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5章
5-1 守ってやるよ。今回はな
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生まれてこの方、自分の人生はろくでもなかったように思う――
なんだかよくわからないままスラムで過ごしてきた幼年期。どうにか生き延びて暴力を手にした少年期。スラムを飛び出して傭兵として、また賞金稼ぎとして戦い続けた青年期――
考えてみれば、“彼”の生とはつまるところ、戦い続けることだった。そりゃあろくでもないと思う。剣だの斧だのを振り回す生き方しか知らなかったのだ。
それと比べれば、新しく始まった“生”はまだマシだったのかもしれないが。そちらはそちらで十分にろくでもなかった。
なにせ、それは“彼”の人生ではない――とある女が不幸へと転げ落ちていく、その人生の追体験だからだ。
おそらくは、これがその転落の始まりなのだろう。
それを本能的に悟りながら――
「――……い! おい、お前!! 起きろ、おい!!」
そんな声に叩き起こされるようにして、“彼”は目を覚ました。
そして最初に意識したのは、自分が誰かと問う声だった。
(スカーレット……スカーレット・メイスオンリー――……それは“オレ”の名前か?)
本当に?
その声に導かれるようにして。
スカーレットは、暗闇の中で目を見開いた。
遠くにあるのだろう蝋燭の明かりが、かろうじて辺りを照らしている。体が軋むのは、自分が石の床の上に寝かされていたからだ。石は冷たくはない――体温を吸って、微妙なぬくもりを返してくる。
顔を上げると、目に付いたのは鉄格子だった。それで察したのは、ここが牢屋だということだ。深呼吸すると、鼻につくのは埃の臭い。長い間使われていなかったらしい――
そこまでを観察して、ようやくスカーレットは傍にいた少年に笑いかけた。
「よお。生きてるか?」
今にも泣きそうなバカ面だ。そんなものが見えたせいで、気が抜けた。自分の声掛けも相応に馬鹿げたものだったに違いないが。
「そ――それは、ボクのセリフだ! お前、さっきまでピクリとも動かなくて、な、何度声をかけても、起きる気配もなくて――」
言い訳のように言い募ってくるのは、そのバカ面――ジークフリートだった。
自分と一緒に捕まったのだろう。先に目覚めたのだろうが、彼の目元には涙の痕がある。
とはいえそれも仕方のないことだろう。こんな場所にわけもわからないまま閉じ込められて、しかも知り合いが死んだように眠っていたとなれば、子供でなくとも泣きくらいはする。
「気絶してたんなら、そりゃあな。ま、死んでないだけまだ幸運か……よっと」
ジークフリートに笑いかけながら、スカーレットはゆっくりと立ち上がった。
幸いと言えばいいのか、ケガはない。ついでに言えば拘束もされていなかった。格子の先の気配を探っても、見張りさえいない。
(捕まったってのは間違いないんだろうが……だからって、見張りすらいないってどういうことだ?)
考えられる理由は――と、思いついたのは二つだった。
一つは、相手はこちらがこの牢屋から逃げ出せないと思っている可能性。
そしてもう一つは、こちらがわざわざ逃げ出すとは思ってもいない可能性だった。
(“スカーレット・メイスオンリー”は邪神を復活させるための贄だ。もしこれが、本当に邪神復活のための儀式の準備だったとして、これが何度も繰り返されてきたことだって言うのなら……)
あの女は、抵抗しないのではないか?
