
「この世は全てにおいて対価が必要です。賜れてばかりではいけません」
「む、難しい言葉知っているね……。気にする事はないよ」
父が笑顔で言ったが、即座に首を左右に振った。
「私が許しません。何かをして頂いたら、何かで返す。そう生きてきました。無償で何かして頂く事は出来ません。勝手で申し訳ありませんが、これだけ譲れません」
綺麗な瞳で真っ直ぐ父を見据えられ、霧本は思わず見惚れてしまった。
好意で与えられれば、とやかく言わずに受け取るのも礼儀なのかもしれない。しかし、雪霧はそれを頑なに拒んでいるのを見て、生きてきた時代の性格を垣間見ることが出来た。何かするにおいても、協力が必要であった時代。上からの無慈悲な徴収に悲鳴を上げていった中、共に過ごしてきた人々は、分け与え合った筈だ。全員が損をしない生き方。恩には恩で返す生き方をしてきた者を、雪霧はずっと見てきたからこそ、それを信条にしているのだろう。
「えっと……じゃあ何か頼めって事かな?」
「是非ともお願い致します」
一切の間を置かずに放たれる彼女の言葉に、父は唸る。
「あ、佐野くんのとこ、お手伝い募集してなかった? この前の人、就職で辞めちゃったみたいで困ってたじゃない」
母が胸の前で手を叩くと、嬉々として声を上げた。
母の言う、佐野と呼ばれる人物。
佐野啓司。霧本家から一キロ程離れた場所で個人経営されている店の三十代前半の男性である。売っているものは様々だが、どこからか採ってきている野菜が主に売られている。立ち並ぶスーパーなどよりも甘く、安い事が近所の主婦達に絶大な人気を誇っているのだ。それに加え、手作りプリンにも定評があり、好物になる子供も少なくない。霧本もその一人だ。しかし、手作りの手前、一日に作られる数には限りがある為、金銭の所持を禁止されている中学生にとって、時間との勝負。結果、最近あのプリンを食したのは二週間以上も前だ。高校生だった姉にいつも買ってきてもらっていたのだが、大学生になってからは食する機会が急激に減ってしまっている。また、どこの誰かまでは知らないが、一度に三つ以上購入していく人もいるらしい。
「そういえば言ってたね、おじさん」
霧本は一人で運営している彼の姿を思い出しながら答える。すると、その話を聞いた雪霧が両手を握りしめ、身を乗り出した。
「そのお方の下で働かせて頂けないでしょうか!?」
「あらそう? じゃあ、連絡しとくから、俊哉に案内させるわね」
平然と息子を案内係に仕立て上げる母に、霧本は顔を歪ませる。
「え、ちょっと――」
「困ってる女の人を助けるのが男ってものよ」
男女平等という言葉を打ち砕く言動に、肩をがっくりと落とすしかなかった。
「うん……、行ってくるよ……」
玄関前での母の笑みに、霧本は苦笑いする。その隣では、雪霧が立っていた。 今日から、雪霧は知り合いの所でアルバイトをする事となったのだ。
何故、彼女がアルバイトをするようになったのか。それは、昨晩での事だった。
「お帰りなさいませ、父上様」
雪霧がリビングの入り口付近で正座し、帰宅した父に向けて床に額が着く程に頭を下げた。
それを目の当たりにした父は、擦り下がった眼鏡を慌てて直し、顔を上げるように促す。
「そこまでしなくていいからっ。えっと……雪霧ちゃん」
「左様で御座いますか」
雪霧は顔を上げ、立ち上がった後、父が持つ鞄を半ば強引に奪い取り、ソファへと促す動作をする。
さすがにやり過ぎなのではと思い、霧本は彼女に向けて首を左右に振った。
「雪霧さん、限度があるよ」
「ですが、私は居候の身で――」
「息苦しく感じるよ。お父さんもお母さんも。もちろん、僕だって」
「……そう、ですか」
彼女は納得出来ない言わんばかりな顔を浮かべると、そのまま引き下がる。先程までは普通に話していたのだが、自己紹介の時のキャラを保つために、その他の前では、霧本に対しても敬語を使う様にしたのだ。億劫になっていないのを見る限り、生きてきた時代で既に身に付けていたのが窺える。
「ご飯出来たわよぉ」
台所から料理を手に出てきた母が、テーブルの上に次々と置いていく。
今日の晩御飯は、から揚げに味噌汁、とうもろこしの入ったサラダである。
両親は隣り合う様に座り、それに向かい合う形で霧本と雪霧が椅子に座った。
そこで、雪霧がから揚げを見て、目を細める。
「この食べ物は何なのでしょうか?」
「何って、から揚げだけど」
「からあげ……」
