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2章 傭兵騒動編
4-3 本当に昔、これを使っていたのかね?
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「……だ、そうだ。あんまり怒ってなさそうだよ?」
「…………」
その事実にホッと胸を撫で下ろせばいいのか、それとも怒ってもらってたほうがまだよかったのか――……
わからないまま、リムは胸の内に溜めてしまった息をゆっくりと吐いた。
いつもの、アルマ班の研究室。壁際のマギコン前で通話を終えたアルマが、その後ろに控えていたリムのほうを椅子ごと振り返ってくる。
軽く微笑んでこちらを見つめてくる彼女に、リムは慌てて礼を言った。
「すみません、ありがとうございました。兄さんの様子を確認したいなんてワガママに付き合っていただいて……」
「なに、大したことではないよ。データを取りたかったのは本当だからね。ついでにちょっと話をして、様子を見るくらい手間ではないさ。キミから連絡したんじゃ、少々気まずかっただろうしね」
「…………」
羞恥にほんの少しだけ、言葉を詰まらせた。
ここ最近、リムとムジカの仲が思わしくないのは既に知れ渡っている。いわば、兄妹ゲンカに付き合わせてしまっているのだ。
迷惑をかけたことを恥じ入るリムに、アルマは優しく微笑んで聞いてくる。
「キミたちの間では、ケンカは珍しいことなのかな?」
「……そうですね。兄さん、言動は荒いですけど、アレであんまり怒らない人ですから。普段のケンカも、私が小言を言って、兄さんが仕方ないって顔して受け入れて、それで終わりってことが多いです」
そもそもケンカと呼べるほどのものにすらならない。今回のことだって、ムジカはきっと困っているだけだろう。リムが納得できないでいることを、彼は仕方のないことだと受け入れているに違いない。だからこれだけリムが不満を表明しても、やり返してこないのだ。
「……だからこれは、私のこだわりのせいなんです」
言いながら。
リムはぼんやりと、壁にかけられた大型ディスプレイに写るそれを見つめた。
<ナイト>級カスタム機、“クイックステップ”。その設計図。
同じようにアルマもディスプレイを見上げ、ぽつりと言ってくる。
「機体構成は、ひどくシンプルだね。<ナイト>の各標準モジュールを、機動性、前進性に特化したチューンが施されてる。カスタム機の中には一部モジュールだけでも特注品を使うものが少なくないが……」
「そうですね。“クイックステップ”は、こう言ってはなんですが、安い機体です。専用モジュールの開発などは、当時の兄さんには手が届かないところでしたから」
当時のムジカは父がどこからともなく拾ってきた、ただの小姓に過ぎなかった。
父が彼に<ナイト>を与えたが、まだ幼い彼が戦場に立つことはほとんどなかった。せいぜいが幼いノーブル予備軍に過ぎない彼に発言権などほとんどなく、故に彼のノブリスは、彼の手の届く範囲で――そして父がごまかせる範囲で――間に合わせ的に行われた。
ただし、ムジカが戦場に立つことはなかったという部分には嘘がある。実際には当時から何度か戦場に出ていた。その際には身分を隠し、父が忙しい時の代理を請け負った“素性不明の誰か”という扱いだったようだが……まあ、それは余談だ。
なんにしても、工夫は各部モジュールにはほとんどない。それをアルマが読み上げる。
「装甲を削って軽量化した、機動性偏重の前衛機。これだけ見ると何の捻りもないが……全身の至る所に姿勢制御スラスターを増設したうえで、爆発で機体を吹っ飛ばすブラストバーニアに変更。武装も遠距離戦を完全に捨て、ソードオフした銃剣付きのショートバレル・ガン・ロッドと、ダガータイプのイレイス・レイ用共振器の一銃一刀流。無難な前衛機として構成された本体と比べると、こちらは随分と思い切ってるね」
総じて見た目では、ほとんど標準の<ナイト>と変わりない。だが各部から伸びるブラストバーニアと、格闘兵装の異様さが“クイックステップ”を奇異に感じさせる。
おそらくは、この機体がどのように戦うのかを想像したのだろう。その上で、アルマが訊いてきたのはこれだった。
