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 町の入り口でエンディミオンたちの前に現れたのは、真っ青な顔をした青年だった。
 不自由な身体で壁伝いに参道まで這い出てきたような格好で、入り口からいちばん近い商店の影からずるりと現れると、日の光に当たった途端にその場に倒れ込んでしまった。

「ねえ?!大丈夫?!!」

 ゾンビが出てくるのではと待ち構えていたセーラは驚いて、すぐにでも駆け寄りたかったが馬の上からは簡単に降りられない。
 エンディミオンはまだ慎重な姿勢で、降りたそうにしたセーラを制し、ラガロに目配せすると、みなまで言う必要もなく馬から降りたラガロが青年に近付いた。

「おい」

 倒れた青年のそばにしゃがみ、そっと肩に手をかける。
 突然飛びかかられても造作もなく抑え込めるだろうという絶対の安心感がラガロにはある。

「……っ」

 ラガロの呼びかけに、青年は一度体をピクリと跳ねさせた。だが、それだけ。
 肩で息をしているのがわかるので、死んではいない。
 ふむ、と青年の様子をしばらく観察した後、ラガロは無造作にその体を転がした。

「ちょっとラガロさん!」

 あまりの雑さに思わずセーラは声をあげたが、ラガロは一瞥しただけでまた青年に視線を戻した。

「おい、所属と名前は?」

 仰向けになった青年の顔を軽く叩いて、気付けをする。

「どんな様子?」

 何度か声をかけたが応答はなく、エンディミオンとセーラ、ベアトリーチェを背後に距離をとって見守っていたアンジェロの問いかけに、ラガロは淡々と答えた。

「ヴィジネー家の紋の付いた騎士服で、年齢はそれほど上には見えないが、体格、毛艶から見ても服装と身分に違和感はない。
 脈と呼吸が乱れていて酩酊状態にも見えたが、特にアルコールや薬の匂いはしない。
 声かけに僅かに瞼が開いたが、その瞬間に弛緩して気を失った」
「どこか怪我をなさっていたりは?」
「見た目にはどこにも。
 着衣に乱れもなく争った形跡なし。
 後頭部にも……瘤などはない、な」

 ベアトリーチェの心配には、いちばんの懸念となる頭の怪我を触って確かめ首を振った。

「この少しの間で呼吸も落ち着いてきたな」

 いつの間にか寝息のようにも聞こえるようになっていて、ラガロは不可解な顔をする。
 不穏な登場の仕方とはかけ離れ、まるで安心し切って寝入っているようだ。

 危険はないと判断して、アンジェロも馬を降りてそばに座り込んだ。
 ラガロより丁寧に首の脈や瞼を押し上げて瞳孔を確認すると、ラガロと同じ顔になった。

「思ったより、普通に寝てるみたいだね」
「叩き起こすか?」
「いや、転がしてもこの状態なんだ。ただ寝ているわけではないと思うけど……。
 エンディミオン様、どうされますか?」
「何があったのか話を聞きたいが……。
 思うに、ルチアーノのが言っていた一人のような気がするが、どうかな」
「おかしくなって邸を出て行ったという話ですね。
 昨晩残っていたのはほとんどがヴィジネー家の私兵だったようですし、その前に居なくなった騎士は町のどこを探しても見つからなかったということですから、その可能性が高いですね」

 エンディミオンの考察に、アンジェロも否定する理由が見つからなかった。
 何が起こっているかわからない中、当事者らしき人物がもう一人見つかった。
 ただ寝ているだけで害意は感じられず、だが、どうしてそうなっているのかは何ひとつわからないままだ。

「ここに寝かせて先に行きますか?」

 ラガロはちらりと聖堂の鐘楼を仰ぎ見た。
 もう人影はなく、太陽の光をキラキラと撒き散らすだけだ。
 あの下に本当の悪意があるのだとして、目前に足止めを食らった。
 早く先に進みたいが、この兵士を無視して素通りするにも、エンディミオンの判断が必要だった。

「置いて行っちゃうんですか?」

 その選択肢があるとは思わず、セーラは思わず後ろのエンディミオンを振り返った。

「うーん……。
 聖堂の様子も気になるし、この者から情報が得られるならそれもしたいな。だが……」
「彼のことは、わたくしがこの辺りの軒先をお借りして介抱いたしますから、その間に先に殿下たちは聖堂に向かわれては……?」
「却下だよ、ベアトリーチェ。
 君だけこんな得体の知れない男と残していくわけにはいかない」

 ベアトリーチェの提案は、アンジェロに厳しめに取り下げられてしまった。

「かと言って、たとえばアンジェロとベアトリーチェ嬢の二人をここに置いていけば、我々はまた分断されることにならないかな」

 最初に二手に分かれたのはエンディミオンの判断だが、ここへ来てまた別行動となるのは、まだ見ぬ誰かの思惑にはまっていくだけの気もする。

「彼を連れて聖堂に向かう、というのも手ですが……」
「いっそ、侯爵さんのおうちに連れて戻っちゃう、とか?」

 考え込んだアンジェロに、単純な思いつきを口に乗せたセーラだったが、全員がいっせいにセーラを見た。

「あれ?ダメでしたか?
 でも様子のおかしい人を放ってはおけないし、どうせ聖堂には明日行くんだし、誰かがわたしたちを呼び寄せようとしてるんだとして、用があるなら向こうから来ればいいんじゃないかな……なんて」

