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ツェ二ティー編
前編
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長い階段の上にある神殿は建国以来の建造物で今は寂れている。
昔は拝礼に訪れる人も多くいたが、今では人も途絶えている。国中がそれどころではないからだ。暮らしに余裕のある時は、神に供物を捧げる事や大金を寄付もしていたが、今は飢えや寒さを凌ぎ、生きていくことで皆精一杯なのだ。
ここ数年で隣国との戦で疲弊して国力は落ちる所まで落ちていた。
その神殿には修道院も併設している。
この国の皇帝は日が昇り始めた頃に修道院にある人を訪ねてやって来た。
「陛下、エニー修道女をお呼びしました」
二年前に皇位を継いだ若き皇帝には、幼き頃より婚約者がいた。その婚約者に婚約破棄したのは他ならぬ皇帝自身だった。
それも『真実の愛』を見つけたからと言って、一方的に破棄した。
婚約者の名はツェニティー・アルバット公爵令嬢。今は修道女となって名前も『エニー』と改名しているようだ。
「お久しぶりです。陛下。私に何か御用がおありでしょうか?」
3年前と変わらず無表情でかつての婚約者を見ている。その瞳には最早、恋慕の色は映していない。寧ろ過去を全て洗い流したかの様に澄んでいる。
「いや、政務に忙殺されて信仰心が疎かになっていた。こちらに来るついでに君の様子を見に寄ったのだ。他意はない」
ジルベルトは本音を隠した。3年前の学園卒業パーティーでツェニティーを大勢の前で婚約破棄し、恥を掻かせた挙句、修道院に行くよう仕向けたのは他ならぬジルベルトなのだから──。
この3年間、ジルベルトは決して幸せではなかった。そして、後悔していた。だから、かつての婚約者の顔を見たくなったのだ。あわよくばもう一度やり直せると心の何処かで淡い期待をしていたのかもしれない。
だが、実際に会ってみるともう彼女からはあの頃の様なジルベルトに対する思慕は感じられなかった。逆に冷たい視線を向けられている。
それもそうだろう大勢の衆人の見ている前で、
『私は真実の愛を見つけたのだ。よってツェニティー・アルバット公爵令嬢との婚約を破棄し、マリアンヌ・ペトラー子爵令嬢と新たに婚約する』
そう言って、ツェニティーに恥を掻かせた。あの頃のジルベルトは、いつも澄ましているツェニティーの取り乱す様を見たかっただけなのかもしれない。
マリアンヌが既に腹に子を宿していたとはいえ、穏便に婚約を解消する方法はあったのだから……。
ツェニティーの潤んだ瞳には絶望が映っていた。
「畏まりました。殿下のご意志に従います」
静かにそう言って、淑女の礼をして会場を去った後ろ姿が忘れられなかった。縋る事も非難する事もせずに、次の日にはこの修道院に入る事を自ら選んだと後から聞いた。
だが、マリアンヌの産んだ子供はジルベルトには全く似ていなかったし、マリアンヌにも似ていなかった。ジルベルトの侍従と同じ髪と瞳の色を持って生まれた男の子だった。
後悔しても遅かった。周りから異性関係について諫言はあったが、聞き流していたのはジルベルト本人だ。それでも父である皇帝が生きている時は、まだ重臣も職務を果たしていたが、父が亡くなった途端、アルバット公爵は爵位と領地を国に還して、隣国に渡った。公爵が爵位を返上するのを皮切りに次々と重臣たちが様々な理由で辞職したり、隠棲したのだ。
国の多くの機関に支障が出だした頃に、隣国から宣戦布告され開戦となった。そして、ついに国は敗れて今はその戦後処理に追われている。ジルベルトももうすぐ皇帝ではなくなる。
マリアンヌは開戦直後に護衛騎士と逃げ出し、隣国の兵士に掴まって、アルバット元公爵に引き渡された。その後、彼女は牢獄に入れられたらしい。生きているのか死んでいるのかもわからない。元皇妃の行方を知る手段すら今のジルベルトにはない。
「ふふふ、あははは──っ、陛下まだ気が付かないのですか?私が誰だか──」