「……本当に昔、これを使っていたのかね? あの助手は」
「はい、それは事実です」
「……道理で、あんな操縦特性が出てくるわけだよ」
ろくなアジャストなしで、あの<ダンゼル>をぶん回せるわけだ――などと、呆れたため息と共にアルマがうめく。
前進性に偏重した機動特性に、近距離戦しか考えていない武装レイアウト。そして被弾したら一撃で終わりかねない本体装甲。確かに、アルマの作った<ダンゼル>と“クイックステップ”はコンセプトレベルで似通っている部分が多い。
ただしムジカの特性に合わせて作られたあの<ダンゼル>と、この機体は違う。順番が逆なのだ。
必要に迫られてムジカが欲し、その後に“彼自身”をこの機体へ合わせこんだ。最適化されたのはノブリスではない。ムジカのほうだ。
全ては“憧れ”に手を届かせるために――そして復讐を果たすために。彼が欲した力の形がこれだ。
――グレンデルの蒼き英雄機、“ジークフリート”を手にかけるための機体。
(そして今はもう役目の終わった、兄さんの悪夢の原因の一つでしかない……)
と。
「――あああああぁぁぁぁぁぁぁ…………もおおおぉぉぉぉぉぉ…………」
不意に響いた、ゾンビみたいな大きな苦鳴に。
なんというか、張り詰めていた気が抜けた。
(人が本気で悩んでるところに、本当にあの人は……まったくもう)
驚き半分呆れ半分、ついでに八つ当たり成分も少々。そんな気持ちで声のほうを見やると、部屋隅に置かれたエネシミュの中から、もぞもぞと這いつくばるようにして誰かが出てきたところだが。
どうにかこうにかエネシミュから顔を出し、そしてその辺で力尽きたのは、ただの少女だった。というか、見知った顔である。アーシャ・エステバンだ。最近は訓練ということで、エネシミュを借りてこもりっぱなしなことが多いのだが。
致命的なまでに空気を読まない人、とでも言えばいいのか。いきなりの奇声の主に半眼を向けながら近寄ると、彼女は床を這う姿勢のまま顔だけ上げて、こう言ってきた――
「リムちゃぁぁぁん、たぁすけてぇぇぇぇぇぇ……!」
半ば、魂からの叫びのようである。エネシミュはあくまでシミュレーターなのだから体の疲れはないはずだが、疲労困憊の様子だし、何やら涙目である。
助けてと言われてもどうしろと、と怪訝に彼女を見ていると、アーシャはリムが何かを言う前に泣き出した。
「あのおっさんがあたしを、あたしをいじめるの……教わったことからほんの少しでもズレたら怒鳴られるし、少しでも遅いとガン・ロッドで撃たれるし。うまくやっても褒めてくれないし、なんならたくさんダメ出ししてくるしー!! もうやだぁあああっ!!」
「……それはまあ、同情はしますけど」
チュートリアルの教官を務めるガイドデータ、オールドマンのことだ。
一応は教官役ということになっているが、アレの役割は本当のところ、貴族の嫡子ということで増長した子供の生意気な鼻っ柱をへし折って“矯正”することだ。そのため指導内容はともかく指導方法はかなり手厳しい上に、苛立ってオールドマンを攻撃すると凄惨な目に合わされる。
かつてお遊びのつもりで起動したリムが、二度とエネシミュには近づかないと誓わせた原因でもある――まあ、かなり幼いころの話だが。
小さくため息をつくと、リムは渋々ではあるがエネシミュのモニターを操作した。
演習のリストを操作しながら、提案する。
「一応、普通のガイドデータの演習もありますよ。他の演習はぬるいからって、兄さんのオススメはオールドマンですけど。変えますか?」
「…………」
「……?」
と、ふと反応が返ってこないことに気づいて、リムはモニターから顔を上げた。
視線の先、未だにアーシャは床に倒れこんだままだったが。
「……どうかしましたか?」
「あ、ううん。ちょっと、どうでもいいことなんだけど……」
こちらを見上げて、不思議そうな顔をした彼女が言ってきたのは、これだった。
「リムちゃんって、口調もそうだけど。ムジカがいないときは“アニキ”って呼ばないんだね?」
「――――」
その言葉に、リムはしばし呆然として――
だが深々と、ため息をついた。
「……アーシャさんって、人のことをよく見てるんですね」
「え。あれ? リムちゃん、もしかしてあたしのこと褒めてる?」
