狐娘は記憶に残らない

宮野灯

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第1話 近野里咲は狐に化かされる

8 怪しい光の正体は

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 改めて考えてみれば、最初に近野から話を聞いた時に、どうしてこの考えに至らなかったのかが不思議だった。

 ……彼女が神社の方で見たと勘違いしていたことはその一因だろうが、それにしたってお粗末な話だ。

「光の正体がわかったって……本当ですか? 尾先くん」
「マジで? 何か閃いたんか、茶介?」

 近野はきょとんとして、然人は目をぱちくりさせながら、こちらを見た。

「ヒントになったのは、近野がさっき言ってたことだ。この場所から少し、煤っぽい匂いがするってさ」

「煤っぽい? ……まあ確かに、言われてみればそんな気も……」
 そう言いつつも然人はその匂いに気が付けなかったようで、近野にくるりと顔を向けた。

「尾先くんも気が付かなかったみたいで、最初は私の気のせいかと思ったんですが……」

「それに関してはさっき近野と話したんだけど、こんな姿になったから鼻が利くようになったんじゃないか……って推測をしてる。瞳の形が変わるくらいの変化だしな。まあともかく、近野の気が付いた匂いが本当だったとすると、彼女が見たものに関して、ある程度の推測ができるよな」

「……お前、サスペンスドラマの刑事みたいだな、茶介……」
 然人がぼそりと感想を言う。
 そんなに格好つけていただろうか……少しだけ、恥ずかしくなってくる。然人はおだてた口調で続けた。
「で、何が推測できたんだよ、尾先刑事」

 近野が眉を寄せて少し考えた後、手を叩く。
「煤のような匂いが残っていたということは、何かが燃えた光ですよね。それに、匂いという痕跡が残っているということは……私が幻覚を見たわけではないという証拠の一つになるんでしょうか?」

 近野は長い鼻をひくひくと動かして、また辺りの匂いを嗅いでいるようだった。俺たち二人から同意を得られなかったからか、確信が持てない様子ではあったが。

「なるほどな。でもよ、その匂いは里咲ちゃんしか嗅ぎ取れてないんだろ? 勘違いって可能性も無くはないよな」
 然人は腕を組んで、もっともな疑問を呈してきた。実際、俺もにわかには信じ難かった。こんな、誰も通らないような道で煤の匂いがするなど。

「だから俺は、何か裏付けになるものが落ちていないか探してみたんだけれどさ」

 俺は屈んで、先ほど懐中電灯で照らしたレンガの隙間から、それを取り出した。
 人差し指くらいの長さの直方体。

「これって……ライター、ですよね」

 近野の言う通り、俺がレンガの隙間から取り出したのは、使い捨ての百円ライターだった。

「泥もかかってないし、雑草が絡んでいるわけでもない。最近ここに落ちたライターなんじゃないかな。……探し物がヘタクソな誰かさんは、散々探し回ってたのに気づかなかったみたいだけどな」

 然人は痛いところを指摘されたのか、俺が取り出した百円ライターを見てしばらく固まった後、人差し指で頬をかいた。

「こりゃ、うっかり。……じゃあ、里咲ちゃんが見たのはその、百円ライターの火……ってことになんべ?」
「いえ、違うと思います」

 近野に即時否定されて、然人はがっくりと肩を落とす。

「ああ、ごめんなさい、然人くん。ただ、私が見たのは、ライターの火ではなかったと思うんです。もちろん、それで紙や木を燃やしているような光でも……。色も、形も違いましたし」

「ゆらゆらとした緑の光に、円状に動く黄色の光……だったよな。確かに、ライターの火は白か、まあ、部分的に黄色や赤や青には見えても、緑には見えないな」
 俺はライターを擦ってみる。
 火に色が付いている特殊なライターなわけもなく、普通に点くだけだった。それを見て然人が呟く。

「緑に黄色の光か。そんな光を出すのって、百円ライターだけじゃ厳しくないか? なんだっけ、炎色反応ってやつ? そりゃ、下準備すりゃあ可能だとは思うけど、わざわざこんな山の中でやる意味なんてないしな。人を驚かそうとしたなら話は別かもしれねえけど」

「誰かを驚かせるためだとしたら、あえてここを選ぶでしょうか? 私が今日通るということも、誰かが知っていたわけじゃありませんし」

「まあ、火の正体が何か、って言うのはいったん置いておくとして、重要なのはライターがあったってことと、何かが燃えたってことだ。……気になるのは誰がそれをやったか、ってことなんだが……」

「そもそも人通りが少なくて、明かりもない道ですもんね。何か隠れてやるようなことでもなければ、ここで火を起こすなんて考えられませんけど」

「人間の仕業だとすれば、心当たりはある。そもそも、こんな所まで入り込んでくるような奴はほとんどいないんだ。それに、ここで物を燃やすってことは、レンガが敷いてあることを知ってたってことだろう? 山道でライターを擦るバカはいないだろうし。たまたま進入した奴がこの場所を見つけて、たまたま持っていたライターで妙な色の光を出した……なんて考えられない。犯人をこの場所を知っていた奴に絞るなら、該当する奴の中に、今夜際立って行動が不審だった人間がいる」

 すると、急に近野がおたおたし始めた。

「あの……ごめんなさい、私……ですよね。急に祠にお詣りに来たり、気絶してひっくり返ったり、初めて話す尾先くんの家に押しかけたり……」
 確かにそうやって例を積み重ねられると、近野もかなり怪しい行動をしてはいるのだが……。

「近野が怪しいなんて言い出したら、自作自演を疑わなきゃいけなくなる。俺が言ってるのは違う奴のことだよ――そいつは夜、わざわざ俺の家の前を通って、怪しい光のあった現場まで戻ってきた」

