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2章 傭兵騒動編

3-6 アニキのクサクサネーミングセンスのノブリスなんか知らないっす

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 エネシミュのモニターが映し出す空はどこまでも広く、果てがない。仮想された空間には風や雲の揺らぎさえなく、ひどく現実味のない世界が広がっている。
 今その世界にいるのは、たった二機のノブリスだけだ。一機はわちゃわちゃと全身で動揺と困惑を表現する、アーシャの<ナイト>。
 そしてもう一機は――教官役を務める、傷にまみれた歴戦感漂う<ナイト>。落ち着きのないアーシャとは違い、教官役は不動の様子だ。今のところ声一つ発さず、アーシャをじっとりと見据えている。
 外部モニターを操作して集音マイクを起動すると、ムジカはモニターの先のアーシャに声をかけた。

「――アーシャ、聞こえるか?」
『ムジカ!? ちょっと、状況説明してよ!? なんであたし、今空の上に――』
「あーあー、わーったから。落ち着けって。ひとまず今自分の状況言ってみ? 周り見渡しながら、冷静にだ」
『周りを見渡しながら……?』

 と、モニター内で慌てる<ナイト>が唐突に動きを止めた。
 頭上を見上げ、その後に周囲を振り返り、身動き一つしない教官役に一度ビックリしてから、言ってくる。

『なんだかよくわからないけど、空飛んでる。目の前には、すっごいイカつい<ナイト>がいて、あたしが纏ってるのも……これ、たぶん<ナイト>だよね? というか、ここどこ? さっきまであたし、エネシミュ? の中にいたよね?』
「その認識で間違ってないよ――というか今も、体はシートの上で寝てる」
『体は?』
「ああ。お前は今、超リアルな夢を見てるようなもんだ。幻影とか仮想現実とか、まあそんなやつだよ」

 実感を伴った夢のようなものだ――と説明したが、厳密には違う。エネシミュ側がエミュレートした情報をユーザーの脳に直接叩きこんで現実のように錯覚させているだけで、これは夢ではないし、ユーザー側の体感も夢とは圧倒的に異なるだろう。
 まあその辺りは余談だ。どうでもいい部分はすっ飛ばして、大事な部分だけ告げた。

「さっき、お前の基礎力が問題だって話だったろ? こいつはその基礎力向上のための演習が詰まった、いわば“先生”だ。まずは初心者用の講義を受けて、一から勉強してこう」
『……ムジカはさあ……』
「なんだ?」
『そういうの、先に説明しとこうって考えはなかったの?』
「……なかったな、そういや。どっちにしたところでやらせるんだから、言っても言わんでも変わらんし」
『デリカシー……』

 明らかに呆れやら何やらを含んだ声音に、思わず肩をすくめる。
 と、そんなことを話している間に待機時間がなくなったらしい。教官役の<ナイト>が起動する――

『傾聴ぉぉぉぉ――っ!!』
『ひぃっ!?』

 そしていきなりの大絶叫。モニターの映像が揺れるほどの大音声に、アーシャが思わず悲鳴を上げた――モニター越しのこちらには補正が入っているのか、それほど大きな声ではなかったが。

『よく聞け素人タッドポールども! 俺はお前たちの講義を仰せつかった訓練教官、オールドマンだ! 今から素人のお前らに初心者用教導演習1の講義を始める。俺の指導を理解したら大声で“サー”と返事をしろ! わかったか!!』
『む、ムジカ!? なんかこの人いきなり変なこと言い出したんだけど!? ねえなにこれ――』
『返事ぃ!!』
『さ、サー!?』

 その辺りで、ムジカは外部モニターの集音マイクをオフにした。
 スピーカーの音量も極力下げて、一仕事終えると額をぬぐって呟く。

「よし。これで万事オーケーだな」
「ええ……?」

 と、これは半ば呆然としたサジの声。
 振り向くと、声の通りに唖然としているサジの隣で、頭痛を堪えるようにセシリアが額を抑えていた。
 呻くようにして訊いてくる。

「一応、訊いておくけれど……今のアレは、いったいなんなの?」
「オールドマンのことか? アレはただの初心者用演習チュートリアル教官ガイドデータだ。設定された台本通りに動くだけのお人形さんだよ。ガイドデータはまあアレだが、演習内容自体はまともでな。俺も昔はアレ使って訓練してた」
「そ、そうなの……」
「ただまあやっぱりあのおっさん、結構不評でなー。とあるやんごとなき家庭のご息女がお遊びのつもりでエネシミュ使ったら、アレが出てきてトラウマこさえちまってな。以来、オールドマンのガイドデータは封印対象だ。今となってはあの中にしかデータは残ってない」
「……お気の毒な女の子がいたのね」
「ああ。ちなみにそのデータ作ったのがそのやんごとなきご息女の親父でな。おかげで家庭内の空気は最悪だったよ」

