45 / 113
1章 強制入学編
7-3 もうこれ以上、後悔したくない
しおりを挟む
「――リム、そいつはもうダメだ。バイタルガードが機能してねえ。そこの亀裂に指突っ込んで、無理やり開こう」
「はいっす、アニキ」
メタルに噛み砕かれたのか。胴体部がひしゃげた<ナイト>級ノブリスのバイタルガードを、リムが<サーヴァント>で無理やりこじ開ける。
中には閉じ込められていたノーブルの姿。ただしフレームがひしゃげたせいで内部にダメージが入ったのだろう、ノーブルは気絶していた。幸いにも死んではいないようだが、内臓にまでダメージが入っていると生死も危うい。
そっとノーブルを解放すると、救護班を呼びつけて明け渡した。担架で運ばれたノーブルを少しの間だけ見送るが、仕事はそれで終わりではない。
戦闘開始から、もうどれだけ経ったのか。ある時を境に、こうして後送されてくるノブリスが増えてきた。戦闘能力を失ったものや、搭乗者が気を失ったままのノブリスの対応は、もはや珍しいものではない。今のノーブルもその例だ。
負傷しているムジカに代わり、<サーヴァント>で作業するリムに声をかける。
「バイタルガード……つーか、胴体部が壊れてるんじゃあダメだな。フライトグリーヴと左腕ガントレットはまだ使えそうだから外して、他はトラッシュ置き場に持ってってくれ。魔道機関に損傷はないから直せはしそうだが、いじってる時間が足りねえ」
「了解っす」
ムジカの指示に従って、リムが壊れた<ナイト>を分解し始める。ノブリス――特に量産型である<ナイト>級は構造が単純だ。だから各モジュールの切り離しも容易で、使いまわすこともできる。
ひとまず現状、ムジカたちの仕事は後送されてくるノブリスの解体だった。
壊れたノブリス数機を組み合わせて、一応は使えるノブリス一体をでっち上げて前線に送り返す。それが今後方、学園側の錬金科の仕事だ。
ノブリスの実戦配備、並びに即座の応急処置を目的とした前線支援部隊もいる。そちらはノーブルと強く連携している班が主体だ。サジもそちらにいるようで、こちらでは一度も見かけていない。
逆にアルマ班のようにあまりノーブルと連携していない班は、学園側で非戦闘員の避難誘導の補助をさせられた後、後方支援を担っている。こちらは前線と遠いこともあるせいか、開戦直後はまだ余裕があった。襲われているという実感が薄かったからだろう、楽観的な空気さえあった。
だが、今はそんなものはどこにもなくなっている。感じるのは張り詰めた悲壮感だ。本当に、勝てるのかどうか。ようやくその現実に気づき始めた彼らの顔には不安が見えた。
それですら、悠長であるとムジカは知っているが。
「……にしてもアルマ先輩、いつになったら出てくるんだ?」
猫の手も借りたいほどの惨状だというのに、ここにアルマの姿はない。彼女は現在も“面会謝絶”のままだった。
今何をしているのか、何を考えているのか、そんなことさえわからない。リムには伝言で“もう少し待て”と連絡があったそうだが。そんなことを言っていられる状態でもないのに“待て”と言える、彼女の胆力には感心してしまう。
リムが壊れた<ナイト>をトラッシュ置き場に運び、また次の<ナイト>を持ってくる。分解して、直せそうなものはモジュールを取り付け、運搬要員に引き渡す。
壊れたノブリスの残骸に囲まれて、不意にもたげたのはもどかしさだった。
(戦場が目の前にあって、ノブリスだってその辺にいくらでもある。行こうと思えば、いつだって戦場に出れるのに……)
自分は今、ここにいる。それは全身をかきむしりたくなるほどの不快感だった。
戦いの場に臨んでおきながら、自らが戦わないことなどこれまでほとんどなかった。ここは自分の居場所ではないと、そう体が叫んでいる。
