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高校三年 許嫁と私

両手に花

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(信じて、いいの……?)

 海歌は葛本を信じきれず、困惑していた。

 海歌は学校内外問わず大人しく控えめで、何をされても顔色一つ変えずに平気な顔をして佇んでいるが――心の中では、人生に絶望している。

 髪を切っただけでは気分が軽くなることはあっても、人格までは変えられない。
 そのことに気づいてしまった海歌は、生まれ変わったつもりになっていた自分が恥ずかしくて堪らなかった。

「お前も俺を、捨てんのか」

 海歌は自己嫌悪に陥りながらゆっくりと気怠そうに瞳を開けば、彼は低い声で問いかけてくる。

 頬に触れた葛本の手は、小刻みに震えていた。

 彼は長い間、シングルマザーの母親に育てられている。
 山王丸の話が事実であれば、彼の父親は兄よりも弟の葛本を愛しているはずだが……。
 この場で不穏な単語が飛び出てくるあたり、父親には捨てられたのだと勘違いしていたのかもしれない。

(誤解を解いてもらえるように、山王丸へ伝えないと……)

 自身の苦痛よりも、葛本の幸福を優先する。
 それが若草海歌の利用価値で、存在理由だった。
 けれど。葛本が海歌を求めるのならば――。

 考えを改める時が、来たのかもしれない。

「お前は俺と、一緒にいたくねぇのかよ」
「……私は……」
「お前は俺達のもんだ。誰にも渡さねえし、奪わせねぇよ」
「葛本……」
「お前の人生を寄越せ。今度こそ、幸せにしてやるから……」

 葛本は海歌が思っている以上に、歪んだ独占力を抱いていた。
 新たな一面を目にしてしまった彼女は、困惑の色を隠せない。

(私に執着するような価値など、ないのに……)

 山王丸の弟として大々的に発表されたなら、彼は引く手あまたになるはずだ。女性を選ぶ立場の人間として、どんなわがままを口にしようとも尊重される。
 本家の人間には無条件で従うべきだと分家の人々は植えつけられているからだ。

(どう、しよう)

 海歌は葛本の見せる異常なまでの独占欲と執着心、それから少しの優しさに困惑していた。

(変わろうと思ってたのに。今までの方がよかったと思い始めているなんて……)

 学内では虐げられる原因を作った葛本とクラスメイト達から陰口を叩かれている海歌の行く末が、旦那か義弟になると言うのだから、笑えない冗談にも程がある。

 このまま黙っていれば了承と見なされ、声を出せば葛本の機嫌を損ねてしまうのだから、困ったものだ。
 海歌がどちらの選択肢も選び取ることなくこの場から逃げ出すには、やはり命を落とすしかない。

「あれ? 豚ちゃんと椎名くんだ」
「何あれ、どうなってんの?」
「いいなー、私も椎名くんに押し倒されたーい!」

 海歌は廊下から聞こえてきた声に、現実逃避していた意識を現実へ引き戻す。
 二人がラブロマンスを繰り広げている場所は誰もが廊下から確認の取れる、出入り口からほど近い場所であったのも問題だ。

 女子生徒の声を聞いた葛本の身体が、強張った。
 海歌が震える手に重ねていた手を離せば、彼は勢いよく彼女を抱きしめる。

「葛本……?」
「お前の声だけ、聞きたい……」

 まさか葛本が、海歌の耳元で懇願するなど想像もつかなかった。
 彼の内に秘めたる思いが抑えきれず、暴走しかけているのかもしれない。彼女は大慌てで重い口を開く。

「鞄の中に、イヤーマフラーがありますから……」
「やあ。大胆だね、椎名。俺になんのお伺いも立てずに若草さんを抱きしめるなんて。隅に置けないなあ」

 廊下で黄色い声を上げて大騒ぎしている女子生徒を押しのけ、やって来たのは――葛本の異母兄、山王丸和光だ。

 山王丸は海歌を好意的に思っているらしい。

 葛本が彼女を抱きしめている姿を見て、山王丸がどんな反応を示すかなど考えたくもない。
 笑顔で凄むのか、葛本を引き剥がすのか。
 海歌が内心戦々恐々としていれば、意外にも彼が唇を動かした。

「よっ。ミツ。一緒に帰る約束、してたんだよな?」

 海歌から身体を離した葛本はまるで夢から覚めたかのように明るい笑顔で山王丸の愛称で呼び、声をかける。

 変わり身の速さに驚いた海歌は床に寝転がったまま、心配そうに葛本の顔色を窺った。

「うん。一緒に帰ろう」
「おー」

 彼は床に放置されていた自身の鞄を回収すると、海歌の鞄と一緒に重ねて持つ。
 彼女の許可なく鞄を漁ってイヤーマフを自身の耳に装着したのは、女子生徒の叫び声を聞かないようにする為だろう。

 海歌は山王丸兄弟を何事もなかったかのようにこのまま見送るつもりだったが、彼女は二人の許嫁だ。
 このまま一人で帰宅を許されるわけもなく――。

「行くぞ」
「帰ろう、若草さん」

 右手を差し伸べる山王丸と、左手を差し伸べる葛本。

 学校外であれば問題はないが、ここは学校内だ。
 二人の手を拒むことなど、海歌にできるはずもない。
 彼女はゆっくりと身体を起こして立ち上がると、渋々両手を使って彼らの手を掴む。

 そうして、両手に花の状態で教室を後にした。
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