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2章 傭兵騒動編
6-3 そしてキミが、クリムヒルト・グレンデルか
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「どうして、セイリオスの中に空賊が……!」
それは本来なら、あり得てはならないことだった。
学園にほど近い、第一演習場スタジアム前。そこはセイリオスという浮島のほぼ中央ということでもある。そんな場所にまで空賊が進出しているなど、普通ならあり得ないことだった。
周囲を見やれば、多少人気や人目もあるが。演習場が近いせいもあってか周囲の誰もがこの状況を異常事態だと気づいていない。せいぜいトレーラーを使うのを面倒くさがった誰かが、ノブリスでスタジアムまで駆けつけた――その程度にしか思っていないようだった。
あるいは一緒にいるレティシアが平然とニコニコしているから、異常事態ではないと思ってしまったのかもしれないが――……
とにもかくにも、リムの呆然とした呟きを拾ったのは、その異常事態そのものと言える<ヴァイカウント>級ノブリスの搭乗者だった。
「おいおい、スパイカーを装備してるってだけで空賊扱いはよくないなあ? これで便利な武器なんだぜ? 対ノーブルなら、これが一番手っ取り早いしな」
平然と、そして抜け抜けと言ってくる。
だがスパイカーは真っ当な人間が使う武器では決してない。その使用用途は対ノブリス戦――それも、短射程の魔弾でバイタルガードごとノーブルを殺し、ノブリス本体を鹵獲するための殺人兵器だ。
それはノーブルのための武器ではない。空賊が生み出した、人殺しためだけの武器だ。
表情険しく睨むが、その<ヴァイカウント>はこちらの視線を気にした様子もない。表情は見えないが軽薄そうな調子で、彼はリムの隣のレティシアに声をかけた。
「ところで、お嬢さんよ。俺はてっきり、アンタ一人で来るもんだと思ってたんだが……どこの誰だい、この子。関係ない子を巻き込むのは、流石の俺でも気が引けるんだがね」
「旅の道連れ、とでも言ったところでしょうか。おそらく丁重に扱っていただけるでしょうが、一人見知らぬ土地に連れてかれるくらいなら、せめて同じ立場のお供が欲しいなと思いまして」
「……同じ立場、ねえ?」
訝しむように<ヴァイカウント>が呟くが、すぐに肩をすくめた。
「まあ、別にどうでもいいか。ただまあ拍子抜けだな。そっちの子はビビってくれてるから、溜飲も少しは下がろうってもんだが。あんたがそんなに平然としてるんじゃあ面白くないな……状況がわかってねえわけじゃねえよな?」
「抵抗しないほうが被害は少ない、というところはわかっていますよ? それに……今の私にできることって、ほとんどありませんし」
「え?」
そんなはずはないだろうと、愕然とリムはレティシアを見やった。
浮島の管理者として、彼女にできることはあるはずだ。だというのに現在、浮島は平常運航。緊急事態を告げるエマージェンシーコールの発報すらない。空賊に敵襲されたのなら、警護隊を始めとしたノブリスの出撃命令だって出せるはずだ。
愕然とするリムに気づいて、レティシアがこちらを見やる。だが彼女は焦燥感の欠片もなく、柳眉をハの字に下ろすと困ったようにこう言った。
「実は今、セイリオスの中枢管理システムが機能してなくてですね」
「……えっ?」
「正確には機能自体はしてるんですが、私が何かやろうとすると、逐一妨害されてるみたいで」
「妨害?」
いきなり何を言いだすのかと見つめた先で、レティシアは静かに頷いて見せる。
「ええ。私からの新規命令がほとんど受け付けない……というか、即座に相殺命令が発信されるせいで、私には何もできない状態です。加えて一部システムも権限が奪われたようで……ノブリスの起動プロテクト、リムさんはご存じですか?」
「ええ……盗難防止のためとか、外部からの渡航者のノブリスにかけるプロテクトですよね? それが……?」
「起動してます」