何度も同じ結末にたどり着くだけだというのなら。
脳裏に閃いたのは、気絶する前に見た最後の光景だ。ジークフリートの護衛騎士、ニールの首から生えた生首。“スカーレット”の知己として振る舞い、嘲笑しながらスカーレットを捕まえた……
あの女が言っていたことを思い出す。邪教の司祭。人を操る力を授かったという敵。おそらくは、あの生首がそうなのだろう。
(つまりは結局、何の準備もできないまま“本番”を迎えちまったってわけか。冗談じゃねえな……さて、どうやって逃げ出すか)
できることはあるが、その前に調べられることは調べておいた方がいいだろう。
「お前、ここがどこかとかわかるか?」
ジークフリートに訊ねるが、返ってきたのは全く場違いな疑問だった。
「……お前、なんでそんな冷静なんだ?」
「慌てりゃ実入りがあるってんなら、いくらだって慌ててやるけどな。テンパったってろくな事にならねえよ。考えりゃわかんだろ?」
「……お前、どんな人生を送ってきたんだ?」
子供相手にバカバカしいことを訊いてくる。
肩をすくめてみせると、ジークフリートは嘆息してみせた。どちらにしても、今はどうでもいいことだとわかったからだろう。ようやく質問に答えてくる。
「わからない。ボクも、さっき目覚めたばかりなんだ。ここがどこかも、どうしてニールがあんなことをしたのかも……」
「…………」
「どうして……」
最後の呟きはスカーレットに向けたものではなく、俯きながら床に向けて放たれたものだが。言葉と一緒に落ちていった涙には、スカーレットは気づかないふりをした。
対比するように虚空を見上げ、スカーレットは問う。
(おいクソ女。出て来いよ。状況を説明してもらおうじゃねえか)
呼びかけたのはあの女だ。これを女が聞き逃すはずはない――と思ったのだが。
いくら待っても、女からの反応は返ってこなかった。それに思わず舌打ちする。
裏切ったとは思わない。元はといえば、敵同士だったのだから当然だ。“彼”が“スカーレット”をやっているのもそのせいであり、この状況も女にとっては望ましいもののはずで――
(……本当にそうか?)
女を疑う気持ちはある。だが、そのたびに思い出すのは女の横顔と声だった。凍りついたような無表情――あるいは、そう。何かを我慢するために、無理矢理に表情を消した顔。
そして、悲鳴。聞こえるはずのない声で、ジークフリートを助けようとした。あの悲痛な叫びと、今の状況は矛盾する。
答えを聞ければ早いのだが、女は全く反応を返してこなかった。その事実にまた舌打ちしようか迷って、代わりにため息をつく。
そうしてスカーレットは、いったんは思考を切り替えた。自分の体が本当に無事か、確かめるために伸びをする――中でふと気づく。
「……ひとまず、そんなに時間は経ってねえな。半日くらいか……? 一日は経ってねえな」
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「腹の空き具合と喉の渇き具合。何日もほったらかしにされてたなら、身動き一つ取れなくなる。そもそも、体が無事なら寝続けられるはずもねえしな」
「……お前、本当にどんな人生を送ってきたんだ?」
「うるせえな。オレの経験じゃねえよ」
厳密には“彼”の経験だ。傭兵時代の。負け戦の中で足を負傷して、戦場に放置されたことがある。死んだふりで難を逃れたが、その後はどうやって助かったんだったか――
覚えていないということは、ろくでもなかったに違いない。さっと忘れて、スカーレットはジークフリートに告げた。
「とりあえず、こんなところでボケッとしてたって仕方ない。外出るか」
「外って……無理だ。鍵がかかってる」
言ってジークフリートが指差したのは、格子の扉だ。既に彼が一度確認したのだろう。牢屋なのだから、閉じ込めた存在が逃げないようにするのは当然のことだが。
