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1章 強制入学編

プロローグ

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「――そらまあ怖いさ。ヘタ打ちゃ死んじまうかもしれねえからな」

 戦うのが怖くないの? と聞いたムジカに、父が返した答えがそれだった。

「それでもまあ、俺は“貴族ノーブル”だからな。タダ飯食わせてもらってんだ、戦うくらいはしてやらなきゃな」

 苦笑と共に父は言う。明け透け、というよりは、どこか突き放したような言い方だ。
 父は他の人たちほど、ノーブルという地位と役割に固執していない。誇りや義務もそこまで感じてはいないのだろう。そんなものはどうでもいいと思っているようにすら見える。
 蒼きノブリス・フレーム、英雄機“ジークフリート”に身を包んだ父に抱かれて。何もない雲海上に二人、雲と空と、太陽とを見ていた。
 ノブリス・フレームは人殺しの獣、“メタル”と戦うために生み出された。全身甲冑めいた、空戦用の魔道式強化外骨格。
 それを纏った父が、「この世界を見せてやりたい」と言ったから、ムジカは父の手に抱かれて空にいる。

 この空が、人類に残された唯一の住処だ。
 人々が“メタル”を生み出したその日から、地上は人間の世界ではなくなった。幾度かの争いを経て空へと逃げた人類は、仮初の揺り籠たる“浮島”を生み出した。
 全てはメタルから隠れ、生き延びるために。
 その頃から、ノーブルは人々の守護者だった。
 それは知識で知っているだけだ。だからこそ、幼いムジカにはわからない。それがどれだけの重圧なのかも――それがどれだけ、恐ろしいことなのかも。

 最初はただ、父を誇らしく思っていただけだ。“顔も知らないノブリス・誰かのためにオブリージュ”を是として戦う父のことを――何度もメタルと戦い、人々を守ってきた父のことを。
 だがその父の後を自分が継ぐのだと、ふと考えたとき。自分は父のように戦えるだろうかと、不安になった。
 だから聞いたのだ。“誰かのために”なんて理由で、どうして戦うことができるのかと。
 戦うことを、怖いと思ったことはないのかと。
 その答えが先ほどの父の言葉だった。

「そればっかで戦ってるわけじゃないさ。もちろん建前ってやつは大切だし、その気持ちがゼロってわけでもないけどな……お前は嫌なのか? “それ”を理由にして戦うのは」
「……だって、ズルいよ」
「ズルい?」
「うん……だって、他の人たちは見てるだけじゃないか」

 もちろん、ムジカたちの住むこの浮島、グレンデルには父以外にもノーブルはいる。だから父だけが戦っているなどというつもりはなく――ズルいというのは、その父や貴族たちにメタルとの戦いを強要する平民――非戦闘員たちに対しての言葉だ。
 その中には、まだ戦場に出られない自分も含まれている。言葉にはわずかに悔しさがにじんだ。
 だが父は、ムジカの言葉を朗らかに笑い飛ばした。

「戦える奴が戦えばいいんだよ。始まりはそれだ。そんで、その程度のこった。大げさに考えんなよ――飯はうまく作れる奴が作ればいい。それと一緒さ」
「……」
「納得できねえか? ……ま、お前が“それ”を嫌だってんなら仕方ない。別に、そういう奴は少なくねえしな」

 どこまでも広がる青い空を見上げ、小さく息をつく。
 そうして父は、ゆっくりとこう言った。

「だが、だったらお前は何のために戦いたい?」

 問われ、ムジカは父を見上げた。人類を守る守護者の鎧、ノブリス・フレームを纏う父の顔は、ヘルム型バイザーに隠されて見えない。
 だが、父はまっすぐにこちらを見ていた。そのひたむきさからは逃げられないこともわかっていた。
 だから、ムジカは素直に答えた。

