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1章 強制入学編

6-3 あなたはまだ、ノーブルに夢を見ておられるのですね

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 学園近くのバス停から路線バスに乗ると、ムジカはしばらく座席に身を預けた。
 行先は終点のエアフロントだが、街中を離れるにつれて乗客も少しずつ降りていく。終点にたどり着くころには、乗客はムジカだけになっていた。
 最期の停留所でバスから降りると、ムジカは独り、辺りを見回した。
 といってもエアフロントは島外縁部にあるだけあって、何もない。せいぜい広い広間の遠くに周辺空域警護隊の詰め所とマリーナ――浮島所有のフライトシップなどの保管場所――があるくらいだ。
 警護隊詰め所の近くでノーブルがノブリスの訓練を積んでいるのが見えたが、見かける人影はその程度。
 入学シーズンも過ぎ去った今では、エアフロントはほぼ無人の寂れた空間となっていた。
 と。

「――おーいムジカ。こっちだ」

 不意に呼ばれて、ムジカは埠頭のほうを見やった。横付けされたフライトシップの目の前に、ラウルが突っ立っている。既に出港準備は整っているらしいが。
 そちらへと向かいながら、ムジカは呆れたように声を上げた。

「いきなり呼びだして、どうしたんだよ。仕事にしたって急すぎるだろ?」
「仕方ないだろう、クライアントが急に仕事振ってきたんだから」
「クライアント?」

 気になったのはその一言だ。仕事である以上依頼者がいるのは当たり前のことだが、何故かその一言が無性に気になった。
 が、ラウルは説明する気はないらしい。ムジカの背後に回ると、むんずと両肩を掴んで押し始めた。

「まーまー。そんなことは後でいい。とにかく乗れ。時間が惜しい」
「いやおい待て、先に話を聞かせろよ」
「まーまーまーまー。後だ後」

 そのまま抵抗むなしくフライトシップに押し込まれ、タラップも自動で外される。
 だけならまだしもフライトシップが勝手に発進したので、ムジカは後戻りの手段すら奪われる形になった。
 船内の廊下で呆然と呟く。

「……誰が操作してんだ? これ」
「クライアントだよ。よし、これで話をする準備ができたな?」
「半分拉致されたようなもんじゃねえか。仕事ってなんだよ。拒否権は?」
「あると思うか? この状況で」
「ラーウール―!」

 喉の奥から絞り出すように、お恨み申し上げるが。背後に回ったままの壮年の男はびくともしない。
 欠片も取り合わずに、そのままムジカをブリッジまで押しながら言ってきた。

「だーから、言ってるだろう。急ぎの案件なんだって。その割に内容は簡単、報酬も高額。ちょっとおじさんの小遣い稼ぎに付き合ってくれよ」
「自分でおじさん言うんじゃねえよ……あーもーわーったよ。それで? 仕事って結局何させられるんだよ?」
「――それは私が説明しましょう」
「……あん?」

 と。
 ブリッジに入ったあたりで聞こえてきた声に、きょとんとムジカはまばたきした。
 顔を正面に戻せば、ブリッジの中央、操舵輪の前に人影が一つ。そういえば、ラウルはクライアントがこのフライトシップを発進させたと言っていたが。
 そこにいた人物があまりに予想外だったので、ムジカは呆然と呟いた。

「……生徒会長? なんだってあんたがここに?」

 レティシア・セイリオス。この浮島で一番偉い女――というと、少々嫌味が過ぎるが。
 怪訝に見つめた先、彼女は微笑むと胸に手を当てて、

「その答えは、私が本件の依頼主だからです」
「あんたが?」

 一体何の用で、と訝しむ。
 通常、浮島の管理者が浮島の外に出るということはまずない。例外は全島連盟会議くらいのものだ。それ以外に浮島の外へ出る用事となると――
 思い至ってふと訊いた。

「……家出か?」
「私、そんな年頃のワガママ娘みたいなことはいたしません……少々楽しい想像ではありますけれど」

 そのすね方は、それこそ年頃のワガママ娘みたいなものだったが。
 こほんと咳ばらいをすると、改まって言ってきた。

「回りくどいのもなんなので、率直に言いますと……ムジカさん。少し、お空のデートに付き合っていただけませんか?」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 正直に言ってしまえば今回、その“デート”なる文言が一番回りくどかった。
 依頼内容は単純だ。周辺空域の巡回。その一言で片が付く。
 ただしそれは本来警護隊の仕事なので、わざわざレティシアが依頼する必要もない。それでも彼女がこんなことをラウルに頼んだのは、端的に言えば“胸騒ぎ”が原因なのだそうだ。

(……先祖返りかねえ……?)