母から名称を言われたものの、得体の知れない食べ物に怪訝な顔をする雪霧。数百年前では、から揚げというものはまだ世に出ていない時代なのだから、仕方ない事だ。
「見た事無い?」
「えぇ、まぁ……」
「まぁ食べてみて、美味しいから」
「はい。では、いただきます」
雪霧は手を合わせた後、箸を手に持ってから揚げを挟む。それに倣って、霧本達も『いただきます』と言い、食事を始める。
母の相変わらずの美味しい料理を、霧本が頬張っていると、から揚げを食べた霧本が口を押さえては声にならない何かを発した。
「――――っ!!」
から揚げに対して大げさなリアクションと言える程に、彼女の表情は変化した。今まで食べた事の無い触感と味によってなのか、困惑と嬉しさが入り混じった何とも言えないものだった。そして、熱さに弱い雪女という事もあってか、汗なのか水滴なのか分からない液体を額から流している彼女が一言。
「美味っ!!」
(美味って言葉、初めて聞いたよ)
だが、それも仕方ないのだから敢えて突っ込む事は止しておこうと、霧本は彼女を横目に見るだけにした。
「大げさねぇ」
「いえ、本当に美味しゅうございます。母上様」
「ありがとう。雪霧ちゃんは、どんな生活してたの?」
「私は山を下りて――」
そう言葉を発した時、父と母が手を動かす事を止め、目を丸くさせた。
「そんな場所に住んでいたのかい?」
「この付近でも少ないのに、凄いわね」
口ぐちに言われ、彼女は苦笑いする。
しかし、隣に座っていた霧本にははっきりと『しまった』という言葉を聞き逃さなかった。
すると、雪霧はハッとした表情を浮かべ、箸を置いた。
「この世は全てにおいて対価が必要です。賜れてばかりではいけません」
「む、難しい言葉知っているね……。気にする事はないよ」
父が笑顔で言ったが、即座に首を左右に振った。
「私が許しません。何かをして頂いたら、何かで返す。そう生きてきました。無償で何かして頂く事は出来ません。勝手で申し訳ありませんが、これだけ譲れません」
綺麗な瞳で真っ直ぐ父を見据えられ、霧本は思わず見惚れてしまった。
好意で与えられれば、とやかく言わずに受け取るのも礼儀なのかもしれない。しかし、雪霧はそれを頑なに拒んでいるのを見て、生きてきた時代の性格を垣間見ることが出来た。何かするにおいても、協力が必要であった時代。上からの無慈悲な徴収に悲鳴を上げていった中、共に過ごしてきた人々は、分け与え合った筈だ。全員が損をしない生き方。恩には恩で返す生き方をしてきた者を、雪霧はずっと見てきたからこそ、それを信条にしているのだろう。
「えっと……じゃあ何か頼めって事かな?」
「是非ともお願い致します」
一切の間を置かずに放たれる彼女の言葉に、父は唸る。
「あ、佐野くんのとこ、お手伝い募集してなかった? この前の人、就職で辞めちゃったみたいで困ってたじゃない」
母が胸の前で手を叩くと、嬉々として声を上げた。
母の言う、佐野と呼ばれる人物。
佐野啓司。霧本家から一キロ程離れた場所で個人経営されている店の三十代前半の男性である。売っているものは様々だが、どこからか採ってきている野菜が主に売られている。立ち並ぶスーパーなどよりも甘く、安い事が近所の主婦達に絶大な人気を誇っているのだ。それに加え、手作りプリンにも定評があり、好物になる子供も少なくない。霧本もその一人だ。しかし、手作りの手前、一日に作られる数には限りがある為、金銭の所持を禁止されている中学生にとって、時間との勝負。結果、最近あのプリンを食したのは二週間以上も前だ。高校生だった姉にいつも買ってきてもらっていたのだが、大学生になってからは食する機会が急激に減ってしまっている。また、どこの誰かまでは知らないが、一度に三つ以上購入していく人もいるらしい。
「そういえば言ってたね、おじさん」
霧本は一人で運営している彼の姿を思い出しながら答える。すると、その話を聞いた雪霧が両手を握りしめ、身を乗り出した。
「そのお方の下で働かせて頂けないでしょうか!?」
「あらそう? じゃあ、連絡しとくから、俊哉に案内させるわね」
平然と息子を案内係に仕立て上げる母に、霧本は顔を歪ませる。
「え、ちょっと――」
「困ってる女の人を助けるのが男ってものよ」
男女平等という言葉を打ち砕く言動に、肩をがっくりと落とすしかなかった。
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