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結婚式の本番は明日、前夜祭はガラッシア家とトーロ家のみで、その他の招待客は当日のご到着とのことです。
今晩は、レオナルド様とお父さまとトーロ伯爵の三人で、気兼ねのない友人同士、独身最後の夜をお過ごしなられるおつもりのようです。
セレーナ様にはお母さまとトーロ伯爵夫人がご一緒して、十二貴族の伯爵夫人に返り咲くことになった元没落令嬢の不安など、聞きたいお話は山ほどあるそうで、そちらはそちらで女子会のようになりそうです。
わたくしたち子どもの出る幕はありませんから、夕食が終わると早々に、わたくしは割り当てられた客室に下がりました。
お兄さまとファウストがわたくしにしばらく付き合うと申し出てくださいましたが、丁重にお断りいたしました。
長旅に疲れたのもありますし、不意に出てくる奥底の気持ちに、誰にも触れられたくない、という思いもあったからです。
トーロ伯爵とお越しになったヴィオラ様も、わたくしと同じようにお部屋に戻られましたから、とりわけ様子がおかしく見えた、ということもないでしょうか。
(わたくし、がんばりましたわ……)
心からお二人の幸せを願う気持ちは本当ですが、喚き出したくなる衝動も、確かにまだ、そこにあるのです。
けれど、レオナルド様に暗い顔など見せたくありませんし、これから幸せになるお二人を前に、どんな陰もあってはいけません。
ですから徹頭徹尾、わたくしは笑顔を絶やさず、お祝いムードに華を添えるべく、いつものルクレツィア・ガラッシアらしく振る舞い続けたのです。
身体の疲労に、心の疲労が重なって、思いがけず溢れてしまいそうな心情を聞かれたくはありませんから、今は誰にもそばにいてほしくありません。
すぐに休むからと言って、付いてきたドンナも下がらせました。
こういう時は、不貞寝するに限ります。
イヤなことは忘れ、心も体もよく休めたら、明日はとびきりにお二人をお祝いするのですもの。
(そうでなければ、いけないのですわ)
* *
夜半。
わたくし、パチリと目が覚めてしまいました。
身体は本当に疲れていたようで、眠れずに悶々とする、ということはなかったのですけれど……。
スッキリと目覚め過ぎて、再び眠りにつくには少し時間がかかりそうです。
寝台から降り、カーテンの隙間から夜空を見上げると、満月が中天にかかり、だいぶ夜も深まった頃合いでしょうか。
ドンナももう休んでいるでしょうし、公爵家のわたくしたちが乗る馬車とは質の劣る旅をしてきたのですから、起こしてしまうのはしのびありません。
けれど暗闇でひとりで考えごとをしているとロクな考えは浮かびませんし、少し歩いたら眠気もやってくるでしょうか。
大人しく部屋にこもっているには、わたくし少々ガマンが足りなかったようです。
人と会ってしまっても大丈夫なようにストールを羽織ると、そっとドアを開け、部屋を抜け出しました。
他家のお城に泊まるのははじめてですし、ちょっとした冒険心もあったのかもしれません。
普段ならしない不作法ですけれど、このままお部屋にいると本当に余計なことばかり考えそうですので、大目に見ていただきましょう。
廊下の壁には等間隔に燭台が灯され、暗闇に困ることはありません。
ふかふかの室内履きで、足音をたてないように歩き出しました。
前世の記憶では実際に泊まったことはありませんが、ヨーロッパの古城を改築してホテルにしたような内装、というところでしょうか。
ガラッシアのお城に比べると規模はまったく小さいのですけれど、ガラッシア家はどこも我が家という認識ですので、お泊りはやはり感覚が違うのですわ。
客間の並ぶ廊下を過ぎ去り、階段を降ります。
まだ灯りがついているのは、夕食をとった広間と続きのサロンで、主に男性が集まる喫煙ルームの用途です。
バーカウンターがあり、ビリヤードやカードゲームの遊戯台がありましたから、リオーネ城もなかなか充実した造りのようです。
そこから、お父さまたちの声が聞こえます。
まだ起きて、お話に花を咲かせているのですわね。
(明日が本番ですのに、大丈夫ですかしら?)