「え?」
「全員というわけでもないので、防空体制が死滅したわけではないのですが。ナンバーズを始めとした爵位持ちノブリスの大多数が、機動不能にさせられました」
困ったものですね、と。
事態に対して明らかに軽すぎるため息をついた後で、レティシアはその<ヴァイカウント>を見やって、呟いた。
「何をしたのかは想像がついていますけれど。あなたたちの仕業でしょう?」
と――
それに答えたのは、目の前にいる<ヴァイカウント>級の搭乗者ではなかった。
「――浮島の中枢管理システムには欠陥がある」
声のほうを見上げれば、もう一機のノブリス――標準的な<ナイト>がこちらを見下ろしながら、ゆっくりと降りてくる。
「通常、管理者と呼ばれる存在は浮島に一人しか存在しない。だが浮島の全てを管理・掌握する中枢システムは、何らかの理由でその島の管理者の血族が途絶えた場合に備え、他の浮島の管理者を許容するようにできている――そして管理者が同時に二人存在してしまった場合、システムは論理矛盾を起こす。場合によっては浮島の機能そのものが停止するほどの、重大な欠陥だ……いつ聞いてもバカげた仕様だな、これは」
おそらくは、緊急時のための処置なのだろうがね、などと。
着地し<ナイト>から降りてきたそのひげ面の男は、滔々と語る。
「本来なら、浮島が管理者を失うということはあり得ない。もしあり得るとするのなら、それは心なき者によって浮島が乗っ取られた場合だ。この仕様はそうした場合のカウンターとして、全ての浮島に搭載されたと見られている。いわば“裏口”だ……が、浮島を作った古代魔術師たちは、緊急事態は想定しても、管理者同士が争うことは考えもしなかったらしい」
と、呆れたようなぼやきをレティシアが拾った。
「浮島って、管理者同士が争うことを想定した作りにはなってないんですからねえ……この仕様、私も管理者になったばかりの時に気づいて愕然としましたけれど」
「私も同じ思いをしたよ。子孫としては恥じ入るばかりだが、古代魔術師たちは底抜けのマヌケの集まりだな。最終的には人間の善性に依存した仕組みなど……人間の悪性の前には何の意味もない」
「状況を思えば、仕方のないところもあるでしょう。人類はもはや地上に居場所などなく、空に逃げるしかありませんでしたし。そんな状況で、まさか指導者たる立場の人間が喧嘩するなんて、思いもしなかったでしょうから」
「同じ人間なんだから、手を取り合って仲良しこよしでやっていけるとでも? その軽視の結果がこのザマというわけだ。古代魔術師も所詮は人間だな……そこまで遠い未来は見えなかったか。自分たちの子孫は、善良であるだろうと信じすぎたな」
シニカルにその男はそう吐き捨てたが。
やはりレティシアは動じない。見つめてくるその男を超然と見返し、状況を思えばいっそ悠長とすら思える微笑みでもって挨拶した。
「お久しぶりですね、ジョドスンさん。口調が随分とお変わりになられたようですけれど。それとも、ガラルドさんとお呼びしたほうが?」
「ガラルドの名は捨てた。ジョドスンのほうが今は納まりがいい――し、口調のほうは捨ておいてもらいたいな。キミに何もさせないためとはいえ、非正規ユーザーが管理者として干渉し続ける作業というのは、ひどい苦痛なのだよ……だが、やはり私が誰かは気づいていたか」
「ええ。六年前の全島連盟会議で、お顔は拝見させていただきましたので」
「たった一度で顔を覚えたか……だが、私を“私”と知ってを無視し続けたのなら、キミはどうかしているな。私を受け入れた時点で、この未来が予測できなかったともと思えんが」
と。
不意に通信のコール音。音源はレティシアの腕の端末だ。状況を思えばこんな時に通信に応えることもないだろうと思ったのだが。
「はい。こちらレティシア。どうされましたか?」
レティシアは特に何も気にせず、コールに応えた。
そして通話先から聞こえてきたのは、悲鳴だった。
『こ、こちら警護隊第七班、北方警備担当――て、敵襲です!! 相手は、空賊――……』
