妖が潜む街

若城

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5話

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 つまらない。
 赤崎沙綾香は教室の窓際に位置する席で、開かれたノートを見下ろしながらそう思った。  苗字に因んで赤く染めた髪。右側はいくつか編み込み、左側は下ろしているものの、サイドテールにした髪型。制服を着崩し、両耳にはピアスを二つずつと、傍から見れば不良少女という印象を確実に持たれる外見をしている。
 しかし、それは違う。
 通う学校は、彼女が住む街で一番ともいえる進学校だ。偏差値は七〇を超え、日本最高峰とも言える大学の進学率の高さに定評があり、秀才が目指す高校の一つとされている。
ここに通えば、放っておいても勉強をするだろうという、いい加減な考えをしているのか校則は緩く、ある程度着崩しても、大して叱られる事はない。それでも、髪を茶色に染めるやネクタイを緩める程度で治まっている。着崩したり、ピアスを開けたりと奇抜な事をしているのは、本校では赤崎だけであり、異質として距離を置かれている。一度、度が過ぎていると教師から注意されたが、テストで上位に食い込んだのを見せつけてからはそれ以降、口出ししてくる事は無くなった。

「はぁ……、先生」

 赤崎は手を挙げるなり立ち上がる、それに対し、黒板にチョークを走らせていた女性教諭が手を止め、こちらを振り返った。

「ど、どうしたの? 赤崎さん」
「体調がすぐれないので、保健室行っていいですか?」
「体調……? だ、大丈夫?」
「御心配なく。直ぐに良くなりますから」

 そう言うと、女性教諭の返事を待つ事なく、机に掛けていた鞄を持ち、教室の外へと向かった。
その際。

『またよ』
『やる気あんのか、あいつ』

 と、男女の愚痴が聞こえてきた。

「聞こえてるわよ。そんな事言うのは、私に勝ってからにしたら?」

 彼らの傍で立ち止まるなりそう告げると、聞かれているとは思わなかったらしく、二人の体が大きく震える。そんな彼らに赤崎は鼻を鳴らし、そのまま教室を後にした。
保健室に行くとは言ったが、言葉の通りに向かうつもりなど、最初からない。
 校舎から出、コンクリートジャングルと呼ばれる街を歩く。正午を少し過ぎた辺りの時刻のため、制服を着た学生は居なかった。居たのは自分よりも年下で、夏休みが九月までという事もあり、小学生くらいの子供達がはしゃぎながら通り過ぎていく。
 赤崎が向かった先は、小さな図書館だ。少し離れた場所に国立図書館があるのだが、あの広さがいまいち好きになれず、幼い頃から行き慣れたこの場所を進んで通っている。中へと続く自動ドアを潜り、入る。入って直ぐ、貸し借りする受付カウンターへと差し掛かった。そこには、初老の女性が椅子に腰掛け、黙々とパソコンに備え付けられているキーボードに何かを打ち込んでいた。しかし、赤崎の存在に気付くと、動かしていた手を止め、彼女に向けて笑みを浮かべさせた。

「あら、サヤちゃんいらっしゃい」
「こんにちは」

 赤崎が軽く会釈すると、女性は小首を傾げた。

「今日は早く終わったの?」
「え、いや……」
「サボり、ね。ほどほどにしときなさいよ?」
「だって、居づらいもん……」

 口を尖らせ、愚痴の述べるのだが、女性は首を左右に振った。

「だぁめ。来るのはいいけど、学校終わってからね」
「……はぁい」
「よろしい。今日は何を読むの?」
「適当、かな。面白いのあったらね」

 赤崎は女性に軽く手を振ると、奥に見える大きな本棚が並べられているスペースへと歩いていく。歩いている途中、椅子に座って読書している女性や妊婦、机にて勉強をしている青年が視界に入った。やはり、公共施設に来ると様々な人と遭遇する。そんな人達を観察するのも、赤崎にとって楽しみの一つでもある。しかし、凝視するのではなく、動作一つ一つを見る程度だ。

「…………」

 ジャンル別に並べられた本棚を一冊一冊眺めながら、読む本を探すも、興味をそそられる物が無い。または、以前に読んだ事がある本だ。同じ本を読むという手段もあるのだが、何度も読むのはあまり好きではない。
 それから数列、本棚を見て回ったのだが、良さそうな物が無かった。残る本棚は絵本や児童書の棚だけとなった。長年続いている人気作はあるものの、映画で既に観ている事もあって、手に取る事まではないだろう。
 子供向けの本棚へと周り、特に注意して見る事はせずに視線を巡らせていく。その為、あっという間に長く続いた本棚の終点に差し掛かり、空の本棚が目の前となった。

「収穫は無し、か。勉強して帰ろうか――ん?」

 ふと、空の本棚の一番奥にある物に目が止まった。それは、外装は紺色で、そこから微動だにしていなかったのか、埃を被っている本だった。どの本にも貸し出し用のラベル貼られているのに、あれには何も貼られていない。それどころか、タイトルすら記述されていなかった。
 赤崎は疑問に思い、傍に置かれている脚立をその本棚へ立て掛け、昇る。そして、タイトルの無い本を手に取った後、
 降りて本の中身を確認した。その際、被っていた埃が彼女の鼻を刺激し、小さくくしゃみをする。

「これって……妖怪図鑑?」

 その本には、墨で描かれたあらゆる妖怪が載っていた。河童や猫又、とテレビや漫画に良く紹介されているものが目についた。しかし、知っている妖怪よりも、知らない妖怪の方が多く、首を傾げるばかりだった。どの絵にも背景というものが存在せず、妖怪同士が戯れているという殺風景なものだ。

