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第一章 コールドスリープから目覚めたらVRMMORPGの世界だった……?

閑話 夢の中で…… ~大学時代のニケ~ <前編>

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 しゃなりしゃなりと歩く黒猫。

 ――しっぽフリフリ。
 ――お耳ピコピコ。

 ああ、これはボクの身体だな。

 さっきまで「銀の乙女亭」のベッドでまどろんでいたはずだけど……
 ――そうか! これが明晰夢ってやつだな!?

 この夢空間はボクが所属していたアメリカの大学だ。
 そして今の身体は当時、使用していた猫型ドローンだ。

 日本の大学病院で寝たきりだったボクは、アメリカの大学に通う為に、大学の研究室に特別に設置してもらっていた黒猫ドローンを操作して授業を受けていた。
 医療用VRからアクセスして、「脳とコンピュータをブレイン・コンピュータつなぐ装置・インタフェース」のモードから「脳と機械をブレイン・マシンつなぐ装置・インタフェース」のモードに切り替える。

 普段からVR空間でアバターを操作しているボクにとって、黒猫ボディを操作することなんて造作もないことだった。

 人間の脳で猫の身体は動かせるかって?
 大丈夫!
 人間の脳みそは思っている以上に多様な生物を操作するポテンシャルを秘めてるんだよ?

 教室に入ると中には心理学のジェリー先生がいる。
 そうか、これからジェリー先生の『VRコミュニケーション心理学』の授業が始まるんだな。

 夢の中だけど、せっかくだから授業を受けていこう……


 ▼▼▼▼


 ジェリー先生は某大手SNS企業のCEOがVRについてアドバイスを求めてくる程の高名な先生で、だから彼の授業も人気が高かった。
 ボクが教室に入った時にはほとんど席が埋まっていたけど、ボクは猫の姿だからそんなにスペースは取らない。

 知り合いの生徒が座っている席の脇にちょこんと座らせてもらった。
 彼女の名前はミカエラ。

 彼女は柔らかそうなふわりふわりとした赤毛のショートヘアが良く似合う、優しそうな瞳をした子だった。
 ボクが隣に座ると彼女は優しくボクの頭を撫でてくれて、「脳と機械をブレイン・マシンつなぐ装置・インタフェース」がその感覚をボクの脳にフィードバックをしてくれる。

 嬉しくなってボクがしっぽをフリフリさせると、後ろの席の女生徒たちから「きゃわわわっ!」との黄色い悲鳴が響いた。
 ――いや、君ら日本のアニメ見過ぎだからっ!

 「きゃわわわっ!」って日本人の女の子でもそうは言わんよ!?
 ‘So cute!’とか、他に言い方なかったんかいっ!

 生徒たちが席に着くとジェリー先生が講義を始める。

「ええっ、前回の授業では『プロテウス効果』について解説しました。 君たちがちゃんと学習しているか確認する為に、またもう一度復習してもらう為にも、誰か代表して『プロテウス効果』について説明して欲しいんだけど、やってくれる人はいませんか?」

 ボクがピンクの肉球付きの黒くてモフモフな右腕で挙手をする。
 またも背後の女生徒たちから「きゃわわわっ!」との黄色い悲鳴が響いた。

「はい、じゃあニケくん。みんなを代表して『プロテウス効果』について説明してください」
「わかりました!」

 ボディは黒猫だけど、声はちゃんと人間の声も出せる黒猫ドローン。
 ボクはこの大学に入る為に、高校を卒業してから「VR英会話教室」でしっかり英語の勉強もしていたので、英語はけっこう堪能なんです。

 それにG社の翻訳機能もかなり発達していたからね。
 大学の授業を受けるのに困るということは無かったよ。

「『プロテウス効果』とは、『VR空間で人間は、自分が身に帯びているアバターから、強い心理的な影響を受ける』という現象のことを指します。具体例としては、トランスジェンダーでもない男性がVR空間で長時間女性アバターを装着することで精神が女性化し、スカート捲りされるとむちゃくちゃ怒ったりする現象や、大人の人が子どものアバターを装着してVR空間で授業を受けると、通常よりも学習能力が上がったりする現象などが挙げられます。プロテウスとはギリシャ神話に出てくる変身が得意な海神のことで、彼にちなんでそのネーミングがつけられました」

 ボクがついでに「ギリシャ神話の神様はプロテウスじゃなくてもみんな変身できるので、変なネーミングだと思いました」と余計な一言を付け加えるとジェリー先生がニヤリと笑う。

「おやおや? ニケくんは僕たち心理学者に喧嘩をうってるのかな? んん?」

 そう言って、ジェリー先生がボクサーのファイティングポーズのように両こぶしを眼前に構えると、生徒たちの間から笑い声が起きた。

「でも、正しいね。ニケくんはよく勉強している。さすがは普段から医療用VRを使っているだけのことはあるよ。僕としては今、黒猫ドローンを操作しているニケくんが『黒猫プロテウス効果』をどのように受けているか興味があるので、あとで僕の研究室に来るように」

 ジェリー先生がそう言うと、また生徒たちの間から笑い声が起きる。
 彼はよくジョークを飛ばす先生だったので、授業は終始こんな感じで楽しく時間が過ぎていくのだった。

 ジェリー先生の発言でみんなの注目がボクに集まるので、ボクは少し恥ずかしくなる。
 ボクがテレ隠しに右後ろ脚で右耳を掻くと、その仕草を見てまたみんなからどっと笑い声があがった。