その悲鳴の途中で、ぶつん、と。
その音は、リムにも届いた。レティシアの通信が強制切断された音だ。レティシアは自身の端末をつまらなそうに見つめてから――ジョドスンと呼ばれた男を見やる。
彼は笑ってはいなかったが、勝ち誇るように言ってきた。
「つまり管理者を敵対する浮島に送り込むと、こういうことができるようになるわけだ……浮島の管理者の手足をもぐようなことがね。これ以降、私はキミに何もさせない。キミは私たちの要求を呑む以外にない。だから――無茶をさせないでほしいな」
「空賊の敵襲は、あなた方の手配、ですか。ちなみにどれほどの数を送り込んだのです?」
「北、南東、西の三方から。各方面、だいたい五から八機の<ナイト>が出ているはずだ。もちろん、ここは学園都市だ――うっかり君たちを殺してしまうと、どこから恨みを買うかもわからん。だから極力、そういうことは控えるようには言っているがね……メタル襲撃によってキミたちが疲弊しているのは知っている。どこまで対応できるかな?」
「…………」
最後の言葉にだけ、レティシアは答えなかった。ただ笑顔を返答とするだけだ。
彼らが何を話しているのか――それがリムには、まだ飲み込めないが。
少なくともわかったのは、今セイリオスが敵の襲撃によって危機的状況にあること、彼女らがどうやら知り合いらしいこと――そしてその男がどこぞの島の管理者か、その関係者らしいということだけだ。空賊らしき男の傍にいるのだから、敵なのは間違いないが。
(なんなの、この人たち……)
ひりひりと、肌が泡立つ嫌な感覚にリムは震えた。
敵、なのは間違いない。空賊なのも。彼らは敵意を隠そうともしない。
だが浮島そのものを敵とした空賊など空歴史上多くない。そんな大それたことを平然とやる相手に、リムは戦慄のようなものを感じた。彼らが何者かなんてリムにはどうでもいいが、自分がなにかとんでもないことに巻き込まれたことだけは自覚させられざるを得なかった。
だから、逃げ出さなければならない。隙を探して。この状況が何なのかも理解はできないが、自分一人では何もできないし、ここには味方もいない――
と、男が不意にこちらを見た。逃げ出そうとしたのを咎められたかのようなタイミングに、心臓が跳ねるが。
冷たく細められた瞳が、わずかに揺れるのをリムは見た――……
「……キミがクリムヒルト・グレンデルか」
(……? この人、私を知ってる?)
「キミがここにいるということは、奴の“眼”も衰えたか……」
独り言だったらしい。彼はリムの反応など何も期待していなかった。リムも反応らしい反応は返せなかったが。
その代わりというわけでもないだろうが、その呟きを<ヴァイカウント>が拾った。
「所属冠詞なしってことはノーブルか。だがグレンデルといやあ……」
「そうだ。彼女もまた管理者の血族だよ――まだ“眼”も持たない、ただの子供にすぎんがね」
と、そこで男は非難するようにレティシアを見た。
「どうして、本当に彼女を連れてきたしまったのだ? 何も見えぬ……まだ何も知らない子供だろうに」
「いいええ、まあ……已むに已まれぬ事情がありまして。聞いてくださいます?」
「聞かんよ。わかっているとは思うが、キミに打てる手はない。弱者の愚痴になど付き合わん」
「あらまあ、尊大ですこと。でも仕方ないではありませんか。こうしないと、よりたくさんの方が亡くなってしまうようですし――……いざとなったら人殺しを躊躇わないでしょう? あなた方は」
「そうだな。我々には、覚悟がある」
覚悟――
どうしてだか、その一言だけが異様に耳障りに響いた。心底から、吐き気を催すほどの嫌悪を感じる。それがどうしてかはわからなかったが――
と。
「――ま、その辺の与太話はまた後でやってもらうとしてだ」
不意に囁いたのは、<ヴァイカウント>の男だ。
バイザーの下に隠れた目が、リムを見た。
「ホントに二人も連れてく気か? いらない荷物は持ちたくないし、一人で十分だと思うんだが」
