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第一章
番外編 ※第一王子④
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俺が16才になる前の春先の事だった。
その日、アルカイドからクレージュ公爵家に使者が訪れたのは。
「デミオンをアルカイドに?」
アルフレッド・クレージュ公爵は、何故今になってと疑問に思っていた。
使者が皇帝に内密に相談したらしい。秋の終わりごろから風邪を拗らせて、気弱になったのだろう。
今更ではあるが生きている内に、捨てた息子に会いたくなったのかもしれない。
が…それはそれである。
あちらの事情はどうであれ、デミオンの意志を尊重しなければならないと考えていた。
公爵の執務室に呼ばれた俺は、
「何かご用でしょうか?公爵閣下」
「まあ、座りなさい」
「はい」
公爵に勧められて、ソファに腰を下ろす。久しぶりに見る公爵は少し更けたように感じられたが、トパーズの瞳は昔と変わらない。
『君がアルカイドの呪われた王子かい?』
そう、声を掛けられた日の事を思い出していた。
公爵は茶を濁すことなく『呪われた』とはっきりと言った。
他の者は、口に出さない様にしているのに、公爵は研究対象に興味津々で、少年の様な目で俺を見てたのだ。
今もそうだ。俺が次に何を選ぶのか興味が付きならしい。
あの頃と同じように研究材料の俺を見つめている。
「実は、君の母国アルカイドから国に一度戻って来ないかという話がきてね。君の意見を聞きたいのだが」
「それは、一時帰国の様なものですか?」
「違うな。向こうが言うには、国王が気落ちしているので、王子の顔を見たら元気になるのではと言っているんだが…」
「気落ち?」
「ああ、先ほど王女が亡くなったらしい。それでなのではないかな」
そんな事在り得ないだろう。
あの人がフェリシアを気にかけるなんて…。
もうすぐ、16才になる俺の末の妹に父は温情などかけていなかったと思う。もし、肉親の情があるなら早々に妹の環境を改善しただろう。
不遇な妹を気にかけていたのは、ウィルウッドだけだ。
まあ、俺も父の事は言えない。妹が産まれても「そうなのか」という感覚でしかなかったし、近付くこともなかった。
正確には、近付かせないように周りが配慮したという方が正しいか。
「それで、留学という形で向こうに卒業までいてほしいと言ってきた」
「母を置いてですか」
「それは心配ない。君が向こうの国に行っている間は、こちらで彼女の世話はきちんとするよ」
「ありがとうございます。少し考えさせてください」
「君も混乱しているだろう。ゆっくりと考えるといい。後悔しないように」
穏やかな表情を浮かべている公爵を残して、俺は部屋を出て行った。
「留学か…」
てっきり戻ってこいと言われるのかと思っていたのに、拍子抜けだった。
それもそうか、もう何もかもあの頃とは違うのだ。
俺は、父にとって代わりの利く王子なのだ。
現に俺の名を継いだウィルウッドは精力的に王太子としての責務を果たしていると聞いている。なら、俺はそれを見せつけられる為に戻るのか?一体何がしたいんだ。もう俺の事など忘れて放っておいてくれ。ようやく母も落ち着いて来たのに…。
母エリノアは以前のように暴れたり、部屋の隅に縮こまって怯えていた頃とは違って、今は穏やかに普通の生活をしている。
最終手段で、忘却薬を飲まされた母は、俺の事が分からなくなった。
訪ねて行っても知り合いの少年だと思っている。
でも、帰り際には「ありがとう。またね」と言って微笑む姿を見る度に、俺は無性に泣きたくなった。
もう母の中に「レイノルド」という息子はいないのだと実感させられた。
そして、父や国にとっても「レイノルド」はウィルウッドのものになっている。
もう、どこにも「レイノルド」だった俺は存在しない。
俯いて、悔しさで拳を握りしめ、口を堅く結んだ。
泣くものか。そんな表情を見せたら負けだ。
だが、誰に負けると言うのだ。
誰も見ていないのに…。
いつから泣かなくなった。いつから感情を表に表せなくなった。
一体、それはいつからだ。
そうだ。あの日からだ。
あの日から俺は泣けなくなった。
母が狂い、俺が呪われたあの日から…。
不意に俺の髪を撫でる様に風が吹いてきた。
温かい…。
春の日差しが射しこむ窓辺に立つと、外から誰かの笑い声が聞こえてくる。
近くを通る子供の声…。
気付いたら、俺は帝都の噴水広場にまで足を運んでいたらしい。
一人の女の子が俺の前で躓いて転んだ。
起こしてやると、
「ありがとう。おにいちゃん」
「ああ…」
そう言って去って行った。
その少女の瞳は緑色だった。
ああ…そうだ。俺は会わなくてはならない人がいたんだ。
俺の所為で彼女がどうなったのか知りたい。
俺の中に小さな灯火が灯る。
今はどうしているのだろう。彼女は…。
俺は決心した。
彼女の現状を確認するために…。