今迄、声を上げて嗤った事のないツェニティーの笑い声が修道院の静寂さを破った。その変貌ぶりにジルベルトは驚愕した。
昔は拝礼に訪れる人も多くいたが、今では人も途絶えている。国中がそれどころではないからだ。暮らしに余裕のある時は、神に供物を捧げる事や大金を寄付もしていたが、今は飢えや寒さを凌ぎ、生きていくことで皆精一杯なのだ。
ここ数年で隣国との戦で疲弊して国力は落ちる所まで落ちていた。
その神殿には修道院も併設している。
この国の皇帝は日が昇り始めた頃に修道院にある人を訪ねてやって来た。
「陛下、エニー修道女をお呼びしました」
二年前に皇位を継いだ若き皇帝には、幼き頃より婚約者がいた。その婚約者に婚約破棄したのは他ならぬ皇帝自身だった。
それも『真実の愛』を見つけたからと言って、一方的に破棄した。
婚約者の名はツェニティー・アルバット公爵令嬢。今は修道女となって名前も『エニー』と改名しているようだ。
「お久しぶりです。陛下。私に何か御用がおありでしょうか?」
3年前と変わらず無表情でかつての婚約者を見ている。その瞳には最早、恋慕の色は映していない。寧ろ過去を全て洗い流したかの様に澄んでいる。
「いや、政務に忙殺されて信仰心が疎かになっていた。こちらに来るついでに君の様子を見に寄ったのだ。他意はない」
ジルベルトは本音を隠した。3年前の学園卒業パーティーでツェニティーを大勢の前で婚約破棄し、恥を掻かせた挙句、修道院に行くよう仕向けたのは他ならぬジルベルトなのだから──。
この3年間、ジルベルトは決して幸せではなかった。そして、後悔していた。だから、かつての婚約者の顔を見たくなったのだ。あわよくばもう一度やり直せると心の何処かで淡い期待をしていたのかもしれない。
だが、実際に会ってみるともう彼女からはあの頃の様なジルベルトに対する思慕は感じられなかった。逆に冷たい視線を向けられている。
それもそうだろう大勢の衆人の見ている前で、
『私は真実の愛を見つけたのだ。よってツェニティー・アルバット公爵令嬢との婚約を破棄し、マリアンヌ・ペトラー子爵令嬢と新たに婚約する』
そう言って、ツェニティーに恥を掻かせた。あの頃のジルベルトは、いつも澄ましているツェニティーの取り乱す様を見たかっただけなのかもしれない。
マリアンヌが既に腹に子を宿していたとはいえ、穏便に婚約を解消する方法はあったのだから……。
ツェニティーの潤んだ瞳には絶望が映っていた。
「畏まりました。殿下のご意志に従います」
静かにそう言って、淑女の礼をして会場を去った後ろ姿が忘れられなかった。縋る事も非難する事もせずに、次の日にはこの修道院に入る事を自ら選んだと後から聞いた。
だが、マリアンヌの産んだ子供はジルベルトには全く似ていなかったし、マリアンヌにも似ていなかった。ジルベルトの侍従と同じ髪と瞳の色を持って生まれた男の子だった。
後悔しても遅かった。周りから異性関係について諫言はあったが、聞き流していたのはジルベルト本人だ。それでも父である皇帝が生きている時は、まだ重臣も職務を果たしていたが、父が亡くなった途端、アルバット公爵は爵位と領地を国に還して、隣国に渡った。公爵が爵位を返上するのを皮切りに次々と重臣たちが様々な理由で辞職したり、隠棲したのだ。
国の多くの機関に支障が出だした頃に、隣国から宣戦布告され開戦となった。そして、ついに国は敗れて今はその戦後処理に追われている。ジルベルトももうすぐ皇帝ではなくなる。
マリアンヌは開戦直後に護衛騎士と逃げ出し、隣国の兵士に掴まって、アルバット元公爵に引き渡された。その後、彼女は牢獄に入れられたらしい。生きているのか死んでいるのかもわからない。元皇妃の行方を知る手段すら今のジルベルトにはない。
「ふふふ、あははは──っ、陛下まだ気が付かないのですか?私が誰だか──」
今迄、声を上げて嗤った事のないツェニティーの笑い声が修道院の静寂さを破った。その変貌ぶりにジルベルトは驚愕した。
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