「私の見た道筋には必要だ。後で解放するにしても、使い道がある。ラウル・グレンデルの娘なら、ムジカ・リマーセナリーの人質として――」
「――――」
その言葉を聞いた瞬間に。
リムは何も考えずに飛び出した。全てに背を向けてスタジアムへ走る。レティシアが何のためにリムを呼んだのかはわからなかったが、この敵が何にリムを使おうとしているのかはわかってしまった。
この敵はセイリオスやリムの敵ではない。何があったのか、どうしてそうなったのかもわからない。
だがこの敵は、ムジカの敵だった。
だからこそ、捕まるわけにはいかない――その決意は、だが即座の衝撃によって粉々になった。
捕まった。ノブリスから生身の人間が逃げられるはずがない。胴体をガントレットで鷲掴みにされて、掌の中でリムはもがいた。
「離して! 離せ――」
「おいおい、暴れんなよ……うっかり潰しちまっても、文句は言えねえぞ?」
「う、ぁっ……っ!」
ガントレットがリムを締め付ける。痛みと苦しさに息がひきつった。もがく腕が圧迫に痺れる。体が軋む痛みに固まった。
目じりに涙が溜まったが、それは痛みのせいではなかった。体の痛みなどどうでもいい。痛みをこらえて、それでもリムはもがこうと――
した目の前に、女が歩み寄ってくる。あまりにも軽い足取りで、この事態ですら予定調和とでも言うように。
「生徒、会長……っ!!」
レティシア・セイリオス――自分の上司。
まなじりを決して、リムはその女を睨む。だがそれで何かが変わることもない。
真っすぐに視線を合わせて。レティシアが言ってきたのは、これだった。
「ごめんなさいね、リムさん。あなたにお願いしたかった仕事とはつまり、こういうことです……これが最善の選択肢だったんです」
「……――っ!!」
恨んでくれて、構いませんよと。
したり顔で開き直った女に、衝動を叫んだ。
そしてそれが何か意味のある効果を生むこともなかった。
(イヤだ……イヤだ、イヤだ、イヤだ……!!)
悔しさにもがいても、現実は何も変わらない。鷲掴みにされた体はガントレットをピクリとも動かすことさえできない。
目の前の男が言った。リムはムジカの人質だと。
この男たちがどうしてムジカと敵対しているのかは知らないが、わかってしまった。
もしリムが人質となってしまったなら、ムジカはきっと抵抗しない。これまでの関係が、彼をそういう風にしてしまった。
思い出すのは昨日の彼だ。後悔を呟いた。どうでもいいこと、くだらないことでリムに負い目を感じていた。彼の悪夢の一端は自分だ。それをリムは知っていた。
だからこそせめて、彼の足手まといにはなりたくなかったのに。
もがこうとしても、ノブリスの手からは逃れられない。締め付けられる痛みに何もできない。目から零れ落ちたのは、何の価値もない涙だった。
「ひとまず、セイリオスとしては降伏しましょう。なので、警護隊の皆さんは殺さないでくださいませね? アリバイ作りもあるでしょうから、継戦はご自由にされるといいでしょうけれど。あと、エマージェンシーコールくらいは発報させていただきます」
「そいつはまあ、ご勝手に……とはいえ、暢気なもんだな。アンタも人質には変わりないんだぜ?」
「まあ、そこは仕方がありません。私の身元はご自由に……ただ、今回は結構先まで見通せてしまいましたから。どう着地するかまでわかってしまうと、驚きようもないのですよ」
レティシアたちが何かを話しているが、もうその意味さえ分からない。
「ジョドスン。アホどもに命令だ。ガキどもを殺さないよう厳命。あと何機かこっちに回せ。俺が逃げるまでの護衛をやらせる……あと、あいつも準備できてるな?」
「いつでも、若。後は手はず通りに」
「オーライ。なら……おいたの過ぎたクソガキにゃ、そろそろお灸をすえてやるか」
遠く響いたサイレンの音と――次いで放たれた<ヴァイカウント>の男の声を、リムは怒りと絶望の中で聞いていた。
「――さあて。“マヌケ狩り”としゃれこもうか」
それは本来なら、あり得てはならないことだった。
