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第二章 死ぬまでにしたい【3】のこと

91話 わたくしが最期にすべきこと

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 なぜ、わたくしは死んだ?
 これは、お母さまが殺されてしまう記憶ではないのか。


 リアルな痛みとともに、わたくしの目には黒ずくめのひとがうつっていた。


 さっきとはちがい、目から見える位置が高くなっている。
 わたくしの前にエマがいる。


 ――これは、お母さまの瞳をとおして、わたくしは世界を見ているということなのか。


 エマが涙をながし、わたくしの死体を見て、眉間にしわをよせた。
「アニエス様、私からはなれないでください」


 黒ずくめはナイフを腰から抜いた。
 雨のしずくが絨毯にたれる。


 エマも近くにあった短刀を抜いた。
 黒ずくめの影が、エマやお母さまを飲みこむ。


「エマ、借りるわ」
「えっ」
 エマの腕から、お母さまは短刀をとると、ちょうど、わたくしの目の前に、短刀が見える。


 いったい、なにを……。



 視線の下に短刀が。そして、血がふき出る。
 お母さまが、みずからの首を切ったのだ。


 な、なにを、していらっしゃるの。お母さま。


「アニエス様!!!!!!!」
 エマの絶叫が聞こえる。

 目のまえに絨毯があり、黒ずくめの泥がついた靴が見える。
 お母さまの首から血がふき出るのを見ていた。

 イタムがでてくる。

 イタムの目が赤く光り、お母さまの目を照らした。








 はっと、気がつき、はね起きようとするも、からだが動かない。
 気だるさがからだに残っていた。

 振動が心地よかった。雨が天井をたたく音がする。
 わたくしは毛布をすこしのけて、お母さまとエマのすがたを見て、安心する。


 さっきのはきっと、夢だったのだ。そうであってほしい。
 からだが震えているのは、寒さのせいなのか、恐怖なのかわからない。


「エマ、これから馬車が止まる。それから賊がはいってくる」
 お母さまの言葉にわたくしは震えあがった。


「アニエス様、冗談……ではないのですね」
 気の抜けていたエマの表情は引き締まり、短刀を手元によせた。
「ごめんなさい。お願いできる?」
「その為に私がいます。お任せください」


 やはり、声は出ない。


 馬車が止まり、声がした。激しい雨の音と、天井をたたく音だけ。静寂につつまれる。馬車だけがこの世界に取り残されたみたいだ。


 突如、馬車の扉があいた。
 恐ろしくて、飛びおきる。


 やはり、黒ずくめの人が入ってきた。


 エマが短刀を持って、黒ずくめに突進していく。


 しかし、無残にもエマはナイフで刺され、倒れた。
「「エマ!!!!!!!」」
 わたくしとお母さまの声が重なる。



「フェイト! 後ろに下がりなさい!! 大丈夫。目を閉じているのよ。すぐに終わるわ」
 お母さまにどなられ、馬車の後ろの壁にはりついて、言われたとおりにした。

 しかし、子どものわたくしはお母さまの言いつけをやぶって、薄目をあけていた。わたくしも、そこからのぞいた。

 お母さまは、エマの短刀をひろうと、迷いなく、みずからの首に突きさした。

「お母さま!!!!!!!」


 お母さまはこちらを振りむかず、言った。
「目を閉じていてって言ったでしょう」
 優しい声色だった。


 どうして、躊躇なく、みずからを傷つけることができるのだろうか。痛みがこわくないのだろうか。
 わたくしは、こわい。実際に痛みを知っているからこそ、こわくてたまらない。







 その後もわたくしの意識は、黒ずくめから襲われる前にもどり、それを繰りかえした。
 お母さまは、黒ずくめと短刀ひとつで戦い、負けつづけた。
 その度、子どものわたくしは泣きさけぶ。わたくしは目をそむけず、お母さまをずっと見ていた。