 遠くでリムが凄まじい顔してこちらを睨んでいたが、それはまあともかく。
 エネシミュのほうから聞こえてくる怒号と泣き声の『サー!!』は聞こえなかったふりして、ムジカは話を戻した。

「ひとまず、これでアーシャの基礎力問題は解決かな。ヘタに素人が教えるよりは、一つずつ型にハメてったほうが当人にとってもいいだろうし」
「そうねえ……私も訓練なら付き合ってあげられるけど。ゼロから教えるとなると、あんまり得意とは言えないのよね……ただ、後でアレの指導内容が本当に真っ当か、チェックはさせてもらうわよ」
「ああ、それはもちろん」
「となると次の問題は――」
「あー、待った。その前に一ついいか?」

 その辺りで、ムジカは一旦会話をぶった切った。
 いきなりだったからか、サジもセシリアもきょとんとする。その中で、ムジカが見やったのはセシリアのほうだ。
 きょとんとまばたきする彼女に、ムジカは率直に疑問を突き付けた。

「空域警護隊の件なんだが、なんでアーシャがメンバーなんだ?」
「……ムジカ?」

 警護隊の同行者として誘われてから、どうにも腑に落ちないでいた疑問だ。
 不安そうにこちらを見たサジは手で“待て”と告げて、セシリアに改めて告げる。

「悪く言う気はないんだが、今基礎訓練に叩き込んだ通り、アーシャの技能は素人に毛が生えた程度のもんだ。警護隊の参加案内は、本来実力者にだけ贈られるはずのものなんだろう? 同行者はその辺の縛りがないとはいえ、人選には疑問を感じるんだが……」
「アーシャでは、不適切だと?」
「能力で考えるなら、な」

 将来性は否定しない。初心者にしてはアーシャはやるほうではあるし、技術の吸収も早い。だが現時点ではやはりまだ素人だ。戦力として数えるには不安がある。
 それがわからないセシリアでもないだろうと思うのだが。
 視線の先、セシリアは静かに息をついて間を作る。そうして彼女はゆっくりと語りだした――

「――私はね。故郷アールヴヘイムでは、上から数えたほうが速い、高位貴族の生まれなの」
「……それ、今関係ある話か? 長くなるなら後にしてほしいんだが」
「せっかちね! 前置きよ。最後まで黙って聞きなさいな!」

 茶々入れに一度怒鳴ってから、コホンと咳ばらいを置いて、セシリアは仕切り直した。

「親からは次期当主として期待され、自らも率先してノブリスの訓練も受けてきた。年齢も考えれば、そこそこの腕はあるという自負もある。だから学園都市への入学が決まったとき、私は期待していたの――何を過と問われれば、同級生たちの腕前を、よ?」
「同級生の?」
「ええ。学園都市というのは特殊な、そして唯一無二の環境よ。この空に生きる人々のほとんどは、自分が生まれた浮島の外を知ることもなく一生を終える……けれど、この学園都市は違う。周囲の浮島からたくさんの生徒を集め、切磋琢磨の中で学ばせる。同年代の子供たちと出会うことができる……これって、本当はとてもすごいことなのよ?」
「…………」
「それで、思ったの。“セイリオスの学園都市なら、私と同じようにノーブルとして研鑽を積んだ子もいるはずだ”って。ノーブルとして、人々を守るいつかの未来のために、努力を続けてきた子たちと会えるって――そういう人を知己とできたなら、私はもっと強いノーブルになれるもの。だから期待していたってわけ」
「……その言いぶりだと、期待ハズレだったのか?」

 訊くと、セシリアは「まあね」と肯定してみせた。

「実態はあなたもご存じの通り。ほとんどが素人も同然で、初めて<ナイト>を扱ったなんて子もいたくらい。早々に白けたわ――唯一見所があると思えた一人はノーブルではなくて傭兵なうえに錬金科で、やる気もまったくなかったみたいだし」

 そこで一度、セシリアはムジカを睨んだ。こちらとしてはそんな目で見られる筋合いはないのだが、彼女には不満だったらしい。
 でも、とそこでため息のように、セシリアは一拍間を開けた。
 