学園にほど近い、第一演習場スタジアム前。そこはセイリオスという浮島のほぼ中央ということでもある。そんな場所にまで空賊が進出しているなど、普通ならあり得ないことだった。
周囲を見やれば、多少人気や人目もあるが。演習場が近いせいもあってか周囲の誰もがこの状況を異常事態だと気づいていない。せいぜいトレーラーを使うのを面倒くさがった誰かが、ノブリスでスタジアムまで駆けつけた――その程度にしか思っていないようだった。
あるいは一緒にいるレティシアが平然とニコニコしているから、異常事態ではないと思ってしまったのかもしれないが――……
とにもかくにも、リムの呆然とした呟きを拾ったのは、その異常事態そのものと言える<ヴァイカウント>級ノブリスの搭乗者だった。
「おいおい、スパイカーを装備してるってだけで空賊扱いはよくないなあ? これで便利な武器なんだぜ? 対ノーブルなら、これが一番手っ取り早いしな」
平然と、そして抜け抜けと言ってくる。
だがスパイカーは真っ当な人間が使う武器では決してない。その使用用途は対ノブリス戦――それも、短射程の魔弾でバイタルガードごとノーブルを殺し、ノブリス本体を鹵獲するための殺人兵器だ。
それはノーブルのための武器ではない。空賊が生み出した、人殺しためだけの武器だ。
表情険しく睨むが、その<ヴァイカウント>はこちらの視線を気にした様子もない。表情は見えないが軽薄そうな調子で、彼はリムの隣のレティシアに声をかけた。
「ところで、お嬢さんよ。俺はてっきり、アンタ一人で来るもんだと思ってたんだが……どこの誰だい、この子。関係ない子を巻き込むのは、流石の俺でも気が引けるんだがね」
「旅の道連れ、とでも言ったところでしょうか。おそらく丁重に扱っていただけるでしょうが、一人見知らぬ土地に連れてかれるくらいなら、せめて同じ立場のお供が欲しいなと思いまして」
「……同じ立場、ねえ?」
訝しむように<ヴァイカウント>が呟くが、すぐに肩をすくめた。
「まあ、別にどうでもいいか。ただまあ拍子抜けだな。そっちの子はビビってくれてるから、溜飲も少しは下がろうってもんだが。あんたがそんなに平然としてるんじゃあ面白くないな……状況がわかってねえわけじゃねえよな?」
「抵抗しないほうが被害は少ない、というところはわかっていますよ? それに……今の私にできることって、ほとんどありませんし」
「え?」
そんなはずはないだろうと、愕然とリムはレティシアを見やった。
浮島の管理者として、彼女にできることはあるはずだ。だというのに現在、浮島は平常運航。緊急事態を告げるエマージェンシーコールの発報すらない。空賊に敵襲されたのなら、警護隊を始めとしたノブリスの出撃命令だって出せるはずだ。
愕然とするリムに気づいて、レティシアがこちらを見やる。だが彼女は焦燥感の欠片もなく、柳眉をハの字に下ろすと困ったようにこう言った。
「実は今、セイリオスの中枢管理システムが機能してなくてですね」
「……えっ?」
「正確には機能自体はしてるんですが、私が何かやろうとすると、逐一妨害されてるみたいで」
「妨害?」
いきなり何を言いだすのかと見つめた先で、レティシアは静かに頷いて見せる。
「ええ。私からの新規命令がほとんど受け付けない……というか、即座に相殺命令が発信されるせいで、私には何もできない状態です。加えて一部システムも権限が奪われたようで……ノブリスの起動プロテクト、リムさんはご存じですか?」
「ええ……盗難防止のためとか、外部からの渡航者のノブリスにかけるプロテクトですよね? それが……?」
「起動してます」
「え?」
「全員というわけでもないので、防空体制が死滅したわけではないのですが。ナンバーズを始めとした爵位持ちノブリスの大多数が、機動不能にさせられました」
困ったものですね、と。
事態に対して明らかに軽すぎるため息をついた後で、レティシアはその<ヴァイカウント>を見やって、呟いた。
「何をしたのかは想像がついていますけれど。あなたたちの仕業でしょう?」
と――
それに答えたのは、目の前にいる<ヴァイカウント>級の搭乗者ではなかった。