「……わかんない」
「なら、それを探すところからがお前の“戦い”だな」

 父はそんなムジカをまた笑い飛ばした。

「“ノブリス・オブリージュ”じゃなくて、“何のために”戦うのか。お前が何を理由に戦うのか。答えがわかったら教えろよ――でないと、“ジークフリート”はくれてやれねえぞ?」

 からかうように笑う父の声を、ムジカは今もなお覚えている。
 “ジークフリート”に隠されて、その顔は見えなかったが。きっと笑っていたのだろうと、そうムジカは信じている。
 子供の頃の、脳に焼き付いた大切な記憶。なんてことはない、ちょっとした思い出。
 もう取り戻せない過去のこと。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「――やめろ、やめてくれ……俺の負けだ!! やめてくれ……」

 だがムジカは、やめなかった。
 負けを認めて地面に這いつくばるノブリス・フレームを、容赦なく蹴飛ばした。鉄の巨人が地を転がる。惨めな悲鳴が聞こえたが、ムジカは欠片も気にしなかった。
“殺し合い”をしていたのだから、それも当然のことだった。
 既に戦いは終わっていた。広大な、大観衆が見守る闘技場の、その中央。ムジカの目の前には残骸があった。
 “英雄”の残骸だ。
 蒼きノブリス・フレーム、英雄機“ジークフリート”が無様に倒れ伏している。
 殺してやりたいほどに憎い男が、英雄機の中から懇願する。

「俺が、俺が悪かった……だから、頼む。やめてくれ、殺さないでくれ……」

 その相手に、ムジカは無造作に近づいた。
 敵の纏う“ジークフリート”は装甲がひしゃげ、その隙間から漏れるのは血だ。搭乗者たるノーブルの血。潰れたフレームが搭乗者を傷つけたのだろう。
 だが、まだその男は生きていた。

 ――父はこの男に殺されたのに。

「…………」

 偽者のさえずりを無視して、周囲を見回した。
 闘技場とは名ばかりの、処刑場。本来ならここで死ぬはずだったのは、ムジカのほうだ。
 見物人はそれを見に来た――“英雄”を受け継いだ者に、逆らった者が倒されるその瞬間を。
 それが逆転したとき……観衆の声は、罵倒になった。
 無数の非難がムジカを打つ――恥知らずめ。なんてことを。ジークフリート家に逆らうのか。グレンデルの守護者に歯向かうな。もうやめろ。お前が死ぬべきだ。死ね。死んでしまえ――
 その全てを、だがムジカは何一つとして構わなかった。

「――お前たちが、バレル・ジークフリートに何をしたのか」

 囁く声は、だが誰にも届かなかった。
 罵声の中に溶けて消えゆく。それでも構わず、ムジカは憎悪を囁いた。

「俺はこの四年間、ひと時も忘れはしなかった」

 父の弟――父を裏切り、父を殺し、ムジカから全てを奪った男。砕けた装甲の中で、まだ生きている。みっともなく命乞いをし、誇りをかなぐり捨てて喚いている。
 だからムジカは“ジークフリート”を踏みにじった。

「お前は英雄なんかじゃない」

 告げて、踏み潰す脚に力を込めた。
 悲鳴が上がった。やめてくれと、偽物が叫ぶ。ミシミシと、“ジークフリート”が悲鳴を上げる。
“ジークフリート”の硬さが忌々しかった。父を救わなかったくせに、今は偽者を守ろうとする英雄機アバズレに吐き気がした。

「お前は“ノーブル”なんかじゃない」

 やめてくれと、裏切り者が。恩知らずたちが叫んでいる。守護者を失いたくないと。
 だが、ムジカは聞かなかった。
 彼らがしたのと同じ分だけ、ムジカも彼らを拒絶した。
 だから。
 これは誰にも聞かれないよう、声には出さずに囁いた。

(……父さん、ごめん)

 そうしてムジカは“英雄”を破壊した。
 十二歳を迎えたばかりの、ある日のこと。
 “貴族殺し”の罪を背負って、故郷を追われたある日のこと。

 ――“ノーブル”なんて、クソ食らえ。
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