今すぐにでもその辺りの<ナイト>を奪って飛び出しても、きっと誰も文句は言うまい。それはもはや衝動と呼べるほどの渇望だった――
「――ダメっすよ、アニキ」
だが、リムには見抜かれた。
釘を刺す――など生ぬるい言い方ではなく、楔でも打ち込むように重々しく言ってくる。
「これは、アニキの戦場じゃないんす。アニキの出る幕はないっすよ。あーしたちは錬金科なんだから、言われた仕事をしなきゃならないんす……第一、アニキは怪我人でしょ。戦うべき人じゃないって、わかってるでしょ?」
「だけど、俺ならもっとうまくやれる――」
「……戦う理由もないのに?」
ぽつりと差し込まれた言葉に、思わず息が詰まった。
大昔、あの空で父に問われたことは、リムにもラウルにも話していない。だから、リムが語ったのはそれとは別のことだ。傭兵として戦っていたころと、今は違う。そう言いたいのだろう。
事実、リムはすぐに別の言葉を重ねてきた。
「アニキはノーブルじゃない。アニキがセイリオスの犠牲になる必要もない。第一、アニキはもう十分働いたじゃないっすか。怪我だって、元はそのせいでしょ? アニキはもっと、自分のことを大切にするべきっす」
「……この状況で説教は勘弁してくれ。予想以上に気が滅入る」
「アニキが下手な気起こさなくなるなら、いくらだって説教するっす。今日のこと、まだ根に持ってるんすからね?」
ぷりぷりと怒ってさえみせる。降参のあかしに両手を上げてみせたが。
実際のところ、それがリムの空元気であることはわかっていた。彼女の顔には隠し切れない不安が見える。それはこの状況そのものに対してもだが、それ以上にムジカに対してだ。
リムはムジカが戦うことを歓迎していない。戦わなくて済むことを祈っている――こちらの安息を。それをムジカは知っている。
(これは俺の戦場じゃない……か)
確かにその通りなのだろう。セイリオスを襲ったメタルとの戦いは、セイリオスのノーブルのものだ。ムジカは錬金科の一生徒に過ぎず、戦う理由は確かにない。
だが、とも思う――思い出すのは七年前のことだ。父がいなくなった日のこと。
あの日も、今日と同じような日だった。メタルの“巣”に襲撃され、グレンデル中のノーブルたちが出撃した。父もその一人だ。
処理しきれない量のメタルに襲われ、父が一人で一画を引き受けた。仲間の救援を信じて独り戦い続け、そして最期はその仲間に撃ち落とされた。
今もまだ、あの日のことを覚えている。別れ際、大きな手のひらに撫でられたことを。
帰ってきたら、稽古をつけてやると。約束を遺して、だが父は返ってこなかった……
(どうして今、そんなことを思い出す……?)
わからない。わからないが――
それが予感だとするのなら、運命というのは最低なまでに残酷だった。
「……うん? あれは――」
不意に呟かれたリムの声に、ハッとムジカは顔を上げた。
東のほう。途切れ途切れの、悲鳴のようなブースト音が聞こえていた。見つけたのは、ズタボロの<ナイト>を抱えて飛ぶもう一機の<ナイト>級だ。
どんな戦闘をしたのか全身の装甲に亀裂が入り、左のガントレットも欠けている。フライトグリーヴも左側が半ばからひしゃげ、ふらふらと飛ぶその姿は明らかに限界だった。
それでもどうにか飛ぼうとはしていたのだろう。だが学舎前、支援部隊にまでたどり着く前にその<ナイト>は墜落した。自らの体で道路を数メートルほど削って、ようやく止まる。
墜落した<ナイト>はそれでももがくように、体を起こそうとしているが――
「東? なんで東から負傷者が……?」
敵は北から来ているはずだ。
怪訝に見つめる先、救護班が<ナイト>に近寄る。激戦の末に逃げ落ちたのか、バイザーを脱ぎ捨てた彼女は泣いていたが。
救護班に縋りつくようにして叫んだ言葉は、まるで悲鳴のようだった
「誰か、助けて――このままじゃ、アーシャが死んじゃうっ!!」
(……は?)