「――浮島の中枢管理システムには欠陥がある」
声のほうを見上げれば、もう一機のノブリス――標準的な<ナイト>がこちらを見下ろしながら、ゆっくりと降りてくる。
「通常、管理者と呼ばれる存在は浮島に一人しか存在しない。だが浮島の全てを管理・掌握する中枢システムは、何らかの理由でその島の管理者の血族が途絶えた場合に備え、他の浮島の管理者を許容するようにできている――そして管理者が同時に二人存在してしまった場合、システムは論理矛盾を起こす。場合によっては浮島の機能そのものが停止するほどの、重大な欠陥だ……いつ聞いてもバカげた仕様だな、これは」
おそらくは、緊急時のための処置なのだろうがね、などと。
着地し<ナイト>から降りてきたそのひげ面の男は、滔々と語る。
「本来なら、浮島が管理者を失うということはあり得ない。もしあり得るとするのなら、それは心なき者によって浮島が乗っ取られた場合だ。この仕様はそうした場合のカウンターとして、全ての浮島に搭載されたと見られている。いわば“裏口”だ……が、浮島を作った古代魔術師たちは、緊急事態は想定しても、管理者同士が争うことは考えもしなかったらしい」
と、呆れたようなぼやきをレティシアが拾った。
「浮島って、管理者同士が争うことを想定した作りにはなってないんですからねえ……この仕様、私も管理者になったばかりの時に気づいて愕然としましたけれど」
「私も同じ思いをしたよ。子孫としては恥じ入るばかりだが、古代魔術師たちは底抜けのマヌケの集まりだな。最終的には人間の善性に依存した仕組みなど……人間の悪性の前には何の意味もない」
「状況を思えば、仕方のないところもあるでしょう。人類はもはや地上に居場所などなく、空に逃げるしかありませんでしたし。そんな状況で、まさか指導者たる立場の人間が喧嘩するなんて、思いもしなかったでしょうから」
「同じ人間なんだから、手を取り合って仲良しこよしでやっていけるとでも? その軽視の結果がこのザマというわけだ。古代魔術師も所詮は人間だな……そこまで遠い未来は見えなかったか。自分たちの子孫は、善良であるだろうと信じすぎたな」
シニカルにその男はそう吐き捨てたが。
やはりレティシアは動じない。見つめてくるその男を超然と見返し、状況を思えばいっそ悠長とすら思える微笑みでもって挨拶した。
「お久しぶりですね、ジョドスンさん。口調が随分とお変わりになられたようですけれど。それとも、ガラルドさんとお呼びしたほうが?」
「ガラルドの名は捨てた。ジョドスンのほうが今は納まりがいい――し、口調のほうは捨ておいてもらいたいな。キミに何もさせないためとはいえ、非正規ユーザーが管理者として干渉し続ける作業というのは、ひどい苦痛なのだよ……だが、やはり私が誰かは気づいていたか」
「ええ。六年前の全島連盟会議で、お顔は拝見させていただきましたので」
「たった一度で顔を覚えたか……だが、私を“私”と知ってを無視し続けたのなら、キミはどうかしているな。私を受け入れた時点で、この未来が予測できなかったともと思えんが」
と。
不意に通信のコール音。音源はレティシアの腕の端末だ。状況を思えばこんな時に通信に応えることもないだろうと思ったのだが。
「はい。こちらレティシア。どうされましたか?」
レティシアは特に何も気にせず、コールに応えた。
そして通話先から聞こえてきたのは、悲鳴だった。
『こ、こちら警護隊第七班、北方警備担当――て、敵襲です!! 相手は、空賊――……』
その悲鳴の途中で、ぶつん、と。
その音は、リムにも届いた。レティシアの通信が強制切断された音だ。レティシアは自身の端末をつまらなそうに見つめてから――ジョドスンと呼ばれた男を見やる。
彼は笑ってはいなかったが、勝ち誇るように言ってきた。
「つまり管理者を敵対する浮島に送り込むと、こういうことができるようになるわけだ……浮島の管理者の手足をもぐようなことがね。これ以降、私はキミに何もさせない。キミは私たちの要求を呑む以外にない。だから――無茶をさせないでほしいな」