 ノーブルの中には時折現れる。異様に勘が鋭いというか、未来が見えているのではと疑うほどに、得体の知れない何かを感じ取る者が。
 一応、理屈はつくらしい。というのも、ノーブルの源流は当時の貴族と魔術師だ。そして魔術師の中には予言者と呼ばれる者もいて、短期間ではあるが未来予知が行えた、らしい。
 そのため現代のノーブルも、当時の魔術師と同じことができてもおかしくはないそうだが。

(嫌な予感……ってほど、漠然とはしてなさそうだったしな。本当に何が見えてるんだか……)

 そんなことを考えていた、何もない空の下。フライトシップはお供もなく、のんびりと雲海上を飛んでいく。
 甲板に寝ころんで眺める空の景色は圧巻だが、この光景を見るたびに実感するのは、自分自身のちっぽけさだ。
 この空に人間の居場所などない。こんなにも何もない世界なのに、自分ひとりの居場所ですら。ノブリスを纏ってようやく踏み出すことが許される空だ。広大な世界でありながら、ちっぽけな人間が一人いることすら許さない。

「――何か面白いものは見えますか?」

 と、不意に背後から聞こえてきた声に、ムジカは肩越しに視線だけをくれてやった。
 予想通りではあったが、声の主はレティシアだ。甲板床にあるハッチからひょっこりと顔だけ出している――床から首が生えているシュールな光景だが、そんな様子を見る限り、彼女が浮島の管理者とはとても思えない。
 ひとまず寝ているのもなんだったので、体を起こすと、その間に彼女は甲板まで上がってきた。
 こちらの傍まで寄ってくる中で、腕をさすりながら言ってくる。

「……寒くありませんか、ここ?」
「突っ立ってたら、そらまあ風が直で当たるからな。座ってればそんなんでもない」
「……ふむ」

 わずかばかり思案顔になった後、辺りをちらほらと見まわして何かを探す。
 椅子とか座るものを探したのかと気づいたのは、そういえば彼女は貴族令嬢だと思い至ったからだ。だが結局、何もないと気づいて――一瞬だけ眉根を寄せると、観念したようにムジカの隣に座った。
 そうして五秒ほど沈黙したのち、顔をしかめて、

「……やっぱり寒くありませんか?」
「そうでもない。というより、少し肌寒いくらいでちょうどいい」
「……ふむう」

 またレティシアがうなる。今度のは思案というわけではなく、どうにも納得できなさそうに首を傾げていたが。
 結局何しに来たのかわからず、ムジカは率直に訊いた。

「……なんか用だったか?」
「用というほどのものでは……強いて言うならば、雑談でしょうか? なにぶん、もうしばらくかかりそうですので」

 と、言いながらレティシアは空をのほうを見やった。
 といって、見える景色が何か変わっているわけではない。遠くまで広がる雲海と、時折雲の切れ間から見える大地、そしてどこまでも果てしない青い空があるだけだ。
 強いて言えば、背後を振り向けばセイリオスが見えるくらいか。
 どちらにしても、それが用ならムジカの仕事ではない。寝転び直して雑に告げた。

「談笑がお望みならラウルに言ってくれ。うちの傭兵団じゃ、そういうのはあいつの担当だ」
「あら? 私、ラウルおじさまに似たようなことを言われましたけれど。談笑なら若いの同士でやってくれって」
「あいつ、適当なこと言いやがって……こっちにアンタの世話任されてもな」

 よりにもよって、というやつだ。相手はこの空で最も貴い血筋の一つだ。本来なら、関わるのも恐れ多い。そんな相手である。
 そんな相手に話すことなど何もなく、ムジカは早々に降参を宣言した。

