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ロザンヌの人生
しおりを挟む「ママー、やだ。いかないで」
「ほら、りっくん。先生を困らせたらだめよ。ママが迎えに来るまで良い子にしていてね。すみません先生、よろしくお願いします」
足元にすがって泣く陸人を宥めながらお願いし、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れる。
息子が三歳になったら共働きにすると夫婦で話し合っていたことから、先週から働きに出ていた。意外にもすんなりと入れた保育園にほっとしたけれど、肝心の陸人がいやいや病を発症する。
三歳になるまでべったりだったから、なんとなく予想はついていた。なので少し前から一緒にいる時間を減らしたり、買い物もあえて近所に住む義母に預けたりという訓練もしていた。
でも入園して一週間経っても、引っ付き虫は変わらず直らなかった。
とりあえず今日は早めに帰れそうなので、終わり次第すぐに迎えに行こう。冷蔵庫にはまだ食材があるから、買い物をしなくて大丈夫。
そんなことを考えながら、青に変わった横断歩道を渡ろうとした。青信号だったから、何も気にせずそのまま足を踏み出していた。
「危ない!」
誰かの声と同時だった。気がついたらトラックが目の前にあった。どうして青信号なのに、トラックが私の隣にいるの?
そう思った瞬間、ゴキリと鈍い大きな音が体中に響いた。そして何故か私は宙に浮いていた。
え、待って。私は死ぬの? そんなの駄目、受け入れられない。だって私にはまだ三歳の息子がいるのよ。あの子を置いてなんていけるわけがない。
(ママー、やだ。いかないで)
さっき見たばかりの陸人の顔が浮かんだ。私から離れるとすぐに泣きべそになる子。
痛みなんて感じなかった。そんなことよりも家族のことだけが脳裏に蘇る。大丈夫、お母さんは死なない。陸人を置いてどこかへ行ったりしないから。
そして叩きつけられたように全身に強い衝撃を受けると、そこで記憶は途絶えた。
*
これらの事を全て思い出したのは十四歳頃だったと思う。自分のステータスを読んだ日から、断片的に思い出していった記憶。全てのピースが揃ったのがその頃だったはずだ。
私は生まれ変わったのだと、やっとその時に理解した。死にたくない、死ねないとの強い思いが、こんな形で表れてしまったのだろうか。どうせだったら同じ世界で、日本で転生したかったけれど。
そして運の悪いことに、それらを全て思い出したすぐ後に王太子ジェラルド様との婚約が決められた。王室と我がメヴェル公爵家の間で取り交わされたらしい。
成約後、ジェラルド様にご挨拶をする日を設けられて、初めて彼とお会いした日。彼の頭上には驚くべきことが書かれていた。
〈宮廷舞踏会にて、シャルロットと運命の出逢いを迎える。二人の仲を裂こうとした婚約者のロザンヌを、結婚前夜祭のパーティで断罪し婚約破棄を言い渡す。そして運命の相手シャルロットと永遠の愛を誓う〉
なにこれ。最初に浮かんだ言葉がこれだった。
私との婚約がただの茶番であることも心外だったけれど、ここでやっと自分が見えているものがゲームのステータス画面であることを認識したのだ。
ゲームをほとんどしない私がそれをどこで知ったのかというと、あるゲーム実況動画だった。独身時代に友人から勧められて、案外面白くて少しハマっていた時期があった。
だからこの世界はアレに似てるとか、何のゲームだったかとかはわからない。
なんとなく、こんなステータス画面のゲームがあったな、と思い出しただけだった。
*
「ロザンヌの好きな花は何だ?」
お膳立てされたデート中に、ジェラルド様からそんな質問をされた。毎日行われる妃教育にもうんざりしているのに、王子のご機嫌取りをするのも辟易する。将来、婚約破棄をされるとわかっていて、無駄な努力をすることほど気力を削がれることはない。