酔って積もる話に拍車がかかっているのでしょうけれど、明日に響いては困ります。
一言お声をかけようかと悩んでいると、
「それにしてもルクレツィア嬢は、しばらく見ないうち奥方にそっくりになられたなぁ」
トーロ伯爵、フリオ様のお声が響きました。
クマのようなご容姿そのままの、とても低い良いバリトンなのですけれど、少々音量が大きいのが玉に瑕ですわね。
「そうだろう!私のティアが世界一可愛いだろう!」
誇らしそうなお父さまの声も負けじと聞こえましたけれど、これはかなり酔ってらっしゃるのかしら。
お酒が入ると感情表現が豊かになるお父さまは、とくにアルコールに弱いというわけではなく、楽しい気分になられるだけで、酔い潰れるということはないそうです。
「ああ、そうだな。今日は驚いた」
レオナルド様のお声が聞こえて、咄嗟に足を止めてしまいました。
「あんなにキレイにお祝いを言われたら、こちらがフラれた気分になったよ」
「よしレオ、そこに直れ。とりあえずティアを傷つけた分は殴らせてもらおう」
「顔に大きな飾りでもつけて、式に出ろって?」
「なに、公爵夫人に治癒していただけば傷も残らないさ」
「馬鹿なっ、そんなもったいないこと、この私の目が黒い内に認めるとでも?
あぁ、でも殴ったと知れればノーラに叱られるしティアにも泣かれてしまうな、クソッ」
お父さまの苦々しげな声に、フリオ様の笑い声が響きます。
わたくし、その場から動けなくなってしまいました。
「いや、今のは失言だったな、すまなかった。
だが、本当に驚いたんだよ。
さすがに、今度ばかりは泣かせてしまうかとも思っていたから」
「自惚れも大概に過ぎるな。ティアは泣かないさ。
お前の前でなら、なおさらな」
フン、とお父さまが鼻息をならし、興が削がれたように声のトーンが下がりました。
「あの子は、最初からお前よりもずっと大人だったよ」
お父さまの言葉に、レオナルド様が降参するように大きく息を吐くのが聞こえました。
「お前の言うとおりだ……。
ティアちゃんは、決して俺に何か求めてくることはなかったな。
それこそ8歳の頃なら、お嫁さんにしてとせがまれるくらいは覚悟していたんだが、それすらなくて、この五年、俺に踏み込むことを絶対にしなかった」
「あの子は立場をずっと弁えていたし、レオと結婚できるようにと、私にねだるようなこともしなかった。それを言えば、私が絶対に叶えると知っているからね。
お前の傷を慮って、その心情を誰よりも心得て、それに添わないと思えば恋心すら奥底に閉まって、それでよしとしていた。
それなのにお前ときたら……」
「それに甘えていたのは、俺のほうだったな」
わたくし、そんなふうにお父さまからもレオナルド様からも見られていたなんて、恥ずかしいような、泣き出したいような、まとまらない感情が湧きあがってきて、その場に蹲らないようにするだけで精一杯です。
「結局、結婚を決められたのもティアちゃんのおかげかもしれない。
彼女がずっとそうやって寄り添ってくれたから、過去に向き合うことができたし、乗り越えなければ彼女にも恥ずかしいことだと思ったよ。
セレーナは、過去を乗り越えた先で見つけた幸福だ」
「ラガロの星は、リオーネ家の停滞に現れると言うしな。
母君ともども、獅子の王を大事にするといい。
それにしても、ルクレツィア嬢はこれからよりいっそう美しくなられるだろうな。
周りにも有望な若者ぞろい、今後はお前のことなど見向きもしないくらい、公爵夫人以上の高嶺の花になるぞ」
フリオ様が空気を変えるように明るく言った言葉に、レオナルド様の自嘲気味な笑い声が微かに重なります。
「それでいいんだよ。
同じ年頃の恋人が出来れば、俺みたいな叔父さんのことは、すぐになかったかのように忘れてしまうさ」
「そんな奴、私が認めるような男でなければすぐにひねり潰すがなっ」
お父さま……泣きそうな気持ちが少し引っ込みましたわ。
それでは一生結婚が難しいだろう、殿下はどうだ、宰相の息子は、そうやんやとわたくしの婚約者候補に話題を変えていったお父さまたちに、わたくしはそっとその場を離れました。
聞けてよかった?
聞かなければよかった?
お互いの立場どころか、わたくしの振る舞いそのものがレオナルド様の結婚を後押ししていたのだという事実は、自分で考えていたより重く胸にのしかかりました。
(わたくしがもっも欲をだしていたら?
ワガママを言って、お父さまにおねだりしていたら?
