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56. あの日、あの場所で(ルーク視点)
しおりを挟む学園の医務室に運ばれたライラは応急処置を施され、すぐに王宮の医療室へと運ばれた。
私は起きた事実を説明し、紅茶を口にしなかった自分には何の不調もないことを告げる。
ライラのいなくなった医務室を後にすると、外は大変な騒ぎになっていた。王宮から派遣された騎士団、学園の役職たち、それから衛兵が現場に集い喧々諤々と話が飛び交い混乱している。
その人混みの中で、ディノとエイデンが一人の男を騎士団長に引き渡す姿が見えた。それは購買所で働く職員で、ジュリアとテラスで食事をするようになってから顔を覚えた男だ。
「ルーク君」
呼ばれて振り返ると、マルクス先生が静かに話しかけてきた。
「僕の力が及ばずに申し訳なかった」
そう言って頭を下げた。
「ジュリアさんが転入してきた辺りから、学園がおかしい事には気付いていたんだ。しかし解決策を得ることが出来ずに君たちを危険に晒してしまった」
「それは……先生の責任ではありません」
当人でさえ考えが及ばない話なのだから、一教師が責任を感じる必要はない。しかし先生は首を横にふる。
「君の様子が変わったことも気にしてはいたんだ。もしかしたら今回のことは、王宮……君の母君が何か関わっているかもしれない。そのことを頭に入れておいてほしい」
まさか担任であるマルクス先生が、母の事まで考えが及んでいるとは思わず驚いた。
「君はこれから王宮に戻るんだろう?」
「……おそらく私自身も本格的な聴取をうけるでしょう。先生は残っているクラスメイトを見てあげてください。特にマリーとジュリアの状態が心配です」
「わかりました。……殿下もお気をつけて」
入学初日以来の敬称で呼ばれたことに、一呼吸おいてから頷いた。ここから先は国の問題だといいたいのだろう。
騎士団数人が付き、私は王宮へと戻った。
それからは聖女候補生の毒殺未遂事件という大事件により、ミリシア学園への大掛かりな調査が始まった。
そして私自身も聴取により長い時間を拘束され、解放されたころにはもう窓の外は暗くなっていた。
私がライラの病室にいくことを伝えると、従者の他に騎士の一人を付けられた。護衛とのことだが、おそらく私の見張りでもあろうことは予想がつく。
私はそれを了承し、医療室へと向かった。
「光の霊石を使って治療を行ったのですが、何しろ体内の深くにまで浸潤しているため、あまり効力を発揮していないようで」
説明を求めると医師がそう話した。それは言われるまでもなくわかっている。光の力による治療は表面の傷や炎症などに効果を発揮するが、深刻な病や毒などといった体内の不調までは力が届かない。
そして現在彼女に意識はなく、あとはどれだけ毒を摂取して体がそれに耐えられるかにかかっていると告げられた。
私は医師に面会する意志を伝え、隣の貴賓用の療養室のドアを開ける。
明かりの消えた、暗い室内に静かに足を踏み入れた。ライラが眠っているであろう天蓋ベッドは、窓から差し込む月明かりに青白く照らされている。
従者と騎士にはドアの近くで待機することを命じ、暗闇のなか一人でベッドの側に歩み寄った。
「ライラ……」
彼女の頬にそっと触れた。その陶器のような肌からほのかな温かみを感じて、少しばかりほっとする。
側にあった椅子に腰かけ、横たわるライラの手を取りゆっくりと持ち上げた。
「すまない……。君を守るつもりが、ただ一人戦わせてしまった」
その手を両手で握りしめ、強く悔やんだ。
私は母の謀を見誤り、追い詰めることに加担したようなものだ。
私の代わりに眠り続けるライラの姿に、深い後悔を抱いたまま、固く目を瞑った。
握る彼女の手にぽたり、と自分の涙が落ちたのに気付いて慌てて顔を上げた。
すると暗い部屋にいたはずだというのに、見たこともない知らない光景が目の前に広がっていた。
青い空と、雑音が絶え間なく響く世界が目に飛び込む。
四角く高い建造物が立ち並び、眼下には色とりどりの車輪だけ付いた荷車のようなものが見たこともない速さで走っている。
療養室にいたはずが、突然知らない世界に囲まれて呆然とした。
これは夢? どうやら自分は宙に浮いているらしい。下を行き交う人々は見慣れない服装で歩き、街は隙間も無いほどに建物がひしめき合っている。
ここはどこだ。
そんな私の疑問と動揺など構わずに、上空から見下していた景色がゆっくりと下がり、一つの民家らしきところへ入っていった。
そこには黒髪の女性が一人、小さな部屋の中で座っている。
「ライラ!」
その女性がすぐにライラだと気付いて声を上げた。
姿形も、着ている服も全く違うというのに彼女がライラだと一目でわかった。
これはライラが見ている夢なのか? 彼女は私の声に気付く様子もなくソファに背もたれ本を読んでいる。
テラスで、ライラが言っていたことを思い出した。彼女はこの世に生まれる前、別の世界で暮らしていたという話。
ニホンという国に住み、カナという名だと言っていた。もしかしたら、ライラを通してその世界を見ているのかもしれない、そう思える光景だった。
その後も私の意思とは関係なく場面は変わっていった。
家族らしき人たちと小さな食卓を囲んでいるところや、友人と思しき人と歓談している様子など、まるで劇のように場面が移り変わりながら彼女の生活を目にしていく。
そうしてしばらく漂っていると、いつの間にか周囲が暗くなっていることに気付いた。
どうやら夜の場面に移ったらしい。しかしそれは私の知る世界とは比べ物にならないほどに街は光で溢れていた。
無数の建物から漏れ出る明かりは星のように散りばめられ、地上は眩しいほど煌々と照らされている。
ライラはどこにいるのかと見渡すと、街灯に照らされた道を歩いている姿を見つけた。
視点が再びライラのもとへと降りてゆく。
その途中、二つの明かりを灯したあの速く走るモノが、ゆらゆらと蛇行しながら彼女の方へ向かっていることに気が付いた。
「ライラ」
私は慌てて声を掛けた。やはり声は届かないのか、彼女は気付くことなく歩き続ける。ライラの倍以上はあるそれが、あの速さのまま彼女に当たりでもしたら間違いなく命はないだろう。
「ライラ、こっちへおいで」
届かぬ手を伸ばし、気付いてほしくて彼女に呼びかける。
やっと私の声が届いたのか、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。
その手を掴もうと再び名前を呼ぶ。どうにかしてこちらに引き寄せたかった。
「ライラ」
そうしてやっと彼女の手に触れた時、周囲が見えなくなるほどの大きな光が私達を包みこんだ。
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