「それって、もしかして……」

 近野は、ゆっくりとその男に視線を向けた。
 二人の視線を感じたのか、そいつは慌てて自分を指さす。

「お、俺が怪しいってのか?」

 言うまでもなく、九重然人のことだ。

「さっき言った通りだよ、然人。今日のお前、普段に増して挙動不審だぞ。思い返せば、俺らが裏の山に行くって言った途端、一緒に来ることにしたよな。道に入ってからも常に先行してこの広場までやってきた。広場よりも上には付いて来もしなかったのにな」

「いやいや、たまたまだべ。偶然、茶介の様子を見にきたら面白そうなことをやってたから、つい付き合っただけでさ……」

「近野が入った道が神社側ではなく、ウチの私有地の方だって言う前に、正しい道を進んでいたのもお前だったよな」
「そりゃ、当然……だろ。茶介が裏の山で探し物って言ったら、誰だってこっちの道のことだって思うし」

 言い訳の筋は通っているようにも思えるが、心なしか然人の口調が早くなっている。それに落ち着きがないようだ。
 絶対的な自信があったわけではなかったが、こうまで露骨な反応を返されるとビンゴなのかもしれない。

「一番怪しいと思ったのは、手がかりの探し方だ」

「手がかりの探し方……ですか? ちょっと大ざっぱかな、とは思いましたが、別に不自然なところはなかったように思いますけれど……」
 近野は不安そうに首をかしげる。

「近野、お前、登り道で怪しい光が浮いていたってことを聞いて手がかりを探すなら、どこに注目する?」
「え、ええと。それはもちろん、角度的には下から見ることになるわけですから……」
 近野は考えながら、山道を歩くような動作をして目線を上げた。

「確かに、何か光の痕跡が地面に落ちていることもあるかもしれないが、特にこういう山道だったら目線は上げるだろ。枝の間とか、木の幹に何か光るものが無いか、それを確認しなきゃ始まらない。もっと言えば、この踊り場みたいに、広い地面を黙々と探す意味はそんなに無い。……で、然人の探し方は」

「あっ。そう言われてみれば、登っている最中も、この広場に着いてからも、ずっと地面を照らしていましたね……」

 何を探しているか伝えていなかった最初はともかく、怪しい光が浮いていると聞いた後も、彼は頑なに地面を探し続けていた。

「つまりお前には、最初から『地面に落ちている』探し物があったんじゃないか? 俺たちが探している手がかりとは別にな。……それはもちろん、こいつのことだろ」

 俺は、先ほど手に入れたライターを、然人に投げ渡した。
 然人は両手でそれを受け取ると、普段とはまるで違う、硬い笑顔で応答する。

「か、仮に俺がライターを探していたとして……それが、里咲ちゃんの見た怪しい光と、どう関係があるんだべ? さっきお前も言ってたけど、こんな百円ライターで何かを燃やした光じゃあ、緑色になったり、まして黄色の円形になんてなったりしないだろ?」

「……然人、確かお前、今日中間試験が終わったって言ってたよな」
「な、なんだよ。……終わってねえべ」
「いや、そこ嘘つく意味ないだろ。近野、どうなんだ」
「え、ええと……終わったような、終わってない場合もあるような……?」

 慌てふためく然人につられたのか、近野はふわふわとした返事をする。……道を登っているときも思ったが、本当に周りに流されやすいな。

「昼間然人は、俺を遊びに誘いに来たんだ。中間テストが終わったってな。……待ち合わせ場所はカザミ。ホームセンターだ。近野が見た火の正体は、なぜカザミを集合場所に指定したか、なぜこの場所でライターを使ったかを考えれば推測できる」

「待ち合わせに便利ってこと以外で、ホームセンターを集合場所に指定する意味……何か、買おうとしていたってことでしょうか。ええと、ホームセンターで買えて、尾先くんとの遊びに使いそうで、レンガ床の広場が必要で、ライターを使うもの……?」

「そんなもん……ねーだろ。ライターが落ちてたのだって、おれがこっちに来たのだって偶然だ。そうなんだよ、里咲ちゃん!」

 助けを求めるように然人は近野に話しかけるが、近野は夢中で考え込んでいた。少しの時間考え込んだ後に、彼女は手をぽんと叩いた。

「あっ。もしかして……。花火、でしょうか」

 然人は手を伸ばしながら、がっくりとうなだれた。その様子を横目に見ながら、俺は近野に頷く。

「ああ、そうだと思う。きっと近野が言ってた煤っぽい匂いってのは、花火のそれだろう。緑色のゆらゆらとしたエネルギー体っぽい光は、花火の煙の中に浮いていた緑の手持ち花火。黄色い円形の光は、ねずみ花火か何かだろう。……花火ってのは、当然だが着火したとたんに明るい光が出るもんだ。……こんな暗くて、誰もいないと思っている道でそんな光が急に現れれば、近野じゃなくてもビックリするだろ」

「……わ、私、花火の光なんかで気絶した、ってことですか……!?」
 近野はボッと紅潮した顔を両手で覆って、その場にへたり込んだ。

「ここで友達と花火をさんざん楽しんだ後、家に帰ったあたりで……然人はライターを落としてきたことに気が付いたんだろ。それで、回収のために戻ってきたところで俺と近野と鉢合わせた、と……。さすがに、私有地に、しかも俺の許可を取らずに遊んだあと、ライターを放置してきたのはマズイと思ったんだよな、然人」

 然人は天を仰ぎ、しばらくの間黙っていた。
 だが、やがて観念したのか、こう言った。

「……そうだよ。おれがやったんだ。おれが……ここで花火をやったんだよ」

 それはまるで、サスペンスドラマで自白をする犯人のようだった。スケールは、比ぶべくもないけれど。
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