どうして、今、その名が出るのか。
愕然と凍りついたムジカを置き去りにして、状況は進む。
「ノブリス――使えるノブリスは、ないの!? 早く、早く戻らないと――」
「落ち着け!! まずは君のほうが先だ、君だって怪我してるんだぞ!?」
「そんなの、後でいいからっ!!」
そんなわけにはいかない。ノブリスの損傷もだが、その少女もまた負傷しているのだ。
フレームが歪んだのか、開かないバイタルガードから抜け出そうともがく左手は、ガントレットを失って血塗れだ。裂けたような傷口から、溢れる血が止まらない。砕けたバイザーから覗く顔も。破片で切ったのか、血だらけだった。彼女が倒れたまま起き上がれないのは、おそらくは左足が折れているからだ。フライトグリーヴが妙な方向に歪んでいる。
それでも、彼女は止まらない――必死に、乞うように叫び続けている。
「<ナイト>――壊れてるやつでもいいから!! もめてる時間なんてないの! だから早く!!」
「バカを言うな! そんな怪我で何ができる!? 第一、ここにまともに使える<ナイト>なんて――」
「なら<サーヴァント>でもいい!! お願いだから――私たちが戻らないと、アーシャが死んじゃう!!」
「落ち着けと言っている!!」
少女の悲鳴に、救護班の怒号。だがどれだけ怒鳴られても、少女の様子は変わらない。彼女が半狂乱に陥っているのは間違いなかった。
だからこそ、わからない。アーシャたちは――新入生は主力にはなっていなかったはずだ。戦場に出すには過酷すぎるからと、別包囲の警戒に回されたはずだ。
なのに、その少女は負傷している。何かが一つでも間違っていれば、死んでいたかもしれないほどに。
それに……アーシャが死ぬ?
「いったい、何が――」
と。ちょうどその時だった。
ムジカとリムの、通信端末に振動。ハッと見やれば、発信者はラウルからだ。
音声通信要請――受諾して、即座に叫ぶ。
「ラウル、無事か!? 状況は――」
『――撤収の準備をしろ』
「……はっ?」
有無を言わさぬ、巌のような声だった。
『伏兵だ。東の予備隊が出くわしたようだが、ダメだ。新兵では耐えきれん』
「おい待て、ラウル――」
だが待たなかった。容赦もなかった。
ただ傭兵団の団長として、感情を交えずに告げてくるだけだ。
『前線は膠着している。救援は出せん。こちらは切り抜けられるかもしれないが、間に合わん。その間に、メタルが学園にまでたどり着くだろう。東の部隊は無駄死にだ』
「待てよラウル! だって、東には――」
『――潮時だ、ムジカ。だから、命令する。急げ』
そして、有無も言わさなかった。
こちらの言葉を完全に無視して、通信が途絶える。おそらくは、ラウルも戦闘中だ。<ナイト>のブースターの音が聞こえた。状況が変わったのは本当だろう。前線に出ないと言っていた彼も空戦に参加しているようだったが。
「……アニキ」
心配そうにこちらを見る、リムの声がどこか遠い。
呆然と……愕然と。ムジカはじわじわと迫り来る、絶望を認めた。
負けた。
セイリオスは負けたのだ。正面から押し寄せる超大型たちはしのげても、東から来た伏兵を防ぎきれない。奮戦する未熟なノーブルたちを薙ぎ払って、学園にまで侵略してくるだろう――
まだ、シェルターへの非難は完了していない。
「……アニキ?」
また、リムがこちらを呼んだ。だが、その声には訝しむような色があった。
リムも、ラウルの通信を聞いていた。だから、その声はこの後どうするのかを聞いたのではない――周囲を見回すムジカに、彼女は慌てたように声を荒らげた。
「なに、探してるっすか――それはダメっすよ、アニキ!」
<サーヴァント>から飛び出して、被っていたバイザーもかなぐり捨てて。リムはムジカを捕まえる。
わかっていた。リムにそれを悟られることも、気づいた彼女が止めようとすることも。
だが、それでもムジカは呟いた――あるいは、そう。懇願した。
「頼む。行かせてくれ。俺が全部墜とす。動ける奴がいないなら、俺が全部やる――」
「違う!! それはアニキの――兄さんのやることじゃない!!」
必死に腕にしがみついて、せき止めるようにリムが叫ぶ。
口調すら、かつて使っていたものに戻して。必死に、リムが言い募る。