 これが、照覧の魔女の、魔法の正体。


 みずから死ぬことで、ある地点までもどり、過去をやりなおす力、といったところだろうか。
 すごい力だ。いままでの魔法の概念そのものからはずれた、どうやって考えついたのか、どのように実現に至ったのか検討もつかない。
 からくりがわからなければ、他者は未来を予測する、予知能力だと思うだろう。だから、エヴァおばあさまは照覧の魔女と名乗ったのだろうか。予知能力だと見せかけるために。

 それがわかっても、なんどもなんどもなんどもなんども死ぬ、お母さまの姿を看取ることしかできなかった。
 もう、やめて。と、声に出せたとしても、お母さまは聞きはしないだろう。そういう気概を、意思を、その背中から感じとった。



 お母さまは16回目にようやく、黒ずくめに一撃を与えることに成功した。と同時に、みずからもナイフで刺されて、倒れてしまった。
 黒ずくめは血を流し、馬車の外へと消えた。



 ずっとお母さまを誤解していた。わたくしのことよりも、マルクールの平和のことを考えているとばかり思っていた。
 話しかけてよいのか、いま、抱きついてもよいのか。いつも、お母さまの顔色をうかがっていた。
 駄々をこねてしかお母さまの気を引くことができないわたくしの存在を、鬱陶しく思っているのではないかと。


 涙がこぼれ、止まらない。嗚咽が漏れる。


「アニエス様!!!!!」
「お母さま!!!!!!」

 お母さまの右目は赤い色が薄れ、蒼く澄んだ色になった。
 目をほそめる。
 イタムがお母さまを見つめた。
 どすぐろい血が、絨毯に漏れる。

「エマ……。フェイトを……おねが……。フェイト、ごめんね……」
 お母さまはわたくしを抱きしめるまえに、事切れた。


 わたくしはこの記憶を覚えていなかった。
 お母さまが亡くなったことがショックで、思いださないようにしていたのかもしれない。エマもあえて、この日のことを語ろうとはしなかった。





 気がつくと、磨いた石のようにきらめく、星の見える場所にもどってきていた。
 イタムがわたくしの頬をなめた。

「辛い記憶ではあっただろうけど、アニエスがあの当時どのような境遇におかれ、照覧の魔女がどういうものなのか、フェイトには知っておいてほしかったからね」


「お母さまが最期になにをしたかったのか、知ることができてよかったです。わたくしになにができるのか、なにをすべきなのかも理解できました」


 わたくしのなかに痛みへの恐怖が残っている。
 その痛み、恐怖がお母さまにもあった。それでも、お母さまは戦いぬいた。

 アラン殿下、バルクシュタイン、シリル、ゾーイ、イザベラ、貧民街の子どもたち、そして、ブラッド殿下の顔があたまに浮かぶ。
 なぜ、わたくしはこんなにもだれかを助けたいと願っているのか、いままでわからなかった。


 わたくしはお母さまを、なんとしても助けたかったのだ。


 だれかが死ぬのも、悲しむのも見たくなかった。それはあの時、なにもできなかったわたくしを思いださせるから。それは、お母さまのような大切な人をうしなうってことだから。

 涙がこぼれる。それをぬぐった。



「アニエスが死ぬ間際、フェイトから距離をとったのには理由があった。ひとつはアルトメイアとの戦争を止めるため、命が狙われるのではないかと思っていたからだ。仲が良いほうがより、辛いだろう。ふたつめは照覧の魔女の魔法から遠ざけたいという願いがあったんだ。魔法の性質的に、なんどもなんども、死ぬことでようやく帰結する。もし、フェイトが寿命までなにごともなく生きられたら発動しない。この魔法の正体を知らないですむ人生もあったんだ。アニエスはそれを願い、フェイトを遠ざけた。そして、アニエスはフェイトに力を引き継がせる時に、私、イタムがすべての魔法を管理し、フェイトにはいっさい力の詳細を知らせないように取り決めをした。それはもちろん、魔法の正体を守る為でもあったが、それ以上に、フェイトにアニエスのような最期になってほしくなかったからさ。フェイトが過去にもどった場合は、一時的に記憶を保持しておけるが、次のフェイトに記憶は引きつがれない。魔力が切れた時点で、フェイトの精神は死をむかえる。まわりくどいし、無駄な死も多くなってしまうかもしれない。それでも、ずっと死に続け、ずっとだれかを救えない気持ちを背負うことはない。それは辛すぎるからってねぇ」