「あの子はそんな中でただ一人、私の予想を超えたわ――素人のはずなのに、私よりも長くあの戦場に残った。戦闘不能に陥った私をかばってね。そして、助けもあったとはいえ……私が逃げ出すしかなかった戦場で、生き残った」
「……あのメタルの襲撃事件のことか?」
「ええ。あの瞬間、彼女は正しく“ノーブル”だった。最初は大したことないと思っていたし、手のひら返しになってしまうけれど。実力ではなく、私はあの子のその心に惹かれたのよ」

 だからアーシャが同行者なのだと、セシリアは言い切る。
 そうして彼女が見やったのは、現在稼働中のエネシミュだ。モニターの中、教官に怒鳴られているアーシャを見つめて苦笑する。

「今も、こんな得体の知れない訓練だって素直に付き合ってるしね。志はある。才能もある。きっと素晴らしいノーブルになる――私はそう思うの。これはその一歩。あなたは不満?」
「……いいや。理由があるなら俺から言うことはないよ」

 嘆息する。そうしてサジに苦笑を向けると、サジはほっとしたような顔をした。
 ムジカはセシリアが適当なことを言うなら、アーシャのためにも彼女を外させることを視野に入れていたのだが。それを感じ取っていたのかもしれない。
 何にしても理由があるのならあとは二人の問題だ。肩をすくめて話が終わったことを示すと、セシリアは興味深げにエネシミュを覗き込んだ。

「……にしてもこれ、便利ね。どんな戦場でも再現できるの?」
「ああ。さすがにメタルの学習機能までは無理だがな。この前のメタルの“巣”に襲撃された想定とか、データがあるなら対ノブリス戦も。自由度は高いよ。机上にしか存在しない、ノブリスのテストだってこれがあれば――」

 と。
 言ってる途中にふと思い出すと、ムジカはエネシミュに近寄った。
 モニターの先で繰り広げられている演習は一旦無視すると、モニターを操作してデータストレージにアクセスする。

「……何やってるの?」
「データの吸出し。ちょっと、作ってもらいたい<ナイト>のカスタム機があるんだが、その設計データがこいつの中にあってな……ん?」

 言ってから、説明の途中でふと首を傾げた。
 モニターに表示したリストは、エネシミュに保存されているノブリスの表だ。自分の機体や仮想敵として選べ、演習に仕える。多いのは故郷、グレンデルのノブリスだが、リストには旅の途中で立ち寄った浮島のノブリスもいくつか登録されていた。
 その中で、ムジカの探していたカスタム<ナイト>のデータだけがない――いや。
 気づいてムジカは背後を見やった。

「……おい、リム?」

 先ほどまでこちらの会話に聞き耳を立てていたはずのリムが、何故か今だけこちらから顔を背けている。そのまま見つめていたら口笛でも吹き始めたかもしれない程度には、目も泳いでいた。
 明らかに挙動不審なリムをじっと見やって、ムジカは訊いた。

「お前、まさかデータいじったか?」
「気のせいっす。あーし、機体データはいじってないっすよ」
「いやお前、ノブリス本体のデータはそうかもしれんが。これ、この機体名は――」
「前からその機体名だったっす。あーし知らないっすよ。アニキのクサクサネーミングセンスのノブリスなんか知らないっす」

 随分とひどい言い草だが。視線すら合わそうとせず、リムはしれっとそう言い切る。
 一度リムから視線を離して、ムジカはモニター上にその機体のデータを呼び出した。
 表示されるのは見覚えのある機体データだ。三年前まで、ムジカが故郷で使っていた機体――ただし、やはり名前だけ変えられている。
 もう一度視線をリムに向ければ、今度は彼女はこちらをじっと見据えていた。
 何かを必死に訴えるような、そんな目だ。今度は何も言ってはこない……が、すがるような目だとも思う。
 つまるところ、それが彼女なりの抵抗であり譲歩らしい。
 あるいは、せめて過去に縛られないようにという願いか。

「…………」
「……あーもう。わーったよ」

 観念すると、ムジカは吸い出したデータをそのままアルマに転送した。
 と、ピポンとアルマのいじっている大型マギコンから受信音。いきなり送られてきたデータに、きょとんとアルマが声を上げた。

「む? なんだこれは?」
「作ってもらう予定のカスタム<ナイト>だよ。近距離戦闘主体の高速戦闘仕様。特に特殊な武装とか機構を積んでるわけじゃないから、作るのは難しくないと思う」

 そこまで言ってから――
 リムの視線を意識したわけでもないが、所信表明のつもりで告げた。

「――機体名は、“クイックステップ”だとさ」
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