自分でも確かめるために、スカーレットは扉に近寄った。格子の隙間から手を出して、鍵穴の位置を探る。
存外、すぐに鍵穴は見つかった。次はどうやって開けるかだが。
鍵ならある。懐に手を伸ばせば、それはやはりポケットの中に納まっていた。おもちゃのような、ちっぽけな鍵。それを取り出して、囁く。
「……マスターキー、セットアップ」
呼び声に応じて、鍵は姿を変えた。音もなく、一振りの長大な斧へと。
カギがかけられているのなら、こじ開けてしまえばいい。
「前から思ってたんだが……それのどこが“万能鍵”なんだ?」
と、水を差すようなタイミングで、ジークフリート。
さすがに無視するわけにもいかず、半眼でスカーレットは答えた。
「どんなドアでも開けられるからだろ?」
「……正しい使い方なのか? それは」
「斧で扉ぶっ壊すのは王道だろ? まあ……実際これが正規の使い方の一つではあるんだよ、ホントに」
最終手段だけどな、と言い置いて、魔具に軽く念じる。
と、途端に斧は姿を変えた――というか、液体みたいに柔らかくなった。材質こそ金属質ではあるのだが、振ればふにゃふにゃと折れ曲がり、全く原形をとどめていない。
「本来は、正しく“万能鍵”なんだよ。形状とサイズがある程度自在に変えられてな。理論上は、どんな扉でも開けることができる。斧にもなるのは……たぶん制作者の茶目っ気かな。斧も間違いなく“最終手段”ではあるんだから」
「いや、おかしいだろうどう考えても。それに普通に使えるなら、なんで普通に使わないんだ?」
「オレが鍵の構造に詳しくねえからだよ。ピッキングのやり方もろくに知らねえし」
「……ぴっきんぐ?」
得体の知れない単語を聞いたとでも言うように、きょとんとジークフリートが首を傾げる。
いや、実際ジークフリートにとっては得体の知れない単語かもしれない。仮にも王族がコソ泥みたいにピッキングなどするわけがないし、訊いたことがないのは当然のことか。
「今度コソ泥と会う機会があったら、訊いてみりゃいい。案外役に立つ知識かもな」
世間知らずの坊ちゃんにはそれ以上付き合わず、そして有無も言わさずスカーレットは斧を錠へと叩き込んだ。
悲鳴のような一瞬の金属音。それが廊下へと響いて、間延びしていきながら……消える。
顔を真っ青にしたジークフリートを置いて、スカーレットは牢屋から出た。
やはり見張りはいない――どころか、騒音を立てても誰かが来る気配すらない。そこそこの数の牢屋が並んだ通路が続いているだけだ。
「お、おい――」
と、牢屋の方から震える声。
「大丈夫、なのか……?」
何を心配したのか、それだけではわからない。敵にバレたか? ここから逃げ出していいのか? この後どうなる? 助けは来るのか――ボクたちは、生きて帰れるのか?
そのどれに答えたのかは自分自身わからなかったが。少年の不安に、スカーレットは肩をすくめてみせた。
「さてな。オレがンなもん知るわけねえだろ」
「さてなって、お前……だったらどうして鍵を開けたんだ」
「ボケッとしてるのが性に合わねえんだよ。待ってりゃそのうち誰かが助けにくるかもだが、それがいつになるかわからねえし。動けるうちに動いたほうが、ここで待ってるよかマシだと思うがね」
「ま、待っていても、助かるかもしれない。ボクとお前が、お前の館にいないって気づけば――」
誰かがすぐに気づいて助けに来てくれるはずだと言いたいのだろうが、スカーレットは首を横に振って否定した。
「気づくのに半日は必要だな。オレもお前も、誰にも言わずに森の中に入っちまってたから。子供のイタズラか何かを疑って、従者たちがその辺を探し回るのに半日。異変だと気づいて大事になるのはそっからだ」
「半日……? そんなにか?」
「ああ、それだって十分に早いほうだろうよ。本格的な捜索が始まるのは……ちょうど今頃かな」
ここがどこかにもよるが、見つかるまでにかかる時間は想像したくない。さらわれて牢屋に入れられているなど、誰が考える?
