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最終章 最期にわたくしがしたいこと
97話 手紙
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明け方、顔をだした太陽が大地を照らしていた。わたくしは馬車のなかから目をほそめ、最後の朝を拝んだ。
ブラッド殿下の馬車とあうことができたのは、海沿いの崖の近くだった。
マデリンがあくびをして、首を鳴らした。
「よく寝たのぉ。さあ、茨の魔女と話しをつけてこい。よいか。妾のことを言うな。絶対に一緒に戦うように奴を誘導することは許さぬ。最後に、生きて帰ってこい。さすれば妾が、じきじきに殺してやろう」
にぃぃっ、と笑うと、マデリンは急に真顔になった。静かな寝息が漏れる。
ため息をついて、馬車を出た。
潮の香りがする。岩肌に波がかぶさる、涼やかな音がきこえた。
目を閉じて、しばし、その音や肌に当たる日光を味わった。
「行きましょうか。イタム」
肩にのったイタムは太陽にむかって、からだをのばす。
「行こう。まったく、魔女が多すぎて困るねぇ」
ブラッド殿下は崖近くのおおきな岩に腰掛けていた。
黒い細身のスーツ姿だった。
「おはよう。まさか、フェイトさんが僕に会いに来てくれるとは。あの馬車はだれのだい? 昨日の夜は遅くまでマルクールでのパーティじゃなかったの」
殿下はねむそうだったが、わたくしへの興味と、夜更かし特有の”たが”がはずれた感じがして、どうしようとかと思い悩む。
「これからわたくしは衝撃的なことをいいます。心の準備はよろしいでしょうか?」
殿下は瞬き、楽しそうにほほえんだ。
「どうぞ。よかったら座って。座り心地は保証しないけれど」
わたくしはあえて、殿下と背中をむけるよう、座った。
「わたくしは、すべて知っています。アラン殿下と王妃さまにブラッド殿下が毒を盛ったことを。それは失敗に終わりました」
波のはじける音が聞こえる。
殿下の息が漏れた。
「どうして、僕だって気がついた?」
うつむき、眉根を寄せた。そして、顔をあげる。わたくしの目の前には蒼い海が広がっていた。そこには、太陽が波間を照らし、輝いていた。
「わたくしは、未来から来たのですよ。殿下が【茨の魔女】というのも存じております」
わたくしは照覧の魔女の力によって過去にもどれる話をした。
ふりむくと、殿下は首をふっていた。
「信じられない……が、フェイトさんが知っているということがすべての証左か。まいったな。こういう展開は想定していなかった」
わたくしはたちあがり、殿下に手紙を渡した。
「これは?」
「クロエさまの手紙です。アラン殿下に預けられ、折りを見て渡すようにと。わたくしが預かってまいりました」
殿下はわたくしを見つめたあと、手紙の入った用紙をひっくり返したり、すかしたりした。
「なぜ、僕ではなく、兄さんに?」
「疑問はごもっともです。しかし、わたくしは内容を存じません。読んでみられてはいかがでしょうか」
「それも、そうだね」
殿下は首肯し、みどり色の封蝋をナイフで切った。
しばらく、殿下は目を落とし、手紙を読みこんでいた。
わたくしはそのあいだ、祈る気持ちで待った。怖い顔をしていたのか、イタムが頬にくちをつけてきた。
イタムののどをなでる。イタムが気持ちよさそうに目を細めた。
日差しが徐々に強くなっていく。
殿下が鳥が鳴くように、高い声を一瞬だしたあと、落涙した。
殿下の後ろにすわって、ほんのすこしだけ、じぶんの背中をつけた。
殿下の背中は震えていた。
