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「お恥ずかしながら、儂は誰よりも己が生命を惜しんだがために、これまで長く生き続けて参りました」

 長い昔話が終わると、グラーノはこれまでのすべての膿を吐き出すような深い溜息を落とした。

「それが可愛い曾孫を救うためのことであったなら、これまでのこともいくらか許されはしまいかと、……老いぼれとなってもまだこれほどにさもしいものかと、ほとほと嫌気が差しまするな」

 グラーノは、ひどく疲れていた。
 長い人生の中、大叔父にはじまり、両親も、弟も、妻も、友も、多くの親しい人間を見送った。
 救えるはずの力を持っていたのに、自らの生命を差し出すことができない罪悪感を抱えて、長すぎるほど生きてしまった。
 この姿になってからは、ほとんどの時間を幼い人格が支配していたが、記憶がないわけではない。
 ドナテッロとしての意識がはっきりと戻っている今、どのように過ごしてきたのか、その記憶がしっかりと自分の中に残っていた。
 幸せ過ぎた十年余り。
 なんの翳りも心配もなく、ドナテッロが蓋をした罪悪感も忘れて、グラーノは無邪気な子供でいられた。
 いつもその側に全力で自分を守ってくれていたフォーリアがいたからこその時間だったが、……フォーリアには悪いことをしてしまうなと、ドナテッロは唯一「スピカ」の秘密を知りながら、実の親と同じようにその力をないものとしてくれていた従者を想った。
 数奇な運命の先、聖国に来なければ繋がらない縁だったが、出会った時はまだいとけなく、そして哀れな身の上の少年だった。
 少しのおせっかいと憐憫は、幼い少年の心を少しは救ったのだろうか。
 主人と従者の立場ではありながら、聖国に渡ってからドナテッロとしての生を終えるまでを祖父と孫のように過ごし、赤子に戻ってからの十年以上は、頼れる親のように、兄のように、守護者としてグラーノを守り続けてくれていた。
 だからこそ、グラーノはフォーリアをここには連れて来られなかった。
 自らその時を終えると告げることができないでいた。
 一度は自身の生命の終わりを覚悟したからこそ、延長線のような時間はあまりに甘美だった。
 ずっと溺れていたかったほど、スピカの力に振り回されない日々は光り輝いていた。
 けれど、それも終わりにするのだ。
 生き汚かった自分には過ぎた幸福だったのだ。
 それを、曾孫のために終えるというなら、そのための人生だったのだと最期は満ち足りた気持ちにさえなれよう。
 ……けれど。

「その話が本当だとして、なぜ、グラーノ殿は直接公爵家においでにならなかったのでしょうか」

 ようやくグラーノの話した内容に整理がついたエンディミオンは、話の信憑性よりもまず先にその疑問が浮かんだ。
 わざわざオリオンを使ってまで、秘密裏に王太子たるエンディミオンに直接その話をしたのはなぜだろうか?

「もし本当に貴公がかつてのヴィジネー侯爵であっても、今のお立場はこの国では聖国の代表ですから、ガラッシア家との関係上それが難しいことだったとしましょう。
 であれば、ご生家のヴィジネー家で秘密を明かせば、私を通してよりは早くルクレツィアの元へ辿り着けるのでは?」

 真っ直ぐに核心をついてくる第一王子に、グラーノは苦笑した。
 もちろん、彼に時間がないことは承知しているが、あまりに単刀直入過ぎる物言いは、一国の王子というよりは一人の若者そのもので、青臭く、そして眩く思われる。

「仰るとおり、ヴィジネー家に行き、息子と孫に会い、そうして曽孫のためにスピカの力を使いたいのだと、そう告げればよかったのやもしれません。
 ……王太子殿下は、もしスピカが見つからなかった場合、どのようにルクレツィアを助けるおつもりでしたかな?」