ベアトリーチェ・チェスター公爵令嬢に会う為に。
俺はアルカイドに別名で戻る事にした。
その日、アルカイドからクレージュ公爵家に使者が訪れたのは。
「デミオンをアルカイドに?」
アルフレッド・クレージュ公爵は、何故今になってと疑問に思っていた。
使者が皇帝に内密に相談したらしい。秋の終わりごろから風邪を拗らせて、気弱になったのだろう。
今更ではあるが生きている内に、捨てた息子に会いたくなったのかもしれない。
が…それはそれである。
あちらの事情はどうであれ、デミオンの意志を尊重しなければならないと考えていた。
公爵の執務室に呼ばれた俺は、
「何かご用でしょうか?公爵閣下」
「まあ、座りなさい」
「はい」
公爵に勧められて、ソファに腰を下ろす。久しぶりに見る公爵は少し更けたように感じられたが、トパーズの瞳は昔と変わらない。
『君がアルカイドの呪われた王子かい?』
そう、声を掛けられた日の事を思い出していた。
公爵は茶を濁すことなく『呪われた』とはっきりと言った。
他の者は、口に出さない様にしているのに、公爵は研究対象に興味津々で、少年の様な目で俺を見てたのだ。
今もそうだ。俺が次に何を選ぶのか興味が付きならしい。
あの頃と同じように研究材料の俺を見つめている。
「実は、君の母国アルカイドから国に一度戻って来ないかという話がきてね。君の意見を聞きたいのだが」
「それは、一時帰国の様なものですか?」
「違うな。向こうが言うには、国王が気落ちしているので、王子の顔を見たら元気になるのではと言っているんだが…」
「気落ち?」
「ああ、先ほど王女が亡くなったらしい。それでなのではないかな」
そんな事在り得ないだろう。
あの人がフェリシアを気にかけるなんて…。
もうすぐ、16才になる俺の末の妹に父は温情などかけていなかったと思う。もし、肉親の情があるなら早々に妹の環境を改善しただろう。
不遇な妹を気にかけていたのは、ウィルウッドだけだ。
まあ、俺も父の事は言えない。妹が産まれても「そうなのか」という感覚でしかなかったし、近付くこともなかった。
正確には、近付かせないように周りが配慮したという方が正しいか。
「それで、留学という形で向こうに卒業までいてほしいと言ってきた」
「母を置いてですか」
「それは心配ない。君が向こうの国に行っている間は、こちらで彼女の世話はきちんとするよ」
「ありがとうございます。少し考えさせてください」
「君も混乱しているだろう。ゆっくりと考えるといい。後悔しないように」
穏やかな表情を浮かべている公爵を残して、俺は部屋を出て行った。
「留学か…」
てっきり戻ってこいと言われるのかと思っていたのに、拍子抜けだった。
それもそうか、もう何もかもあの頃とは違うのだ。
俺は、父にとって代わりの利く王子なのだ。
現に俺の名を継いだウィルウッドは精力的に王太子としての責務を果たしていると聞いている。なら、俺はそれを見せつけられる為に戻るのか?一体何がしたいんだ。もう俺の事など忘れて放っておいてくれ。ようやく母も落ち着いて来たのに…。
母エリノアは以前のように暴れたり、部屋の隅に縮こまって怯えていた頃とは違って、今は穏やかに普通の生活をしている。
最終手段で、忘却薬を飲まされた母は、俺の事が分からなくなった。
訪ねて行っても知り合いの少年だと思っている。
でも、帰り際には「ありがとう。またね」と言って微笑む姿を見る度に、俺は無性に泣きたくなった。
もう母の中に「レイノルド」という息子はいないのだと実感させられた。
そして、父や国にとっても「レイノルド」はウィルウッドのものになっている。
もう、どこにも「レイノルド」だった俺は存在しない。
俯いて、悔しさで拳を握りしめ、口を堅く結んだ。
泣くものか。そんな表情を見せたら負けだ。
だが、誰に負けると言うのだ。
誰も見ていないのに…。
いつから泣かなくなった。いつから感情を表に表せなくなった。
一体、それはいつからだ。
そうだ。あの日からだ。
あの日から俺は泣けなくなった。
母が狂い、俺が呪われたあの日から…。
不意に俺の髪を撫でる様に風が吹いてきた。
温かい…。
春の日差しが射しこむ窓辺に立つと、外から誰かの笑い声が聞こえてくる。
近くを通る子供の声…。
気付いたら、俺は帝都の噴水広場にまで足を運んでいたらしい。
一人の女の子が俺の前で躓いて転んだ。
起こしてやると、
「ありがとう。おにいちゃん」
「ああ…」
そう言って去って行った。
その少女の瞳は緑色だった。
ああ…そうだ。俺は会わなくてはならない人がいたんだ。
俺の所為で彼女がどうなったのか知りたい。
俺の中に小さな灯火が灯る。
今はどうしているのだろう。彼女は…。
俺は決心した。
彼女の現状を確認するために…。
ベアトリーチェ・チェスター公爵令嬢に会う為に。
俺はアルカイドに別名で戻る事にした。
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