「では今日は『ホムンクルスの柔軟性』について学んでいきたいと思います。これは、VR空間の中で人は、人間以外の生物――イルカとか猫とかロブスターとか、はたまた三本腕の人間とか――を操作することが出来るという現象を指しています。中世のヨーロッパでは『脳みその中に身体を操縦しているホムンクルスという小人が住んでいる』と信じられていました。僕たちの脳内のホムンクルスはかなり柔軟に自分たちの身体構造からかけ離れた生物も操縦が出来るというお話ですね。幸いなことに僕たちの身近にはそれを証明する良い例があります。ニケくんが今、使っているのはVR空間で僕たちが使用する『脳とコンピュータをブレイン・コンピュータつなぐ装置・インタフェース』ではなく、『脳と機械をブレイン・マシンつなぐ装置・インタフェース』の機能ですが、同じ装置デバイスでそれは実現できます。まあ、親戚関係のような技術ですからね。彼女が黒猫を自由に操れるように僕たちもVR空間で自由にイルカやロブスターを操作することができます」

 ジェリー先生が『ホムンクルスの柔軟性』について分かりやすく説明してくれる。
 そうすると生徒の中から質問の声があがった。

「先生! 僕たちの脳の中にいるホムンクルスはどんな生物でも操縦することが可能なんですか?」

 生徒からの鋭い質問を受けてジェリー先生の左眉がくいっくいっと上下する。
 目で「なかなか良い質問だね!」と答えているのだ。
 ジェリー先生のこういう仕草は割とチャーミングだと思う。

「うん、どうやらどんな生物でもっていうわけにはいかないみたいだね。あんまり大きすぎたり、構造が複雑すぎたりするとうまくいかない…… 生物学者たちは人間が動かせる生物の種類は生物の進化樹に関連しているかもしれないと言っているね。人間が進化の過程で通った生物種や途中で進化の道が分かれたとしても比較的近い生物種などは動かしやすいみたいだ。まあボクたちはロブスターの身体もかなり自由に操作することができるので、進化樹的にけっこう離れている生物でも操作できそうだけどね」

 みんなは食い入るように話に聞き入り、メモを一生懸命取っている。
 ボクは猫の身体なのでメモは取れないけど、『脳とコンピュータをブレイン・コンピュータつなぐ装置・インタフェース』の機能の中に、自分が頭の中で意識した言葉をメモする機能があるので、それで代用している。

 2025年頃にこの技術はある程度、実用化の段階まで進んでいて、ボクが大学生の頃にはビジネス資料の作成から小説の執筆、果ては漫画やアニメの制作なんかにもこの技術は応用されていた。
 それまで絵が描けなくて小説を書いていた作家さんの中には、自分が頭の中に描いたキャラクターを絵で描いてくれるこの機能を活用して漫画家に転身した人もいた。

 今度は他の生徒が質問する。
 やっぱりアメリカの大学生はみんな積極的だよね。
 日本と違って学費も高いし、真剣だ。

「先生は今、『ホムンクルスの柔軟性』に関連して何か研究とかされてるんですか?」

 ジェリー先生は顎を右手でさすりながら「うん!うん!」と頷いている。
 熱心な受講生に恵まれて先生もご満悦なようだ。

「そうだね。今、僕は生物学者さんと共同で『VRイルカ』の研究をしているよ! すでに僕たちはVR空間の中でイルカが操縦できることは把握しているんだけど、これはその研究を更にもう一歩進ませる研究なんだ。君たちも知っての通り、イルカを始めとした鯨類は超音波を用いた『反響定位エコーロケーション』で暗い海の中でもどこに何があるのか把握する能力を持っているね? 今、僕は知り合いの生物学者さんにお願いして、『反響定位エコーロケーション』を行っている際のイルカの脳波の採取をしてもらっている。特徴的な電気信号のやり取りを把握し、その電気信号を『脳とコンピュータをブレイン・コンピュータつなぐ装置・インタフェース』を介して、VRイルカを操縦中のユーザーにフィードバックするんだ。うまくいけば僕たちはイルカと同じようにVR空間の中で『反響定位エコーロケーション』が出来るようになる。今のところ、達成率は50%くらいかな? 人によってうまくいく場合とうまくいかない場合があってその辺の原因を調査しているところだね。この研究が進んでいったら次はイルカ型ドローンを製作して『反響定位エコーロケーション』を用いた深海調査をする計画もあるんだ。その時にはまたニケくんの力も借りるかもしれない」

 そうやって言うと、ジェリー先生はボクの方を見てウインクをした。

 ジェリー先生の授業はまだまだ続いていく……

――――――――――――――――
≪著者あとがき≫
 何年か前にたまたま立ち飲み屋で隣の席になったお兄さんがVRの研究者だったことがあって、ここで話が出てきた『プロテウス効果』の話はその時に聞いたお話が元だったりします。
 あれがきっかけでこの小説を書いてる感ありますね……

 VRの人間に対する心理的影響については、『VRは脳をどう変えるか?|仮想現実の心理学』(スタンフォード大学心理学教授 ジェレミー・ベイレンソン著、倉田幸信訳)を参考にして書きました。
 ご興味がある方はぜひ読んでみてください!
 なかなか面白い本でした!

 このエピソードに出てきたジェリー先生のモデルは上に挙げた本を書かれているジェレミー先生です。
 勝手に登場させてすいません……m(_ _)m

 まあ本文中に本名は出してないから大丈夫かな?
 たまたま名前が似ている説もありますしね……
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