「兄さんはもう、ノーブルじゃない!! 戦う必要なんてないんだよ! 命を懸ける価値だってない!! もう十分、戦ったでしょう……? 今行ったら、兄さんは死んじゃう――」
「――あいつは、今死ぬんだぞ!!」
反射的に、叫び返して。
怯えたように息を止めたリムに、だが叩きつける言葉が続かない。
だから口から漏れ出たのは、それまでとは比べ物にならないほどに、かすれた弱々しい声だった。
「……やめてくれよ」
「兄さん……?」
「“誰かのために”戦って死ぬなんて、そんなカッコよさはやめてくれよ」
昔、それをやった人がいた。
誰よりも強い英雄だった。誰よりも高潔な戦士だった。
ムジカの知る、最初で最強の――憧れの、“ノーブル”だった。
誰にも助けてもらえずに、仲間に裏切られて死んだ。
「援軍が来なきゃ、死んじまうのがわかってて。助けが来るか、わからないこともわかってて。なのに、最期まで戦うってなんでだ?」
「…………」
「やめろよ。やめてくれよ。俺にそんなもの見せないでくれ。ノーブルってそういうのじゃないだろ? いつもは義務だの誇りだのって叫んで、偉そうにふんぞり返って。でもいざとなったら逃げだす腰抜けとか、自分のことしか考えてない卑怯者とか。ノーブルって、そういうのだろ?」
だから。
今更、そんな高潔さを見せるのはやめてくれ。
誰かを守るためなら死んでもいいなんて、残酷な覚悟を見せつけるのはやめてくれ。
――どうして父さんの時に、お前みたいな奴はいてくれなかったのかって。
そんな、バカなことを考えさせるのはやめてくれ。
「……消えないんだ。後悔が」
ぽつりと。懺悔のように、囁いた。
「“帰ってきたら”なんて約束を、信じるんじゃなかったって。あの日、俺も出てれば父さんは助かったかもしれないって……その力はあった。あったんだよ、リム」
今もまだ、夢に見る――砕けた“父の残骸”を。
父の死を。あの日、救いたかった幻影を――
そこに“あいつ”まで加わってしまったら、もう自分には耐えられない。
「……頼む、リム。<サーヴァント>でもいい。行かせてくれ」
「兄さん……」
だから。
すがるように、ムジカは言った。
「……これ以上、後悔したくないんだ」
――そして、それに答える声があった。
『――お望みとあらば!!』
「はいっす、アニキ」
メタルに噛み砕かれたのか。胴体部がひしゃげた<ナイト>級ノブリスのバイタルガードを、リムが<サーヴァント>で無理やりこじ開ける。
中には閉じ込められていたノーブルの姿。ただしフレームがひしゃげたせいで内部にダメージが入ったのだろう、ノーブルは気絶していた。幸いにも死んではいないようだが、内臓にまでダメージが入っていると生死も危うい。
そっとノーブルを解放すると、救護班を呼びつけて明け渡した。担架で運ばれたノーブルを少しの間だけ見送るが、仕事はそれで終わりではない。
戦闘開始から、もうどれだけ経ったのか。ある時を境に、こうして後送されてくるノブリスが増えてきた。戦闘能力を失ったものや、搭乗者が気を失ったままのノブリスの対応は、もはや珍しいものではない。今のノーブルもその例だ。
負傷しているムジカに代わり、<サーヴァント>で作業するリムに声をかける。
「バイタルガード……つーか、胴体部が壊れてるんじゃあダメだな。フライトグリーヴと左腕ガントレットはまだ使えそうだから外して、他はトラッシュ置き場に持ってってくれ。魔道機関に損傷はないから直せはしそうだが、いじってる時間が足りねえ」
「了解っす」
ムジカの指示に従って、リムが壊れた<ナイト>を分解し始める。ノブリス――特に量産型である<ナイト>級は構造が単純だ。だから各モジュールの切り離しも容易で、使いまわすこともできる。
ひとまず現状、ムジカたちの仕事は後送されてくるノブリスの解体だった。
壊れたノブリス数機を組み合わせて、一応は使えるノブリス一体をでっち上げて前線に送り返す。それが今後方、学園側の錬金科の仕事だ。
ノブリスの実戦配備、並びに即座の応急処置を目的とした前線支援部隊もいる。そちらはノーブルと強く連携している班が主体だ。サジもそちらにいるようで、こちらでは一度も見かけていない。
