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プロローグ

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 その日の王都は蒸し暑かった。

 何だか無性に咽喉が渇いて一人の男が街の食堂に寄った。

 彼には、今名前がない。

 いや正確にはあったのだが、事情があって本名を名乗れないのだ。

 何気なく、街食堂の客の話しに耳を傾けていると、

 「なあ、今日なんだろう。あの本が売り出されるのは…」

 「ああ、実は俺、今日買ったんだ」

 「嘘だろう。だったら、俺にも読ませてくれよ」

 「まあ、待てよ俺が読んだら貸してやるよ」

 「絶対だぞ」

 男達は、今日発売された本の話をしていた。

 「すみません。今日発売の本ってなんですか?」

 名無しの男は店の従業員に話しかけた。

 「ああ、例の悪女『イエニー・フラウの手記』が今日発売になったんですよ」

 「……そう…ですか」

 「おや、お客さんどうしたんです。なんだか顔色が悪いですが…」

 「なんでもないです」

 名無しの男は咽喉を潤すと、食堂を出て行った。

 男の向かう先は書店だった。

 何十冊も並べていた本は、殆どその日に完売状態となっていた。最後の一冊を名無しの男が手にしたのだ。

 名無しの男は、自分の塒にしている廃墟に持って帰った。

 その廃墟は、元々名のある侯爵家の屋敷だった。

 今は誰も住んでいない。

 男は、定職に就くことせず、その日暮らしの生活を送っていた。

 何故なら、男は死んでいるからだ。正確にいえば、死んだことになっている。

 だから、本名は名乗れない。

 男は、パンとスープを口にした後、蝋燭の僅かな灯りで本を読み始めた。

 どのくらい夢中になっていたか分からないが、気が付けば朝になっていた。

 手に滴が落ちていた。自分が泣いている事を知った男は一人呟く。

 「すまない…イエニー…俺は愚か者だ。君を苦しめたのは他でもない俺だったのに、それなのに俺は生きている。何故君が死ななければならなかったんだ」

 ぽたぽたと頬を伝って、後悔の涙が溢れだして止まらなかった。

 この男の名は、ブライアン・マシュー。

 この廃墟となった侯爵家の主だった者だ。

 そして、悪女イエニー・フラウは彼の妻だった。

 裁判にかけられるとき、旧姓に戻したのだ。

 フラウ家は名家だったが、彼女が嫁いだ後、没落したのだ。

 ──イエニー・フラウの手記

 その本には、イエニーの想いの全てが綴られていた。
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