「特に説明文も無い……。何なのこれ?」

 図鑑となれば、一つ一つ解説が書かれているものだ。だが、この本にはその様なものは一切書かれていない。それとは逆に、文字と言っていいのか疑問にも思える柄がページの端に書かれているだけで、図鑑の役目を果たしていなかった。
 黙々とページを捲っていくと、二ページに渡って描かれている絵に手を止めた。
 そこには、着物を着た少女、瓢箪片手に胡坐をかいている青年、翼を生やし、天を舞っている女性、横たわっている大きな骸骨。
他のページと大差の無い絵だ。しかし、他には無い違和感を覚えた。その違和感とは何かと聞かれれば、赤崎は首を傾げるだろう。理解出来ない違和感。それが、彼女に好奇心を芽生えさせた。
 本を閉じ、胸に抱かせると、真っ直ぐ受付へと向かう。カウンターにタイトルの無い本を乗せると、女性がその本を訝しげに見た。

「なに、この本」
「児童書のとこにある本棚にあったよ」
「あの何も無い本棚? そう……。こんなのあったんだ。でも、タイトルもラベルも無い」

 それに、と顔を顰めながら鼻を押さえる。

「埃っぽい……」
「これって図書館の本?」
「んー」

 女性は開き、ページを捲っていった後、首を左右に振った。

「やっぱり見た事ないわ。目に付かなかったのかしら。注意不足ね。でも、見る限り、誰かが勝手に置いて帰ったみたいね」
「そっか。どうしようかな、ちょっと興味出たから……」

 赤崎の呟きに、女性は少しばかり考えた後、その本を彼女に手渡した。

「ここの所有物じゃないし、どうせ持ち主なんて見つからないでしょうから持っていきなさい。本当は探さないとだけど、この埃の被り具合で何年もあそこにあったそうだし」
「え、いいの?」
「いいわよ。ずっとあそこにあるより、貴方の手に渡った方がその本もいいでしょう」「ありがと」
「でも、ここに来るのは放課後ね。この時間帯に来たら、今度は追い返すからね」
「はぁい。じゃあ、また」
「えぇ、またね」

 赤崎は女性に軽く手を振ると、図書館を後にした。
 本を鞄にしまい、家路に着く。その途中、信号が赤になった為、足を止めた。そこで、謎の違和感が気になり、鞄にしまった本を取り出すと、あのページを開いた。

(なんなのこれ……)

 赤崎自身、本は良く読む。面白く、衝撃を受けた物をいくつも読んできた。しかし、今感じている感覚は、感じた事なかったものだった為、好奇心と驚きが渦巻いている状態だった。  
 その時だ。
 赤崎の隣に立っていた若い男性が、友人に押されてぶつかってきた。彼の手には、ペットボトルの蓋が開いた水。それがぶつかった拍子に、飲み口から飛び出し、本を濡らしてしまった。

「あっ」

 男性の口から、その言葉が発せられた後、慌てた様子で赤崎を振り返った。

「あぁ! ごめん、大丈夫!?」
「いえ、構いません」

 赤崎は男性に視線を向ける事はせず、本を立てにし、染み込まなかった水を地面に落とした。

「べ、弁償するからっ!」
「いいです。これには代わりなどありませんので」

 信号が緑になったのを確認するなり、慌てる彼らに軽く頭を下げ、渡り始める。すると、彼らは追いかけてくると、赤崎の前に回った。

「じゃあさ、御飯奢るよっ。何でも言って――」
「見ず知らずの人に奢られる筋合いはありません。私がいいと言ったんだから大人しく引き下がってなさいよ、鬱陶しい」

 赤崎の低く、突き刺さる言葉に、彼らは一歩たじろいだ。そして、こちらに背を向けると、すごすごと歩き去っていった。その際に、小さな声で会話を交わす。

『流れのナンパ作戦失敗』
『あの制服、園名賀学園のだろ』
『うっそ、マジで? 派手過ぎね』
『校則は緩いらしいけどな。ま、あれはびっくりだけど』

 そんな会話が聞こえ、軽く舌打ちをした後、水の滴る本を上下に振り、鞄の中に入れて再び歩き始める。
 家に着くと、ドアの鍵を開けて中に入る。靴を並べた後、そのままリビングの中心にテレビと向かい合う形で設置されたソファに鞄を放り投げ、その隣に座った。

「…………」

 本を取り出し、膝に乗せてページをめくる。表紙から伝わる水の湿った感触に目を細め、軽く舌打ちをする。
 しかし、路上で本を広げていたのは自分である為、全ての怒りの彼にぶつける為にはいかなかった。幸い、絵が滲んでしまうという事態には陥っておらず、大した障害を生んでいなかった。
 問題は直接水を浴びたページである。墨で描かれているのだ。無傷で済んでいるとは思えない。 
 あのページを開いた時、赤崎の手が止まった。
「なに……これ……」

 大きな骸骨の絵以外が無かったのだ。それも滲んだ形跡もなく、まるで最初から描かれていなかったかの様に、姿も形も。
 ショックよりも疑問が先に沸いた。一つは、絵の行方だ。直接描かれている様だったのにも関わらず、滲みというものが存在せず、綺麗な紙だ。そして、もう一つ。紙がよれていない。手触り的には、何処にでもある紙だ。感熟紙ならば、この様な事はあるのだろうが、これは感熟紙ではない。
 その時だ。
 本の上に、小さな手が乗った。
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