妖が潜む街

若城

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9話

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「……んえ」

 赤崎は意識を取り戻したと同時に、間の抜けた声が出した。横になっていたソファから引き剥がすように体を起こし、途轍もない疲労感にこめかみを揉んだ。
本から妖怪というお伽噺だけと思っていた存在が目の前に現れ、その衝撃によって気を失った、気がした。

「まさかね……有り得ない……」

 妖怪なんて居る訳がない。あれは、当時の人間が見間違え、勝手に解釈されたにすぎないものが多数なのだ。そもそも、妖怪という言葉自体が出来るはずがなかったものだ。
 だが、  

「何が有り得ないのだ?」

 ソファの陰から現れた天華と名乗った女の大天狗と座敷童が顔を出し、小首を傾げさせた。  

「ひあぁっ!?」

 ソファから転げ落ち、彼女達から距離を取る。

「ゆゆゆゆゆゆ――」
「夢じゃないよぉ?」

 座敷童がソファに飛び乗ると、その柔らかさを嬉しそうに感じながら笑みを浮かべる。

「妖怪なんて、今でもいーっぱい居るよ? あっちにも、あっちにも、あっちにも」

 と、あらゆる方向に指差していく。それに対し、立ち上がった天華は疑問の表情を浮かべながら頷いて見せた。

「妾が居た時よりも減ってはいるがな。しかし、減りすぎているな……。何故だ……?」

 顎に手を当て、眉を潜めさせる。
 天華の疑問に、心当たりがある。いや、日本で生き、歴史を知る者なら誰もが彼女の疑問の答えを出せているだろう。
 数百年で科学技術が進み、戦国での戦によって数日間で出る死者を、短時間で超える程の殺人兵器が生み出されている。そして、第二次世界大戦による原子爆弾。何万人の死者の中に、多くの妖怪も含まれていたのだろう。そして、自然破壊。
 これらが、自然に生きる妖怪の生きる道を絶ってしまった原因なのではないだろうか。

「ここが江戸の果てなのは分かる。だが――」
「ちょ、ちょっとまって」

 赤崎は天華の言葉を遮った。

「なんで、ここが江戸だった場所って分かるの!? 封印されたとか言ってたじゃない」

 遮られた事に少しばかり口を尖らせた天華は、大きな胸の下で腕を組み、彼女の問いに答える。

「封印されていたと言えど、外の声は聞こえていた。妾達が居た場所は、図書館と呼ばれている事。もちろん、東京という事もな」
「だから、酒呑童子の言葉遣いが……」

 彼の話し方には、違和感を覚えていた。遠い昔の存在にも関わらず、こちらに伝わりやすい言葉を使っていた事だ。彼だけではない、そこに居る座敷童もだ。

「困ったものよ。酒呑の奴が使い始めると、こやつも真似し始めてしまってな。本の中では、なんじゃ……えぇっと……『ぶぅむ』というものになった。妾は乗っかりはしなかったがな」
「天華もすればよかったのになぁ。この美しい私に酔いしれなさいっ」
「妾が美しいのは知っているが、取得する必要のない事は面倒でしかないじゃろうて」

 妖艶なポーズと思しきものをとっている座敷童に、呆れた様子で首を左右に天華は振った後、視線を赤崎へと再び向け、肩を竦ませる。

「適応するのは大切なのかもしれないが、目の前のものに安易に飛びつくのはどうかと思うのじゃ。自らの意思を保つ事も上に立つ者の務め」

 もっともな意見なのだが、自分は人の上に立つ人間になれるとは思っていないし、なるつもりもない。しかし、何故か彼女の言葉は、軽い口調ながらも重みを感じた。

「話の続きだが、妖怪の数が減っているのは自然の減少が関係していると思った。しかし、それだけでここまで減るものだろうか? おぬしはどう思う?」
「それはきっと、戦争とかが関係してると思う……」
「戦争、とな?」

 赤崎は疑問に首を傾げる彼女に現代までに起きた出来事を知っている限り話した。科学の進歩による兵器の開発、豊かさを求めて森林伐採など。話を続けていくうちに、天華と座敷童の表情が曇っていく。最終的には、座敷童が自分の耳を覆い、こちらに背を向けてしまう始末だ。

「ご、ごめん……」

 話す事を止め、後ろを向いてしまった座敷童に謝罪する。すると、天華が彼女の頭を撫でながら、納得したように数回頷いた。

「そうか、妾達が本の中に居る間にそんな事があったか。仕方あるまい、人間が住みやすい世の中になるのが普通だからな。そもそも、妖怪など架空の存在でしかなかっただろう」