逆にアルマ班のようにあまりノーブルと連携していない班は、学園側で非戦闘員の避難誘導の補助をさせられた後、後方支援を担っている。こちらは前線と遠いこともあるせいか、開戦直後はまだ余裕があった。襲われているという実感が薄かったからだろう、楽観的な空気さえあった。
だが、今はそんなものはどこにもなくなっている。感じるのは張り詰めた悲壮感だ。本当に、勝てるのかどうか。ようやくその現実に気づき始めた彼らの顔には不安が見えた。
それですら、悠長であるとムジカは知っているが。
「……にしてもアルマ先輩、いつになったら出てくるんだ?」
猫の手も借りたいほどの惨状だというのに、ここにアルマの姿はない。彼女は現在も“面会謝絶”のままだった。
今何をしているのか、何を考えているのか、そんなことさえわからない。リムには伝言で“もう少し待て”と連絡があったそうだが。そんなことを言っていられる状態でもないのに“待て”と言える、彼女の胆力には感心してしまう。
リムが壊れた<ナイト>をトラッシュ置き場に運び、また次の<ナイト>を持ってくる。分解して、直せそうなものはモジュールを取り付け、運搬要員に引き渡す。
壊れたノブリスの残骸に囲まれて、不意にもたげたのはもどかしさだった。
(戦場が目の前にあって、ノブリスだってその辺にいくらでもある。行こうと思えば、いつだって戦場に出れるのに……)
自分は今、ここにいる。それは全身をかきむしりたくなるほどの不快感だった。
戦いの場に臨んでおきながら、自らが戦わないことなどこれまでほとんどなかった。ここは自分の居場所ではないと、そう体が叫んでいる。
今すぐにでもその辺りの<ナイト>を奪って飛び出しても、きっと誰も文句は言うまい。それはもはや衝動と呼べるほどの渇望だった――
「――ダメっすよ、アニキ」
だが、リムには見抜かれた。
釘を刺す――など生ぬるい言い方ではなく、楔でも打ち込むように重々しく言ってくる。
「これは、アニキの戦場じゃないんす。アニキの出る幕はないっすよ。あーしたちは錬金科なんだから、言われた仕事をしなきゃならないんす……第一、アニキは怪我人でしょ。戦うべき人じゃないって、わかってるでしょ?」
「だけど、俺ならもっとうまくやれる――」
「……戦う理由もないのに?」
ぽつりと差し込まれた言葉に、思わず息が詰まった。
大昔、あの空で父に問われたことは、リムにもラウルにも話していない。だから、リムが語ったのはそれとは別のことだ。傭兵として戦っていたころと、今は違う。そう言いたいのだろう。
事実、リムはすぐに別の言葉を重ねてきた。
「アニキはノーブルじゃない。アニキがセイリオスの犠牲になる必要もない。第一、アニキはもう十分働いたじゃないっすか。怪我だって、元はそのせいでしょ? アニキはもっと、自分のことを大切にするべきっす」
「……この状況で説教は勘弁してくれ。予想以上に気が滅入る」
「アニキが下手な気起こさなくなるなら、いくらだって説教するっす。今日のこと、まだ根に持ってるんすからね?」
ぷりぷりと怒ってさえみせる。降参のあかしに両手を上げてみせたが。
実際のところ、それがリムの空元気であることはわかっていた。彼女の顔には隠し切れない不安が見える。それはこの状況そのものに対してもだが、それ以上にムジカに対してだ。
リムはムジカが戦うことを歓迎していない。戦わなくて済むことを祈っている――こちらの安息を。それをムジカは知っている。
(これは俺の戦場じゃない……か)
確かにその通りなのだろう。セイリオスを襲ったメタルとの戦いは、セイリオスのノーブルのものだ。ムジカは錬金科の一生徒に過ぎず、戦う理由は確かにない。
だが、とも思う――思い出すのは七年前のことだ。父がいなくなった日のこと。
あの日も、今日と同じような日だった。メタルの“巣”に襲撃され、グレンデル中のノーブルたちが出撃した。父もその一人だ。
処理しきれない量のメタルに襲われ、父が一人で一画を引き受けた。仲間の救援を信じて独り戦い続け、そして最期はその仲間に撃ち落とされた。
今もまだ、あの日のことを覚えている。別れ際、大きな手のひらに撫でられたことを。
帰ってきたら、稽古をつけてやると。約束を遺して、だが父は返ってこなかった……
(どうして今、そんなことを思い出す……?)
