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1 家庭も仕事も全てを手に入れたのに生きることがツライんです。
1-1 棒人間
しおりを挟むそこには、棒人間がいた。
幅10センチ高さ170センチぐらいの人の形をした黒い棒がベンチに座っている。
屋外用のベンチは鉄製だった。
そのベンチに同じようなテイストの棒人間が座っていると、溶け込んでしまいそうだ。
平和な公園に置かれたベンチでちょこんと座る棒人間。
現代アートのような空間がそこにはあった。
★
「全てを手に入れたはずなのに、生きるのが辛いんです」
家永真守は、切々と語る女性の声をイヤホンで聞きながらペンでメモを取る。
バブル時代に建てられたデザインがオシャレなマンションの一室。
レンタルオフィスとして貸し出されているこの部屋リビングで真守がメモやパソコンを広げて陣取っている。
ドア一枚を隔てた向こうでは真守の上司である御神玲香によるカウンセリングが行われていた。
イヤホンに流れてくるのはその相談内容である。
真守は、カウンセラー御神玲香の助手だ。
このレンタルオフィスを借りるための手続きのような事務仕事からSNSのための動画や画像編集、カウンセリングワークのお手伝いとやることは多岐に渡る。
御神と二人三脚で行っているため、お金管理とカウンセリングなど主要なこと以外は真守の仕事だと言ってもいい。
今も、決して違法な盗聴をしているわけではなく、クライアントにもきちんと許可を得て行っている大切な業務のひとつだ。
相談内容を元にカルテを作成し、その上で内容を把握していつでもワークに参加できるようにしておかないといけない。
真守はペンを指で持って左右に揺らしながら、クライアントである前田千恵の顔を思い出してドキドキした。
芯の強さと清楚さを兼ね合わせた前田は真守のタイプだった。
我儘な女系家族で育った真守は、我儘に付き合わされることにうんざりしているのに気が強い女性に惹かれてしまう。
気が弱い女性は何を考えているのか分からなくて居心地が悪い。
前田のように強さもはかなさもあり、しっかりしているのに男を立ててくれそうな雰囲気に弱かった。
けれども、その淡い想いはすぐに打ち砕かれた。
前田は既婚者だったのである。
前田は、「今まで全てを手に入れてきたこと」を理路整然と語っていた。
大企業に就職し、会社のつながりで出会った男性と結婚し、子供も男の子と女の子と一人ずつ授かったこと。
収入があるから家事を一部外注することで仕事と家庭の両立を成立させ、おおらかで真面目な旦那ともうまくいっていること。
昔から目指していた仕事と家庭の両方を手に入れることができた。
生きてれば多少の文句もあるけれど、自分は恵まれているとは思う。
幸せなはずなのに、幸せを感じることができない。
「叫びたくなるんです」
そこで前田は言葉を切った。
「心の中に住んでる何かが、ずっと叫んでるんです」
どんどん声が小さくなる。言いにくいのか、言葉が途切れ途切れになっていく。
「手に…入れたものを…全て…捨てたく…なるんです」
ティッシュを取る音が続き、嗚咽が混じる。
きっとずっと誰かに言いたかったのだろう。
言葉は途切れても、不明瞭になっても完全に止まることはない。
「何を捨てたいのかも、捨て方も分からないんですけど…」
「私はどこかおかしいんでしょうか」
前田は、「全てを捨てたくなる気持ち」に対して、今までどんな努力をしたのかを淡々と語り出した。
収入が高い分、つぎ込める資金力もあったのだろう。
前田は、かなりの数のカウンセリングやセミナーを受けていた。
現代において、一度そういったジャンルで申し込みをすると、スマホの広告が自分に合ったものを集めてくれる。
「旦那には言えない」と何度も言っていたので、かなりの高額をつぎ込んだようだった。
「やってみて手ごたえはあったんです。
少し生きることが楽になりました。
けれど、私が欲しいのはソレじゃないんです。
叫びたい気持ちが収まらず、何を叫びたいのかも把握できないままなんです。
もどかしくて歯がゆくて」
特に「休め」とアドバイスされた顛末を説明するときに、語気が荒くなっていた。
よっぽど悔しかったらしい。
「少し休んで一人になった方がいい」とそのカウンセラーはアドバイスした。
「捨てたいとは、休みたいことなのだ」と。
「勇気を出して、旦那とお義母さんに頼んで、子供を預かってもらったんです。
近くのホテルで一泊して、ゆっくりして」
開放感を味わいながら、ホテルの一室で思ったことは「コレじゃない」という思いだった。
それをそのままカウンセラーに報告したら、「休み方が足りない」と言われた。
ホテルで泊まるなど、そうそう何度もできることではない。
そもそも、結果が出なかったことを全く考慮しないまま何度もやっても意味があると思えない。
あまりにも頭にきた前田は、
「あなたがやりたいことを私に押しつけないでください」
と捨て台詞を吐いてそこを頼ることをやめた。
カウンセラー自身が休みたいだけで、考えを押し付けられている気がした。
やればやるほど救いから遠くなる気がした。
「こんなに家族も職場もやさしいのに、私はすごく苦しくて。
鬱っていうわけでもないし。
病気ではないと思うんです。
実際、身体は健康だし。
誰かに相談したくても、友達には自慢と言われそうで
だから、お金払って相談して
でも、お金が無くなるだけでちっとも解決しないんです。
失敗したら絶望して、そのときはウンセリングをやめるんです。
でも、半年たったら周囲に嘘ついてるみたいで
辛くて我慢できなくて何かカウンセリングを受けちゃうんです。
私がずっとこの気持ちを無視すればみんな幸せなのに無視することもできないんです」
真守は、前田の訴えに共感するより、前田の分かりやすい説明に感じ入ってしまった。
もともと優秀な人なんだろうが、仕事によって伝える力が磨かれているのだろう。
相談内容を聞いているというより、何かのプレゼンを聞いているようだ。
女性にありがちな朝から晩までの行動を時系列で話すこともない。
感情的になっても伝えたいことが明確で聞きやすい。
だいたい悩みというのは、言葉にしようとすると逃げていくものだ。
たいていの人はうまく言えなくてあっちこっちに言葉が飛んだり、
本当に悩んでいることをオブラートに包んで遠まわしに説明したりする。
自分で抱えきれないから、悩んで相談しにやってくる。
そもそも問題を説明できるなら、やるべき答えも見えているハズなのだ。
だからこそ、通常のカウンセラーは相談者の話を聞く力を身につける。
聞き出すことで、相談者様自身に問題を明確化してもらい、自然と答えを出してもらうように誘導する。
けれど、御神の手法は違う。
御神がどのように切り込んでいくのか
真守はワクワクしながら御神の初撃を待っていた。
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毎週月曜日朝5時に更新します。
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