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第二章 死ぬまでにしたい【3】のこと

77話【バルクシュタインside】初めてのアシュフォード家⑤ あたしのすべてを変えた人

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「ごめんなさい。もったいつけてしまって。秘密のことを話しますね。わたくしを強いと感じてくださったのは、小説で読んだ主人公を演じているからです。ほんとうは弱くて、臆病で、泣き虫です」
 はにかみながら、アシュフォード様が言った。
 
「怖くはありませんか? 演じるということは、いつか化けの皮がはがれ、ほんとうの自分がバレてしまう。僕にはそれが恐ろしい」


「ありますね。わたくしは”最後まで演じられるか問題”と名付けました。強がりや演技がバレたら怖いですよね。ですが、ご覧ください。この美しい薔薇たちを。この薔薇園が、最初は1本の薔薇もなかったと言ったら、信じられますか?」
 アシュフォード様は、バラ園を見渡した。

「信じられません。こんなに綺麗にたくさんのバラが咲いています」


「ですよね。だから、積み重ねなのです。薔薇園が1日でできなかったように、わたくしの演技も1日ではなしえない。ながい時間をかけて作られたものはもう、演じているか、演じていないかなんて、本人にもわからない。それがほんとうになるってことです。そして、道半ばで、だれかに演技がばれたとしたら、しょうがないことです。自分を変えたくて、やった努力は気高いではないですか。そして、だれかはその行動を見てくれています。それで良いと思いませんか」
 薔薇を見つめ、ふっ、と笑う、アシュフォード様。


「アシュフォード様は、いったいおいくつなのですか。僕にはそのように物事を深く考えることはできません」
 あたしが自虐気味に笑うと、アシュフォード様は首を振った。

「わたくしは今年15歳になります。色々なことがあって、考えなくてはいけなかったのです。だから考える力ではなく、考える必要があるかどうかの話です」

 日光に透ける白い髪が美しく、この世のものではない儚さを感じた。



 あたしは、”あれ以来”、だれにも相談するつもりがないことを、告げてみたい、と思った。



「あの、僕は……」


 切り出したものの、アシュフォード様の目を見ると言えなくなる。


 この方にだけは嫌われたくない――。


 では、なぜ? あたしは秘密を打ち明けようとしているのか。





 ――気持ち悪いっ!
 
 初めて、気持ちを打ち明けた親友の子から言われた言葉。


 あたしは固い物であたまをぶっ叩かれたような気分だった。
 自分自身、その気持ちがなんなのかわからず、口に出したのだ。
 とても苦しくて。黙っていられなかった。


 自分自身がいちばんよくわかっていた。



 ――あたしはおかしい。でも、それを、親友にはわかってほしかった。



 もし、たったひとつだけ、過去がやり直せるなら、なにを選ぶ? あたしは迷わず、親友に気持ちを打ち明けさせないようにするだろうか。


 違う。あたしは、自分を産まないようにって神さまに言うだろう。


 苦しくて、苦しくて、楽になりたくて、それでも、だれにも言うことはできない。それは、”気持ち悪い”ことだからだ。
 
 でも、その気持ちは、自分だけではもう、抱えきれなくなって。


 無能の魔女と呼ばれるアシュフォード様が、どのようにあたしを見るのか、知りたかった。
 いや、すがりたかった。本当のところは。



 口がぱくぱくと動き、続きが言えない。
 高鳴る心臓がうるさくて、こんなにも臆病なんだって実感する。


 言ってしまう後悔と言わない後悔を天秤にかけはじめた。

 