 グラーノは、エンディミオンの夕焼けの瞳を申し訳なさそうに見返した。
 このように駆け引きのような問答をしたいわけではない。
 これほどに思い詰めている王子のためにも、ヴィジネーやガラッシアの家族のためにも、すぐにでも曾孫のもとへ駆けつけて、その病を治してやりたかった。
 ────できるものならば。

「どのように、とは……」

 エンディミオンはスピカを探していた。
 すぐにでも病を治せる方法がこの世に存在しない以上、星の力に縋るしかルクレツィアを救うことはできない。
 探してもいないのならば、次のヴィジネーの星に賭けるしかなかった。
 それが国の、国王の命に背くものだとしても、エンディミオンはそうするつもりだった。
 誰の手を借りることなく、自分の独断でそれを遂げる決意でいたが、自分はスピカだというグラーノが現れた。
 真偽はともかくその力が本物ならば、エンディミオンは禁忌を犯す必要がなくなり、ヴィジネーの星は本来の予定どおりの力となって侯爵家の後継のものとなるはずだ。
 エンディミオンは、グラーノの問いの真意を探るように、そのルクレツィアと同じ真っ青な瞳を見つめた。
 
「グラーノ殿が真にスピカだというなら、そのような問いは無意味では?」
「まさに、無意味でしょうな。
 …………儂が真にスピカの力を使えたのなら」
「それでは、貴公はスピカの力を使えないと仰っているように聞こえるが」

 兆した光をすぐに取り上げるような物言いになったせいか、エンディミオンの瞳が揺れた。
 目の前にいる少年がスピカなのかどうか、語る話はすべて本当なのかどうかを見極めようとしながら、信じたい、縋ってしまいたいという己れの心をエンディミオンは必死で律していたのだ。
 ルクレツィアの命以外はすべて諦めてもいい。
 けれど、今自分が判断を誤ればそれも難しい。
 エンディミオンにはじめから余裕などなかった。
 ルクレツィアを救うという一点に心を決めながら、未練を感じないわけがない。 

 エンディミオンの焦る気持ちを認めてもなお、回りくどくなるのは年寄りの悪い癖だと恥じ、グラーノはもう一度ため息を落とした。

「殿下、儂のこの姿は星の呪いと申し上げました。
 お話したとおり、自らの生を無闇に永らえるばかりで…………スピカの力を真に使えるのかどうか、儂自身にもわからぬのです」

 この話を信じるも信じないも、聞いた後にその処遇のすべてをエンディミオンに委ねると言った真意は、ここにあった。
 単純に、ルクレツィアを救うだけならまずヴィジネーの家に赴いただろう。
 息子に、孫に、昔話とスピカの秘密を打ち明けて、自分がドナテッロ・ヴィジネーであることを信じさせる。
 そうしてルクレツィアのいるガラッシア家を尋ねる手筈を整えてもらえれば、そこで命尽きようとルクレツィアの病を治しただろう。
 だが、それができる保証がない。
 己れの生命力を代償に行使される癒しの力は自らに向かい、その力の秤がどうなっているのか検討がつかない。
 八十年以上封じてきた力は、ドナテッロの管理下を離れてしまった。確かに力はあるのだろうが、ドナテッロの意思とは無関係の箱に入っているように、いたずらにその時を戻すだけだ。
 自分に向かっているものの矛先の変え方も、そうしてルクレツィアを癒すほどの力が残っているのかも、ドナテッロにはわからないのだ。

「そうして、殿下もご存知のとおり、一族のは、同じ世に生を受けません」

 ラガロもスピカも、それぞれ同じ時代に二人と存在しなかったのは、山のように積んだ資料からも明らかだった。
 同じ星は、地上で同時に輝かない。
 今ここにいるグラーノが本当にスピカだと言うなら、どこを探しても二人目のスピカは現れない。
 そのグラーノの力に、不安要素がある、ということは……。

「儂を殺して、新たなスピカが生まれるまでルクレツィアは待てはしないでしょう。
 また、次の星で別のスピカを獲られるのか、それもまた不確か。
 そうであるならば、次の星の力を、儂に授けていただきたい」