わからない。わからないが――
それが予感だとするのなら、運命というのは最低なまでに残酷だった。
「……うん? あれは――」
不意に呟かれたリムの声に、ハッとムジカは顔を上げた。
東のほう。途切れ途切れの、悲鳴のようなブースト音が聞こえていた。見つけたのは、ズタボロの<ナイト>を抱えて飛ぶもう一機の<ナイト>級だ。
どんな戦闘をしたのか全身の装甲に亀裂が入り、左のガントレットも欠けている。フライトグリーヴも左側が半ばからひしゃげ、ふらふらと飛ぶその姿は明らかに限界だった。
それでもどうにか飛ぼうとはしていたのだろう。だが学舎前、支援部隊にまでたどり着く前にその<ナイト>は墜落した。自らの体で道路を数メートルほど削って、ようやく止まる。
墜落した<ナイト>はそれでももがくように、体を起こそうとしているが――
「東? なんで東から負傷者が……?」
敵は北から来ているはずだ。
怪訝に見つめる先、救護班が<ナイト>に近寄る。激戦の末に逃げ落ちたのか、バイザーを脱ぎ捨てた彼女は泣いていたが。
救護班に縋りつくようにして叫んだ言葉は、まるで悲鳴のようだった
「誰か、助けて――このままじゃ、アーシャが死んじゃうっ!!」
(……は?)
どうして、今、その名が出るのか。
愕然と凍りついたムジカを置き去りにして、状況は進む。
「ノブリス――使えるノブリスは、ないの!? 早く、早く戻らないと――」
「落ち着け!! まずは君のほうが先だ、君だって怪我してるんだぞ!?」
「そんなの、後でいいからっ!!」
そんなわけにはいかない。ノブリスの損傷もだが、その少女もまた負傷しているのだ。
フレームが歪んだのか、開かないバイタルガードから抜け出そうともがく左手は、ガントレットを失って血塗れだ。裂けたような傷口から、溢れる血が止まらない。砕けたバイザーから覗く顔も。破片で切ったのか、血だらけだった。彼女が倒れたまま起き上がれないのは、おそらくは左足が折れているからだ。フライトグリーヴが妙な方向に歪んでいる。
それでも、彼女は止まらない――必死に、乞うように叫び続けている。
「<ナイト>――壊れてるやつでもいいから!! もめてる時間なんてないの! だから早く!!」
「バカを言うな! そんな怪我で何ができる!? 第一、ここにまともに使える<ナイト>なんて――」
「なら<サーヴァント>でもいい!! お願いだから――私たちが戻らないと、アーシャが死んじゃう!!」
「落ち着けと言っている!!」
少女の悲鳴に、救護班の怒号。だがどれだけ怒鳴られても、少女の様子は変わらない。彼女が半狂乱に陥っているのは間違いなかった。
だからこそ、わからない。アーシャたちは――新入生は主力にはなっていなかったはずだ。戦場に出すには過酷すぎるからと、別包囲の警戒に回されたはずだ。
なのに、その少女は負傷している。何かが一つでも間違っていれば、死んでいたかもしれないほどに。
それに……アーシャが死ぬ?