 悲しさと寂しさを含んだ彼女の声に、罪悪感を覚え、赤崎は彼女達から視線を外し、小さく咳払いをした。

「その分、報いを受けているわ」
「妾らが住んでいた時代とは変わってしまったが、この時代も悪くない。そなたを見る限り、飢えに苦しんでいる者も少ないのであろう。人間に関わった事は無かったが、農民皆が飢えに耐えている光景ばかりを見ていたからな。それだけで十分じゃ」
「そ、そう……。あの、さ……」

 赤崎は一息、二息つくと、話題を変える質問を投げかける。

「天華は、どうしてあの本に封印されたの? 天狗となれば、簡単には封印されないんじゃないかしら?」

 その問いに、天華は『あぁ、それか』と言いたげに笑みを浮かべ、特別渋る事も無く話してくれた。

「確かに、妾程になれば、陰陽道の奴らも敵ではない」  

しかし、と続け、

「天狗界の関係、あの時代に飽きた。それだけじゃ」

 それだけの理由だけで、凄まじい力を持ちながらも自ら封印されたということだろうか。
 動きを制限されてまで投げだしたかったものだったのだろうか。彼女の考えている事が、赤崎にとって理解しがたいものであり、唸る事しか出来なかった。

「下位の天狗達から食べ物を納められ、それを食す。何をする事においても、誰かが付いている。日が沈み、再び昇ろうとも何も変わらない。心底つまらない日々。これが数百年続くと考えると思うと、億劫になった。唯一、他の天狗とは違った者が居たが、そやつも天狗界から去ってしまい、妾も天狗界から出た。直後、陰陽師らの天狗狩りが起きた。下位天狗の殆どが息絶え、残りは封印されてしまったらしい。そして、妾は――」
「何もしないで封印された、と」

 最後の言葉を赤崎が呟くと、天華は頷いた。

「本の中に投じても、世の中に飽きた状況は変わらなかった。天狗以外の妖怪と接する事もなかった為、どうすれば良いか分からず、天狗界での態度であり続けてしまった事もあって、誰も近づいては来なかった。だが、ある日、こやつが来た」

 そっぽ向いてしまっている座敷童を見下ろし、僅かに笑みを浮かべる。

「周りの妖怪達とあらゆる遊びをし、楽しませていた。どれも妾が見たことが無かった遊びばかりで、それが人間のしていた遊びだったという事は後に知った。こやつは一人で居た妾にも声を掛けてくれ、共に遊んだ。そこでやっと、他の者との接し方を知る事が出来た。友が出来たのだ。こやつが居なければ、妾はいつまでも孤独に過ごしていたじゃろう。座敷童は命ではなく、心の恩人なのじゃ。だから、こやつの為ならば、どんなことだってする。
例え、この命に代えてもな」

 彼女の座敷童に対する視線は、母のようであり、敬意のものなのが、赤崎にも分かった。幼い少女でありながらも、誰かを惹きつける彼女が少し羨ましく思える。自分が過ごしてきた事は、全て悪いものを引き寄せてきた。自分にも原因があるのだろうが、それすらも掠れてしまうかの様に、追い詰められる日々を過ごし、逃げるようにして現在の学校に入学したのだ。逃げるのではなく、変わる事が必要なのに、変わる事を恐れてしまっている。

「生きる事さえも面倒になっていたからな、あの頃の妾は。今は違うが、封印ではなく、殺してほしいと思った程だ」
「命を投げ出すだけは違う。それこそ逃げだもの。それは絶対に嫌」

 突然の言葉に、天華は茫然と瞬きをする。

「今は違うと言ったじゃろうに。急にどうした?」

 思わず口に出してしまい、赤崎は口を押さえて戸惑う。それを見た天華が目を細めると、顎に手を当て、小首を傾げる。

「そなた、何か嫌な事があったのか?」
「な、何でもない……。何でも……」

 以前の自分を会ったばかりの者に話す訳にはいかない。あの過去は、今すぐにでも消し去ってしまいたい記憶であり、口に出すのもおぞましいものだ。
今の自分を形成させた。いや、形成させられたと言っても過言でもない出来事。
 破れたノート、片方の上履き、視線、痕。
それらを思い出し、不愉快な頭痛に襲われて赤崎は顔を顰めさせる。

(あぁ……ほんとに……)
「言いたくなければ言わなくていい」

 天華は赤崎の傍まで歩み寄ると、その頭を撫でた。

「――――っ」

 彼女の手を乱暴に振り払うと、自分よりも背が高い天華を睨みつける。しかし、彼女はたじろぐ事はせず、笑みを浮かべるのみだった。そして、何か思い出した様に目を見開くと、テーブルに置かれた本を指差す。

「そういえば、もう一体だけ紹介されていない奴が居たのを忘れておった」
「はぁ?」

 その時だ。
 本が勢いよく開かれ、巨大な髑髏が描かれたページまで捲られる。
 そして、そのページから赤崎の身長よりも遥かに大きな手の骨が、天井へ届かんばかりに突き出てきたのだ。
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