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高校三年 山王丸兄弟

心を通わせて

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 なんの心境の変化だろうか。
 ご令嬢と決着をつけてから、葛本は海歌を名前で呼ぶようになった。

(よかった……。葛本が私の名前を、呼んでくれている……)

 優越感や特別感を感じているのは葛本も一緒のようだ。
 彼は終業式を終えると海歌を呼び止めて、一緒に帰ろうと誘う。

 信じれないくらい気まずい帰路になることなど、わかりきっているのに。二人は並んで、帰路につく。

 視線を反らしっぱなしの葛本と、彼の横顔を気にしながら並んで歩く海歌の姿に、周りの人々も信じられないものを見たとばかりに陰口を囁いていた。
 昨日の一件は学校内を騒がせたが、あの現場に居合わせていない人々は事の重要さをあまり理解していないようで、今まで通り海歌を豚と呼んでいる。

「おい、椎名! 豚と並んで歩くとか、どーしちまったんだよ!?」
「てめえには関係ねえだろ。二度と海歌を、豚なんて呼ぶんじゃねえ」

 海歌から視線を反らしていた葛本は男子生徒から話しかけられると、今にも人を殺しそうな瞳で睨みつけた。
 海歌は身を縮め、表情を強張らせる。
 些細な彼女の変化を見逃さずに、葛本は海歌の手を握った。

「あ、頭おかしくなったんじゃねーの!? 椎名が言い始めたんだろ!?」
「呼んでいいのは俺だけだ。てめえらに、こいつを虐げる権利は最初からねえんだよ」
「はあ……?」

 男子生徒が驚くのも無理はない。今まで黙認していた葛本が、突然海歌を自分のものだと主張し始め、他の奴らは手を出すなと庇い始めたのだから。

(最初から伝えてくれたら、苦しい思いをせず済んだのに……)

 海歌は一瞬だけ心の中で葛本を批難したが、すぐにその思考を打ち消す。

 この世界には、二人きりで暮らしているわけではない。

 彼がいくら牽制した所で、海歌を虐げてもいい人間だと周りに認識された時点で終わりなのだ。
 黙って耐えるか、逃げるしか海歌の選択肢は存在しない。

(虐げた方が罰せられる制度は、どうして生まれないんだろう……)

 力あるものが弱きものを虐げることが黙認されるのは、力あるものになった人間が得をするためだ。
 逆にきちんと罰せられる世界になれば、リスクを背負ってまで誰かを虐げようと考える人は現れないだろう。

 力あるものが得をする世界を真逆に作り変えるのは、簡単なことではない。
 自分一人の力では無理だと諦め、自分の身を守るために編み出した策は、逃げる一択なのだろう。

 その方法はさまざまだ。

 虐げられる環境から目を背け、場所を変え、自分を変え、命を断つ。
 虐げてきた方を罰することこそが正しい世界であれば、自死を選ぶ必要のない人達だっていたかもしれないのに……。
 虐げられた方が逃げて生き長えることこそ正解だと誘導するからこそ、世界はおかしな方向へ進んでいく。

 人間が受けた痛みや苦しみは、虐げられたことがある者にしか理解できない。
 虐げられるきっかけを作った人とはわかり合えないはずなのに。
 海歌は今、葛本と手を繋いでいる。

「死にたくなったら、ちゃんと伝えろよ」

 葛本は名前で呼ぶようになってから、優しい言葉をたくさんかけてくれる。

(声をかけてもらう前までは、死にたかったのに……)

 海歌は葛本に声をかけられたことで、死にたいと思う気持ちが霧散した。

(死を望む人間は、愛に飢えているらしい)

 誰かに必要とされたい。愛してほしいと願う人間は、他人と繋がることでその人物へ執着し、度が過ぎた思いを気味悪がった人に捨てられ、また死にたくなる。

「葛本が……そばにいてくれたら。大丈夫です」

 海歌が葛本へ、すべてを捧げると決めたように。
 葛本は海歌を裏切らない。

 たくさんの愛をその身に感じている限り、死を選び取ったりはしないと――決意した海歌は、葛本と声を上げて笑った。
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