 アシュフォード様の肩に、蝶々がとまった。
 あたしの目が開き、あっ、と声が出る。



 このチャンスを逃したら、二度と、アシュフォード様と会えないかも。




 あたしはつばを飲み込み、息をおおきく、吸った。





「アシュフォード様、僕、自分がなんなのかわからなくて。好きになる人は、異性ではないのです」




 アシュフォード様は宝石のような瞳をすこしだけ開き、あたしを見つめる。


「そう、でしたか」


 アシュフォード様はあたしから目をそらし、バラを見た。蝶はまだアシュフォード様の肩にとまっている。


「気持ち悪い……ですよね。嫌な気分にさせてしまってすみません」
「気持ち悪いですって!? 訂正してください! それが”奴ら”の手なのです!」
 アシュフォード様は興奮して、あたしの肩をつかんだ。

 蝶々はアシュフォード様の肩を離れた。

「奴ら、とは?」
「わたくしにはアーロンの苦しみを想像することしかできません。軽々しく、演じれば良いなどと、わかったような事を言ってしまってすみません。謝罪します」

 アシュフォード様の対応に納得しすこしだけ、残念に思う。初対面の男から、このような唐突な告白をされれば、だれだって距離をとる。


 蝶々は近くのバラに止まった。


「ちなみに奴らとは、運命のことです。むかしの偉人がおっしゃいました。運命とはそれを乗り越えられる人のもとに訪れると」
 眉間に皺をよせ、鼻をふんすっと鳴らすアシュフォード様。


「もしかして、怒ってます?」
「ええ。大いなる怒りをこの身に感じております。なにが、乗り越えられる人のもとに訪れる、ですか! ばかばかしい。まるでありがたいものみたいに受け取れ、という説教が大嫌いでしてね。わたくしはいつか、運命そのものを痛い目にあわせたい」
 アシュフォード様は天をにらみつけた。しかし、まぶしいのか、目を細めた。



「僕が、気持ち悪くないのですか」
「なぜですか?」
 心底不思議だと言わんばかりの表情をする。その顔を見ると、むしろあたしの方が間違っているような気持ちになった。

「だって、異性を愛せないと、子どもを産めません。それに――」
「アルトメイアでは特に厳しいみたいですね。矛盾しているようですが、それを運命に感じるのです。自分ではどうしようもないこと、とでもいいますか。わたくしが無能の魔女であることも散々悩みました。しかし、運命とやらは、知らんぷり。こちらとしては、迷惑で、遠慮被りたいのに、奴らは忍び寄り、苦しめるのです」

 あたしは熱量に圧倒された。


「百歩譲って、いえ、1億歩……譲るぐらいの気持ちですが……。アーロンが異性を愛せないこと、わたくしが魔女なのに無能なことも、しかたない……。今回だけは、譲って差し上げます。ですが、それによって、わたくしたちが苦しむことは許せない。理不尽だとは思いませんか。自らが望んだものではないものによって苦しめられるのは。つまり、わたくしたちは同じ運命を共有する者ということになります」

 蝶々はバラから離れ、また、アシュフォード様の近くを飛んで、止まる隙をうかがっているようだった。



「わたくしたちは手をとって戦いませんか? 共に生き、戦果を共有し、運命という強大な理不尽に立ち向かうのです!!」



 目を閉じ、我慢しようとしても、抑えきれるものではなかった。
 くちびるを噛んだ。顔じゅうが皺くちゃになっているだろう。それでも、我慢などできるわけがない。
 
 ずっと苦しかった、口をなにかで塞がれていて、うまく息が吸い込めないような日々だった。
 

 あたしはようやく、ちゃんと息が吸えることに気がついた。


 あたしは泣いて、アシュフォード様に抱きついた。
「すみません。嬉しくて、僕は……」
 声が掠れ、自分でもなにを言いたいのかわからない。胸が苦しくてたまらない。


「貴方は気持ち悪くなんてないですよ。みな、わからないものが怖いだけです。魔女だってそう。運命になんて負けてはダメです。もし、ひとりで負けそうになったら、わたくしを思い出して。大丈夫」