あるいは、父ヒルベルトの親バカだかなんだかが炸裂して、すぐさま見つけてくれるかもだが。まあ期待はしない方がいいだろう。
未だに牢の中にいるジークフリートを見やって、スカーレットは手短に訊いた。
「どうする。ここで待ってるか、行くかだ」
どちらにもリスクはある。当たり前だが。そして未来は見通せない以上、判断は直感と好みに委ねるしかない。
躊躇った時間はどれほどだったか。だがどちらにしろジークフリートは決断した。
「わかった……行く」
「そうこなくっちゃな」
にやりと笑うと、スカーレットはジークフリートを待った。
ゆっくりと、怯えながらジークフリートは牢屋から出てくるが……表情はやはりというべきか、暗い。不安を隠すということすら思いつかないのだろう。
だからか、ふと思いついた。
「一ついいこと教えてやる」
「え?」
出し抜けに聞こえただろう。だが構わずスカーレットは告げた。
「偉いやつってのはな、後ろでふんぞり返ってりゃいいのさ――オレが任せた、なんか文句あんのかってツラでな。それができて、初めて立派な大将だ。覚えとけ」
ガラではない――こんなことを言うのは。
だがそれでも言わなければならないこともあるから、“彼”は苦笑とともに告げた。
「守ってやるよ。今回はな」
「な……」
ジークフリートは呆気にとられたらしい。だがそれも当然か。自分と同年代の女に守ると言われれば、男に立つ瀬がない。
案の定、彼は単純な言葉で声を荒らげた。
「ボ――ぼ、ボクは、男なんだぞ! お、女に守られるほど、弱くはない!」
「そういうセリフは、オレより強くなってから言うこったな」
肩をすくめて、ジークフリートに背を向ける。
あとは何も言わず、スカーレットは歩き出した。
なんだかよくわからないままスラムで過ごしてきた幼年期。どうにか生き延びて暴力を手にした少年期。スラムを飛び出して傭兵として、また賞金稼ぎとして戦い続けた青年期――
考えてみれば、“彼”の生とはつまるところ、戦い続けることだった。そりゃあろくでもないと思う。剣だの斧だのを振り回す生き方しか知らなかったのだ。
それと比べれば、新しく始まった“生”はまだマシだったのかもしれないが。そちらはそちらで十分にろくでもなかった。
なにせ、それは“彼”の人生ではない――とある女が不幸へと転げ落ちていく、その人生の追体験だからだ。
おそらくは、これがその転落の始まりなのだろう。
それを本能的に悟りながら――
「――……い! おい、お前!! 起きろ、おい!!」
そんな声に叩き起こされるようにして、“彼”は目を覚ました。
そして最初に意識したのは、自分が誰かと問う声だった。
(スカーレット……スカーレット・メイスオンリー――……それは“オレ”の名前か?)
本当に?
その声に導かれるようにして。
スカーレットは、暗闇の中で目を見開いた。
遠くにあるのだろう蝋燭の明かりが、かろうじて辺りを照らしている。体が軋むのは、自分が石の床の上に寝かされていたからだ。石は冷たくはない――体温を吸って、微妙なぬくもりを返してくる。
顔を上げると、目に付いたのは鉄格子だった。それで察したのは、ここが牢屋だということだ。深呼吸すると、鼻につくのは埃の臭い。長い間使われていなかったらしい――
そこまでを観察して、ようやくスカーレットは傍にいた少年に笑いかけた。
「よお。生きてるか?」
今にも泣きそうなバカ面だ。そんなものが見えたせいで、気が抜けた。自分の声掛けも相応に馬鹿げたものだったに違いないが。
「そ――それは、ボクのセリフだ! お前、さっきまでピクリとも動かなくて、な、何度声をかけても、起きる気配もなくて――」
言い訳のように言い募ってくるのは、そのバカ面――ジークフリートだった。
自分と一緒に捕まったのだろう。先に目覚めたのだろうが、彼の目元には涙の痕がある。
とはいえそれも仕方のないことだろう。こんな場所にわけもわからないまま閉じ込められて、しかも知り合いが死んだように眠っていたとなれば、子供でなくとも泣きくらいはする。
「気絶してたんなら、そりゃあな。ま、死んでないだけまだ幸運か……よっと」
ジークフリートに笑いかけながら、スカーレットはゆっくりと立ち上がった。
幸いと言えばいいのか、ケガはない。ついでに言えば拘束もされていなかった。格子の先の気配を探っても、見張りさえいない。
(捕まったってのは間違いないんだろうが……だからって、見張りすらいないってどういうことだ?)