「褒めてないです。ただちょっと思ったんです。気づいてほしくないことに気づいてしまう人って、なんか、こう……」
「リムちゃん。その……ちょぉっと、こっち見ながら頭挟んで潰したいみたいな手つきするの、やめてほしいなー……すんごい怖いから」
「大丈夫ですよ。ちょっと痛いだけですから。たぶん」
「……やめてほしいなー」
「仕方ないですね」
引き笑いを浮かべるアーシャをじっとりと見つめながら、ひとまず握った拳を降ろす。
そうしてまたため息をつくと、うっちゃるようにして嘘を告げた。
「別に、大した理由はないですよ。そういう風に取り決めたから、そうしてるってだけです」
実際には違う。ムジカはそう思っているだろうが、リムには理由がある。皆で過去は振り返らないと決めた。それと一緒だ。
あの日、彼と一緒に空を旅すると決めた。その“彼”はラウルの拾った小姓でもなければ、クリムヒルトの傍仕えでもない。ムジカという名前以外の何もかもを失った、あの少年だ。
だから過去の呼び方をやめた。辛い過去など、もう思い出さなくていいのだと願いを込めて。
だから口調も改めた。彼の仕えた“クリムヒルト”ではなく、彼に付き添う“リム”として。
それを指摘されるのは、面白いものではない。だからというわけでもないが、リムはアーシャから目を逸らしてため息をついた。
と、ちょうどその時だった。
「――アルマちゃーん。今いますかー?」
「……?」
不意の来客に、きょとんとまばたきする。呼ばれたアルマも目を丸くして、モニターから顔を上げた。
特に誰かの許しを得るわけでもなく、自然な足取りで部屋に入ってきたのは――
「……生徒会長?」
「はぁい。お久しぶりですね、リムさん。お邪魔させていただきます」
「はあ。お久しぶりです」
いきなり現れるなりのほほんと挨拶してきたレティシアに、ひとまずそう返す。
穏やかに微笑んでいる彼女だが、リムは笑えたものではなかった。正直に言ってしまえば、苦手意識のある相手だったからだ。
一応は自分の上司に当たるのだが、ムジカに何度も不必要にちょっかいを出してくるので、あまり面白い相手ではなかった。度合いで言えば、アーシャと同じくらいには思うところがある。そのせいか、あるいは単に機会に恵まれなかったからか。思えば彼女とはほとんど話をしたこともない。
その彼女がなぜここに――と思っていると、彼女は我が物顔で研究室を横断する。
そうしてアルマの傍まで近づくと、急に不機嫌そうになった彼女に前置きもなく声をかけた。
「アルマちゃん。ちょうど手隙な時間ができたので、来ちゃいました。“ブーケ”の起動テスト、させていただいても?」
「唐突だな……まあアレはお前に暮れてやったものだ。勝手にすればいいとは思うが……いったい何に使う気だ? お前には“アダラ”があるだろう?」
「アレは実家でオーバーホール中ですね。先日の襲撃で、ちょっと無茶させましたから……なので、ちょっと予備機が必要かな、と。近々面白そうなことも起きそうですし……」
「ふむ……? またしょうもないことを思いついたのか。まあよかろ。“アダラ”のガン・ロッドも後で持ってこい。“ブーケ”用に調整が必要だろう」
つまらなそうにアルマはそう言って、呆れたようにため息をつく。
と、さっさと起きたらいいのに何でか今も床に倒れたままのアーシャが、ぽつりと呟いた。
「……あれ? “ブーケ”ってアルマ班のノブリスなんだよね? なんで生徒会長が機動テストを?」
はたと。
聞こえていたようだが、そこでアルマとレティシアはきょとんとした。
お互い、顔を見合わせて言い合う。
「……そういえば、言ってなかったか?」
「そういえば、言ってなかったですねえ。そちらのほうが楽しいだろうからってことで、内緒にしておいてってお願いしてましたし」
「……えーと?」
最後のは、よくわからなかったらしいアーシャの声。リムはその間、一言もしゃべらず二人を見ていたが。
レティシアは鷹揚に頷くと、改めてこちらを――とりわけ疑問を上げていたアーシャではなく、何故かリムを――見やると、にっこり笑ってこう言ってきた。
「それでは、改めまして……私がアルマ班所属の戦闘科、レティシア・セイリオスです。この研究班は、私とアルマちゃんで立ち上げたものでして……長いお付き合いになるかと思いますが、リムさん。よろしくお願いしますね?」
