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1章 強制入学編

3章幕間

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「――リム。ムジカは?」

 家で待っていたこちらに対する、父の第一声がそれだった。
 レティシアの手回しで借りることができたという、小さな一軒家。元はルームシェア用の物件だったそうだが、三人で暮らすには少々広くも感じる。実際にはそうでもないのだろう――あのフライトシップでの生活に慣れてしまったから、そう感じるだけで。
 リビングに入ってきた父に、キッチンから顔を出す。どこか硬い顔をした父に、リムもまた似たような表情で答えた。

「部屋にこもってる。夕飯もいらないからって。何かあったの?」

 リムがこの家に帰ってきたのは夕暮れ前、昼の終わり時くらいだが。その時には既にムジカは部屋に閉じこもっていた。一緒に暮らしてきたのだから、わかる。ムジカがこうして部屋に閉じこもるのは、相当な何かがあったときだ。

「まあ、なあ……」

 ムジカが父に講義を手伝わされているのは知っていたので、理由も父は知っているだろう。
 語るべきかどうかを迷って視線をさまよわせた父は、だがすぐに観念したらしい。
 疲労と、諦観と。あとはわずかに――だが押し殺してもいる――怒りのこもる声で、父は言う。

「……今日の講義で、ムジカが背中から撃たれた。意図的な“誤射”だ」
「それって……!」

 血の気が引く。それはムジカの身のこともあるが、その状況そのものにも感じる恐れだ。
 それはラウルとムジカだけが共有する、ある種のトラウマをえぐる行為だった。その“事故”のせいで、ラウルとムジカは大切な人を失った。

「落ち着け。撃たれたって言っても、あいつは避けたし弾もリミッター付きだ。ただのガキのイタズラ程度でしかない……し、あいつもその程度で折れるほど柔くはないだろ」
「でも……」
「言いたいことはわかるよ。だが、あいつも傭兵をやってきたんだ。あの程度、明日になれば忘れてるさ」

 それは救いではない。ただ悪意に慣れてしまっただけだ。それは救いではない……
 拳を握り締める。こんな時に悲しくなるのは、ムジカが誰にも弱ったところを見せようとしないことだ。自分の中に全て押し隠して、耐えてしまう。
 それができるからそうしているわけではない。それしか彼は知らないだけだ。
 誰かの手を借りて、誰かに寄り添ってもらって。分け合う距離を学ぶことを、彼は奪われた。悪意から肉親を奪われた少年は、独りで立つことだけを学んでしまった――……

「……なんで、兄さんばっかり、苦労しなきゃいけないの?」

 ぽつりと、嘆きが口から漏れた。
 ずっと前から思っていたことだ。この世界は、どこまでもムジカに優しくない。悪意がある。そこまでするのはどうしてかと、わからない何かを恨みたくなるほど彼を追い詰める……

「さあな。そういう星の下に生まれたんだろ」
「……そういう言い方、嫌い」

 父を睨む。睨まれた当の父は、笑って肩をすくめてみせたが。
 なだめるようにリムを撫でると、その苦笑のままこう言った。

「そうは言うが、あいつが苦労しないような生き方は無理だ。それができるほど利口でもないし、それをやれるほどずるくもなれない。わかってるだろ」
「…………」
「そのおかげで、俺たちは今こうしていられる……なら、せめて俺たちだけは味方でいてやらないとな」

 父はそう締めくくると、撫でる手を離して額を小突いた。
 わっと驚いて声を上げると、父は苦笑から苦みを抜いて、

「おら、わかったらすねてないで、さっさとムジカ呼んでこい。飯なんだろ」
「……すねてない」

 むすっと父を睨んでから。そそくさとリムはムジカを呼びに行った。
 ラウルが借りてきたリムたちの家は、昔の建築学科の生徒が仲間たちで住むために作ったものだと聞かされていた。一階はキッチンとかリビングとか風呂とか、そういった共有スペース。二階はそれぞれの個室と機能分けされている。
 三人で住むにはやはり広い――だがかつて故郷にいた頃と比べれば、あまりにも小さい家だ。ここには毎日庭師が手入れしていた噴水付きの庭園も、来客が来た時のための応接室や食堂も、貴族たちを集めて宴を開くためのホールもない。使用人も、コックも、庭師もいない。

(だけど、私の望むものは全部ここにある)