「悪いが話題なんか一つもないぞ。そっちはなんかあるか?」
「そうですねえ……たくさんお話ししたいのは本当なんですが、私もあんまりお話が得意なほうではありませんし。先に実務のほうを片付けておきましょうか?」
「実務?」
「ほら、昨日の決闘の」

 言われて、思わず顔をしかめた。
 あまり思い出したくもないし、思い出しても欠片も面白くない話題だ。ダンデス・フォルクローレとの一幕は、その後の余禄まで含めて何一ついいことがなかった。
 八つ当たりの形になってしまったが、つい不機嫌に呟いた。

「その話なら、アルマ先輩とやってくれって言わなかったか?」
「聞きましたけれど。アルマちゃん、そういう話とか後片付け、したがるタイプに見えます?」
「……オーライ、俺が悪かった」

 まだあまり付き合いは深くないが、確かにアルマはそういうのに興味を持たなさそうだ。
 素直に認めると、レティシアも苦笑したようだった。

「といっても、そんなに話すこともありませんけれど。ダンデスさんを筆頭に、今回の件に関わったスバルトアルヴの生徒は全員退学にしました。加えて決闘管理委員会には多少のペナルティと、今回のような不正がこれまでにもなかったか、監査を実施と。まあその辺りが落としどころですかね」
「……あんたを殺そうとしたにしちゃ、随分と軽い罪だな?」

 ダンデスのことだ。
 仮にも浮島の管理者を殺そうとしたのだ。それが退学だけで済むとなると、ほとんど無傷と変わらないだろう。当人にとっても浮島に帰ったら退学させられた恥知らずの汚名持ちだが、その程度だ。
 ぬるいというよりぬる過ぎる沙汰にレティシアを見やると、彼女は怪しく微笑んでいた。

「いいえ? 表に出せるのはそれくらいですが、裏で駆け引きというか、ダンデスさんの親御さんと取引がありまして。血で手を汚すくらいなら、お得な話をしたほうがよろしいかな、と……どうせもう二度と会うこともありませんし」
「取引、ね……まあ何を勝ち取ったかは想像がつく。よくやるもんだ」
「ダンデスさんは一人息子だそうですから。亡くなられてしまうと後継ぎがおられなくなるとのことだったので……まあダンデスさんは、協議の結果どころか今回の決闘の結果自体にご納得いただけてないようですが」
「増長したノーブルなんてそんなもんだろ」

 どうせそんなことだろうと思っていた。決闘の聖なるかな、なんてのは寝言に過ぎない。“貴き者”を自称する彼らの内面などそんなものだ。

「似たような奴を知ってるよ。そいつも血統以外に褒められるところなんかないくせに、努力もしないで威張り散らしてたクソ野郎だった……ガキの頃は、あんな奴はそうそういないと思ってたんだがな。どこにだっているもんだ、不思議と。そいつに張り付いて、おこぼれにあずかってるゴミみてえな奴も」

 と、ふと思い出して訊いた。

「ダンデスについてた腰巾着いたろ。アイツはどうした?」

 ダンデスの背後に控えていた、メガネの少年だ。ムジカを背中から撃ったもう一人。
 記憶にあるのは最後に会った時の申し訳なさそうな顔であり、またあの講義の日に撃墜して、バイザーを剥いだ後の怯え顔だが。

「ああ……クーロさんですね。彼もまた、今回の決闘騒動で退学が決定しています」
「理由は?」
「ガン・ロッドの細工の際に立ち会っています。リミッターの提案は彼のものです。ダンデスさんに脅されて、仕方なくやったと供述していましたが……」
「主が主なら手下も手下か。典型的だな。笑えもしねえ」

 ふんぞり返ったクソ野郎に、腰ぎんちゃくのクソ野郎。どっちがより悪いかを断じる気はない。悪を成すのが前者のクソなら、大抵の場合“仕方なかった”と開き直るのが後者のクソだ。大差ない。

「……どこに行ったって、ノーブルなんてのはクソ野郎ばっかりだ」
「…………」

 寒々とした空に、むなしい気分で嘲笑を囁いた。
 レティシアはその言葉に、何も言わないでいたが。
 やがてぽつりとささやかれた言葉に、ムジカは思わず呼吸を止めた。

「――あなたはまだ、ノーブルに夢を見ておられるのですね」
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