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32.ラプラスの悪魔〈グレイ編⑨〉

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 ラダクールの町を一通り渡り歩き、ちょうど食堂が目に入ったのでそこへに立ち寄ることにした。

 今のラダクールの状況、特に王都や王宮の情報が知りたかった為、店員や他の客にさりげなく話しかけて聞いてみる。

 すると今、王都では不思議な話が持ち上がっているという。
 王宮に幻の姫がいただとか、亡霊が住んでいたなどとの怪談話が持ち上がっているらしい。国はそれらを否定しているというが、噂がひとり歩きして広まっているようだ。

 私はセダとラダクールの王宮にいる者の記憶は消して出ていったが、それ以外に住む者までには及ばない。
 当然外には私たちのことを憶えている者も存在し、書類等にも名前が残ることを考えると、多少の混乱が起きるだろうと予想をしていた。


 それから気になっていたセダとの関係については、今のところ険悪だとか争いが生まれているなどの話はないようだ。
 一番の懸念はそれであったけれど、今のところ何も問題がないと知って胸を撫でおろす。

 セダを去る前、私は国王の先の戦争に関する記憶も少しだけ変えていた。その良し悪しよりも、リディア様の大切に思う人たちを戦禍に巻き込みたくないとう気持ちが強かったせいもある。
 その効果があったというなら、私にとっては喜ばしいことの一つだ。
 



 そこでの食事を終えると、私は真っ直ぐに森の家へ戻ることにした。
 夕刻近くになって家に戻ると、リディア様がわざわざ私を出迎えてくださった。


「たくさんのお買い物ごくろうさま。あら、果物がこんなにたくさん」

「新鮮な果物が売っていたのでつい多めに買ってきました。次は肉も揃えないといけませんね」


 私はマイロに袋ごと渡し、保存庫に置いておくよう伝えた。それから間もなく夕食の時間となり、テーブルには大皿の料理がいくつか並ぶ。

 マイロとジェーンも食事の時間にしてもらい、彼らは自分たちの部屋で食事をとりにいった。

 そして私たちはダイニングテーブルに着き、今日あった出来事をリディア様に報告する。



「そう、神子様は町に戻られたのね。……でも私はそれでよかったと思う。彼女にも王宮暮らしへの憧れはあったとは思うけれど、やっぱり窮屈そうだったもの」

 複雑そうな表情を浮かべてお話をされるリディア様は、言葉にできない何かしらの感情を抱いているように見えた。それは以前から側で見ていて感じていたことでもある。


「正直に話すとね、私あの方が苦手だったの。死にたくなければ仲良くしなくちゃと頑張るつもりだったけど、きっと相性が悪かったのね。粗雑で礼儀がなってなくて、自分の意見だけぶつけてくる。
 でもある時、私はこうして生きてきたんだ! と強く言われて、何となくそれで納得してしまったのよ。きっと彼女はここにいるよりも、もっと相応しい場所があるんだろうって。
 たしかに日に日に大人しく礼儀正しくはなっていったけれど、彼女の強い個性は消えてしまっていたもの。……だからお話が聞けてよかったわ。今までのような贅沢は出来ないかもしれないけど、きっと今の方が彼女らしく暮らせるかもしれないもの」


 それからラダクールの町全体の話や、セダとラダクールの間で争いが起きていないことなど、町で見聞きしたことをお伝えした。
 食事も終え、用意されていたティーポットから温かな紅茶を注ぎ入れていると、リディア様は私の顔をまじまじと見ながらおっしゃった。


「グレイ、あなたしっかり寝てる?」

 どこか心配そうな顔をして、リディア様にそう尋ねられる。

「顔色が悪いですか?」

「顔色もそうだし、目の下にうっすらクマが出来てる」

 私は自分の顔に手を当てる。まさかそんなところを見られていると思わず、情けない気持ちになる。

「……たしかに、寝る前にこれからのことを色々と考えていることが多いので。それで少し睡眠が削られていたかもしれません」

 それもけして嘘ではないが、理由として誤魔化すには浅かったかもしれない。

 本当は、ただ夜が怖かった。暗い部屋で一人でいると強烈な不安に襲われる。
 これは夢ではないのか、本当はまたどこかで、輪廻ループが始まってしまうのではないかと考えてしまう。今を幸せに思うからこそ、足元をすくわれる恐怖に怯えていた。
 それでも無理矢理目を瞑れば、リディア様にナイフを突き刺す生々しい夢を見て目を覚ます。