「空賊の敵襲は、あなた方の手配、ですか。ちなみにどれほどの数を送り込んだのです?」
「北、南東、西の三方から。各方面、だいたい五から八機の<ナイト>が出ているはずだ。もちろん、ここは学園都市だ――うっかり君たちを殺してしまうと、どこから恨みを買うかもわからん。だから極力、そういうことは控えるようには言っているがね……メタル襲撃によってキミたちが疲弊しているのは知っている。どこまで対応できるかな?」
「…………」
最後の言葉にだけ、レティシアは答えなかった。ただ笑顔を返答とするだけだ。
彼らが何を話しているのか――それがリムには、まだ飲み込めないが。
少なくともわかったのは、今セイリオスが敵の襲撃によって危機的状況にあること、彼女らがどうやら知り合いらしいこと――そしてその男がどこぞの島の管理者か、その関係者らしいということだけだ。空賊らしき男の傍にいるのだから、敵なのは間違いないが。
(なんなの、この人たち……)
ひりひりと、肌が泡立つ嫌な感覚にリムは震えた。
敵、なのは間違いない。空賊なのも。彼らは敵意を隠そうともしない。
だが浮島そのものを敵とした空賊など空歴史上多くない。そんな大それたことを平然とやる相手に、リムは戦慄のようなものを感じた。彼らが何者かなんてリムにはどうでもいいが、自分がなにかとんでもないことに巻き込まれたことだけは自覚させられざるを得なかった。
だから、逃げ出さなければならない。隙を探して。この状況が何なのかも理解はできないが、自分一人では何もできないし、ここには味方もいない――
と、男が不意にこちらを見た。逃げ出そうとしたのを咎められたかのようなタイミングに、心臓が跳ねるが。
冷たく細められた瞳が、わずかに揺れるのをリムは見た――……
「……キミがクリムヒルト・グレンデルか」
(……? この人、私を知ってる?)
「キミがここにいるということは、奴の“眼”も衰えたか……」
独り言だったらしい。彼はリムの反応など何も期待していなかった。リムも反応らしい反応は返せなかったが。
その代わりというわけでもないだろうが、その呟きを<ヴァイカウント>が拾った。
「所属冠詞なしってことはノーブルか。だがグレンデルといやあ……」
「そうだ。彼女もまた管理者の血族だよ――まだ“眼”も持たない、ただの子供にすぎんがね」
と、そこで男は非難するようにレティシアを見た。
「どうして、本当に彼女を連れてきたしまったのだ? 何も見えぬ……まだ何も知らない子供だろうに」
「いいええ、まあ……已むに已まれぬ事情がありまして。聞いてくださいます?」
「聞かんよ。わかっているとは思うが、キミに打てる手はない。弱者の愚痴になど付き合わん」
「あらまあ、尊大ですこと。でも仕方ないではありませんか。こうしないと、よりたくさんの方が亡くなってしまうようですし――……いざとなったら人殺しを躊躇わないでしょう? あなた方は」
「そうだな。我々には、覚悟がある」
覚悟――
どうしてだか、その一言だけが異様に耳障りに響いた。心底から、吐き気を催すほどの嫌悪を感じる。それがどうしてかはわからなかったが――
と。
「――ま、その辺の与太話はまた後でやってもらうとしてだ」
不意に囁いたのは、<ヴァイカウント>の男だ。
バイザーの下に隠れた目が、リムを見た。
「ホントに二人も連れてく気か? いらない荷物は持ちたくないし、一人で十分だと思うんだが」
「私の見た道筋には必要だ。後で解放するにしても、使い道がある。ラウル・グレンデルの娘なら、ムジカ・リマーセナリーの人質として――」
「――――」
その言葉を聞いた瞬間に。
リムは何も考えずに飛び出した。全てに背を向けてスタジアムへ走る。レティシアが何のためにリムを呼んだのかはわからなかったが、この敵が何にリムを使おうとしているのかはわかってしまった。
この敵はセイリオスやリムの敵ではない。何があったのか、どうしてそうなったのかもわからない。
だがこの敵は、ムジカの敵だった。
