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第一章

誓約魔法の落とし穴

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 ベアトリーチェが眠った後、リリエンヌは話があると、レオンハルトをリビングに呼び出した。

 「どうしたんだ。二人だけになりたかったのか?」

 入浴直後なのだろう、濡れた髪をタオルで拭きながら冗談めいた言葉を紡いだ。はだけたバスローブからちらりと見える身体は逞しく鍛えてあるのがわかる。

 目のやり場に困っているリリエンヌの顎に手をやり、自分の唇と重ねて食むる。口付けは段々深くなり、耳に届く水音は酷く艶めいて聞こえた。

 「ちょっと、待って…」

 リリエンヌは流されまいと力を込めてレオンハルトを押しやった。

 「待てない。11年も待ったんだ。もう十分だろう」

 その言葉にリリエンヌに異論はない。しかし、彼女にはどうしても確認しなければならない事があった。

 「は…少しでいいから話を聞いて」

 「今更だろう。俺達はもう一度結び直さないといけない。我慢の限界だ」

 「今はダメ…もう少し待って欲しいの」

 「どうしてだ。もうすぐ期限がくるのに…」

 「だからこそよ」

 「何が不安なんだ」

 「何もかもよ。わたし、考えたの。もしかしたらって、その結論が出たら納得がいったわ」

 「どういう意味だ」

 「わたし達がしている誓約魔法のことよ。ベアトリーチェから話を聞いて、その所為でわたしはレオンの後を追ったんじゃないかと」

 「誓約魔法のせい…」

 「そうよ。でないとおかしいの。辻褄が合わないわ。仮にあなたの死を知らされたとしても、わたしがあの子を残して死んでしまうなんて…。お腹の中で数か月も育てて、産んだ時も可愛くてすごくうれしかったのよ。なのに…そんな想いを捨てるなんて考えられない」

 「……」

 「貴方がわたしの立場なら、あの子を一人残して逝くことが出来るの?出来ないでしょう」

 美しい青い瞳に涙を溜めて、リリエンヌはレオンハルトを諭した。その姿を愛おしく思えるレオンハルトは、息を飲んだ。

 「確かにそうだ。君が言う様に我々が行った誓約魔法には欠陥があったのかもしれない」

 「後追いをする程、貴方を愛していたと言えば聞こえがいいけれど、わたし達の始まりはそんな単純な関係ではないわ。あの時、そうせざるを得ない状況だったでしょう」

 「そうだな。切羽詰まっていたからな」

 「なら、やはり誓約魔法の所為で、わたしの気持ちが引きずられたんじゃないかと思うのよ」

 「それも一理あるな。もう一度調べ直そう。だが、俺の気持ちは変わっていない。ずっと君を守り続けると言う誓いに嘘偽りはない。それだけはわかってくれ」

 「ええ信じているし、これからも頼りにしているわ。だからこそ、また同じ過ちを繰り返さない様に注意したいの」

 「君の希望は叶えよう。でも、もう本当に限界なんだ。君に触れる許可を与えてくれ。中では出さない。外に出すから、俺を受け入れて欲しい」

 「わかったわ」

 リリエンヌは、そのままレオンハルトに抱かれて、ベアトリーチェとは別の寝室で会えなかった時間を埋めるようにお互いを貪りあった。

 「レオ…もう……むりよ…」

 「……俺もだ…一緒にいこう」

 何度か睦みあったの末、二人とも力尽きる様に果てた。

 約束通りレオンハルトは、新しく『誓約魔法』の上書きをしなかった。

 『誓約魔法』とは、紙に署名して約束をするものと、体に刻印を施すものがある。

 レオンハルトとリリエンヌの『誓約魔法』はお互いの身体に印した刻印の方だった。

 男女が刻印を印す場所は、お互いの性器。

 そして、最大の条件はお互いが童貞処女であること。

 初めて行う行為で、魔法を使用するのにはかなりリスクも多い。

 リリエンヌは、隣で満足そうに微笑んでいるレオンハルトに見惚れながら、昔の事を思い出していた。

 リリエンヌの生家オーウェスト伯爵は、代々精霊師が誕生する。それには大きな秘密があり、オーウェストに生まれた女子のみが精霊師となる男子を産み落とす事が確実に出来るのだ。

