狐娘は記憶に残らない

宮野灯

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第2話 九重然人は影と対峙する

9 おれがビシッと解決してやったかんな

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 翌日。

 相変わらず朝から先輩にこってり絞られたおれは、放課後になるまで自分の机でへばっていた。
 ちなみに本日、ほとんど寝ながら受けていた授業ですべての中間テスト結果が出揃った。
 八科目を合計すると、得点は五割ちょい上、平均点よりはまあ、それなりに下。

 手渡された結果一覧の紙を、おれはぐしゃぐしゃにして左の胸ポケットにしまい込む。……この調子で期末を迎えたら、何教科補修になるかわかったもんじゃねえべ。
 補修になると、もっとキツイ練習が待っているとかいう噂もあるしな。
 勉強すんべ、明日から。

 何の気も無しに時計を見ると、もう十六時十分を過ぎていた。

 やべえ、三十分には準備を終えてグラウンドにいないと、どんな目に遭うかわからん。
 おれは教室を飛び出す。傾きかけた西日が廊下の窓から入り込んでいる。急ぎ階段に向かい、お隣の1-Bの前を通りかかったところで、扉から出てきたノンと出くわした。

「お、帰りか?」
「ゲ」

 彼女はあからさまに迷惑そうな表情をして、こちらを見た。

「ゲて何だよ、傷つくだろお」
「何でって、アンタに会うとろくでもないことに巻き込まれるから」
「なるほど、一理ある」

 おれは不覚にも彼女の言葉に納得してしまう。「影人間」に関しては、完全にただの流れ弾だったしな。
 花火のときも、あんな真っ暗な道に連れて行かれるとは思ってなかったかもしれんし。

「……ああ、そうだ。麗からもう聞いてるかもしれんけど、例の『影人間』の件、おれがビシッと解決してやったかんな」
「……は?」

 一瞬、ノンが凍り付いたのがわかった。……思い出させてしまったのかもしれない。

 だけどこの様子だと、妹から何も聞いてないみたいだな。
 麗も、怖がりの姉のことだから、話題にするのを避けたのかもしれない。ともかく、こんな話に巻き込んでしまったせめてもの償いとして、おれは昨日判明した事実を話すことにした。

「あそこ、夜に通ると一瞬だけ、でかい影が見えるんよ。でもそいつはトンネルの切れ掛かった蛍光灯に描かれたスプレーの影ってだけで、それを誰かが『影人間』と見間違えたんだろうってことだべ」
「……良くある話ね。それで夜にだけ出るって話だったの」

 ノンは意外にも生返事をする。
 怖かったことに説明が付いたんだから、もう少し褒めてくれてもいいんじゃねえか……? 彼女はそんなおれのささやかな期待とは裏腹に、肩にスクールバッグを担いだまま、神妙な顔つきになった。

「ってか、アンタさっき何て言った?」
 予想外の質問が飛んできて、おれは面食らう。

「だから、蛍光灯にスプレーが掛かっててさ」
「そうじゃなくて、もっと前」

「ああ、麗から聞いてないか、って?」
「そ。それ、どういう意味?」
「どういう意味って、そりゃ言葉通りの……」

 そこまで言いかけて、俺は昨日、ノンから受け取ったメッセージを思い出す。
 昨日、トンネルの前で握りしめた麗の手の温度を思い出す。
 影人間の調査を終え、暗がりに消えていった麗の後ろ姿を思い出す。
 誰かに背筋を指でなぞられたような感覚に陥り、おれは絶句した。

 ……いや、まさか。そんなことって。

「な、なあ。昨日の夜、麗って何してたんだっけな?」
「何って、アンタが下手に誘ったりするから、行きたいーってずっと不貞腐れてたけど」

「……家の外に飛び出したりとか、してない……よな?」
「そんなことさせるか。……ぶーぶー言いながら、寝るまでテレビ見てたっての」



「……怖っえ!」

 誰もいなくなった廊下で、おれは一人叫んだ。
 ノンにありのままを伝えるのは色んな意味で怖すぎたので、適当に誤魔化して孤独に恐怖を噛み締めていたのである。

 ノンが嘘をついているとは思えない。
 彼女はそういう方向に話が進むことを全力で止めるやつだ。自分で話していて怖くなるだろうし、そもそも思い付きもしないだろう。

 いや、マジで待ってくれよ。「怪談のあるトンネルで手を繋いでいた相手が、実は人間ではありませんでしたー」なんて、定番中のド定番だけど、実際に出くわすなんて心の準備、できてるわけねえから!

 おれは茶介と里咲ちゃんに、この件をどう伝えようか考えながら、早足に階段を降りる。
 特に茶介は、昨晩あのトンネルを調べて、何もないって結論付けちまってるから、特に気を使って説明してやらんと。ホントあいつ、頭固いところあるからな。

 興奮冷めやらぬまま、そんなことばかりで頭がいっぱいになっていたのが良くなかった。



 おれは左肩を、後ろから乱暴に押された。

 階段に踏み出すはずの足が大きくずれて。

 バランスを崩した身体は反転して。

 視界はぐるりと踊り場を向く。

 手を伸ばした「そいつ」は。

 枝高一年の制服を着ていて。

 裂けるように笑っていた。



 その顔を確認した刹那、後頭部に白い閃光が走り、おれの意識はブラックアウトした。
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