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癇癪と冷静

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「……申し訳、ございません」

 信長に呼び出された天守の畳に、光秀は額を付けて伏していた。

 牢の中にいた美琴を野蛮な男から助け、熱病の手当てをした。それが信長の命でなかったことに、主君はご立腹なのだ。

 全てのことを自分で決めたい、勝手な判断を下すなと、先ほどからお怒りだ。
 ならば全てのことに回るだけの気と時間があれば良いのだろうが、一国の主ともなれば、些細な事は臣下の者に任せる他ない。

 それをわからぬほどのうつけ者でない事を、光秀は知っている。

 信長もまた、怒りの矛先を光秀に向ける事がお門違いであるのだと理解していながら、抑えられない感情を持て余しているのだろう。

 となるとこの状況は、欲求不満が爆発しているに過ぎない。

 怒りを買うかも知れないことがわかっていながら美琴を助けたのは、ほとんど衝動的にだった。

 下衆なことが許せない光秀の宿命のようなものだろう。
 相手がどんな身分だろうと、か弱い女を嬲り平気な顔をしているような粗暴な輩を放っておけないのだ。

 正義感が強すぎるが故に、損をするきらいがある。
 事実、今のように信長から責められたことは、これが初めてでもない。

「格好つけやがって! 牢に入れた女など、捨て置け! お前は、俺に天下を取らせる事だけ考えろ!」

 人を人と思わぬような口ぶりは、昔から変わらない。だがそれは、母親の愛情を受けられなかった故の、捻れなのだろう。

 その部分を除けば、この男に天下を取らせるに何ら躊躇いはない。
 信長こそ天下を取るに相応しいと思っている事を直接言ったことはないが、常に態度で示していても、疑心暗鬼の過ぎるこの男には伝わらないのかもしれない。

 同時にこの怒りが、信長からの信頼の裏返しであることも理解している。
 彼の臣下は他にもいるが、ここまで酷く怒り散らすのは光秀に対してだけだろう。それは彼が光秀に対してどれほど執着しているか、というのと同じだ。

 要は、信長が光秀に甘えている、ということだ。

 子供の癇癪と同じであるから、どれだけ酷く怒っても、後はけろっとしたものなのだ。
 結局、いくら言葉で説明しても信じないだろうこの男の怒りが収まるまで、こうして愚痴を聞いてやるしかない。

「光秀! 勝手な真似は許さん! お前は俺の家臣ぞ! いつから牢番になった!」

 牢番になどなった気はないが、みすみす見逃す事など出来ないタチなのだから仕方ない。



 昨夜はなかなか寝付けなかった。
 城内の見回りも兼ねて歩いていると、牢の前でニヤつきながら銭を数える牢番を目にした。

 良からぬ事がある。
 すぐにピンときて中へ入ってみれば、やはり大男が美琴を手篭めにしようと押さえつけているではないか。

 それを見て見ぬ振りなど、どうしてできようか。

 ただただ頭を下げ続ける光秀に、信長の怒りはなかなか収まらない。時間が必要なのだ。

「だいたいお前は――」

 信長の愚痴はまだ終わりそうにないが、光秀にとっては痛くも痒くもない。気が収まれば、そのうち終わるのだから。

「……はっ」

 光秀は短く返事をして、額を付けたまま畳表を睨みつけた。
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