 背中をさすってくれたが、どうしても泣き止むことができない。そのまま、アシュフォード様はあたしを受けとめてくれた。

 
「アーロン。手を伸ばして見てください」

 アシュフォード様の声に弾かれるように、からだを離した。

「す、すみません。つい、甘えてしまって」
「蝶々に向かって、手を出してみて」
 
 アシュフォード様に止まっていた蝶々だろう。あたしに止まるはずはないと、一瞬、思う。

 でも。それでも。


「はやく」
 アシュフォード様に手をにぎられ、蝶に向かって手を伸ばした。


 蝶は、あたしのまわりを飛んで、様子をうかがう。
 
 おそるおそる、あたしの指先に止まった。



 その瞬間に、色んな辛い思いが胸の底から上がってきた。あたしを苦しめる呪いのような過去は、アシュフォード様からもらった強さによって、静かに指先から散っていった。



 とめどなく、涙があふれる。


 蝶はあたしの指先にとまって、蜜を吸おうとしている。

 

「アシュフォード様、だれかを演じるというのは、小説の主人公ではないといけないのでしょうか」
「いえいえ。だれでもいいのです。お父さま、お母さま、尊敬する方、なりたい自分の理想の姿。ルールなどありません」


「僕には、なりたい人ができました」


 アシュフォード様に笑いかけた。アシュフォード様もつられて笑う。
 

 蝶はあたしの指を離れ、遠くへと飛んでいった。




◇◇◇◇◇




 アシュフォード様と初めて会った日を思い返していた。
 あれから2年。ますますアシュフォード様は綺麗になり、強くなられたようだ。 

「ウィンストン学園への入学の後、アーロンが入学していないか探したのです。しかし、いなかった」
「はい。あの時、男装していると話さなかったことを後悔もしたのですが、あたしなりに闘う為の力をつけたくて、必死で商人の仕事を覚えました。すこしは誇れる自分になってから、お声をかけようと思っていて」



「貴方は貴方自身とずっと闘っていらしたのですね。アーロンが、こんなに立派になって。安心しました」
「はい。ずっとアシュフォード様にお礼を申しあげたかったです。おかげで、あたしはここで息をすることができています」

 アシュフォード様が瞳を緩めて、笑う。あたしも笑った。


「すると。やはり、アラン殿下はなにかお考えがあって、わたくしと婚約破棄をして、バルクシュタインと婚約したのですか」
 あごに手をあてて、考えるアシュフォード様。
 
「あー。それに関しては、すべてが終わってから、あたしからお伝えします」
「アラン殿下も、バルクシュタインも、隠しごとが多くてつれないですね。まあ、なにか事情があることはわかりました」

 アシュフォード様が一瞬だけ、ほっとした顔を見せる。
 まだ殿下のことを気にしておいでなのだ。


「アシュフォード様、薬草の在庫のほとんどをマルクールの倉庫に移しておきました。いつでも出荷できます」

「ありがとうございます。店側と話をつけてきますね」

 あたしは天井を見つめながら、話した。

「あたし、アシュフォード様とどんな形であれ、ふたたび関わることができて幸せです。落ちついたら、アルトメイアにワインを輸送する話も進めたいし、マルクールやアシュフォード家がもっと栄えるように、バルクシュタイン商会は全力で力になります。アシュフォード様には幸せになってもらいたいんです」

「ええ。一緒にやりましょう。改めてお願いしますね」
 アシュフォード様は満面の笑みで言った。


「こちらこそ。あたしはその為に今日まで生きてきたのですから。それとイタムの件、やっぱりあたしに任せてください。だからといって、油断しないでくださいね。いざというときの保険ですから。ねっ、イタムだってそう思うよね」
 
 あたしはイタムに顔を近づけると、鼻先を舐められた。

「あら、イタムは大歓迎みたいで、嫉妬します。油断ですって? ずっと運命に弄ばれてきたわたくしは、一矢報いるまでは死ねませんわ。だって、わたくしたちは戦友ですもの」
 
「ええ、あの時から、あたしたちはともに闘う仲間です」
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