私の痛みを知るあなたになら、全てを捧げても構わない

桜城恋詠

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高校三年 お家騒動

彼を助けて

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「素晴らしい名字ですこと。あんたに兄弟がいなくてよかった! グズでのろまな弟か兄が身内に居たなら、私だったら自害してたわ!」

 葛本に指示を出して日傘を用意させた令嬢は、それを手に取り空へ開いて掲げた後に大声で叫ぶ。
 謝罪するためすぐさま顔を上げた葛本は少女の発言に絶句したようで、拳を強く握りしめ歯を食いしばっているのが印象的だった。

「何か言ってみなさいよ!」
「……申し訳、ありません」
「本当に、近くにいるだけで不快だわ。その生意気な目。本当に憎たらしい。ゴミクズのように地面へ一生這い蹲り続けていればいいのに!」

 土下座をしている葛本に、これ以上何をしろと言うのだろう。
 海歌は彼が罵倒されている場面を遠くから見守りながら、口元を抑えて固まった。

(気持ち悪い……)

 葛本へ恐ろしい命令をする令嬢と、彼を助けようともしない自分の姿に愕然とした海歌の顔色は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだ。
 茶会の中心から少し離れた場所で揉めているため、彼女の表情が優れないことには誰も気づかない。
 海歌が見ていることなど知りもしない令嬢は、葛本へより一層過激な命令をした。

「この私が地面に這いつくばれと言ったのよ。本当にグズなんだから。私に許しを請いなさい。そうしたら、今日のところは許して差し上げるわ」


 土下座はただ土の上に座り、頭を下げるだけだ。
 海歌は屈辱的な行為であるとは思っていなかったが、どう感じるかには個人差がある。

 憎しみの籠もった瞳で令嬢の顔をじっと見つめていた葛本はさり気なく目線だけを動かし、自分の様子を見守る海歌を視界に捉えて目を見開いた。

「どこを見ているの!?」

 どこかの令嬢が金切り声を上げ、背中を草履で思いっきり蹴り飛ばす。

 憎しみの込められていた瞳から、海歌を視界に捉えた瞬間に毒気が抜けたことに気づいたのだろう。

 令嬢の履いている靴がハイヒールではないことが幸いし、大きなダメージにはなっていないようだが、呻き声が聞こえていると言うことはそれなりにダメージが蓄積されているはずだ。

「声くらい我慢しなさい!」


 葛本の様子が気に食わない令嬢は、ますますヒートアップしているようだった。
 何度も蹴りつけては、着つけが乱れることすら厭わずに彼を痛めつけ続ける。

(一体何の権限があって、彼女は葛本に暴力を振るうのだろう……)

 誰にも文句を言われることなく葛本を痛めつけられるのは、本来であれば本家筋の人間だけだ。
 だが、海歌と山王丸は待てど暮らせど手を出す様子はない。
 不要な正義感を振りかざし、勝手に本家筋の意志を代弁しているのであれば見てみぬふりなどできるはずがなかった。

(葛本を助けたら、母様がうるさい)

 だが、海歌にも葛本を助けられない事情がある。
 彼を助ければ、家庭内での環境がさらに悪化する可能性があった。

(私には無理でも。山王丸なら……)

 面と向かって彼を助けることはできないが、山王丸に救援要請をするくらいならば許されるだろう。
 そう考えた海歌は助けを求めるような彼の視線から目を背け、山王丸を呼びに行くため来た道を戻ろうとして――。

「――若草さん!」

 海歌が歩みを進めようとしていた道から、息を切らしてやってきた山王丸の姿を目にした。

 彼は取り巻きを押しやりながら海歌の元へやってきたかと思えば、彼女の手を取って前に進む。

「行こう!」

 山王丸はこの茶会の主催者だ。
 ここで嫌がった所で、彼の意志には誰も逆らえない。
 どちらにしろ山王丸の隣を歩くことになるのであれば、黙って従った方がいい。
 無許可で無理やり手を掴まれたのには文句の一つも言いたかったが、握り返さないことで拒絶の意思を伝えることにした。

 山王丸に助けを求める手間が省けたのは悪くないが、海歌を巻き添えにして堂々と止めに入るつもりなのは頂けない。

(私を巻き込んで、どうするつもりなのだろう)

 海歌は山王丸に助けを求めるつもりではあったが、直接葛本の前へ顔を出すつもりはなかったからだ。

(一人で行けばいいのに)

 海歌が心の中で悪態をついていることなど知りもせず。
 山王丸は土の上で土下座をする葛本の元へ向かうと、笑顔で話しかけた。

「ああ、居た居た。これから、特別室で茶会を開くんだ。君にお茶を入れて欲しくてね」
「な、山王丸様ともあろうお方が、我が一族の汚点を前にして跪くなど、あってはならないことですわ!」

 葛本と視線を合わせる為に、山王丸は服が汚れることも厭わずその場へしゃがみ込む。
 本家筋の人間が立場の弱い分家の末端に対して、手を差し伸べるなどあり得ないと見知らぬ令嬢は大騒ぎしている。
 海歌はその様子を生気のない瞳で見守っていた。

「どうして? 彼は末席といえども、血縁者だよ。人間扱いされない彼に敬意を評して、悪いことがあるのかい」
「悪いに決まっています! 穢らわしい男を罰するのは、当然のことです。皆やっているのですから、私だけがこうして咎められる意味がわかりませんわ!」
「皆がやってるんだから私は大丈夫。その思考は、あまり褒められたものではないね。彼が然るべき所に訴えれば、それなりの罰が下るはずだけど……」

 山王丸は笑顔を浮かべたまま吐き捨てる。その瞳は笑っていなかった。
 海歌は山王丸に手を握られたまま、真横で葛本の様子をぼんやりと心配そうに見守ることしかできない。

「訴えた所で! 誰もグズの言葉など信じませんわ。これは、どんな理不尽にも耐え忍ぶ為の修行なんですの。この程度の行いで壊れる男など、死んでしまえばいいのです」
「それが本家の意志だと?」
「当然です! 誰もがそう思っているに決まっています!」
「……だ、そうだけど。若草さんは、椎名しいなを虐げたことはないよね」

 当時者の葛本は、蚊帳の外。
 いないものとして扱われていたはずの海歌は山王丸の発言により、無理やり舞台へ引き摺り出されてしまった。
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