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エピローグ

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 ――その、翌日。

「……うーん……うぅぅん……頭、あたまがいたいよぉ……」
「……なんだかなあ……」

 元空き部屋から響くうめき声に、ヤナギは深々とため息をついた。
 目の前にはもう朝の十一時だというのに、布団から出てこないアマツマがいる。固く目を閉じているが寝ているわけではなく、表情は決して安らかではない。ついでに言えば顔色も悪く、額に少々汗をかいており、呼吸も浅く、また荒い。
 明らかに調子の悪そうなアマツマに、ヤナギは呆れるように言った。

「案の定というかなんというか……そらまあアレだけ雨にやられりゃ、風邪引くのも仕方ねえなとは思うけど……居候が風邪ってのもなかなかひどい話じゃねえか?」
「うるさい……うるさいよヒメノ……うわぁ、声出したら目がまわるぅ……」

 実際に目が回っているのかどうか、それは怪しいところだが。薄く開かれた目は焦点が合ってなさそうだったので、辛いのは間違いなさそうだ。
 ひとまず別室から体温計を取ってきて、アマツマに放り投げた。布団にくるまったままのアマツマはもぞもぞと体温を測り始めるが。

「そもそも、なんでボクだけ……? キミだって似たようなものだったじゃないか。なんでヒメノは風邪引いてないの……?」
「知らん。日頃の行いじゃねえか?」
「うう……あたまいたいよぉ……」

 聞いているのかいないのか、額を押さえてアマツマがぼやく。本当につらそうではあるのだが、発言が逐一間延びしていてマヌケっぽいので、どうにも苦笑しかできない。
 と、ピピピと無機質な機械音。寝ころんだままのアマツマが体温計を取り出すが、数値を見た反応は一言「あー……」だった。表情も声と似たようなものだ。予想通り過ぎて言葉もないらしい。
 ヤナギも体温計を受け取ると、その数値を覗き込んだ。

「八度五分? 結構いい数字出てんな」
「……そんな、テストでいい点取ったなみたいな言い方されても困るんだけど……」
「つっても他人事だからなあ。風邪ひいてんの俺じゃねえし」

 ぐぬぬ、などとアマツマはうめくが。体を動かすのもだるいのか、布団の中で身じろぎさえしない。
 咳などはないので、風邪というよりは体調を崩しただけなのだろうが。

「まあそこそこ辛い数字ではあるか。どうする? 医者行くか?」
「保険証、家……動きたくない……」
「我慢しろって言いたいが、まあ仕方ねえか……? とりあえずどうすっかな……冷却シートあったかそういや。ちょっと待ってろ」

 ケガの功名とでも言えばいいのか、ちょうどズル休みの日にアマツマが買ってきたものがある。もらったものの当分使わないだろうと思っていたのだが、早速出番が来てしまった。
 リビングから見舞いのビニール袋を取って戻ると、アマツマは額の髪を手でよけて待っていた。
 ちゃっかりしてんなと思いつつ、しゃがみ込んでアマツマの額に冷却シートを張る。それでアマツマの体調がすぐに良くなるはずもないのだが、楽にはなったらしい。
 微妙に表情が和らいだアマツマを上から見下ろしながら、ため息をついた。

「なんだかなあ……」
「……なに?」
「いや、風邪引いてる子供の相手すんのって、こんな感じかなって」
「…………」
「……なんだよ」
「不満。不満を表明する」
「うるせえ風邪っぴき。文句は治ってから言いやがれ」

 言い返してから立ち上がると、ヤナギはこの後どうするか黙考した。
 病人の看病などしたこともないが、こういう場合は子供の頃自分がされてきたことをしてやればいいだろう。ひとまず飲み水の用意は必要だ。スポドリはないので、後で買いに行く。服も温かいものを用意したほうがいいだろう。氷枕は……そもそもそんなものこの家にあっただろうか――
 と。

「……ごめん」
「あん?」

 ぽつりと殊勝な声が聞こえてきて、きょとんとヤナギはまばたきした。
 声の主は当然アマツマだが。

「いきなりどうした?」
「……迷惑、かけちゃってる、から……」

 掛け布団に顔を半分隠して、おずおずとアマツマは言ってくる。覗く目からは、不安と心苦しさが見えた。顔を隠したのは思うところがあったからだろう。珍しく気まずそうだが。
 だがヤナギとしては呆れるほどに今更だったので、思わず苦笑した。

「昨日と言わず一昨日と言わず、なんつーかもう今更だろ。借りだと思うんなら、適当なところで返してくれ」

 怪我の手当てして、風呂を貸して、夕飯たかられて、家に寝泊まりさせて。兼かと言っていいのかわからないが、雨の中口論しての、今だ。他の誰かとどうかは知らないが、アマツマとヤナギの関係では、本当に今更だ。
 とりあえず今日は寝てるこったな、などと肩をすくめてみせてから。
 ふと気づいてぼやいた。

「……風邪薬って普通は食後か? ならちと早いけど、先に飯にしちまうか……うどんとソーメン、どっちなら食えそうだ?」
「……風邪の時って、おかゆじゃないの?」
「うちで風邪引いたら基本はうどんかソーメンなんだよ。おかゆなんて立派なもん、うちじゃ出ねえし作り方もわからん」
「………………」
「……なんだよ。うどん嫌いか?」

 何やらじっと見つめられていることに気づいて、ついつっけんどんに訊く。
 対するアマツマの反応は、奇妙なことに目を輝かせての問いかけだった。

「……ヒメノの家の、定番?」
「雑な対応を定番って呼ぶのはなんか嫌な感じだが……なんで笑ってんだ?」
「ん? ふふふ……ううん。なんでもない」

 口ではそう言うが、アマツマはくすくすと喉を鳴らしていた。どうやら変なツボに入ったらしい。ヤナギには何が面白かったのかいまいちわからなかったが。

「まあ定番っつっても期待すんなよ。普通のかけうどんだからな……んじゃま作ってくるか」

 告げるなり早々に背を向けて、ヤナギは部屋を出ていく――
 と。

「――
「……?」

 呼ばれて――ついでに何か、妙な違和感を覚えて、つい振り返る。
 視線の先、アマツマは微笑んで、言った。

「……ありがとう」
「……気にすんな。寝て待ってろよ」
「うん」

 素直にうなずくアマツマに軽く手を振って、今度こそ部屋を出る。
 その時になって、ようやく違和感の正体に気付いた。

(……ああ、そういや初めて名前で呼ばれたのか)

 そんなことで、自然とほおが緩んでしまうのだから――
 大概自分もチョロい奴だなと、そんなことに苦笑した。
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