 残念ながら母体となる女子は精霊師にはなれない。

 特に銀色の髪を持つ女子は必ず精霊師を産み落としてきた。その為、他家や諸外国にもその身を脅かされ、危険と隣り合わせで生きていかなくてはならない。

 リリエンヌもそうした運命の元に生まれ、多くの貴族にその身を望まれた。

 屋敷の外には出して貰えなかった幼い頃。

 学園にも通わせてくれないのはどうしてかと悩んだ頃もあった。

 しかし、14才でデビュタントし、その理由を知る事になる。両親や兄が何を危惧していたのか。

 夜会に出席する度に嫌な男性の視線を感じる。まるで値踏みをするような…全身を嘗め回す様な視線を──。

 18才の時にそれは起きた。

 異性の下心のある視線や態度が嫌で、暫く王都から離れて領地で過ごしていたが、どうしても出席しなければならない王家主催の夜会の為に戻って来た。

 当時は、まだ国も帝国ではなく王国だった。

 王太子の誕生日を祝う夜会でには、多くの未婚の令嬢が集められていた。誰が見ても王太子の結婚相手を見つける為の夜会だとわかるもの。

 その夜会に出席していたリリエンヌは、知り合いの令嬢から媚薬入りの飲み物を渡されたのだ。

 王城の回廊をフラフラと千鳥足で歩く様は、酔い覚ましにでも行く酔っ払いのそれと変わりない。

 すれ違う騎士達もあまり気にして、リリエンヌを気遣う様子はなく。連れの令嬢に支えられながら客室に向かった。

 しかし、そこには数人の男達がリリエンヌの身を穢そうと待っていた。

 意識も定かでないリリエンヌは、己の不注意を嘆いていた。あれほど両親や兄にも家族以外の者から渡された物は口に入れない様にと忠告を受けていたにも拘らず、幼稚な手口に引っ掛かるほど、自分は無知なのだと思い知らされた。

 火照った体から奇妙な疼きが生まれ、何度もどうにかしてほしいという懇願が生まれる。しかし、それを口にすれば自分がどうされるのかは理解できる程度の理性は残っていた。

 なんとか抵抗を試みたが、多勢に無勢のこの状態を打開できる程の策は見当たらない。半ば諦め、自死する決意をして歯で舌をかもうとした瞬間、窓から大きな獣のような物が飛び込んだ。

 それは人の姿を取って、仄暗い灯りの下で今何が行われようとしているのか瞬時に理解したのだろう。

 リリエンヌに圧し掛かっていた男達を窓から放り投げ、リリエンヌを抱き上げて別の部屋に移動した。

 そこは王族専用に用意された貴賓室。

 リリエンヌを助けたのが誰かは、容易に想像できた。

 兄エドモンドの友人で、王弟殿下の一人息子であり、稀代の精霊師であるレオンハルト・フェリクスだということを。

 「リリー辛いか?君の辛さを和らげたい。嫌なら断ってくれ。だが、これから先の君の未来を俺に守らせてほしい」

 寝台に横たわるリリエンヌの髪に口付けを落としながら、そう告げた。

 リリエンヌの腹を手で触り、切なそうにリリエンヌに強請る。

 「ここに刻印を印したい。俺のものだという証を…」

 僅かに残る理性は躊躇っていたが、いつかこの日を迎えなくてはならないのなら、彼がいいとこの時リリエンヌはそう思ったのだ。

 特別レオンハルトを愛していた訳ではなかった。でも、誰かの元に嫁ぐというなら、気心の知れた相手の方が都合が良かった。

 リリエンヌは長きに渡って、異性の欲望や同性の嫉妬のせいで、気鬱になっていた。逃げる様に領地に静養に出かけた。

 またレオンハルトも幼少期から女性に性の対象に見られる事が多く、とてもまともな結婚など夢にも思っていなかった。

 ただ一人、友人のリリエンヌだけが自分を普通の人間として扱ってくれたのだ。

 その相手にレオンハルトは童貞を奉げ、彼女の処女を奪おうとしている罪悪感は多少なりともあった。

 それよりも今を置いて、リリエンヌを手に入れる手段がないことも分かっている。

 リリエンヌは、レオンハルトを初めての相手に選んだ。

 誰かに言われたのではなく、自分の意志でレオンハルトと夫婦の契りを結ぶことを望んだのだ。

 レオンハルトとリリエンヌは互いの身体に『誓約魔法』の刻印を刻み付けた。

 後悔などはしていない。

 経緯がどうであれ、その一夜限りの行為でベアトリーチェを身籠る事が出来たのだから…。

 もし、あのまま他の誰かに穢されていたなら、ベアトリーチェは生まれなかった。そして、自分も生きていないだろうと考えていた。

 『誓約魔法』は一度刻むと薄くなるまでは、別の人間を受け入れないが、消えてしまう事もある。永遠の物ではない。

 何度も上書きするからこそ価値があるのだと、古文書に書かれていた。それは夫婦や恋人同士が行う神聖な儀式の様なもの。決して、欲だけの物ではないのだ。

 最初の『契約魔法』は仕組まれた物から逃れる為に、次はきっと自分の意志で刻印を刻まれたい。

 リリエンヌはいつか、もう一度レオンハルトに刻印を望むだろう。

 それは遠くない未来の話だと考えている。

 ただ、今はまだこの気持ちが何かを知りたかった。

 外の世界を知らないリリエンヌは、『愛』が良く理解できていないのだ。

 だから、ベアトリーチェの話から『嫉妬』するという言葉がどういった気持ちなのか理解できない。

 それが解れば、もっと人間らしくなれるのだろう。

 そんなことを考えてリリエンヌは瞼を閉じた。

 「おやすみ、リリー」

 レオンハルトはリリエンヌの額に口付けを落とす。

 「誓約魔法の落とし穴か…」

 リリエンヌの寝顔を見ながら呟いた。
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