告白されたい雪乃さん

風見 源一郎

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第2話

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 翌朝、俺は朝のゴミ出しに出た。その日は曇り空で、薄暗い中をゴミ捨て場に向かって歩いていると、エレベーターの前で見覚えのある人物と鉢合わせた。沙英雪乃だ。彼女はパジャマ姿で、少しぼんやりとした表情をしていたが、その可愛さに俺はドキドキしてしまった。

 目が合った瞬間、俺たちはお互いに固まった。俺は緊張のあまり息が詰まり、彼女は驚きの表情を浮かべている。雪乃は俺が隣人であることを初めて知ったので、当然の反応ではあった。エレベーターのドアが開く音が、気まずい沈黙を引き裂いた。

「……お、おはようございます」

 雪乃が少し戸惑いながらも挨拶してくれた。学校では見られないぐらいヨソヨソしい態度だ。まあ、パジャマ姿なんてものを見られたんじゃ仕方ない。俺は心臓が飛び出しそうになりながら、なんとか返事をする。

「お、おはょぅ……」

 エレベーターに乗り込むと、沈黙が再び訪れた。俺は何か話そうと必死だったが、言葉が出てこない。エレベーターが一階に着くまでの数十秒が永遠のように感じられた。

 狭い空間の中で、雪乃の香りが漂ってくる。甘くて清潔な香り。俺は視線を泳がせ、彼女の姿を盗み見る。パジャマ姿の雪乃は、学校で見る彼女とは違う魅力があった。髪は少し乱れていて、目元には眠たそうな影が見える。沙英雪乃のこんな素の姿を見てしまっていいのだろうかと謎の不安感が込み上がってきて、俺は急いで目をそらした。

 エレベーターが到着し、ドアが開く。俺たちは同時に一歩を踏み出し、また互いに気まずそうに立ち止まる。

 何か喋ろうとしているのだ。こんな状況ではあるが、雪乃は学校で振る舞っているような愛想のいい外面を俺に見せようとしている。だが、もうこんな状況なので、出すべき言葉が見つからない。そんなところだろう。

 結局、無言でゴミ捨て場まで来た俺たちは、まず俺が蓋を開けてゴミを捨てて、その次に雪乃にゴミを入れてもらう……つもりだった。俺を見つめる鋭い眼光、潜められた眉。もうびっくりするぐらい睨みつけられている。……なぜ?

「あっ……悪い!」

 俺は急いでその場から離れた。一人暮らしの女の子のゴミ袋なんて、プライベートの塊でしかない。そんなもの、男が見てる前で捨てられるはずもない。俺はそれに気づけなかった。

 案の定、俺が離れると、雪乃はゴミを自分でトラッシュして、またエレベーターに戻ってきた。俺が開けるボタンを押して待っていたので、雪乃は会釈だけをしてエレベーターに乗り込んだ。先に上がって部屋に戻っておいたほうが親切だったのかもしれない。いや正直に認めよう。雪乃のパジャマ姿をもっと見たくて、わざと開けるボタンを押していた。許してもらいたい。

 そして、また、無言。雪乃の香りだけがする無言。こんな朝っぱらからパジャマ姿で香水をつけるなんてあり得ないので、これはきっとシャンプーの匂いだ。そんなことを考えていたら、雪乃にすっげー睨まれてる。なんで?

 まだパジャマ姿だから恥ずかしくて顔を合わせられないとかならわかるけど、なんで睨まれるの? 他に何か悪いことした? テレパシー能力とかないよね? 思考を読まれているとしたら、もう、ここで雪乃との関係は終わりだ。不埒なことを考えすぎていて、二度と口を利いてはもらえまい。

「ゴミ……」

 雪乃の呟きに、俺は心の中で思わず『ヒィッ!』と叫んだ。俺のことを言われたと思った。本当にそうだった可能性も、捨てきれない。

 エレベーターのドアが開く。たった四言の会話だけで、俺たちの初対面は終わってしまった。

「では……また」

 かと、思った。実際には、最後に雪乃の方から俺に『またね』という旨の発言を頂けたので、五言になった。雪乃は最後まで目を逸らしっぱなしで、俺からの返事を待つこともなくドアを閉めてしまったが。