……今さら考えても、仕方のないことですわね)
どうしようもなく湧きあがってくる思いを振り切るように足早に来た道を戻り、階段を上がろうとしたら、その踊り場に、ラガロ様がその金の眼でこちらを見て立っていらっしゃいました。
今晩は、レオナルド様とお父さまとトーロ伯爵の三人で、気兼ねのない友人同士、独身最後の夜をお過ごしなられるおつもりのようです。
セレーナ様にはお母さまとトーロ伯爵夫人がご一緒して、十二貴族の伯爵夫人に返り咲くことになった元没落令嬢の不安など、聞きたいお話は山ほどあるそうで、そちらはそちらで女子会のようになりそうです。
わたくしたち子どもの出る幕はありませんから、夕食が終わると早々に、わたくしは割り当てられた客室に下がりました。
お兄さまとファウストがわたくしにしばらく付き合うと申し出てくださいましたが、丁重にお断りいたしました。
長旅に疲れたのもありますし、不意に出てくる奥底の気持ちに、誰にも触れられたくない、という思いもあったからです。
トーロ伯爵とお越しになったヴィオラ様も、わたくしと同じようにお部屋に戻られましたから、とりわけ様子がおかしく見えた、ということもないでしょうか。
(わたくし、がんばりましたわ……)
心からお二人の幸せを願う気持ちは本当ですが、喚き出したくなる衝動も、確かにまだ、そこにあるのです。
けれど、レオナルド様に暗い顔など見せたくありませんし、これから幸せになるお二人を前に、どんな陰もあってはいけません。
ですから徹頭徹尾、わたくしは笑顔を絶やさず、お祝いムードに華を添えるべく、いつものルクレツィア・ガラッシアらしく振る舞い続けたのです。
身体の疲労に、心の疲労が重なって、思いがけず溢れてしまいそうな心情を聞かれたくはありませんから、今は誰にもそばにいてほしくありません。
すぐに休むからと言って、付いてきたドンナも下がらせました。
こういう時は、不貞寝するに限ります。
イヤなことは忘れ、心も体もよく休めたら、明日はとびきりにお二人をお祝いするのですもの。
(そうでなければ、いけないのですわ)
* *
夜半。
わたくし、パチリと目が覚めてしまいました。
身体は本当に疲れていたようで、眠れずに悶々とする、ということはなかったのですけれど……。
スッキリと目覚め過ぎて、再び眠りにつくには少し時間がかかりそうです。
寝台から降り、カーテンの隙間から夜空を見上げると、満月が中天にかかり、だいぶ夜も深まった頃合いでしょうか。
ドンナももう休んでいるでしょうし、公爵家のわたくしたちが乗る馬車とは質の劣る旅をしてきたのですから、起こしてしまうのはしのびありません。
けれど暗闇でひとりで考えごとをしているとロクな考えは浮かびませんし、少し歩いたら眠気もやってくるでしょうか。
大人しく部屋にこもっているには、わたくし少々ガマンが足りなかったようです。
人と会ってしまっても大丈夫なようにストールを羽織ると、そっとドアを開け、部屋を抜け出しました。
他家のお城に泊まるのははじめてですし、ちょっとした冒険心もあったのかもしれません。
普段ならしない不作法ですけれど、このままお部屋にいると本当に余計なことばかり考えそうですので、大目に見ていただきましょう。
廊下の壁には等間隔に燭台が灯され、暗闇に困ることはありません。
ふかふかの室内履きで、足音をたてないように歩き出しました。
前世の記憶では実際に泊まったことはありませんが、ヨーロッパの古城を改築してホテルにしたような内装、というところでしょうか。
ガラッシアのお城に比べると規模はまったく小さいのですけれど、ガラッシア家はどこも我が家という認識ですので、お泊りはやはり感覚が違うのですわ。
客間の並ぶ廊下を過ぎ去り、階段を降ります。
まだ灯りがついているのは、夕食をとった広間と続きのサロンで、主に男性が集まる喫煙ルームの用途です。
バーカウンターがあり、ビリヤードやカードゲームの遊戯台がありましたから、リオーネ城もなかなか充実した造りのようです。
そこから、お父さまたちの声が聞こえます。
まだ起きて、お話に花を咲かせているのですわね。
(明日が本番ですのに、大丈夫ですかしら?)