だからこそ、捕まるわけにはいかない――その決意は、だが即座の衝撃によって粉々になった。
捕まった。ノブリスから生身の人間が逃げられるはずがない。胴体をガントレットで鷲掴みにされて、掌の中でリムはもがいた。
「離して! 離せ――」
「おいおい、暴れんなよ……うっかり潰しちまっても、文句は言えねえぞ?」
「う、ぁっ……っ!」
ガントレットがリムを締め付ける。痛みと苦しさに息がひきつった。もがく腕が圧迫に痺れる。体が軋む痛みに固まった。
目じりに涙が溜まったが、それは痛みのせいではなかった。体の痛みなどどうでもいい。痛みをこらえて、それでもリムはもがこうと――
した目の前に、女が歩み寄ってくる。あまりにも軽い足取りで、この事態ですら予定調和とでも言うように。
「生徒、会長……っ!!」
レティシア・セイリオス――自分の上司。
まなじりを決して、リムはその女を睨む。だがそれで何かが変わることもない。
真っすぐに視線を合わせて。レティシアが言ってきたのは、これだった。
「ごめんなさいね、リムさん。あなたにお願いしたかった仕事とはつまり、こういうことです……これが最善の選択肢だったんです」
「……――っ!!」
恨んでくれて、構いませんよと。
したり顔で開き直った女に、衝動を叫んだ。
そしてそれが何か意味のある効果を生むこともなかった。
(イヤだ……イヤだ、イヤだ、イヤだ……!!)
悔しさにもがいても、現実は何も変わらない。鷲掴みにされた体はガントレットをピクリとも動かすことさえできない。
目の前の男が言った。リムはムジカの人質だと。
この男たちがどうしてムジカと敵対しているのかは知らないが、わかってしまった。
もしリムが人質となってしまったなら、ムジカはきっと抵抗しない。これまでの関係が、彼をそういう風にしてしまった。
思い出すのは昨日の彼だ。後悔を呟いた。どうでもいいこと、くだらないことでリムに負い目を感じていた。彼の悪夢の一端は自分だ。それをリムは知っていた。
だからこそせめて、彼の足手まといにはなりたくなかったのに。
もがこうとしても、ノブリスの手からは逃れられない。締め付けられる痛みに何もできない。目から零れ落ちたのは、何の価値もない涙だった。
「ひとまず、セイリオスとしては降伏しましょう。なので、警護隊の皆さんは殺さないでくださいませね? アリバイ作りもあるでしょうから、継戦はご自由にされるといいでしょうけれど。あと、エマージェンシーコールくらいは発報させていただきます」
「そいつはまあ、ご勝手に……とはいえ、暢気なもんだな。アンタも人質には変わりないんだぜ?」
「まあ、そこは仕方がありません。私の身元はご自由に……ただ、今回は結構先まで見通せてしまいましたから。どう着地するかまでわかってしまうと、驚きようもないのですよ」
レティシアたちが何かを話しているが、もうその意味さえ分からない。
「ジョドスン。アホどもに命令だ。ガキどもを殺さないよう厳命。あと何機かこっちに回せ。俺が逃げるまでの護衛をやらせる……あと、あいつも準備できてるな?」
「いつでも、若。後は手はず通りに」
「オーライ。なら……おいたの過ぎたクソガキにゃ、そろそろお灸をすえてやるか」
遠く響いたサイレンの音と――次いで放たれた<ヴァイカウント>の男の声を、リムは怒りと絶望の中で聞いていた。
「――さあて。“マヌケ狩り”としゃれこもうか」
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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毎日更新していこうと思います
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感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
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