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22.夜空へ
しおりを挟む海のような青い瞳を持つ、大好きだった彼。
初恋の人が目の前にいるというのに、私は絶望の中にいる。
「ロドルフ様、今度こそはっきりわかりました! リディア王女はこの国を滅ぼすためにセダからに送り込まれた暗殺者です! あなたと国王様の命を狙うために、偽りの婚約者を演じていただけなんです!」
アリスの甲高い大きな声が周囲に響いた。
「ここにいるクレイさんが全て話してくれました。私とラダクールを守るために、私たちの味方になってくれたんです!」
私は何も言葉が見つからなかった。
どうして、何故クレイがここにいるの?
グレイはどこ? どこに行ってしまったの。
それだけが頭の中でこだまする。
「グレイ!」
私は白騎士の姿をした彼に叫んだ。だって、あなたはクレイではなかった。黒い髪に黒い瞳を持つ、グレイ・ノアールだったはずなのに。
「グレイ、お願いだから返事をして。あなたはグレイだったじゃない!」
冷静になんてしていられなかった。私のグレイが消えてしまった。どうして、どうしてとそればかりが繰り返される。
「兄上、クレイは私たちに降伏しました。どうか彼には恩情を」
私の叫びを無視するように、悲痛な面持ちでロトスがそう訴えた。アリスもロトスも、そして周りにいる兵士たちも、クレイという人物に何も疑問を抱いていない。
どうして?
頭の中は混乱してぐちゃぐちゃで、自分がやるべきことを忘れて呆然とする。
「……クレイ? 君は」
私の背後からロドルフの声がした。振り返ると、私と同じように呆然とした様子で彼を見つめている。
「クレイ・モアール」
呟くようにロドルフがその名を口にしたのを聞いて、目の前が真っ暗になった。
間違いなかった。やはり彼の目にも同じように映っているのだ。
この世界から彼が消えてしまった。グレイを好きだったアリスでさえ、彼のことを覚えていない。
自分の運命だとか破滅だとか、セダとかラダクールだとか、そんな事はどこかへ飛んでしまっていた。
ずっと一緒で、いつも側にいてくれていたあの人が消えてしまった。その事実にただ打ちのめされる。
「ちょっと待ってくれ、クレイ。君はグレイ・ノアールなのか? どういうことか説明してくれ!」
彼の名を呼ぶ声に、私ははっと顔を上げる。
「兄上? グレイとは一体……」
「お前こそどうしたんだ。それにアリス、君は彼に好意を寄せていたではないか、なぜ今の姿に何も言わないんだ。どうしてクレイが……」
混乱したようにロドルフがそう言いかけた時、クレイがゆっくりとこちらに歩き出した。そして私の横を通り過ぎ、後ろにいるロドルフの前に立つ。
「あなたなら、私の姿を見れば気付いてくれると思っておりました。これでやっと、終わりにできる」
「君は、何を……」
ロトスもアリスも、そして周囲の兵たちも、固まったように二人を見ている。何が起きているのかよくわかっていないのだろう。
「私はラダクールを愛しています。そして同じ過ちを何度も繰り返してきた。ロドルフ様、ロトス様、あなたたちとの友情は私にとってとてもかけがえのないものでした。
……ですが私はただ一人の大切な人を犠牲にし続けた」
クレイはそう言って右手を大きく広げた。すると周囲の灯りは一斉に消え、辺りは暗闇に閉ざされる。
そこにいたはずのロトスも、アリスもいない。聖堂も庭園も消え、周囲の兵たちも姿を消した。明かりという明かりが消え、この空間にいるのは、ロドルフと私と……そしてグレイだけ。
まるで黒い帳が下りたように周囲が闇に包まれると、白騎士の姿だった彼の姿も黒に戻っていた。
「ロドルフ様、ラダクールで貴方だけが私が異質であると気付いてくれた。だからこの姿になれば記憶が戻るかもしれないと賭けたのですが……それはどうやら成功したようですね。私が一番に望んだ結末を迎えられそうです」
私もロドルフも、ただ茫然とグレイを見ている。何が起きているのかもわからない。でも消えてしまったと思ったグレイが、また目の前に現れたことにただ涙が流れる。