 そんな自分を、リディア様に悟られてしまうことは避けたかった。



「ねぇ、グレイ。以前私に物語を聴かせてくれたことがあったでしょう? ラダクールに向かう馬車の中で」

 リディア様がゆっくりと目を伏せて、思い出すように話した。

「私もあなたに面白い話を聞かせてあげるわ。といってもあなたのような才能がないから、物語なんてものじゃないけれど」

 そういって話されたことは、わかるようでわからない、なかなか難しい話だった。

「私の前世……日本にいたころはね、生まれつき体が弱くてほとんどベッドから起きられない人生だったの。出来ることが限られた私が、楽しめる物の一つが読書でね。その中に……何て言ったらいいんだろう? 世界の成り立ちみたいなことを考える学問があって」」

「世界の成り立ち?」

「そう。たとえばこの世界の人達は、その辺の石ころを見てもそれをただの石だとしか思わないでしょう? 石を取り扱う仕事をしている人は、その種類や特性を考えたりはするでしょうけど。
 それよりももっと深く、どうして石というものが存在しているのか、どのような理由でそのような形を作っているのか、その構成しているものは何なのかということを考えるというようなこと」

 たしかにリディア様の話は興味深い話だった。石に対してそんな考え方をしたことがないため、面白い発想のように思える。

「私が読んでいたのは、本当に子供向けの図鑑や本だったから詳しいわけじゃないのよ。でもそんな面白い考え方や不思議な話が多くて、覚えているものもたくさんあるの。
 その中の一つに『ラプラスの悪魔』という仮説があって。あなたの話を聞いていた時にそれが頭に浮かんだの」

 優しい口調で楽しそうに話を続ける。
 昔を思い出しながら語る時、リディア様はこれまで見たことのないような穏やかな表情を見せていた。きっとその世界は、彼女にとって幸せな時間だったのだろう。


「ちょっと面白い話でしょう? 今では否定されている話だけれど、まるでこの世界のことみたいで」

 彼女の話を聞くと、それはいわゆる因果にまつわるような話だった。私たちがこの世界に存在した時点で、すでに結果は決定されていると。だから何度繰り返しても必ず同じ結末に辿り着いてしまう、といった話をなんでもないことのように話す。

「神の定めとでもいうのかしら。私たちは抗いたくてもただそれを“知る”ことしかできなかった。ループによって何が起きるか知ることはできても、決して結果を変えることは許されない。……でもどうしてあなたは『グレイ』になったのかしら?」


 そう訊ねられて、私は黙った。なぜ私がこの力を手に入れたのかわからない。
 でもあの時、果てしない絶望と怒りと無念さに押し潰されて、心に深い闇が生まれたことは確かだった。どす黒い感情に塗れて、自分と世界を破壊したくなる強い衝動に駆られた。
 その思いに身を任せた時、あの闇の中に一人放り出されていた。


「……自分でもわかりません。ただ貴女を救えないことに絶望していた。いつもこの手で殺してしまう自分が嫌で、呪って、それで―――」


 私はそこで言葉を途切れさせた。自分が涙を流していることに気付いて、慌てて片手で目を覆い顔を逸らした。
 私は懺悔の涙を流すことも、憐れみに浸ることも許されない。ましてやこの方に涙を見せることなどあってはならない。



「……ねぇ、グレイ。あなたがその姿になったのは、決められた結末を変えたいと思ったからでしょう?
 あなたは私を殺す気なんて初めからなかった。あれは私の因果で、神子を殺そうとした結果にすぎないの。……だからお願い、そんな風に自分を責めないで。そうせざるを得ない運命に囚われていた私を、救おうとずっと抗っていてくれたのはあなたなのよ。
 あなたは私を殺したんじゃない、あなたに救われてここにいるの。それを忘れないで」


 目を覆っていた手に、温かな手が重ねられたのを感じた。

「私たちはもうあの時のクレイとリディアじゃない。だから、きっともう大丈夫」



 ラダクールへ向かう旅の途中でリディア様に話した物語。私の願いを込めて作り上げた話は、彼女の言葉によって幸せに幕を閉じた。




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