「よかったら、読んでくれないかな。お母さんがどういうひとだったのか、フェイトさんにも覚えていてほしい」
涙声で、顔を隠しながら、殿下は手紙を寄こした。
わたくしには様々な思いが去来したが、なにもくちに出さず、ただ、うなずいた。
《 愛するブラッドへ。
いま困っていることはある? 自分のことで悩んでいるかな? それとも、幸せに暮らしている? そうだったらいい。そうだといいな。なにも言わずに逝ってしまってごめんね。気持ちも、からだも強くあればよかったけど、私はどちらも弱かった。だけど、ブラッドを授かったこと。うれしかった。こんな私でも、ちゃんとふつうのひとみたいになれたって、誇らしい気持ちでいっぱいだった。それが唯一の私の自慢。ブラッドを健康に産めたのは最高だった。
もしかしたら、誤解をしているかもしれないから、伝えておくね。アランと王妃さまにはブラッドと私を会わせないように頼んでいたの。実は、全身の湿疹がひどくなってしまって、ブラッドに見せたくはなかった。 これは、罪の証だから。とても、とても恥ずかしかった。ごめんなさい。ほんとうはこんな手紙を託さずに、直接、言えばよかった。私たちが、いったいなんなのか。どういう存在なのか。私は弱くて、告げる勇気がなかった。それは、私が過去になにをやってきたかをあなたに話すことになる。だからブラッドにはなにも言わないで去ろうと決めた。もしかしたら、ブラッドには継承されないかもしれない。もし、継承されたとしても、ブラッドならだれかを恨まず、この力の真の使い方を見つけてくれるかもしれない。そう、信じている。弱い私にできるのは、信じることだけなの。
ほんとうはこの手紙も、渡されなければよいなって思っている。もし、力が継承されず、だれからも、存在を知られないとしたら、それは素晴らしいことだから。でも、この手紙を読んでいるってことは、そういうことだよね。ごめんね。私は、この力にあらがうことはできなかった。憎くない人を憎み、その憎しみそのものに支配されるようになってしまった。
でも、そうじゃないっていまの私なら、わかる。ブラッドは、どうか、人を恨む道ではなく、違う道を探して。
たぶん、世界は見方を変えれば。違う方向から見たら、見え方が、変わるんだよ。そして、そのきっかけはたぶんいちばん近くにいてくれるひとなの。
それを気がつくのに、ずいぶん時間がかかってしまった。たぶんブラッドも時間がかかると思う。いっぱい悩むと思う。いっしょに悩めなくてごめんね。
それでも、探してほしいの。なんの為に生まれ、なんの為に力を授かったのか。それは、人を恨む為ではない。違う見え方によって、違う世界が、きっとひらけるから。
ブラッドの幸せを心から願っている。どうか、自分に負けないで。
世界中の愛を、あなたへ。
クロエ》
わたくしは、空を見つめ、幼い頃にあったきりのクロエさまを思い返した。どこか自信のない笑みと、わたくしに特に優しくしてくださったことが印象的だった。いろんな思いで、魔女の娘であるわたくしを見ていたのだろう。
手紙を丁寧にしまい、殿下にお返しした。
「ありがとうございます。クロエさまの思いは、心にしかと刻みました」
殿下は手紙を胸のポケットにしまった。
わたくしは手紙にあった〈見え方が変わる〉という部分が気になった。
なにかがひっかかる。
その時、わたくしのなかのすべてのパズルがハマる感覚があった。
ロレーヌさま、マデリンのブラッド殿下と戦った際の行動と魔法探知、クロエさまの手紙。ジョージ護身術で学んだこと。そのすべてを組み合わせれば。
――浮かんだ! 逆転の秘策が!!!