「…………ええ?」
返答しなかったのは驚いてできなかっただけで、別にわざとというわけではなかった。
「…………」
その事実にホッと胸を撫で下ろせばいいのか、それとも怒ってもらってたほうがまだよかったのか――……
わからないまま、リムは胸の内に溜めてしまった息をゆっくりと吐いた。
いつもの、アルマ班の研究室。壁際のマギコン前で通話を終えたアルマが、その後ろに控えていたリムのほうを椅子ごと振り返ってくる。
軽く微笑んでこちらを見つめてくる彼女に、リムは慌てて礼を言った。
「すみません、ありがとうございました。兄さんの様子を確認したいなんてワガママに付き合っていただいて……」
「なに、大したことではないよ。データを取りたかったのは本当だからね。ついでにちょっと話をして、様子を見るくらい手間ではないさ。キミから連絡したんじゃ、少々気まずかっただろうしね」
「…………」
羞恥にほんの少しだけ、言葉を詰まらせた。
ここ最近、リムとムジカの仲が思わしくないのは既に知れ渡っている。いわば、兄妹ゲンカに付き合わせてしまっているのだ。
迷惑をかけたことを恥じ入るリムに、アルマは優しく微笑んで聞いてくる。
「キミたちの間では、ケンカは珍しいことなのかな?」
「……そうですね。兄さん、言動は荒いですけど、アレであんまり怒らない人ですから。普段のケンカも、私が小言を言って、兄さんが仕方ないって顔して受け入れて、それで終わりってことが多いです」
そもそもケンカと呼べるほどのものにすらならない。今回のことだって、ムジカはきっと困っているだけだろう。リムが納得できないでいることを、彼は仕方のないことだと受け入れているに違いない。だからこれだけリムが不満を表明しても、やり返してこないのだ。
「……だからこれは、私のこだわりのせいなんです」
言いながら。
リムはぼんやりと、壁にかけられた大型ディスプレイに写るそれを見つめた。
<ナイト>級カスタム機、“クイックステップ”。その設計図。
同じようにアルマもディスプレイを見上げ、ぽつりと言ってくる。
「機体構成は、ひどくシンプルだね。<ナイト>の各標準モジュールを、機動性、前進性に特化したチューンが施されてる。カスタム機の中には一部モジュールだけでも特注品を使うものが少なくないが……」
「そうですね。“クイックステップ”は、こう言ってはなんですが、安い機体です。専用モジュールの開発などは、当時の兄さんには手が届かないところでしたから」
当時のムジカは父がどこからともなく拾ってきた、ただの小姓に過ぎなかった。
父が彼に<ナイト>を与えたが、まだ幼い彼が戦場に立つことはほとんどなかった。せいぜいが幼いノーブル予備軍に過ぎない彼に発言権などほとんどなく、故に彼のノブリスは、彼の手の届く範囲で――そして父がごまかせる範囲で――間に合わせ的に行われた。
ただし、ムジカが戦場に立つことはなかったという部分には嘘がある。実際には当時から何度か戦場に出ていた。その際には身分を隠し、父が忙しい時の代理を請け負った“素性不明の誰か”という扱いだったようだが……まあ、それは余談だ。
なんにしても、工夫は各部モジュールにはほとんどない。それをアルマが読み上げる。
「装甲を削って軽量化した、機動性偏重の前衛機。これだけ見ると何の捻りもないが……全身の至る所に姿勢制御スラスターを増設したうえで、爆発で機体を吹っ飛ばすブラストバーニアに変更。武装も遠距離戦を完全に捨て、ソードオフした銃剣付きのショートバレル・ガン・ロッドと、ダガータイプのイレイス・レイ用共振器の一銃一刀流。無難な前衛機として構成された本体と比べると、こちらは随分と思い切ってるね」
総じて見た目では、ほとんど標準の<ナイト>と変わりない。だが各部から伸びるブラストバーニアと、格闘兵装の異様さが“クイックステップ”を奇異に感じさせる。
おそらくは、この機体がどのように戦うのかを想像したのだろう。その上で、アルマが訊いてきたのはこれだった。
「……本当に昔、これを使っていたのかね? あの助手は」
「はい、それは事実です」
「……道理で、あんな操縦特性が出てくるわけだよ」
ろくなアジャストなしで、あの<ダンゼル>をぶん回せるわけだ――などと、呆れたため息と共にアルマがうめく。
