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高校一年

豚と呼ばれるようになるまで

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 ――四年後。

(今度こそ、失敗しない……)

 ――四月二日。

 高校生になった海歌は机の前に置かれた椅子に座り、入学式のオリエンテーションが始まるのを待っていた。
 簡単な自己紹介を出席番号順に紡ぐだけ。誰でもできる、簡単な作業だ。

 あいうえお順でわ行の彼女は一番最後に発言することが多かった。
 海歌は普段より明るく元気にハキハキと話すことを心がけて椅子から立ち上がると、自身の名を紡ぐ。

「若草海歌です。海の歌と書いて、イルカと読みます」

 明るく元気に、ハキハキと自身の名を紡ぎ終えた海歌がほっとした様子で優しく微笑めば、彼女に注目していたクラスメイトが頬を赤らめる。
 その様子を隣の席に座ってつまらなさそうに見つめていた男子生徒は、海歌がクラスメイト達へ挨拶終了の言葉を紡ぐ前に吐き捨てた。

「漢字で書くなら、海の豚で海豚だろ」

 ――隣の席に座る男子生徒の何気ない一言で、海歌の高校生活は終わりを告げた。

(ああ、また、駄目だった)

 高校生デビューなどと浮き足立って、演技をしてでも一人だけ助かろうとした罰が下ったのだ。

(やっと、みんなと同じように……毎日楽しく過ごせるかもしれないと思っていたのに……)

 海歌の中学時代は散々だった。

『ウミカではなく、イルカです』

 彼女は自分の名前を訂正しただけなのに、面倒な女だと避けてしまい孤立してしまったのだ。

 海歌の名は葛本から指摘を受けた通り、本来であれば海豚と文字を描くべきなのだが……。
 海歌に一切興味関心をみせず厳しく育ててきた両親にも、生まれたばかりの娘に豚と漢字を名づけることには抵抗があったらしい。
 名前の読みはイルカのままに、海の歌と名付けられた。
 完全なる当て字だ。

(環境を変えれば、仲良くなれると思ってた)

 よほどのことがない限り、名づけられた名前は変えられない。

 平凡な名を持たぬ海歌が、平穏な学校生活を望んだのが間違いなのだろう。
 新生活に胸を踊らせていた彼女は、彼の不機嫌そうな言葉によって天国から地獄へと引きずり降ろされてしまった。

(死なばもろとも、一蓮托生。一人だけ助かるのは、許さない……)

 ――海歌は隣の男子生徒が、ひとたび学校の外を出れば酷い扱いを受けていると知っている。
 彼は彼女が一人だけ助かろうとしているのが気に食わなかったのだろう。

(……あなたの手を取れば、よかったの? )

 海歌は必死に平常心を保とうとするが、優しい笑みを称えていたはずの表情は引き攣っている。
 額からはじんわりと冷や汗が流れ落ちて机を濡らす。
 つまらなさそうに窓の外を見つめる男子生徒が焦る彼女の様子を確認せずに視線を外したのをいいことに、海歌は震える声とともに再びあがき始めた。

「そうです。本来は、海の豚と書くのですが……」
「じゃあ、ニックネームは豚ちゃん?」
「そうしよ!」

 クラスメイトの注目を集めていたことに対して、気に食わない女子生徒が何人かいたのだろう。
 女子生徒達は嬉々として、海歌を潰しにかかる。

(……終わった……)

 唇を噛み締めながら握りしめた拳を震わせた海歌は絶望感でいっぱいになりながら、逃げるように頭を下げて椅子に座った。

「これからよろしくね、豚ちゃん!」

 女子生徒達が海歌に笑いかける姿を見て、隣の席に座る彼はさぞかし喜んでいることだろう。
 海歌は彼女たちに引き攣った笑みを浮かべたまま、目線だけを隣に座る男子生徒へ向ける。

 海歌の名を誤字だと指摘した彼は、海歌を豚と呼ぼうと騒ぎ出した女子生徒達に対して難しい顔をしながら胸の前で腕を組んだ。

(助けを求めたところで、意味がない……)

 海歌は学校外で助けを求められても、手を差し伸べることなく見て見ぬふりをしてきた。
 まったく同じことをされているだけだ。

『助けて』

 そんな言葉を口にする資格など、海歌には存在しなかった。

(自業自得だ。受け入れるしかない……)

 それでも海歌は納得できずに、視線だけで助けを求めてしまう。
 だが――彼が海歌を庇う機会など、一生訪れることはない。

(彼にならば、何を言われても構わなかった)

 豚と罵倒されて当然のことを、彼にしているからだ。
 しかし……他の生徒達から名前のことを弄られるのは耐えられない。

(私は幸せなんて、願ってはいけなかったんだ……)

 一人だけ楽になろうとした海歌は、彼の手により再び地獄へ引き摺り込まれ――高校生活の三年間、豚と蔑まれ続ける羽目になった。
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