考えられる理由は――と、思いついたのは二つだった。
一つは、相手はこちらがこの牢屋から逃げ出せないと思っている可能性。
そしてもう一つは、こちらがわざわざ逃げ出すとは思ってもいない可能性だった。
(“スカーレット・メイスオンリー”は邪神を復活させるための贄だ。もしこれが、本当に邪神復活のための儀式の準備だったとして、これが何度も繰り返されてきたことだって言うのなら……)
あの女は、抵抗しないのではないか?
何度も同じ結末にたどり着くだけだというのなら。
脳裏に閃いたのは、気絶する前に見た最後の光景だ。ジークフリートの護衛騎士、ニールの首から生えた生首。“スカーレット”の知己として振る舞い、嘲笑しながらスカーレットを捕まえた……
あの女が言っていたことを思い出す。邪教の司祭。人を操る力を授かったという敵。おそらくは、あの生首がそうなのだろう。
(つまりは結局、何の準備もできないまま“本番”を迎えちまったってわけか。冗談じゃねえな……さて、どうやって逃げ出すか)
できることはあるが、その前に調べられることは調べておいた方がいいだろう。
「お前、ここがどこかとかわかるか?」
ジークフリートに訊ねるが、返ってきたのは全く場違いな疑問だった。
「……お前、なんでそんな冷静なんだ?」
「慌てりゃ実入りがあるってんなら、いくらだって慌ててやるけどな。テンパったってろくな事にならねえよ。考えりゃわかんだろ?」
「……お前、どんな人生を送ってきたんだ?」
子供相手にバカバカしいことを訊いてくる。
肩をすくめてみせると、ジークフリートは嘆息してみせた。どちらにしても、今はどうでもいいことだとわかったからだろう。ようやく質問に答えてくる。
「わからない。ボクも、さっき目覚めたばかりなんだ。ここがどこかも、どうしてニールがあんなことをしたのかも……」
「…………」
「どうして……」
最後の呟きはスカーレットに向けたものではなく、俯きながら床に向けて放たれたものだが。言葉と一緒に落ちていった涙には、スカーレットは気づかないふりをした。
対比するように虚空を見上げ、スカーレットは問う。
(おいクソ女。出て来いよ。状況を説明してもらおうじゃねえか)
呼びかけたのはあの女だ。これを女が聞き逃すはずはない――と思ったのだが。
いくら待っても、女からの反応は返ってこなかった。それに思わず舌打ちする。
裏切ったとは思わない。元はといえば、敵同士だったのだから当然だ。“彼”が“スカーレット”をやっているのもそのせいであり、この状況も女にとっては望ましいもののはずで――
(……本当にそうか?)