 そして、それ以外のものは何もいらない。
 木製の薄い扉の前で、一度だけ深呼吸する。
 そうして声を作る準備を終えると、扉をノックしていつものように声をかけた。

「アニキー。夕飯っすよー。寝てるっすかー?」

 待っても答えは返ってこない。もう一度ノックしても。
 ドアノブに手を伸ばすと、カギはかかっていなかった。こっそりと部屋を覗くが、中は暗い。カーテンも閉め切っており、ほとんど真っ暗だ。
 その闇の中に身を滑り込ませて、目を凝らす。
 ムジカはすぐに見つかった。ベッドで寝ていた。布団もかぶらずに、ネコか赤子のように丸まっている。起きる様子もないのは、ゆっくりと聞こえてくる呼吸の音で知れた。
 少しの間、その寝顔を静かに見つめた。顔色はさほど悪くない。が、表情は決して良いとは言えない……
 
(また、悪夢を見ているのかな)
 
 その内容を、ムジカは決して教えてくれない。
 それでもまだ、昔に比べたら落ち着いたほうだ。出会った頃は悪夢に毎夜うなされ、常に何かに怯えていた。誰かが近づいた、その気配だけで飛び起きた。それこそ、親に捨てられた小動物のようだった。

 リムがムジカを“家族”として迎えたのは、今から七年前のことだ。ムジカが父親をあの“事故”で奪われ、帰る家すら失った頃。
 当主であるムジカの父の死後、家督を継いだのはその弟だった。あの“事故”を主導した男だ。仲間を率いて孤立させ、最後は意図的な誤射でムジカの父を殺害し、入れ替わるようにその地位に就いた。
 本来なら後継者の地位はムジカにこそ与えられるべきものだった。だがムジカは強欲な叔父がその地位を狙っていることに気づいていた。その手段として、自分を殺そうとしていることも。
 幼いムジカの行動は迅速だった。取る物もわずかに、ひっそりと家から逃げ出した。父親が死んだ、その三日後のことだ。葬儀の途中で姿を消した。
 ムジカの叔父は彼を行方不明ではなく、亡くなったものとして扱った。父親の後を追って自殺したと。
 
 そんな状況でラウルがムジカを拾ったのは、本当に単なる偶然だった。
 ムジカが死んだとされた日から、およそ一月後。ある日、路傍の片隅に行き倒れていた孤児が、たまたま親友の遺児だと気づいた。それだけ。
 父はムジカを隠し育てることを決めた。もし家に帰せば、殺されるとわかっていたからだ。
 ムジカとリムの付き合いは、その頃から始まった。

(この世界は、この人にどこまでも優しくない……)

 リムは物音を立てないようベッドに近寄ると、慎重にその縁に腰かけた。
 そうして壊れ物に触れるようにそっと、伸びたムジカの髪をすくう。だがムジカは何の反応も示さない。固く目を閉じて、苦しそうな息を漏らすだけだ。
 飛び起きなくなっただけでも、昔とは変わった、と思う。父がムジカを拾ってきてからしばらく、彼は懐かない子犬か子猫かといった有様だった。誰も傍に近づけなかったし、自分からも近づかなかった。周りの全てを敵だと思っていた。幼いリムのことですらだ。
 だからリムは、ムジカを兄と呼びながらも、その実“兄”として慕ったことは一度もない。

 リムにとって、ムジカは仔犬だった。
 寄り添ってあげなければどこかにいなくなってしまう、か弱いくせに強がる仔犬。震え、怯えながら、縮こまるようにして眠る仔犬。
 ムジカがリムに慣れた後も、その印象は全く変わらなかった――あの三年前までは。
 そして、今は……

(……大きくなっちゃったなあ)

 自分とは違う生き物だ、と思う。大きくて、固くて、ごつごつしていて。か弱さはどこかに消え失せて、傷も増えて、性格も少しひねくれて――
 だけど、あの頃と変わらず、温かい。
 その温かさに救われてきた。
 だから、悪夢に苦しむムジカに寄り添うのはリムの仕事だ。

「……アニキ、夕飯の時間っすよ。ほら、起きて起きて」
「――……ん、あ? ……リム?」
「っす。夕飯っすよ。さっさと起きるっす」
「……いらないっつったろ……」
「とは言うけど、もう作っちゃったっす。もったいないし、不健康っすよ。四の五の言わずに食べるっす。それともまた寝るっすか?」
「一度起きたら寝れねえんだよなあ……わーったよ」

 まだ眠いのか、のんびり、というよりは、もっさりとした動きでベッドから這い出てくる。
 こんな姿も、あの頃では見られなかったものだろう。隙をさらした無防備な姿は、それだけ、リムに心を許してくれているということでもある。
 だからリムは、その信頼に応えるために、今日もムジカの世話を焼いた。
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