「いったい、何が――」
と。ちょうどその時だった。
ムジカとリムの、通信端末に振動。ハッと見やれば、発信者はラウルからだ。
音声通信要請――受諾して、即座に叫ぶ。
「ラウル、無事か!? 状況は――」
『――撤収の準備をしろ』
「……はっ?」
有無を言わさぬ、巌のような声だった。
『伏兵だ。東の予備隊が出くわしたようだが、ダメだ。新兵では耐えきれん』
「おい待て、ラウル――」
だが待たなかった。容赦もなかった。
ただ傭兵団の団長として、感情を交えずに告げてくるだけだ。
『前線は膠着している。救援は出せん。こちらは切り抜けられるかもしれないが、間に合わん。その間に、メタルが学園にまでたどり着くだろう。東の部隊は無駄死にだ』
「待てよラウル! だって、東には――」
『――潮時だ、ムジカ。だから、命令する。急げ』
そして、有無も言わさなかった。
こちらの言葉を完全に無視して、通信が途絶える。おそらくは、ラウルも戦闘中だ。<ナイト>のブースターの音が聞こえた。状況が変わったのは本当だろう。前線に出ないと言っていた彼も空戦に参加しているようだったが。
「……アニキ」
心配そうにこちらを見る、リムの声がどこか遠い。
呆然と……愕然と。ムジカはじわじわと迫り来る、絶望を認めた。
負けた。
セイリオスは負けたのだ。正面から押し寄せる超大型たちはしのげても、東から来た伏兵を防ぎきれない。奮戦する未熟なノーブルたちを薙ぎ払って、学園にまで侵略してくるだろう――
まだ、シェルターへの非難は完了していない。
「……アニキ?」
また、リムがこちらを呼んだ。だが、その声には訝しむような色があった。
リムも、ラウルの通信を聞いていた。だから、その声はこの後どうするのかを聞いたのではない――周囲を見回すムジカに、彼女は慌てたように声を荒らげた。
「なに、探してるっすか――それはダメっすよ、アニキ!」
<サーヴァント>から飛び出して、被っていたバイザーもかなぐり捨てて。リムはムジカを捕まえる。
わかっていた。リムにそれを悟られることも、気づいた彼女が止めようとすることも。
だが、それでもムジカは呟いた――あるいは、そう。懇願した。
「頼む。行かせてくれ。俺が全部墜とす。動ける奴がいないなら、俺が全部やる――」
「違う!! それはアニキの――兄さんのやることじゃない!!」
必死に腕にしがみついて、せき止めるようにリムが叫ぶ。
口調すら、かつて使っていたものに戻して。必死に、リムが言い募る。
「兄さんはもう、ノーブルじゃない!! 戦う必要なんてないんだよ! 命を懸ける価値だってない!! もう十分、戦ったでしょう……? 今行ったら、兄さんは死んじゃう――」
「――あいつは、今死ぬんだぞ!!」
反射的に、叫び返して。
怯えたように息を止めたリムに、だが叩きつける言葉が続かない。
だから口から漏れ出たのは、それまでとは比べ物にならないほどに、かすれた弱々しい声だった。
「……やめてくれよ」
「兄さん……?」
「“誰かのために”戦って死ぬなんて、そんなカッコよさはやめてくれよ」
昔、それをやった人がいた。
誰よりも強い英雄だった。誰よりも高潔な戦士だった。
ムジカの知る、最初で最強の――憧れの、“ノーブル”だった。
誰にも助けてもらえずに、仲間に裏切られて死んだ。
「援軍が来なきゃ、死んじまうのがわかってて。助けが来るか、わからないこともわかってて。なのに、最期まで戦うってなんでだ?」
「…………」
「やめろよ。やめてくれよ。俺にそんなもの見せないでくれ。ノーブルってそういうのじゃないだろ? いつもは義務だの誇りだのって叫んで、偉そうにふんぞり返って。でもいざとなったら逃げだす腰抜けとか、自分のことしか考えてない卑怯者とか。ノーブルって、そういうのだろ?」
だから。
今更、そんな高潔さを見せるのはやめてくれ。
誰かを守るためなら死んでもいいなんて、残酷な覚悟を見せつけるのはやめてくれ。
――どうして父さんの時に、お前みたいな奴はいてくれなかったのかって。
そんな、バカなことを考えさせるのはやめてくれ。
「……消えないんだ。後悔が」
ぽつりと。懺悔のように、囁いた。
「“帰ってきたら”なんて約束を、信じるんじゃなかったって。あの日、俺も出てれば父さんは助かったかもしれないって……その力はあった。あったんだよ、リム」
今もまだ、夢に見る――砕けた“父の残骸”を。
父の死を。あの日、救いたかった幻影を――
そこに“あいつ”まで加わってしまったら、もう自分には耐えられない。
「……頼む、リム。<サーヴァント>でもいい。行かせてくれ」
「兄さん……」
だから。
すがるように、ムジカは言った。
「……これ以上、後悔したくないんだ」
――そして、それに答える声があった。
『――お望みとあらば!!』
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる