上 下
23 / 34

22.夜空へ

しおりを挟む
 

 海のような青い瞳を持つ、大好きだった彼。
 初恋の人が目の前にいるというのに、私は絶望の中にいる。


「ロドルフ様、今度こそはっきりわかりました! リディア王女はこの国を滅ぼすためにセダからに送り込まれた暗殺者です! あなたと国王様の命を狙うために、偽りの婚約者を演じていただけなんです!」

 アリスの甲高い大きな声が周囲に響いた。

「ここにいるクレイさんが全て話してくれました。私とラダクールを守るために、私たちの味方になってくれたんです!」


 私は何も言葉が見つからなかった。

 どうして、何故クレイがここにいるの?
 グレイはどこ? どこに行ってしまったの。
 それだけが頭の中でこだまする。



「グレイ!」

 私は白騎士の姿をした彼に叫んだ。だって、あなたはクレイではなかった。黒い髪に黒い瞳を持つ、グレイ・ノアールだったはずなのに。

「グレイ、お願いだから返事をして。あなたはグレイだったじゃない!」


 冷静になんてしていられなかった。私のグレイが消えてしまった。どうして、どうしてとそればかりが繰り返される。



「兄上、クレイは私たちに降伏しました。どうか彼には恩情を」

 私の叫びを無視するように、悲痛な面持ちでロトスがそう訴えた。アリスもロトスも、そして周りにいる兵士たちも、クレイという人物に何も疑問を抱いていない。

 どうして?
 頭の中は混乱してぐちゃぐちゃで、自分がやるべきことを忘れて呆然とする。




「……クレイ? 君は」

 私の背後からロドルフの声がした。振り返ると、私と同じように呆然とした様子で彼を見つめている。

「クレイ・モアール」


 呟くようにロドルフがその名を口にしたのを聞いて、目の前が真っ暗になった。
 間違いなかった。やはり彼の目にも同じように映っているのだ。
 この世界から彼が消えてしまった。グレイを好きだったアリスでさえ、彼のことを覚えていない。

 自分の運命だとか破滅だとか、セダとかラダクールだとか、そんな事はどこかへ飛んでしまっていた。
 ずっと一緒で、いつも側にいてくれていたあの人が消えてしまった。その事実にただ打ちのめされる。



「ちょっと待ってくれ、クレイ。君はグレイ・ノアールなのか? どういうことか説明してくれ!」

 彼の名を呼ぶ声に、私ははっと顔を上げる。


「兄上? グレイとは一体……」

「お前こそどうしたんだ。それにアリス、君は彼に好意を寄せていたではないか、なぜ今の姿に何も言わないんだ。どうしてクレイが……」

 混乱したようにロドルフがそう言いかけた時、クレイがゆっくりとこちらに歩き出した。そして私の横を通り過ぎ、後ろにいるロドルフの前に立つ。



「あなたなら、私の姿を見れば気付いてくれると思っておりました。これでやっと、終わりにできる」

「君は、何を……」


 ロトスもアリスも、そして周囲の兵たちも、固まったように二人を見ている。何が起きているのかよくわかっていないのだろう。


「私はラダクールを愛しています。そして同じ過ちを何度も繰り返してきた。ロドルフ様、ロトス様、あなたたちとの友情は私にとってとてもかけがえのないものでした。
 ……ですが私はただ一人の大切な人を犠牲にし続けた」


 クレイはそう言って右手を大きく広げた。すると周囲の灯りは一斉に消え、辺りは暗闇に閉ざされる。
 そこにいたはずのロトスも、アリスもいない。聖堂も庭園も消え、周囲の兵たちも姿を消した。明かりという明かりが消え、この空間にいるのは、ロドルフと私と……そしてグレイだけ。

 まるで黒い帳が下りたように周囲が闇に包まれると、白騎士の姿だった彼の姿も黒に戻っていた。


「ロドルフ様、ラダクールで貴方だけが私が異質であると気付いてくれた。だからこの姿になれば記憶が戻るかもしれないと賭けたのですが……それはどうやら成功したようですね。私が一番に望んだ結末を迎えられそうです」

 私もロドルフも、ただ茫然とグレイを見ている。何が起きているのかもわからない。でも消えてしまったと思ったグレイが、また目の前に現れたことにただ涙が流れる。


「……リディア様。これまで何も言えず、申し訳ございませんでした」

 私は声を出すこともできず、頷くことしかできなかった。

 そして私はやっと全てを思い出した。
 何度も同じ過ちを繰り返し、死に続けた運命。私は初めからリディアだったのだと。


 永遠に繰り返す螺旋。抜け出したくても抜け出せない、繰り返される人生を歩んでいたことを今やっと思い出した。
 どれだけ抗って、足掻いて逃げたいと思っても、巨大な渦に巻き込まれるようにセダ王国の王女として人生を繰り返す。
 でも一度だけ、別の世界に生まれ変わったことがあった。

 それが日本という国に住む、儚い生命を持った女の子。

 



「……ロトスはどうした、アリスは」

 長いような、短いような沈黙の後、ロドルフがグレイに問いかけた。


「大丈夫、皆ここにいます。今はただ闇が深く見えていないだけにすぎません。……それから、ロドルフ様にお願いがございます」

 戸惑う姿のロドルフに、グレイはある物を手に握らせた。


「これは、あの時の懐中時計……?」

「リディア王女の死を憐れみ、私を思い出してくださったロドルフ様にこれを託します。……私たちがいた証を、貴方一人に押し付ける形になってしまうことをお許しください」

 そう口にすると、再びゆっくりと手を広げた。すると覆っていた闇にの中に、ぼんやりとした灯りが見え始めた。


「私はこれから、この王宮に住む人々から私達の記憶を奪い、新たな地へと向かいます。……それからセダ王国も同じく、あちらはすでにリディア様のことも、奇襲を仕掛けたことも憶えておりません。
 ですから、これからの未来は貴方にお任せいたします」

 グレイはそう言って一礼すると、茫然と眺めていた私に近寄り、ふわりと私を抱えあげた。突然のことに驚いて思わず彼にしがみつく。


「リディア様。申し訳ありませんが、貴女をここから連れ去ります。どうかしっかりお掴まりください」


 待ってくれ、とロドルフが叫ぶけれどグレイは振り返らなかった。

「私は貴方を心から尊敬し、良き友人でいてくださったことを生涯の誇りにいたします。……どうかお元気で。我が友、ロドルフ様」


 私を抱えたままグレイは駆け出した。細身の体には似つかわしくない力で、軽やかに闇の中を走り抜ける。
 周囲はまだぼんやりとしか見えなくて、どこを走っているのかさえわからない。私はただ彼にしがみついたまま身を任せるしかなかった。


 どこかに辿り着いたのか、私の身体を静かに降ろし何かに乗せられた感覚があった。その瞬間、大きなばさりと風を切る音が聞こえたかと思うと、そこでやっと全ての視界が開けた。



 目に飛び込んできたのは、幾千にも散りばめられた星々の煌めき。果てまで続く満天の夜空は、私たちの姿を照らした。


「ええっ!?」

 やっと自分が乗っているものに気付いて、思わず声を上げてしまった。そこには宙に浮かぶ一体の飛竜。その上に私たちは乗っていた。

「ま、魔獣⁉」

 私はそこで、後ろからグレイに支えられていることに気付いた。


「大丈夫ですよ、この子は私の友達です。それよりお寒くありませんか?」

 いつの間にか、グレイが自分のマントで私の身体を包んでくれている。私は振り返って首を横に振ると、彼は安心したように小さく笑った。

 私は何だか気恥ずかしくなって前を向く。初めてグレイの心に触れたような気がして、少し顔が熱くなる。


 そして私は、グレイがあの場から救い出してくれたのだと理解した。
 ずっと逃れられなかったリディアの最後の場面。それが繰り返されることなく、こうしてグレイに守られてラダクールを飛び出した。

 こんなことが起こり得るなんて考えもしなかった。視界に広がるこの美しい夜の景色も、まるで夢を見ているようだった。




 私たちを乗せた飛竜は、大きく翼を広げ気遣うようにゆるやかに飛んでいる。グレイと魔獣の関係も不思議に思うけれど、それはまた後で訊いてみよう。

 今はただグレイが側にいる。それだけで私の心は大きく満たされていた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

義弟の為に悪役令嬢になったけど何故か義弟がヒロインに会う前にヤンデレ化している件。

あの
恋愛
交通事故で死んだら、大好きな乙女ゲームの世界に転生してしまった。けど、、ヒロインじゃなくて攻略対象の義姉の悪役令嬢!? ゲームで推しキャラだったヤンデレ義弟に嫌われるのは胸が痛いけど幸せになってもらうために悪役になろう!と思ったのだけれど ヒロインに会う前にヤンデレ化してしまったのです。 ※初めて書くので設定などごちゃごちゃかもしれませんが暖かく見守ってください。

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...