「そうですね……桜が好きです」
「サクラ……? 聞いたことのない花の名前だ」
おざなりな気持ちで、前世の頃に好きだった花を答える。この世界に存在するのか知らないけれど、真面目に答える気にもならず適当に流した。
もう二度とあの美しい桜を見れないのだろうか。
まだ子供ができる前、夫婦で上った小さな山の上に有名な桜スポットがあった。空いている場所を見つけてシートを敷いて、二人で水筒を飲みながら満開の桜を眺めた。
あの人はどうしているだろう。子供一人抱えて大変な思いをしたのではないか。帰ってこない母親を待つ子供を宥めるにもきっと苦労したことだろう。
ずっとあなたと子供と楽しく過ごしていけると思っていた。こんなに早く私だけが消えてしまうなんて思ってもいなかった。
私は目の前にいるジェラルド様に目を向けた。今こうして一緒にいる婚約者との未来は閉ざされている。こちらとしては婚約破棄は願ってもないことだ。
私の愛する人はあなたじゃない。だから私は婚約破棄を受け入れて、父の持つ領地へ引っ込んで私は自分の人生を歩んでいく。
*
「シャルロット・バニエ嬢。どうか私と踊っていただけませんか?」
私の目の前で、他の独身女性を誘う彼を見て思わず目を見開いた。私とファーストダンスを踊らなかったことを不思議に思っていたけれど、彼女を見て納得した。
彼の前にいた女性は、運命の相手シャルロット。初めから彼女に目を奪われて私と踊る気にならなかったのだろう。
私は彼女のステータスを見た。シャルロット・バニエ、ヒロイン。ジェラルドと運命の出逢いを果たすと書かれている。やはり彼女だ。
でも一つ気になることがあった。『付与効果【魅了】』とはなんなのか?
ジェラルドのステータスにも目を向ける。いままで表記されていなかった『状態異常【魅了】』という文字が追加されている。そして、好感度という文字の横に、目いっぱい横に伸びたバーが現れた。
そして彼女の側にいた彼女の父と婚約者のステータスにもジェラルド様と同じように魅了状態と書かれている。そこでやっと、なるほど彼女は魅了魔法をかけて相手を落としているのかと理解した。
乙女ゲームでいうところの逆ハーレム狙いのように、周囲に見境なく魅了をかけている様子に呆れて一言嫌味を言ってしまった。けれど彼女が最終的にジェラルド様を選んでくれるならそれで問題はないはずだった。
「ねぇ、勝負をかけるなら今日がいいわよ」
彼女が二回目の宮廷舞踏会に参加した日。私は発破をかけるように彼女にそう助言をした。私が悪役令嬢役を降りて彼女のサポートをすれば、少なくとも彼から断罪されることはないだろう。穏便に領地へ引っ越すために彼女に協力を申し出た。
でも、思っていた反応と違った。彼女は婚約者であるウィリアム以外との結婚は考えられないという。ではなぜ周囲に魅了魔法をばらまいているのかと苛立った。
私がジェラルド様の婚約者だから警戒しているのかもしれない。そう思って、自分には相手の状態が見えていること、誤魔化そうとしても無駄だと伝えたけれど、彼女は相変わらずポカンとした表情で魅了魔法なんてものがあるのかと逆に尋ねられた。
もし彼女が本当にそう思っているのなら、私が以前から描いていた計画が狂ってしまう。
私は彼女を家に呼び出すことにした。
*
彼女と話し終えてから、私は宮廷魔導士のところへ相談にいった。公爵の娘で王太子の婚約者である私の要望はすんなりと通され、宮廷一といわれる魔導士に魅了魔法について聞く事ができた。
話によると一般に流通する魔法ではなく、一部地域に住んでいた民族特有の能力だという。そしてこの王都の外れに、その民族の末裔が住んでいるという。
シャルロットはその民族出身なのだろうか。実際に魅了魔法を扱える人に彼女を合わせたら何かわかるかもしれない。そう思い彼女に会いたいことを伝えた。
私の強いお願いに渋々ながら応えてくれた魔導士は、そのことを伝えておくと言ってくれた。