「そうですよ。そもそも、戦う必要さえなかったのです」
おもわず心の声が漏れた。
「うん? どうしたんだい」
殿下にのぞきこまれ、慌ててごまかした。
お恥ずかしい。せっかくクロエさまが残してくださった感動的な手紙をまえに、わたくしは違う手段を考えている。
「結局、僕はお母さんの願ったように生きることはできなかった。申し訳がたたない」
整った短い茶色の髪をくしゃくしゃにして、殿下はうなだれた。
わたくしは、殿下の肩に手を置いた。
「わたくしはまもなく記憶が消えて、なにも知らない状態になります。幸いながら、毒での死者はおりません。まだ、やり直すことができます。マルクールにもどって、クロエさまの遺言どおりになさってはいかがでしょうか」
「ここまでのことをして、僕を許すんだね。さすがだよ。だから、君を好きになったんだ。僕とは全然、ちがうから」
嫌な予感がする。
わたくしは肩から手を離し、距離をとった。
イタムが牙をむき、低く鳴いた。
「いっしょに逃げよう。マルクールにはもう戻らない」
殿下が不気味な笑顔をたたえたまま、後ずさるわたくしに近づいてくる。
「フェイトと僕がいれば、それでいい」
わたくしの背後には崖があった。
ブラッド殿下の馬車とあうことができたのは、海沿いの崖の近くだった。
マデリンがあくびをして、首を鳴らした。
「よく寝たのぉ。さあ、茨の魔女と話しをつけてこい。よいか。妾のことを言うな。絶対に一緒に戦うように奴を誘導することは許さぬ。最後に、生きて帰ってこい。さすれば妾が、じきじきに殺してやろう」
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黒い細身のスーツ姿だった。
「おはよう。まさか、フェイトさんが僕に会いに来てくれるとは。あの馬車はだれのだい? 昨日の夜は遅くまでマルクールでのパーティじゃなかったの」
殿下はねむそうだったが、わたくしへの興味と、夜更かし特有の”たが”がはずれた感じがして、どうしようとかと思い悩む。
「これからわたくしは衝撃的なことをいいます。心の準備はよろしいでしょうか?」
殿下は瞬き、楽しそうにほほえんだ。
「どうぞ。よかったら座って。座り心地は保証しないけれど」
わたくしはあえて、殿下と背中をむけるよう、座った。
「わたくしは、すべて知っています。アラン殿下と王妃さまにブラッド殿下が毒を盛ったことを。それは失敗に終わりました」
波のはじける音が聞こえる。
殿下の息が漏れた。
「どうして、僕だって気がついた?」
うつむき、眉根を寄せた。そして、顔をあげる。わたくしの目の前には蒼い海が広がっていた。そこには、太陽が波間を照らし、輝いていた。
「わたくしは、未来から来たのですよ。殿下が【茨の魔女】というのも存じております」
わたくしは照覧の魔女の力によって過去にもどれる話をした。
ふりむくと、殿下は首をふっていた。
「信じられない……が、フェイトさんが知っているということがすべての証左か。まいったな。こういう展開は想定していなかった」
わたくしはたちあがり、殿下に手紙を渡した。
「これは?」
「クロエさまの手紙です。アラン殿下に預けられ、折りを見て渡すようにと。わたくしが預かってまいりました」
殿下はわたくしを見つめたあと、手紙の入った用紙をひっくり返したり、すかしたりした。
「なぜ、僕ではなく、兄さんに?」
「疑問はごもっともです。しかし、わたくしは内容を存じません。読んでみられてはいかがでしょうか」
「それも、そうだね」
殿下は首肯し、みどり色の封蝋をナイフで切った。
しばらく、殿下は目を落とし、手紙を読みこんでいた。
わたくしはそのあいだ、祈る気持ちで待った。怖い顔をしていたのか、イタムが頬にくちをつけてきた。
イタムののどをなでる。イタムが気持ちよさそうに目を細めた。
日差しが徐々に強くなっていく。
殿下が鳥が鳴くように、高い声を一瞬だしたあと、落涙した。
殿下の後ろにすわって、ほんのすこしだけ、じぶんの背中をつけた。
殿下の背中は震えていた。
「よかったら、読んでくれないかな。お母さんがどういうひとだったのか、フェイトさんにも覚えていてほしい」
涙声で、顔を隠しながら、殿下は手紙を寄こした。
わたくしには様々な思いが去来したが、なにもくちに出さず、ただ、うなずいた。
《 愛するブラッドへ。