「……リディア様。これまで何も言えず、申し訳ございませんでした」
私は声を出すこともできず、頷くことしかできなかった。
そして私はやっと全てを思い出した。
何度も同じ過ちを繰り返し、死に続けた運命。私は初めからリディアだったのだと。
永遠に繰り返す螺旋。抜け出したくても抜け出せない、繰り返される人生を歩んでいたことを今やっと思い出した。
どれだけ抗って、足掻いて逃げたいと思っても、巨大な渦に巻き込まれるようにセダ王国の王女として人生を繰り返す。
でも一度だけ、別の世界に生まれ変わったことがあった。
それが日本という国に住む、儚い生命を持った女の子。
「……ロトスはどうした、アリスは」
長いような、短いような沈黙の後、ロドルフがグレイに問いかけた。
「大丈夫、皆ここにいます。今はただ闇が深く見えていないだけにすぎません。……それから、ロドルフ様にお願いがございます」
戸惑う姿のロドルフに、グレイはある物を手に握らせた。
「これは、あの時の懐中時計……?」
「リディア王女の死を憐れみ、私を思い出してくださったロドルフ様にこれを託します。……私たちがいた証を、貴方一人に押し付ける形になってしまうことをお許しください」
そう口にすると、再びゆっくりと手を広げた。すると覆っていた闇にの中に、ぼんやりとした灯りが見え始めた。
「私はこれから、この王宮に住む人々から私達の記憶を奪い、新たな地へと向かいます。……それからセダ王国も同じく、あちらはすでにリディア様のことも、奇襲を仕掛けたことも憶えておりません。
ですから、これからの未来は貴方にお任せいたします」
グレイはそう言って一礼すると、茫然と眺めていた私に近寄り、ふわりと私を抱えあげた。突然のことに驚いて思わず彼にしがみつく。
「リディア様。申し訳ありませんが、貴女をここから連れ去ります。どうかしっかりお掴まりください」
待ってくれ、とロドルフが叫ぶけれどグレイは振り返らなかった。
「私は貴方を心から尊敬し、良き友人でいてくださったことを生涯の誇りにいたします。……どうかお元気で。我が友、ロドルフ様」
私を抱えたままグレイは駆け出した。細身の体には似つかわしくない力で、軽やかに闇の中を走り抜ける。
周囲はまだぼんやりとしか見えなくて、どこを走っているのかさえわからない。私はただ彼にしがみついたまま身を任せるしかなかった。
どこかに辿り着いたのか、私の身体を静かに降ろし何かに乗せられた感覚があった。その瞬間、大きなばさりと風を切る音が聞こえたかと思うと、そこでやっと全ての視界が開けた。
目に飛び込んできたのは、幾千にも散りばめられた星々の煌めき。果てまで続く満天の夜空は、私たちの姿を照らした。
「ええっ!?」
やっと自分が乗っているものに気付いて、思わず声を上げてしまった。そこには宙に浮かぶ一体の飛竜。その上に私たちは乗っていた。
「ま、魔獣⁉」
私はそこで、後ろからグレイに支えられていることに気付いた。
「大丈夫ですよ、この子は私の友達です。それよりお寒くありませんか?」
いつの間にか、グレイが自分のマントで私の身体を包んでくれている。私は振り返って首を横に振ると、彼は安心したように小さく笑った。
私は何だか気恥ずかしくなって前を向く。初めてグレイの心に触れたような気がして、少し顔が熱くなる。
そして私は、グレイがあの場から救い出してくれたのだと理解した。
ずっと逃れられなかったリディアの最後の場面。それが繰り返されることなく、こうしてグレイに守られてラダクールを飛び出した。
こんなことが起こり得るなんて考えもしなかった。視界に広がるこの美しい夜の景色も、まるで夢を見ているようだった。
私たちを乗せた飛竜は、大きく翼を広げ気遣うようにゆるやかに飛んでいる。グレイと魔獣の関係も不思議に思うけれど、それはまた後で訊いてみよう。
今はただグレイが側にいる。それだけで私の心は大きく満たされていた。
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