私は改めて、聞いていた住所に手紙を送り訪問する日を伝えた。
*
「うっ……く……」
私は抑えられない声を漏らし、涙が溢れ出ていた。
彼女の口から語られた魅了の秘密。それは彼女の母親からの最大限の愛の形だった。
シャルロットを連れて訪れた老婆の家。彼女を見てもらい、無意識で使っているらしい魔法を止めてもらうつもりで訪問した。
でも事の真相は全く想像もしていないことだった。まさか彼女が魅了の魔法をかけられていた側だったなんて。
シャルロットの生い立ちを聞いて、私は涙を堪える事が出来なかった。彼女の母親は日に日に衰え悪化していく自分にどれだけ絶望しただろうか。子供を置いてこの世を去ることの無念さは、私には痛い程わかる。
寂しがらないだろうか、元気でいてくれるだろうか、幸せに生きてくれるだろうか。
だけど私は何も言わずに彼らの元から去ってしまった。幸せになってね、そんな言葉も残せずに。
そんな話を聴いたら、母親が残した想いを取り除いてほしいなんて言えなかった。むしろ大切にしてほしいとさえ思った。
けれど、彼女は思った答えと違うことを話す。
十分に母の愛を受け取ったと。これからは自分が持つ家庭に、そして大切に思う人たちに受け継いだ愛を注ぐのだと。
私は今まで、断罪だ婚約破棄だと振り回されていた自分を思い返してうんざりした。どれだけ私は傲慢で馬鹿だったのかと。
まだ見ぬ未来を知った気になって、前世の記憶にしがみついてロザンヌの人生から逃げようとしていた。けれどその計画に利用しようとしていたシャルロットは、すでに自分の人生を見つけてこちら側になどいなかった。
私は今まで何をしてきた? ジェラルド様とどんな関係を築いていた? どうせ私を捨てるのだろうと彼のどんな言葉にも無関心で、ただ体裁だけを整えていた。
私が桜が好きだと答えた翌日、彼がサクラがわからなかったからと言って薔薇の花束をプレゼントしてくれた時も。
思い返せば様々な場面で私を気遣い、喜ばそうとしてくれていた彼にどれほどの気持ちを向けたのか?
でもどうせそんなことをしたって、あなたは婚約破棄をするんだから。そう思って関心を示さず冷めた心でいたら、いつしか彼からもそんな態度は消えていた。
あの老婆の訪問後、ジェラルド様のステータス画面から魅了の文字は消えていた。私は念のため、来月の婚前パーティにシャルロットを呼ぶのか尋ねてみる。
「シャルロット嬢? ……ああ、そんな娘がいたね。可愛らしいお嬢さんだったが、子爵ならまだしもそのご令嬢までは呼ばないよ」
あっさりとした口調でそう話す。一欠けらも未練がない様子の彼に、どこか可笑しさを感じて少しだけ笑ってしまった。
「何か面白かったか?」
不審そうに尋ねる彼との心の距離は、大きな川のように隔てている。でもそうしてしまったのは誰のせいか。差し出された手を振り払っていたのは誰か。
私はやっと、そんな馬鹿な自分を知ることができた。
「ジェラルド様。今私は、以前に好きな花とお伝えした桜の刺繍をしているのですが、仕上がったらお贈りしてもよろしいですか?」
「あ? ああ……」
私の突然の申し出に、少し不可解そうな顔をして頷かれる。この距離を縮めていけるのかわからないけれど、少しずつでも向き合っていければと思う。
だって、私は彼の妻になるのだから。
私は前世の夫と子供のことを思い浮かべた。遠く離れてしまった家族の幸せを心から願い、そして誓う。
私はロザンヌ。メヴェル公爵の娘。この新しい人生を、あなたたちを言い訳にして逃げることを止めます。私はこれから精一杯生きていくから、あなたたちも楽しく、精一杯生きてね。
〈終わり〉
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もし、魅了をもつ側が善良な人だったら?と考えていたら、こんな話が出来上がりました。
感想をいただくととても励みになります。ありがとうございました!