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2章 傭兵騒動編

6-7 全ての障害を度外視して、眼前の敵を討ち滅ぼせ

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 逃げるフリッサと、護衛の奇妙な<ナイト>を全力で追いかけながら――

(――詰んだな)

 頭に上っていた血も引いて、ムジカは冷静に状況を俯瞰した。これは諦観とは違う――胸の内にあるのは打ちのめされたのような無力感、それだった。
 追いつけない。全力の突撃機動でも、開いた距離を詰め切れない。厄介なのは護衛の<ナイト>だ。こちらが敵の有効射程圏に入ったその瞬間に、進路を阻む牽制射を振り向きもせずに撃ってくる。
 脅威なのはその正確さだ。減速するか、軌道を変えるか。背中に目がついているわけでもないだろうに、避けなければ直撃する位置に魔弾を置いてくる。一瞬でも時間を無駄にできないのに、的確に接近を阻害され続けた。

(あいつ……管理者の血統か?)

 相手の正体に疑念を抱く。この敵の感覚をムジカは知っていた。
 ラウルと同質の、異様なレベルの先読みの強さ。見もせずに的確にこちらの動きを咎めるなど普通ならあり得ない……が、一方で疑問も沸く。

(本当に敵が管理者の血統なら――この空の支配者の系譜が、どうして傭兵なんかやってるんだ?)

 そしてこの空の支配者が、どうしてこんな空賊じみた真似に加担するのか――
 わからない。そんなことなどわかるはずもないが。 
 敵に誘導されるように、南へ飛び続けて。不意にムジカはフリッサを追いかけるのをやめた。
 諦めたわけではない――そこが終点だったというだけだ。
 前方に見覚えのあるフライトシップ。ドヴェルグ傭兵団のものだ。それにフリッサたちが着艦するのを尻目に、ムジカは周囲を探った。

 彼らと入れ替わるように、前方から二機の<ナイト>が出てくるが……それだけではない。
 背後を見やれば、セイリオスから離脱してきたフライトシップが二機。それぞれから、出撃した<ナイト>の数は合計で十。
 全部で十二機の<ナイト>。ムジカを囲むように展開する敵を、彼は無感動に見ていた。
 敵は一定の距離を取って、ガン・ロッドなりスパイカーなり各々の得物を身構える。まだ撃ってこないのは、何か理由があるのか、ないのか。命令がまだないだけだというのなら、随分と行儀のいいことだが。
 ムジカを確実に殺す布陣を敷きながら、攻撃してこない敵を生温い目で見ていた。

(勝てねえよ)

 ひどく冷めた気持ちで、ムジカはそれを認めた。
 と。

『――よお、少年。元気にしてるかな?』

 上位者による強制通信。レティシアからだが、聞こえてきた声はフリッサのものだ。
 次いで眼前のモニターに灯る光。開いたウインドウに見えたのは、おそらくは格納庫だろう背景と、敵だった。

『素直に追いかけてきてくれて助かったよ。普通に考えりゃ、バカでもこの後の展開は読めそうなもんだがね……そこまで必死になってくれるとは、準備した甲斐があったってもんだ。大事だったのはどっちかな?』
「御託はいい。二人をどうするつもりだ」

 フリッサ。にやにやと嬲るように笑う敵を前に、平坦な声音で訊く。
 それを強がりと見たかどうか。おどけるようにフリッサは笑った。

『別に、どうも? スバルトアルヴで歓待するだけさ。名目は……まあ、留学ってところか? 流石に浮島の管理者を“誘拐”なんて、大っぴらには言えねえからな』
「…………」
『ま、そこで何が起こるかは、俺も知ったこっちゃないがね?』

 暗にもあると仄めかしてくる。だがそれもあり得ることだろうと、冷めた部分でムジカは認めた。
 この空で、最も貴きノーブルの血筋だ。それはこの空で最も強大な魔力の持ち主ということでもある。そして魔力の才能は子供に受け継がれることが多い。だからこそ、ノーブルは血縁に家督を相続してきた。
 そして今、自由にできる管理者の血統が手に入る。ならば何をするかは考えるまでもない。単純な理屈だった。
 そしてそれを、ムジカが許せないと考えるだろうことも。フリッサはわかっていて、嘲るように先を続ける。

『まあ? それも今ここで死ぬお前にゃ関係ねえ話さ――だからこそ、解せねえんだがね?』
「…………」
『どうして追ってきた? そんなに大事だってんなら、俺たちは最大限盾として使うぜ。追ってきたってどうにもならねえってわかるだろ? 手出しのできないお前が追ってきたって何の意味もねえ――お前は今日、追ってきちまったからここで死ぬ。それがわからねえほどアホだとも思えないんだが……どうして追ってきた?』

 理屈ではフリッサの言う通りだ。追ってもムジカには何もできない。追いかける前からわかり切っていたことだ。この勝負はハナから詰んでいたと。
 仮に途中でフリッサに追いつけていたとして、何が変わった? リムが人質に取られている。抵抗はできない。彼女を盾にされたらすべて終わりだ。
 そんなことはわかっていた。
 だからこそ、追いかけたのは理屈ではなかった。
 それがわからないのか、あるいはわかって嬲りたいだけか。にやけ面のフリッサを睨みながら、だがそれがどちらでもどうでもいい。ムジカは無言を返答とした。