前進性に偏重した機動特性に、近距離戦しか考えていない武装レイアウト。そして被弾したら一撃で終わりかねない本体装甲。確かに、アルマの作った<ダンゼル>と“クイックステップ”はコンセプトレベルで似通っている部分が多い。
ただしムジカの特性に合わせて作られたあの<ダンゼル>と、この機体は違う。順番が逆なのだ。
必要に迫られてムジカが欲し、その後に“彼自身”をこの機体へ合わせこんだ。最適化されたのはノブリスではない。ムジカのほうだ。
全ては“憧れ”に手を届かせるために――そして復讐を果たすために。彼が欲した力の形がこれだ。
――グレンデルの蒼き英雄機、“ジークフリート”を手にかけるための機体。
(そして今はもう役目の終わった、兄さんの悪夢の原因の一つでしかない……)
と。
「――あああああぁぁぁぁぁぁぁ…………もおおおぉぉぉぉぉぉ…………」
不意に響いた、ゾンビみたいな大きな苦鳴に。
なんというか、張り詰めていた気が抜けた。
(人が本気で悩んでるところに、本当にあの人は……まったくもう)
驚き半分呆れ半分、ついでに八つ当たり成分も少々。そんな気持ちで声のほうを見やると、部屋隅に置かれたエネシミュの中から、もぞもぞと這いつくばるようにして誰かが出てきたところだが。
どうにかこうにかエネシミュから顔を出し、そしてその辺で力尽きたのは、ただの少女だった。というか、見知った顔である。アーシャ・エステバンだ。最近は訓練ということで、エネシミュを借りてこもりっぱなしなことが多いのだが。
致命的なまでに空気を読まない人、とでも言えばいいのか。いきなりの奇声の主に半眼を向けながら近寄ると、彼女は床を這う姿勢のまま顔だけ上げて、こう言ってきた――
「リムちゃぁぁぁん、たぁすけてぇぇぇぇぇぇ……!」
半ば、魂からの叫びのようである。エネシミュはあくまでシミュレーターなのだから体の疲れはないはずだが、疲労困憊の様子だし、何やら涙目である。
助けてと言われてもどうしろと、と怪訝に彼女を見ていると、アーシャはリムが何かを言う前に泣き出した。
「あのおっさんがあたしを、あたしをいじめるの……教わったことからほんの少しでもズレたら怒鳴られるし、少しでも遅いとガン・ロッドで撃たれるし。うまくやっても褒めてくれないし、なんならたくさんダメ出ししてくるしー!! もうやだぁあああっ!!」
「……それはまあ、同情はしますけど」
チュートリアルの教官を務めるガイドデータ、オールドマンのことだ。
一応は教官役ということになっているが、アレの役割は本当のところ、貴族の嫡子ということで増長した子供の生意気な鼻っ柱をへし折って“矯正”することだ。そのため指導内容はともかく指導方法はかなり手厳しい上に、苛立ってオールドマンを攻撃すると凄惨な目に合わされる。
かつてお遊びのつもりで起動したリムが、二度とエネシミュには近づかないと誓わせた原因でもある――まあ、かなり幼いころの話だが。
小さくため息をつくと、リムは渋々ではあるがエネシミュのモニターを操作した。
演習のリストを操作しながら、提案する。
「一応、普通のガイドデータの演習もありますよ。他の演習はぬるいからって、兄さんのオススメはオールドマンですけど。変えますか?」
「…………」
「……?」
と、ふと反応が返ってこないことに気づいて、リムはモニターから顔を上げた。
視線の先、未だにアーシャは床に倒れこんだままだったが。
「……どうかしましたか?」
「あ、ううん。ちょっと、どうでもいいことなんだけど……」
こちらを見上げて、不思議そうな顔をした彼女が言ってきたのは、これだった。
「リムちゃんって、口調もそうだけど。ムジカがいないときは“アニキ”って呼ばないんだね?」
「――――」
その言葉に、リムはしばし呆然として――
だが深々と、ため息をついた。
「……アーシャさんって、人のことをよく見てるんですね」
「え。あれ? リムちゃん、もしかしてあたしのこと褒めてる?」
「褒めてないです。ただちょっと思ったんです。気づいてほしくないことに気づいてしまう人って、なんか、こう……」
「リムちゃん。その……ちょぉっと、こっち見ながら頭挟んで潰したいみたいな手つきするの、やめてほしいなー……すんごい怖いから」
「大丈夫ですよ。ちょっと痛いだけですから。たぶん」