「そうでした、か。わたくし、ずっと、お母さまには嫌われているとばかり思っておりました。まさか、このように思ってくださっていたとは。この、残していただいた力は、エヴァおばあさまと、お母さまの合作魔法でしたのね」

 涙がとまらなくなりそうだった。ひざをつき、歯をくいしばって、わたくしは必死で我慢した。
 お母さまの優しかった顔だけが、ありありと思い出せる。


 そして、わたくしの後ろに、を感じる。
 8人の、命をかけて、わたくしをここまで導いてくれた、フェイト・アシュフォードを。
 

 ひとりでは、ここまでくることは到底できなかっただろう。
 ひとりひとりにお礼をいって、いったいどれだけ大変な旅路であったか、聞きたい。
 

 だが、それはいまではない。


「まったく。私の魔法って不自由で使い勝手が悪いったらないね。過去にもどっても、出来事は必ずそのとおりに帰結する。つまり、過去にもどっても、できることはアランに渡された毒をすべて飲みきることだけ。床に捨てようが、窓からほうり投げようが、必ずだれかが毒を飲むことになる。フェイトが3ヶ月後に死ぬことにかわりはない。さらに、フェイトがもどれるのはあと1回だけ。魔力が自然にもどるよりも、消費のほうが多くてね。さて、いまから死ぬほどの愚問を聞くよ。それでも、いくかい?」
 イタムは伏し目がちに言った。


「ええ。行きます。この残していただいた、素晴らしい魔法をもって、アラン殿下と、ブラッド殿下をお助けいたします。それに、まだ、アラン殿下に最期の貸しが残っているのでした」
「それは――?」
 イタムが首をかしげた。


「まだ、婚約破棄返しをしておりませんでした。せっかく人生に一度、強烈な婚約破棄を受け取ったのですから、謹んでお返ししなければ。アラン殿下のお気持ちがわかったいまなら、わたくしも同じようにしてさしあげます。3ヶ月後に毒で死ぬのはわたくしひとりで十分。それが、わたくしの、最期のすべきことにございます」
 うまく笑えただろうか、もう自分の顔がどうなっているのかわからない。すべてがぼやけ、ちゃんとしゃべれていたのかもわからない。それでも、わたくしは言葉を発することで、自分の使命を胸に焼き付けた。

 絶対にやり遂げる、と。


「そうか、そうだね。では、行こう。そのまえに」
 イタムが言葉をきった。
「ここで、すきなだけ泣いていきな。いまは、自分のために、泣いていいんだよ。よく、がんばったね。フェイト」

 わたくしはイタムを抱いて、好きなだけ泣いた。イタムはずっとわたくしのそばで涙を舐めつづけてくれた。

「おちつきました。では、運命に戦いを挑むといたしましょう」
 わたくしは歯を見せて、笑った。

 イタムも不器用に口を動かした。笑ったのだろうか。

「さあ、いこう。9代目のフェイト。私がすべてのフェイト達の歴史を記憶しておくよ」
「それはうれしいです。運命におおいなる戦いを挑んだ悪役令嬢として、語りついでください」
「ああ。そうしよう」

 星が高速で動き、それがひとつのひかりとなって収束していった。
 人知を超えた魔法の発動に心がおどった。

「わたくしは、無能ではなかったのですね。こんなに素晴らしい力を持っている。落ちこぼれが世界最高峰の魔法使いになった気分です」
 イタムの目が赤く、光った。

「そう、世界最高の照覧の魔女、アシュフォード家の魔女たちさ」
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