酔って積もる話に拍車がかかっているのでしょうけれど、明日に響いては困ります。
一言お声をかけようかと悩んでいると、
「それにしてもルクレツィア嬢は、しばらく見ないうち奥方にそっくりになられたなぁ」
トーロ伯爵、フリオ様のお声が響きました。
クマのようなご容姿そのままの、とても低い良いバリトンなのですけれど、少々音量が大きいのが玉に瑕ですわね。
「そうだろう!私のティアが世界一可愛いだろう!」
誇らしそうなお父さまの声も負けじと聞こえましたけれど、これはかなり酔ってらっしゃるのかしら。
お酒が入ると感情表現が豊かになるお父さまは、とくにアルコールに弱いというわけではなく、楽しい気分になられるだけで、酔い潰れるということはないそうです。
「ああ、そうだな。今日は驚いた」
レオナルド様のお声が聞こえて、咄嗟に足を止めてしまいました。
「あんなにキレイにお祝いを言われたら、こちらがフラれた気分になったよ」
「よしレオ、そこに直れ。とりあえずティアを傷つけた分は殴らせてもらおう」
「顔に大きな飾りでもつけて、式に出ろって?」
「なに、公爵夫人に治癒していただけば傷も残らないさ」
「馬鹿なっ、そんなもったいないこと、この私の目が黒い内に認めるとでも?
あぁ、でも殴ったと知れればノーラに叱られるしティアにも泣かれてしまうな、クソッ」
お父さまの苦々しげな声に、フリオ様の笑い声が響きます。
わたくし、その場から動けなくなってしまいました。
「いや、今のは失言だったな、すまなかった。
だが、本当に驚いたんだよ。
さすがに、今度ばかりは泣かせてしまうかとも思っていたから」
「自惚れも大概に過ぎるな。ティアは泣かないさ。
お前の前でなら、なおさらな」
フン、とお父さまが鼻息をならし、興が削がれたように声のトーンが下がりました。
「あの子は、最初からお前よりもずっと大人だったよ」
お父さまの言葉に、レオナルド様が降参するように大きく息を吐くのが聞こえました。
「お前の言うとおりだ……。
ティアちゃんは、決して俺に何か求めてくることはなかったな。
それこそ8歳の頃なら、お嫁さんにしてとせがまれるくらいは覚悟していたんだが、それすらなくて、この五年、俺に踏み込むことを絶対にしなかった」
「あの子は立場をずっと弁えていたし、レオと結婚できるようにと、私にねだるようなこともしなかった。それを言えば、私が絶対に叶えると知っているからね。
お前の傷を慮って、その心情を誰よりも心得て、それに添わないと思えば恋心すら奥底に閉まって、それでよしとしていた。
それなのにお前ときたら……」
「それに甘えていたのは、俺のほうだったな」
わたくし、そんなふうにお父さまからもレオナルド様からも見られていたなんて、恥ずかしいような、泣き出したいような、まとまらない感情が湧きあがってきて、その場に蹲らないようにするだけで精一杯です。
「結局、結婚を決められたのもティアちゃんのおかげかもしれない。
彼女がずっとそうやって寄り添ってくれたから、過去に向き合うことができたし、乗り越えなければ彼女にも恥ずかしいことだと思ったよ。
セレーナは、過去を乗り越えた先で見つけた幸福だ」
「ラガロの星は、リオーネ家の停滞に現れると言うしな。
母君ともども、獅子の王を大事にするといい。
それにしても、ルクレツィア嬢はこれからよりいっそう美しくなられるだろうな。
周りにも有望な若者ぞろい、今後はお前のことなど見向きもしないくらい、公爵夫人以上の高嶺の花になるぞ」
フリオ様が空気を変えるように明るく言った言葉に、レオナルド様の自嘲気味な笑い声が微かに重なります。
「それでいいんだよ。
同じ年頃の恋人が出来れば、俺みたいな叔父さんのことは、すぐになかったかのように忘れてしまうさ」
「そんな奴、私が認めるような男でなければすぐにひねり潰すがなっ」
お父さま……泣きそうな気持ちが少し引っ込みましたわ。
それでは一生結婚が難しいだろう、殿下はどうだ、宰相の息子は、そうやんやとわたくしの婚約者候補に話題を変えていったお父さまたちに、わたくしはそっとその場を離れました。
聞けてよかった?
聞かなければよかった?
お互いの立場どころか、わたくしの振る舞いそのものがレオナルド様の結婚を後押ししていたのだという事実は、自分で考えていたより重く胸にのしかかりました。
(わたくしがもっも欲をだしていたら?
ワガママを言って、お父さまにおねだりしていたら?
……今さら考えても、仕方のないことですわね)
どうしようもなく湧きあがってくる思いを振り切るように足早に来た道を戻り、階段を上がろうとしたら、その踊り場に、ラガロ様がその金の眼でこちらを見て立っていらっしゃいました。
応援ありがとうございます!
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