いま困っていることはある? 自分のことで悩んでいるかな? それとも、幸せに暮らしている? そうだったらいい。そうだといいな。なにも言わずに逝ってしまってごめんね。気持ちも、からだも強くあればよかったけど、私はどちらも弱かった。だけど、ブラッドを授かったこと。うれしかった。こんな私でも、ちゃんとふつうのひとみたいになれたって、誇らしい気持ちでいっぱいだった。それが唯一の私の自慢。ブラッドを健康に産めたのは最高だった。
もしかしたら、誤解をしているかもしれないから、伝えておくね。アランと王妃さまにはブラッドと私を会わせないように頼んでいたの。実は、全身の湿疹がひどくなってしまって、ブラッドに見せたくはなかった。 これは、罪の証だから。とても、とても恥ずかしかった。ごめんなさい。ほんとうはこんな手紙を託さずに、直接、言えばよかった。私たちが、いったいなんなのか。どういう存在なのか。私は弱くて、告げる勇気がなかった。それは、私が過去になにをやってきたかをあなたに話すことになる。だからブラッドにはなにも言わないで去ろうと決めた。もしかしたら、ブラッドには継承されないかもしれない。もし、継承されたとしても、ブラッドならだれかを恨まず、この力の真の使い方を見つけてくれるかもしれない。そう、信じている。弱い私にできるのは、信じることだけなの。
ほんとうはこの手紙も、渡されなければよいなって思っている。もし、力が継承されず、だれからも、存在を知られないとしたら、それは素晴らしいことだから。でも、この手紙を読んでいるってことは、そういうことだよね。ごめんね。私は、この力にあらがうことはできなかった。憎くない人を憎み、その憎しみそのものに支配されるようになってしまった。
でも、そうじゃないっていまの私なら、わかる。ブラッドは、どうか、人を恨む道ではなく、違う道を探して。
たぶん、世界は見方を変えれば。違う方向から見たら、見え方が、変わるんだよ。そして、そのきっかけはたぶんいちばん近くにいてくれるひとなの。
それを気がつくのに、ずいぶん時間がかかってしまった。たぶんブラッドも時間がかかると思う。いっぱい悩むと思う。いっしょに悩めなくてごめんね。
それでも、探してほしいの。なんの為に生まれ、なんの為に力を授かったのか。それは、人を恨む為ではない。違う見え方によって、違う世界が、きっとひらけるから。
ブラッドの幸せを心から願っている。どうか、自分に負けないで。
世界中の愛を、あなたへ。
クロエ》
わたくしは、空を見つめ、幼い頃にあったきりのクロエさまを思い返した。どこか自信のない笑みと、わたくしに特に優しくしてくださったことが印象的だった。いろんな思いで、魔女の娘であるわたくしを見ていたのだろう。
手紙を丁寧にしまい、殿下にお返しした。
「ありがとうございます。クロエさまの思いは、心にしかと刻みました」
殿下は手紙を胸のポケットにしまった。
わたくしは手紙にあった〈見え方が変わる〉という部分が気になった。
なにかがひっかかる。
その時、わたくしのなかのすべてのパズルがハマる感覚があった。
ロレーヌさま、マデリンのブラッド殿下と戦った際の行動と魔法探知、クロエさまの手紙。ジョージ護身術で学んだこと。そのすべてを組み合わせれば。
――浮かんだ! 逆転の秘策が!!!
「そうですよ。そもそも、戦う必要さえなかったのです」
おもわず心の声が漏れた。
「うん? どうしたんだい」
殿下にのぞきこまれ、慌ててごまかした。
お恥ずかしい。せっかくクロエさまが残してくださった感動的な手紙をまえに、わたくしは違う手段を考えている。
「結局、僕はお母さんの願ったように生きることはできなかった。申し訳がたたない」
整った短い茶色の髪をくしゃくしゃにして、殿下はうなだれた。
わたくしは、殿下の肩に手を置いた。
「わたくしはまもなく記憶が消えて、なにも知らない状態になります。幸いながら、毒での死者はおりません。まだ、やり直すことができます。マルクールにもどって、クロエさまの遺言どおりになさってはいかがでしょうか」
「ここまでのことをして、僕を許すんだね。さすがだよ。だから、君を好きになったんだ。僕とは全然、ちがうから」
嫌な予感がする。
わたくしは肩から手を離し、距離をとった。
イタムが牙をむき、低く鳴いた。
「いっしょに逃げよう。マルクールにはもう戻らない」
殿下が不気味な笑顔をたたえたまま、後ずさるわたくしに近づいてくる。
「フェイトと僕がいれば、それでいい」
わたくしの背後には崖があった。
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