女を疑う気持ちはある。だが、そのたびに思い出すのは女の横顔と声だった。凍りついたような無表情――あるいは、そう。何かを我慢するために、無理矢理に表情を消した顔。
そして、悲鳴。聞こえるはずのない声で、ジークフリートを助けようとした。あの悲痛な叫びと、今の状況は矛盾する。
答えを聞ければ早いのだが、女は全く反応を返してこなかった。その事実にまた舌打ちしようか迷って、代わりにため息をつく。
そうしてスカーレットは、いったんは思考を切り替えた。自分の体が本当に無事か、確かめるために伸びをする――中でふと気づく。
「……ひとまず、そんなに時間は経ってねえな。半日くらいか……? 一日は経ってねえな」
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「腹の空き具合と喉の渇き具合。何日もほったらかしにされてたなら、身動き一つ取れなくなる。そもそも、体が無事なら寝続けられるはずもねえしな」
「……お前、本当にどんな人生を送ってきたんだ?」
「うるせえな。オレの経験じゃねえよ」
厳密には“彼”の経験だ。傭兵時代の。負け戦の中で足を負傷して、戦場に放置されたことがある。死んだふりで難を逃れたが、その後はどうやって助かったんだったか――
覚えていないということは、ろくでもなかったに違いない。さっと忘れて、スカーレットはジークフリートに告げた。
「とりあえず、こんなところでボケッとしてたって仕方ない。外出るか」
「外って……無理だ。鍵がかかってる」
言ってジークフリートが指差したのは、格子の扉だ。既に彼が一度確認したのだろう。牢屋なのだから、閉じ込めた存在が逃げないようにするのは当然のことだが。
自分でも確かめるために、スカーレットは扉に近寄った。格子の隙間から手を出して、鍵穴の位置を探る。
存外、すぐに鍵穴は見つかった。次はどうやって開けるかだが。
鍵ならある。懐に手を伸ばせば、それはやはりポケットの中に納まっていた。おもちゃのような、ちっぽけな鍵。それを取り出して、囁く。
「……マスターキー、セットアップ」
呼び声に応じて、鍵は姿を変えた。音もなく、一振りの長大な斧へと。
カギがかけられているのなら、こじ開けてしまえばいい。
「前から思ってたんだが……それのどこが“万能鍵”なんだ?」
と、水を差すようなタイミングで、ジークフリート。
さすがに無視するわけにもいかず、半眼でスカーレットは答えた。
「どんなドアでも開けられるからだろ?」
「……正しい使い方なのか? それは」
「斧で扉ぶっ壊すのは王道だろ? まあ……実際これが正規の使い方の一つではあるんだよ、ホントに」
最終手段だけどな、と言い置いて、魔具に軽く念じる。
と、途端に斧は姿を変えた――というか、液体みたいに柔らかくなった。材質こそ金属質ではあるのだが、振ればふにゃふにゃと折れ曲がり、全く原形をとどめていない。
「本来は、正しく“万能鍵”なんだよ。形状とサイズがある程度自在に変えられてな。理論上は、どんな扉でも開けることができる。斧にもなるのは……たぶん制作者の茶目っ気かな。斧も間違いなく“最終手段”ではあるんだから」
「いや、おかしいだろうどう考えても。それに普通に使えるなら、なんで普通に使わないんだ?」
「オレが鍵の構造に詳しくねえからだよ。ピッキングのやり方もろくに知らねえし」
「……ぴっきんぐ?」
得体の知れない単語を聞いたとでも言うように、きょとんとジークフリートが首を傾げる。
いや、実際ジークフリートにとっては得体の知れない単語かもしれない。仮にも王族がコソ泥みたいにピッキングなどするわけがないし、訊いたことがないのは当然のことか。
「今度コソ泥と会う機会があったら、訊いてみりゃいい。案外役に立つ知識かもな」
世間知らずの坊ちゃんにはそれ以上付き合わず、そして有無も言わさずスカーレットは斧を錠へと叩き込んだ。
悲鳴のような一瞬の金属音。それが廊下へと響いて、間延びしていきながら……消える。
顔を真っ青にしたジークフリートを置いて、スカーレットは牢屋から出た。
やはり見張りはいない――どころか、騒音を立てても誰かが来る気配すらない。そこそこの数の牢屋が並んだ通路が続いているだけだ。
「お、おい――」
と、牢屋の方から震える声。
「大丈夫、なのか……?」
何を心配したのか、それだけではわからない。敵にバレたか? ここから逃げ出していいのか? この後どうなる? 助けは来るのか――ボクたちは、生きて帰れるのか?
