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プロローグ
しおりを挟む春麗かな日差しの中、この日、国中が賑わっている。
それもそのはず、今日は国王陛下生誕記念日だからだ。
どこもかしこもお祭りムードで浮かれているのは無理らしからぬこと。
王宮の自慢の庭園には、色とりどりの花々が咲き乱れていた。
誰もが毎年開かれるこの庭での園遊会。
いつもと変わらず、これからもこの風景が変わる事はないと誰もが信じていた事だろう。
だが、『永遠』とか『不滅』等と言う言葉は云うには容易いが、実際にそんなものは存在しないのが世の常というもの。
この10年、王国は平和に穏やかに月日が過ぎていた為に、皆は忘れていた。
その不変に見える光景が、別の角度から見れば砂の城のように脆く崩れやすいものだと考えなかった。
国王夫妻と一人息子の登場で、ざわめいていた会場は静まり返る。
そして、会場のある一点を貴族達は固唾を呑んで注目していた。
そこにいるある人物に会場中の視線が集まる。
いつもと変わらぬ貴族達の面々の中に、明らかに異質の人物が数名混じっているからだ。
その人物は、記念祝典に参加するため、はるばる隣国ロートランダ国からやって来た親善大使。
バルボッサ侯爵夫妻……。
侯爵夫人の名は、エレオノーラ。
10年前までは、この国の王妃だった者。
『月の王妃』と呼ばれ、貴族らから絶大な信頼と敬愛を一身に受けていた彼女は、以前と変わらぬ美しさを誇っている。
青みがかった銀髪を高く結い上げ、吸い込まれる様な美しい紫水晶の双方の瞳は健在だった。
なにより彼女は今、ここにいる誰より幸せそうに微笑んでいる。
その瞳の先にあるものは、小さな男女の子供の姿を映している。
「久しぶりだな…エレオノーラいやバルボッサ侯爵夫人と呼んだ方がいいか」
「はい、陛下もおかわりもなく、お元気そうで何よりです」
「そ…そうだな。ところで、君は子供を連れてきたそうだが何処にいるんだ?」
「あちらに…同じくらいの子供達と仲良くなった様で、一緒に会場を回っております」
「ならば、会わせてもらって構わないか…」
「エリュック、エスメローダ。こちらにいらっしゃい」
母の呼びかけに会場を見て回っていた双子の子供がかけて来た。
「母様、なにかご用ですか?」
「母上…」
双子は、母親のドレスの裾を引っ張りながら、用件を早く終えて、また友達になった令息令嬢等の所に戻りたがっていた。
エレオノーラは、
「行儀が悪いですよ!二人とも」
そう言って窘めているが、その姿は慈愛に満ちた聖母の様だと国王ルドヴィックはそう思った。
ああ…彼女は変わらない。いや、変わっていない…。
今更ながら、10年前に手放した彼女の姿に見とれている。
そして、振り返った子供の顔を見て国王夫妻は驚愕した。
女児は、エレオノーラに良く似ていて、青みがかった銀髪に琥珀色の瞳を持っている。
男児は、黄金色の髪に紫水晶の瞳を持っていた。だが、その顔立ちは国王ルドヴィックに瓜二つなのだ。
会場中の貴族からどよめきが起こり、騒然となった。
誰の口からともなく、
「国王陛下の種ではないのか?あんなに似ているぞ」
「齢を考えればありえないことではない。離縁した時には既に身籠られていたのかもしれない」
ザワザワと会場中に疑惑の様な囁きが広がる中、ただ一人その事実に真っ青な顔をしている王妃メディアの姿があった。
当然、貴族の中からは、別の声も上がってくる。
「おかしくないか?もし仮にあの子供が陛下の子だとすれば、何故、あの時離縁されたのだ?」
「そうだな。それに第一王子が先の兄王オースティン陛下の子だとしても時期的にずれているし、何より……」
「……」
「……」
その場の全員がその先の言葉を紡ぐことはない。
言えば、不敬罪や反逆罪に問われることになるからだ。しかし、言わずにいられない程、彼らの中で疑惑の芽はしっかりと根を張り芽吹いていた。
その先の言葉──
本当に兄王の子供なのですか?それとも陛下の子供なのですか?もしかして……。
誰もが疑うほど、王妃メディアの産んだ第一王子は、亡くなった先兄王とも現王ルドヴィックにも似ていなかった。
髪の色も瞳もその姿さえも……。
誰の目にも明らかだったのだ。
勿論、そんな事は誰に言われなくてもルドヴィックが一番分かっている。
10年前のあの日、エレオノーラと別れた時、いつかこんな事になるのではないかと言う予感のようなものはあった。
だからか、つい言葉に出してしまう愚かな自分を自嘲気味に思いながら訊ねる。
「君が産んだ子の父親は…」
「おかしな事を仰るのですね。当然、バルボッサ侯爵ですよ。あの日、私を無頼の輩から助け出し、隣国に連れ帰ってくれた優しい夫の子供で間違いありません。それを証拠にこの子は夫の子供の頃に瓜二つなのです」
そう言って、エレオノーラはルドヴィックの僅かな希望を粉々に砕いたのだ。
「リュシー、ああ…あなた。こちらに来て国王陛下にご挨拶を」
エレオノーラは、その美しい声で、瞳で、愛しい夫の愛称を口遊む。
侯爵はその声に引き寄せられるように、エレオノーラの腰を引き寄せて、
「その愛称は二人だけの時に呼ぶ約束だろう?忘れたのかい。エリィ」
侯爵はエレオノーラの額に口付けを落とすと、ルドヴィックの方を向いた。
その顔は目元から左顔半分を仮面で覆い、手袋から見える左手も醜い傷跡が見えている。
だが、エレオノーラが言う様に黄金色の髪と琥珀色の瞳を持っていて、何より仮面で隠しているが本来、端正な顔立ちと溢れる気品は隠しようがなかった。
もし、醜い傷がなければ、さぞかしご婦人たちが色めき立つに違いない程、男の色香も醸し出していたのだ。
愛しい夫の顔を手でなぞりながら、
「陛下、私はこの10年、一日も幸せを感じなかった事はありませんでした。今の幸せがあるのは、陛下が離縁して下さったからです。その事には感謝しております」
エレオノーラは、見事なまでの淑女の礼をして見せた。
会場からは感嘆の声が上がっている中で、エレオノーラはある言葉を続ける。
「陛下は如何でしたか?望んで離縁したのです。さぞかし幸せな10年だったのでしょう。お互いに良き伴侶に出会えてよかったですわ」
エレオノーラの言葉がルドヴィックの心に冷たい氷の刃を突き刺したのだ。
幸せそうにお互いを見つめ合いながら、その場を後にした侯爵一家を見ながら、ルドヴィックは、
──あの時、あんな決断をしなければ。彼らの姿は今の私の幸せだったのだろうか…。
そういう考えが浮かび、その後ろ姿を見ながら佇んでいた。
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