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31.ラダクールの町〈グレイ編⑧〉

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 セダ王国からもラダクール王国からも姿を消し、誰の記憶にも残らなくなった私たちは貴族ではなくなった。
 だからこそ、リディア様を人の多い場所へ連れていくことに抵抗を感じ、人のいない魔獣の森を選んでそこに住むことに決めた。

 治安の問題を含め、民衆文化に触れてこなかったリディア様を、その中へ入れてしまうことへの不安。今までのように四六時中側にいることはできなくなるため、確実に安全を確保できる場所をと考えた。


 ここならば簡単には人が入らない上に、絶対服従をさせた魔獣たちが守っているから心配することはない。
 しかしそれでも、リディア様には大きな不便をかけてしまうだろうとは思っていた。


「このような小さな家にお迎えすることになり、申し訳ございません。何しろ場所が場所ですので大掛かりな建築も難しく、使用人も二人のみという大変不便な環境です。私も出来る限りのことは致しますので、何かございましたらおっしゃってください」


 王宮や貴族の屋敷とは程遠い、木材で造られた二階建ての小さな家。一番近い町から大工を見つけ、通常よりも高い賃金を渡してここに建ててもらったものだ。
 今までの彼女の生活からは程遠い環境。息苦しさを感じるのではないかと心配したが、意外にも明るい表情を見せていた。


「小さな家なんてちっとも感じないわ。昔住んでいた私の家よりも、はるかに大きくて広いもの。それに木造の家というのも懐かしい。なんだか避暑地の別荘という感じで、とても素敵よ」

 そう言って面白そうに笑った。リディア様が別の世界にいたころの話だろうか。そんな感じで、いつも楽しそうにお話をされる。


 そして私の抱いていた不便さへの懸念が、ただの杞憂であったとすぐにわかった。
 なにしろリディア様はこの生活にあっという間に馴染み、使用人と一緒に家の仕事をまで始めてしまうほどだ。

 マイロと馬の世話をしたり、ジェーンの食事の準備の手伝いをしたり。
 そんなことをさせるためにリディア様をここへ連れてきたわけではない、そう訴えて辞めてもらおうとしても、彼女は気にも留めず「楽しくやっているから止めないで」とまで言われる。

 無理をさせているのではないかと心配している私をよそに、とうとうマイロとジェーンたちと一緒に庭に菜園まで作ってしまった。


「ねぇグレイ。今度は私も町に出て買い物がしたいわ。大工道具もほしいし、自分でも色々と作ってみたいの」

「いえ、力仕事は私やマイロが行います。危険が伴うことまではさすがに……」

「無理はしないから心配しないで。私、ずっとDIYに憧れていたのよね。あ、DIYというのはね……」

 これほど生き生きとしたリディア様を見たのは初めてだった。裕福な環境と人間関係を断たせてしまったという負い目があっただけに、思いもよらない反応に若干戸惑う気持ちもある。
 しかし、リディア様が幸せに感じるのならばそれが一番なのだと、そう自分自身を納得させた。



 春になったら一緒に町に出ることを約束し、私は冬に向けての準備をするために私一人で街へ出ることにした。
 ただし今回は近場の町ではなく、ラダクールの町へ向かうつもりだった。あれから王国がどうなったのか、それを知るために飛竜を使ってあの国へ向かう。

 その事をマイロとジェーンに伝え、外が白み始めた頃にここを飛び立った。
 あの町の市場は早い時間から賑わうと聞いている。一度魔獣討伐で訪れたことのあるナーファという町。神子様……アリスが元々住んでいた場所でもある。

 町から離れた所にある小さな林の中に飛竜を待機させ、そこからは歩いてのんびりと向かった。


 そこまで大きくない町でありながら、ここには多くの露店が集まり活気が満ち溢れていた。
 大きな声が飛び交い、時々怒声や笑い声も混じったり、なかなか普段は味わえないような雰囲気がある。


「昨日仕入れたばかりの新鮮な野菜だよ、そこのお姉さん見ていってよ!」

「バーレン地方の珍しい織物があるよ、手に取って見ていってよ」

 食品や日用品などエリアが分かれて店が並んでいる。私はそれらを眺めながら道を歩いていく。
 魔獣討伐として訪れる時はいつも外出禁止令が出ていた為に、このような活気を目にすることはなかった。これがこの町の本当の姿なのかと興味深く目を見張る。



「ねぇ、ちょっとそこのお兄さん! 昨日採ってきたばかりの果物があるよ!」

 大きな声で呼び止められて、私は声の方へ振り返った。随分と聞き馴染んだ若い女性の声。


「これが昨日採ったばかりのイチジクとラズベリー。おすすめだよ!」

 私は彼女の前に立ち、並べられた果物を眺めた。他にはブドウやリンゴ、柑橘類なども並べてある。

「ではそのイチジクとラズベリーを貰おうか。それから……」

 私はさりげなく彼女の手を見た。そこには以前にはあった紋様はなく、滑らかな白い肌だけが見える。
 神子服を着ていない彼女は、この町に馴染む普通の女の子だ。


「お兄さん、王都から来た人? この町でそんなに小奇麗で良い格好をした男の人なんて珍しいからさ」

 私の顔をしげしげと見つめてそう話しかけられた。私は曖昧に答え、それからリンゴを追加で頼んだ。お金を払い、ラズベリーとイチジクの入った袋とリンゴが入った袋を手渡される。

「あ、待って! お兄さんカッコイイからこれオマケであげる」

 そう言ってウィンクして、ブドウを二房ほど紙袋に入れてくれた。


「おいアリス、ガキのくせに客に色目なんて使うなよ」

「うっさいな! あんたみたいな奥手に言われたくないね!」

 隣の店にいた若い男がヤジを入れ、互いに大声で罵り合う。それでも険悪な雰囲気ではないのだから、きっと気心の知れた仲なのだろう。


 私はロドルフ様に残した手紙の中で、神子様を町に帰すようお願いをしていた。ラダクールは神子の力を手放してほしいと。
 私は漠然と、この輪廻ループには神子の存在が関係しているのではないかと考えていた。繰り返される人生の中で、唯一変化がある神子の存在。それが神の悪戯の象徴のように思えてそのように書き記していた。

 しかし今の彼女からは紋様が消えている。もしかしたら私がそれを願うまでもなく、彼女は神子の能力を失っていたのかもしれない。
 その理由が何であるかは、それこそ神のみぞ知る話だ。


「お兄さん、それだけ多く買っていくってことは家庭があるんでしょ? このイチジクとブドウはジャムにすると最高だから、奥さんに作ってもらうといいよ!」

 そう言って陰りのない太陽のような笑顔を見せた。
 王宮ではいつも行儀を注意されることが多かった神子様。王宮での生活が、彼女にとって恵まれたものだったのか、そうでなかったのかは分からない。
 でも今は少なくとも、あの頃よりものびのびとしているように見えた。


 彼女への魅了は、記憶を消した時に一緒に解いていた。だからこのブドウは本当にただの厚意としてくれたのだろう。

 私はお礼を言い、ありがたくそれを受け取った。
 目的のためとはいえ、彼女には意に添わぬ感情を抱かせてしまっていた。それを心の中で詫びながら、これからの人生を幸せに生きてほしいと願う。


「どうもありがとう。アリスもお幸せに」


 私はそうして、彼女の元から立ち去った。


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