 エンディミオンたちの様子から、なんとなく悪意のある人が待ち構えているのだろうとは感じていたが、セーラは陰謀渦巻く政治や権謀術数に縁がないので、それほど深刻な悪意がそこにあるとは考え至っていなかった。
 もちろんルクレツィアを救うには何がなんでも星の力が必要だし、誰かに邪魔されては困るのだが、エンディミオンはこの国の王子様だし、用があるのならそちらから来ればいいのでは?という安易な思いつきだった。

「────ハハっ、なるほど。それはいい」

 セーラの言葉に、エンディミオンは目から鱗が落ちるような気がした。

 誰もいなくなった町に鳴るはずのない鐘の音が響き渡り、自分たちをおびき寄せるかのようなソレに、その正体を暴きにどうしても聖堂に行かなければならないような気になっていた。
 何らかの企てがそこにあって、自分たちの邪魔をしようとしている誰かが待ち受けているのなら返り討ちにするまでだという勇ましいほどの心持ちにもなっていたが、そもそもその企てにわざわざ乗り込まなくてもいいのか、という新しい発見だ。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉もある通り、物事を前に進めるのなら自らが動いていかなくてはならない場面もあるが、誰かの思惑を感じて、その状況を打破するべくその企てに自ら飛び込んでいくのは、自殺行為と表裏一体だ。
 あえてことが有効な時もあるが、今は気が急いていて何の準備も整っていない。
 このまま策も何もない状態で聖堂へ向かうのは、次から次に起こることに流され、手をこまねいている誰かが描いたシナリオどおりに動かされているだけの気がする。
 そのことに気がついて、エンディミオンは決断した。

「ここは巫女の言うとおりにしよう。
 呼ばれている気はしたが、用があるのならばそちらから赴いてくるのが道理だ」

 一国の王太子らしい顔で、もう一度聖堂を仰ぎ見た。
 改めて考えても、聖堂を訪うのは今でなくてもいい。

「引き返すのはいいとして、隠し通路から向かったシルヴィオたちはどうする」

 あまりに思い切った方針転換に、早いところ魔物を打ち倒してしまいたいラガロは聖堂に向かうのを諦めきれないが、

「邸に無事戻れたら、君が一走りすれば追いつくだろう?」

 エンディミオンと同じ結論に至ったアンジェロに、にこやかに言い切られた。

「急いては事を仕損じるとも言うからね。
 このまま誰かの思う壺にはまるくらいなら、私は殿下と巫女様に賛成ですよ。
 これ以上の別行動にはならないように、というのは大前提だけれど、殿下と巫女様の護衛の君がこのまま一人で聖堂に行くというのはあってはならないし、とりあえず邸の中なら、君が戻ってくるまでの少しの間くらい、私も君の代わりにはなれるだろう?」

 整然と説き伏せられ、ベアトリーチェの意見を聞くまでもなく、ラガロ以外の満場一致で方針が翻った。

「私も守られてばかりではないくらいに鍛えているつもりだよ」

 すまなさそうに苦笑したエンディミオンに、ラガロが反論することはない。
 お互い恋敵同士ではあるが、ルクレツィアによってラガロの内面に変化があった時から、二人は真っ当に主従関係を築けていた。

「殿下がそう仰るなら」

 不承不承、というあからさまな態度だが、ラガロの同意を得てエンディミオンたちは進路を百八十度転回した。
 
 気を失っている青年をラガロの馬に荷物のように乗せ、空々しいほど夏空に映える白い参道と、その先に聳える鮮やかな聖堂を背にする。

「出直そう」

 エンディミオンの一言を合図に、馬たちが歩き出す。
 
「ほんとうに戻っちゃってよかったのかな……」

 実際に自分の言い出した言葉どおりになってしまうと、セーラは少しだけ不安になった。
 背後を振り返って、そこで本当は起こるはずだったことがなんなのか、その片鱗でも見つけられないかと目を凝らしてしまう。

「巫女、危ないから前を向いていて」

 決めたのはエンディミオンだけれど、思いつきだけで余計なことを言って、ルクレツィアが助かる未来がなくっては困る。
 そんな思いで背中を支えてくれるエンディミオンの顔を見たけれど、

「そんなに心配そうな顔をしないでも平気だよ」

 優しい夕焼け色の瞳は、ずいぶん落ち着きを取り戻していた。

「少し焦っていた自覚もあるから、頭を冷やさせてくれて助かったよ」

 昨晩の魔物の襲撃からここまで、息を吐く暇もなく追い立てられるように聖堂まで向かおうとしていた。
 それに気がつくと、そんなつもりではなくとも、ずいぶん切羽詰まっていて、正常な判断力に欠けていたとわかる。
 現状、情報不足は否めないし、勇足だったと言えばそうだ。
 聖堂に背を向けた今は、むしろ取り返しがつかなくなる前に引き返せているのではないかという気さえしている。

「足止めしてくれた彼にも感謝かな」

 ラガロの馬にくくりつけて運ばれている青年は健やかに眠っているような顔だが、その実どんな状態なのかはまだはっきりとしない。
 都合のいい解釈かもしれないが、それでもこれまで起こっていることの何かのヒントのような気がして、できれば目を覚ましてもらいたい。

「巫女、少し馬には慣れたかな?帰りは少し速度をあげてもかまわない?」
「うん、ダイジョーブ」

 地下から聖堂に向かったシルヴィオたちに追いつくにも、できるだけ早く戻らなければならない。
 今回は青年と出会ったことで方針を変えることができたが、次もそうとは限らない。
 もう少し冷静に判断しなければなと、エンディミオンは反省しながら、ヴィジネー家の邸までの山道を戻って行った。
 

 
 

 



 



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