『答えねえか。表情一つ変えりゃしねえのな……最期までいけすかねえ奴だよ、お前は』

 そして、ならもう用はないとでも言うように。総勢十二機の<ナイト>が改めて身構える。上下左右前後全方位。隙なくムジカを狙う。後は号令でも待っているのか。
 だが死を目前にして、ムジカはどこまでも冷静だった。それを恐れようという想いすら湧かない。
 静かに敵を見据えて待つ間、胸の内にあったのは後悔だけだ。
 自嘲して、目を閉じた。

(何もしてやれないまま……助けてもやれないまま、ここで終わりか。最悪の役立たずだな、俺は)

 救うべき少女を目の前にして、何もできずにここで死ぬ。最低の末路だ。
 少女は敵にさらわれて、もう二度と日の目を見ることもないのかもしれない。フリッサの言う通りの結末なら、彼女に待つのは悪夢だろう――それも、故郷グレンデルに続いて、か。
 あるいはこちらのほうがより悪いかもしれない。あの故郷なら、彼女はまだ管理者の娘だった。今回はもはやその肩書もない。ただの傭兵の娘として使われるのならば、見るのは悪夢ではなく地獄だ。
 それがわかっていても、ムジカにはもう何もできない……
 と。

『――あーあー、テステス。少し、待ってもらっていいです?』

 目を閉じた暗闇に、ノイズが混じった。
 女の声。目を見開けば、まだ切断されていなかった通信映像が揺れていた。
 新たに映り込んだのは……レティシアだ。
 ただし、彼女はこちらを見ていない。視線を映像の外に向けて、いつもの――状況を思えば異常に見える――微笑みと共に言う。

『これで最後だと言うのなら、せめてお別れの言葉を言わせていただいても?』

 それがあまりにもいつも通りの声音だったから、空気が壊れた。
 流石のフリッサも呆れたらしい。映像には映らなかったが、声だけは聞こえてくる。

『……あんた、本気でそれ言ってんのか? というか、状況わかってるか? 空気読めてるかあんた?』
『ええ、もちろん。大切でしょう? お別れの言葉。これが最後ならなおさらに。ほら、彼は私の部下ですし?』
『……もし断ったら?』
『さあ。後でひどいことになるんじゃないですか?』
『…………』

 言葉はない。代わりに聞こえたのはため息と、衣擦れの音だ。肩をすくめたか、何かしたのか。
 胸の内に生じたのは、奇妙な同情と困惑だ。いきなり別れの言葉を言わせろなどと言われて、フリッサも困ったことだろう。このお姫様は何を言いだすんだと、その怪訝はムジカも感じた。
 あまりにも急すぎるし……別れの言葉? このお姫様はまさか、それをその笑顔で言うつもりなのか?

 真実、彼女が本当にそれを言うつもりなのかどうかもわからなかったが。
 なんにしても、フリッサは、それを許したらしい。
 画面外へにこやかに笑みを向けて、レティシアが口にしたのはこれだった。

『あらあら。ありがとうございます、フリッサさん。では……?』

 そして映像が切り替わった。
 人質としての姿を明確にするためか。ジョドスンを背後に立たせて、リムが映る。
 小さいな、と改めてムジカはそんなことを思った。まだ十二歳。それを思えば、小さいのも当たり前か。
 だがいつも以上に彼女を小さく感じさせたのは、彼女が辞儀するようにうつむいていたからだ。

 随分と残酷なことをする、と今更になって思った。レティシアに対してだ――これから死に別れる相手と、顔を合わせろと言うのだから。
 ムジカから彼女に、かけられる言葉は何もなかった。守ってやるべき少女に、何もしてやれなかったのだから。感じていたのは後悔と、そして羞恥心だった。とんだ恥さらしめと、自嘲してやりたかった。
 それをしなかったのは、そんな無駄なことをして、彼女の言葉を聞き逃したくなかったからだ。
 やがて……震える唇から零れ落ちるように。彼女の言葉が、囁かれた。
 そしてムジカは目を見開いた。

『――……
「――――――」

 
 あの、色褪せた館の中で。誰からも見捨てられた幼い少女の前に跪き、命令を求めたある日の記憶が甦る。
 祈るように願った彼女の、痛々しさが現在に重なる。
 全てを失った少女が、唯一残された彼にすがる。涙を流し、声は枯れ、跪く彼に願いを――
 いや、違う。

『願うことが、まだ叶うのならば……

 言葉と共に顔を上げた、彼女の瞳に魅入られた。
 そこに、あの日の少女の弱さはない。黒く澄んだ瞳が、ただ真っすぐにムジカを捉えた。その――強さに。心臓を鷲掴みにされたような痛みに震える。
 そうして告げられた彼女の命令願いに、血の気が引いた。

『――
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