「……やめてほしいなー」
「仕方ないですね」
引き笑いを浮かべるアーシャをじっとりと見つめながら、ひとまず握った拳を降ろす。
そうしてまたため息をつくと、うっちゃるようにして嘘を告げた。
「別に、大した理由はないですよ。そういう風に取り決めたから、そうしてるってだけです」
実際には違う。ムジカはそう思っているだろうが、リムには理由がある。皆で過去は振り返らないと決めた。それと一緒だ。
あの日、彼と一緒に空を旅すると決めた。その“彼”はラウルの拾った小姓でもなければ、クリムヒルトの傍仕えでもない。ムジカという名前以外の何もかもを失った、あの少年だ。
だから過去の呼び方をやめた。辛い過去など、もう思い出さなくていいのだと願いを込めて。
だから口調も改めた。彼の仕えた“クリムヒルト”ではなく、彼に付き添う“リム”として。
それを指摘されるのは、面白いものではない。だからというわけでもないが、リムはアーシャから目を逸らしてため息をついた。
と、ちょうどその時だった。
「――アルマちゃーん。今いますかー?」
「……?」
不意の来客に、きょとんとまばたきする。呼ばれたアルマも目を丸くして、モニターから顔を上げた。
特に誰かの許しを得るわけでもなく、自然な足取りで部屋に入ってきたのは――
「……生徒会長?」
「はぁい。お久しぶりですね、リムさん。お邪魔させていただきます」
「はあ。お久しぶりです」
いきなり現れるなりのほほんと挨拶してきたレティシアに、ひとまずそう返す。
穏やかに微笑んでいる彼女だが、リムは笑えたものではなかった。正直に言ってしまえば、苦手意識のある相手だったからだ。
一応は自分の上司に当たるのだが、ムジカに何度も不必要にちょっかいを出してくるので、あまり面白い相手ではなかった。度合いで言えば、アーシャと同じくらいには思うところがある。そのせいか、あるいは単に機会に恵まれなかったからか。思えば彼女とはほとんど話をしたこともない。
その彼女がなぜここに――と思っていると、彼女は我が物顔で研究室を横断する。
そうしてアルマの傍まで近づくと、急に不機嫌そうになった彼女に前置きもなく声をかけた。
「アルマちゃん。ちょうど手隙な時間ができたので、来ちゃいました。“ブーケ”の起動テスト、させていただいても?」
「唐突だな……まあアレはお前に暮れてやったものだ。勝手にすればいいとは思うが……いったい何に使う気だ? お前には“アダラ”があるだろう?」
「アレは実家でオーバーホール中ですね。先日の襲撃で、ちょっと無茶させましたから……なので、ちょっと予備機が必要かな、と。近々面白そうなことも起きそうですし……」
「ふむ……? またしょうもないことを思いついたのか。まあよかろ。“アダラ”のガン・ロッドも後で持ってこい。“ブーケ”用に調整が必要だろう」
つまらなそうにアルマはそう言って、呆れたようにため息をつく。
と、さっさと起きたらいいのに何でか今も床に倒れたままのアーシャが、ぽつりと呟いた。
「……あれ? “ブーケ”ってアルマ班のノブリスなんだよね? なんで生徒会長が機動テストを?」
はたと。
聞こえていたようだが、そこでアルマとレティシアはきょとんとした。
お互い、顔を見合わせて言い合う。
「……そういえば、言ってなかったか?」
「そういえば、言ってなかったですねえ。そちらのほうが楽しいだろうからってことで、内緒にしておいてってお願いしてましたし」
「……えーと?」
最後のは、よくわからなかったらしいアーシャの声。リムはその間、一言もしゃべらず二人を見ていたが。
レティシアは鷹揚に頷くと、改めてこちらを――とりわけ疑問を上げていたアーシャではなく、何故かリムを――見やると、にっこり笑ってこう言ってきた。
「それでは、改めまして……私がアルマ班所属の戦闘科、レティシア・セイリオスです。この研究班は、私とアルマちゃんで立ち上げたものでして……長いお付き合いになるかと思いますが、リムさん。よろしくお願いしますね?」
「…………ええ?」
返答しなかったのは驚いてできなかっただけで、別にわざとというわけではなかった。
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