 エンディミオンの考えた懸念を、グラーノははっきりと言葉にした。
 そうして言葉の最後に、深々と頭を下げた。

「オリオンは、そこまでグラーノ殿に話してしまったんだね」

 頭を下げたグラーノの横で、固唾を飲んで兄とのやり取りを見守っていたオリオンにエンディミオンは溜息を落とした。
 聖国の代表としてのグラーノが知っていていい内容ではなかった。
 十二の星を集めていることも、それがどこでどのように手に入るかも、その星の力が、ステラフィッサ国で有益な「力」となって継承されることも、すべてはステラフィッサ国の機密と言っていい。
 例えグラーノがヴィジネー侯爵として過ごした時間があったとしても、この話は、星の神託があり、本当に巫女が現れてはじめて明らかにされた千年前の伝説の仔細なのだ。
 ドナテッロには知る余地がないはず。
 けれど頭を下げたグラーノは、そのすべてを知っている上でエンディミオンに頼みに来ていた。

「申し訳、ありません」

 消え入るように謝罪したオリオンだったが、覚悟を決めたようにグラーノと同じように頭を下げた。

「けれどぼくは、グラーノ殿がこんな嘘を考えつくような方とは思えません。
 時おりびっくりするくらい、ぼくよりステラフィッサのことを知っています。
 ルクレツィア嬢のことを治したいと思う気持ちもきっと本当です。
 だから、兄上、グラーノ殿に、星の力をあげてください!」

 あまりに拙い、根拠と説得。
 小さな頭が、自分に向かって並んで頭を下げているのを見ながら、エンディミオンは考えていた。

「グラーノ殿が直接私を訪ねてきたのは、ヴィジネー家に咎が及ばないため?」

 ルクレツィアの事情がなければ、ルクレツィアの従兄にあたるヴィジネー家の後継が次の旅に同行し、星の力を得ることになっていた。
 エンディミオンがそれをルクレツィアのために掠めとるには、最低限その彼に協力を仰がなければならないが、自分の独断で強要するカタチでなければ、ヴィジネー家が身内かわいさにその力を横取りしたことになってしまうのは目に見えていた。
 ファウストの時より明確な背信行為として取り沙汰されることは間違いがない。
 そうならないために、エンディミオンは覚悟だったのだ。
 グラーノが、直接ヴィジネー家に赴いてこの話を進めてしまえば、それは間違いなくヴィジネー家の咎となる。
 スピカの力の秘密を一生自分一人で抱え、死んだことになっているドナテッロにとって、そのためにヴィジネー家の門扉を叩くことはどうしてもできなかった。

「あまりに手前勝手な願いであることは、重々承知しております」

 頭を下げたままのグラーノは、重い責務をエンディミオンにだけ背負わせる罪をわかっていながら、それでもこうすることしかできない苦渋をその声に滲ませた。

「──────お話は、承知した」

 長い沈黙を経て、エンディミオンは一言だけ答えた。

「殿下、」

 顔を上げ、何かを言い差したグラーノに、エンディミオンは首を振った。

「まず、貴公が本当にドナテッロ・ヴィジネー殿であることの証明はされなければなりません。
 それだけは、ご容赦ください」

 そうして、それが証明された時、ヴィジネー家には口裏を合わせてもらわなければならない。
 一人の公爵令嬢と、星の力に囚われた老人を救うために、十二の星の力のひとつを使うことを国に認めさせるだけの時間はない。
 国王も王妃も、並み居る十二貴族も大臣も、心情的には許したくても、政治がそれを許さないのは王太子であるエンディミオンはよく知っている。
 当代のヴィジネー侯爵本人すら、ルクレツィアのためだけにそれを認めるかどうかは危うかった。
 だからこそ、星を得る土壇場で事を起こすことも覚悟していた。
 ドナテッロ・ヴィジネーの存在があれば、もう少しだけヴィジネー家の協力が得られるかもしれない。
 そういう腹づもりも自身の中に収めつつ、エンディミオンは、グラーノの手を取ることを決めた。

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