(嫌われてるのか……嫌われてないのか……よくわからない……)

 女の子っていうのは、改めて、難しいなあと思った。

 俺は自室に戻ると、ドアに寄りかかってため息をついた。朝からこんな緊張感のある出来事があるなんて。心臓がまだバクバクしている。

 制服に着替えながら、さっきの出来事を反芻する。雪乃の態度は明らかに学校とは違っていた。あの誰からも慈しまれる『雪の妖精』ではなく、むしろ不機嫌そうにさえ見えた。でも、最後の「またね」は少し柔らかい声音だった。

 頭を振って、考えるのを止める。深読みしすぎだ。朝が苦手なだけかもしれない。というかまず間違いないのが、俺みたいな陰キャに住所を抑えられて、学校で言いふらされると恐れて身構えていたという線だ。その不安を取り除いてあげるには、俺が徹底した秘密主義になる必要がある。だから俺は、学校で雪乃に会っても不躾に話しかけるつもりはない。下手に警戒されて、もう一度あの香りを堪能できなくなったら嫌だ。

「未練タラタラじゃねえか……!」

 俺は自分の膝を殴って、登校の準備を始める。未練、というのは、雪乃にではなく、女性にだ。俺みたいなカースト下位の人間は、子孫を残すと人類が迷惑するので、女の子に近づくべきですらない。そう、人生にケジメをつけたはずなのに、女の子と同じ空間にわずか三分いただけでもう信念がぐでぐでになってしまった。どうせ俺は甲斐性のない男だ。

 準備を終えて部屋を出ると、廊下は静かだった。雪乃の気配はない。同じ学校に通っておきながら、今日になるまで顔を合わせることが一度もなかったのは不思議だった。もうお隣さんになって約一年という間柄だというのに。その上、お互いに部活もやっていない身の上だ。唯一あったのは、学校の帰りに俺が雪乃の後ろ姿を見たということだけ。決して後をついて行ったりはしていない。

 目の前にあるのはいつもの通学路。朝の空気は冷たく、頬を撫でていく。周りを見渡すと、同じ制服を着た生徒たちが三々五々登校している。俺は一人で歩くのが当たり前だった。

 ふと、雪乃の姿を探してしまう自分に気づいて、慌てて前を向く。どこかで見かけてしまったら、どう反応すればいいんだろう。目をそらすべきか、軽く会釈するべきか。考えれば考えるほど、答えが出ない。

 学校が見えてきた頃、俺は深いため息をついた。これから毎日、こんな緊張感と戦わなければならないのかと思うと気が重い。俺に会ってしまったがために雪乃が引っ越しを決意する、なんてことになったら俺はもう立ち上がれないかもしれない。二度と女の子と顔を合わせられなくなる気がする。

 校門をくぐり、靴を履き替える。まだ雪乃の姿は見当たらない。ほっとすると同時に、少しがっかりする。こんな複雑な気持ち、初めてだ。

「おい、佐藤」

 突然、背後から声をかけられて飛び上がりそうになった。振り返ると、クラスメイトの石川だった。

「お、おう」

 俺は慌てて返事をする。石川は眉をひそめて俺を見つめている。

「どうした? 顔色が悪いぞ。朝飯は食ったか?」

 石川の言葉に、俺は自分の顔に手を当ててみる。確かに、少し熱っぽい感じがする。緊張のせいだろうか。

「ちょっと寝不足なだけだよ」

 俺は適当に言い訳をする。石川は納得したようで、肩をすくめた。

「また深夜までアニメ見てたのか? あんま無理すんなよ」

 石川がそう言って教室に向かう背中を見送りながら、俺は再び深呼吸をした。女の子と接点を持ってしまったというだけでこんなにも動揺している自分が情けない。

 席に着いて、教科書を出しながら、俺は考える。これからどうすればいいんだろう。雪乃と目が合ったら、挨拶すべきだろうか。それとも知らないフリをした方がいいのだろうか。今まではどうしてたっけ。いや、目を合わせたことすらなかったな。クラスメイトになってしばらく経つというのに。

 そんなことを考えていると、教室のドアが開く音がした。思わず顔を上げると、そこには沙英雪乃の姿があった。
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