そのどれに答えたのかは自分自身わからなかったが。少年の不安に、スカーレットは肩をすくめてみせた。
「さてな。オレがンなもん知るわけねえだろ」
「さてなって、お前……だったらどうして鍵を開けたんだ」
「ボケッとしてるのが性に合わねえんだよ。待ってりゃそのうち誰かが助けにくるかもだが、それがいつになるかわからねえし。動けるうちに動いたほうが、ここで待ってるよかマシだと思うがね」
「ま、待っていても、助かるかもしれない。ボクとお前が、お前の館にいないって気づけば――」
誰かがすぐに気づいて助けに来てくれるはずだと言いたいのだろうが、スカーレットは首を横に振って否定した。
「気づくのに半日は必要だな。オレもお前も、誰にも言わずに森の中に入っちまってたから。子供のイタズラか何かを疑って、従者たちがその辺を探し回るのに半日。異変だと気づいて大事になるのはそっからだ」
「半日……? そんなにか?」
「ああ、それだって十分に早いほうだろうよ。本格的な捜索が始まるのは……ちょうど今頃かな」
ここがどこかにもよるが、見つかるまでにかかる時間は想像したくない。さらわれて牢屋に入れられているなど、誰が考える?
あるいは、父ヒルベルトの親バカだかなんだかが炸裂して、すぐさま見つけてくれるかもだが。まあ期待はしない方がいいだろう。
未だに牢の中にいるジークフリートを見やって、スカーレットは手短に訊いた。
「どうする。ここで待ってるか、行くかだ」
どちらにもリスクはある。当たり前だが。そして未来は見通せない以上、判断は直感と好みに委ねるしかない。
躊躇った時間はどれほどだったか。だがどちらにしろジークフリートは決断した。
「わかった……行く」
「そうこなくっちゃな」
にやりと笑うと、スカーレットはジークフリートを待った。
ゆっくりと、怯えながらジークフリートは牢屋から出てくるが……表情はやはりというべきか、暗い。不安を隠すということすら思いつかないのだろう。
だからか、ふと思いついた。
「一ついいこと教えてやる」
「え?」
出し抜けに聞こえただろう。だが構わずスカーレットは告げた。
「偉いやつってのはな、後ろでふんぞり返ってりゃいいのさ――オレが任せた、なんか文句あんのかってツラでな。それができて、初めて立派な大将だ。覚えとけ」
ガラではない――こんなことを言うのは。
だがそれでも言わなければならないこともあるから、“彼”は苦笑とともに告げた。
「守ってやるよ。今回はな」
「な……」
ジークフリートは呆気にとられたらしい。だがそれも当然か。自分と同年代の女に守ると言われれば、男に立つ瀬がない。
案の定、彼は単純な言葉で声を荒らげた。
「ボ――ぼ、ボクは、男なんだぞ! お、女に守られるほど、弱くはない!」
「そういうセリフは、オレより強くなってから言うこったな」
肩をすくめて、ジークフリートに背を向ける。
あとは何も言わず、スカーレットは歩き出した。
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序盤でざまぁされる人望ゼロの無能リーダーに転生したので隠れチート主人公を追放せず可愛がったら、なぜか俺の方が英雄扱いされるようになっていた
砂礫レキ
ファンタジー
35歳独身社会人の灰村タクミ。
彼は実家の母から学生時代夢中で書いていた小説をゴミとして燃やしたと電話で告げられる。
そして落ち込んでいる所を通り魔に襲われ死亡した。
死の間際思い出したタクミの夢、それは「自分の書いた物語の主人公になる」ことだった。
その願いが叶ったのか目覚めたタクミは見覚えのあるファンタジー世界の中にいた。
しかし望んでいた主人公「クロノ・ナイトレイ」の姿ではなく、
主人公を追放し序盤で惨めに死ぬ冒険者パーティーの無能リーダー「アルヴァ・グレイブラッド」として。
自尊心が地の底まで落ちているタクミがチート主人公であるクロノに嫉妬する筈もなく、
寧ろ無能と見下されているクロノの実力を周囲に伝え先輩冒険者として支え始める。
結果、アルヴァを粗野で無能なリーダーだと見下していたパーティーメンバーや、
自警団、街の住民たちの視線が変わり始めて……?
更新は昼頃になります。
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